表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/2

E級測量士、国家崩壊を測定する

E級測量士のクロガネ・レンには、誰にも見えないものが見える。


都市崩壊率。地脈断裂までの時間。死んでいく街の、正確な余命。


王都ラグナベイルの崩壊まで、残り三時間四十二分。


報告書は何度出しても笑われた。だから今日も、レンは一人で測る。


崩壊する都市に降り立った謎の少女。王城地下に眠る未解明の核。そして——死ぬたびにリセットされる、崩壊前の朝。


「設計で、変えられる」


都市の死ぬ順番を組み替える力を手に入れたレンは、何度滅びを繰り返しても、世界の寿命を延ばし続ける。


これは、誰にも気づかれない場所で、世界の崩壊を測り続ける男の記録だ。

崩壊まで、残り三時間四十二分。


クロガネ・レンは、王都ラグナベイル中央塔の測量窓から、朝の街を見下ろしていた。


測量士は、土地の広さを測るだけの職業ではない。


少なくとも、王都測量局ではそう教えられている。


土地の高低差を測る。地脈の流れを読む。建築物にかかる荷重を割り出す。水路の循環を管理する。都市があと何年使えるかを診断する。


ただし、最後の一つまで本当に読める測量士は少ない。


レン以外には、ほとんどいない。


ラグナベイルの排水設計は美しかった。


雨水路と生活排水路を完全に分け、地下を流れる地脈熱で冬季凍結を防ぎ、余剰水は第七城壁の外周水濠へ逃がす。五百年前にこの構造を組んだ設計士は、たぶん少し狂っている。


いい意味で、だ。


白亜の城壁。魔導排水路。浮遊石を組み込んだ高架軌道。地脈炉から各区画へ伸びる熱導管。


人口百二十万の千年王都。


帝国で最も美しい都市。


そして、最も醜く死にかけている都市だった。


レンの測量視界には、街の上に赤い数値が浮かんでいた。



---


《都市崩壊率:98.7%》 《地脈断裂まで:03:42:11》



---


地中を走る亀裂。沈下した基礎。歪み始めた荷重線。逆流する地下水脈。


都市の循環は、もう崩れていた。


「脈が乱れてるな」


レンは測量器を少し傾けた。


「死ぬぞ、この街」


背後から重い足音が上がってきた。


「おーい、レン」


同僚のガストだった。声が大きく、肩幅も大きく、測量器より斧のほうが似合う男だ。本人もそれを分かっているのか、測量杭を肩に担ぐ姿だけは妙に堂に入っている。


「またここか。西区画の再測量、主任がキレてたぞ」


「意味ない」


「出たよ」


ガストは革袋から焼き菓子を取り出し、レンへ投げた。


レンは片手で受け取る。


「食え。昨日から何も食ってねえだろ」


「三時間後に街ごと消える」


「だからって腹は減るだろ」


焼き菓子は安物だった。硬く、端が焦げている。それでも麦の匂いは悪くない。


レンは一口だけかじった。


「本当に消える」


「はいはい。終末論な」


「測定結果だ」


「なお悪いわ」


ガストは窓の外を見た。


中央広場では建国祭の準備が進んでいる。色鮮やかな旗。屋台の煙。楽団の調律音。鐘楼から響く朝鐘。


平和そのものの朝だった。


「俺には普通の街にしか見えねえよ」


「普通に見える街ほど、壊れる時は早い」


「お前な」


ガストは顔をしかめた。


「また報告書でも出す気か」


「出さない」


レンは即答した。


「三年前の王都基準橋。半年前の第三区地脈炉。ルーン鉱山。全部、事前に報告した。全部、笑われた」


ガストは黙った。


レンの左手の親指が、無意識に歯へ向かう。


その手首を、ガストが掴んだ。


「やめろ」


レンは手を下ろした。


ガストはそれ以上、何も言わない。


彼はレンの過去を詳しく知らない。ただ、崩落事故の話になるとレンが左手の親指を噛むことだけは知っている。


「今日は逃げろよ」


「測量士が逃げたら、誰が死因を記録する」


ガストは返事をしなかった。


その代わり、窓の外を見た。


広場では、小さな子供が赤い靴で石畳を跳ねていた。


レンは、その足元を見ないようにした。


その時、レンの測量視界に穴が空いた。


中央広場の一角だけ、数値が表示されていない。


高低差も、荷重も、地脈圧も、水脈もない。そこに石畳があり、人が歩き、屋台の煙が流れているのに、測れない。


「……なんだ?」


黒いフードの少女が立っていた。


誰も彼女を避けていない。


だが誰も、彼女に触れていない。


人の流れだけが、そこを通らずに二つに割れていた。


少女が一歩進む。


足元の石畳に、細いヒビが入る。


レンの測量視界に、遅れて赤い文字が浮かんだ。



---


《未定義座標を検出》



---


少女が顔を上げた。


声は聞こえない。


だが、唇だけが動いた。


『まだ、鐘が多い』


意味が分からなかった。


少女は東壁を見た。


『七つ』


鐘楼が鳴った。


一つ。


二つ。


三つ目が鳴る前に、東壁の数値が消えた。


次の瞬間、東壁が崩壊した。


音より先に、亀裂が走った。


第七城壁の白い面に、赤黒い線が縦に伸びる。まるで巨大な刃で都市の皮膚を裂いたようだった。


石材が内側から弾け、圧縮された空気が広場へ押し寄せる。祭りの旗がまとめて千切れ、屋台の火が倒れ、熱風と砂埃が測量窓まで吹き込んだ。


一拍遅れて、悲鳴が来た。


レンは即座に測量視界を開く。



---


《ERROR》 《地脈圧力:測定限界突破》 《王城地下反応:急上昇》 《崩壊時刻 強制変動》



---


「誰かが核を開けた」


三時間あった猶予が、一気に圧縮されていく。


地下で脈動していた何かが、異常な速度で増幅していた。


鐘楼の音が、一つ止まった。


それだけで、レンは全身が冷えた。


世界が軋む。


地下水道が破裂し、熱い蒸気が石畳の隙間から噴き上がる。鉄臭い水が広場を流れ、中央橋の橋脚が沈み、アーチ構造が荷重限界を超えて金属の悲鳴を上げる。魔導高架軌道がねじれ、浮遊石の均衡が崩れ、支えを失った建物が隣の建物へ倒れ込み、その重みがまた次の建物を殺していく。


これは物理崩壊だ。


地盤、荷重、水系、熱導管。都市を構成するものが、順番に壊れている。


なら、まだ測れる。


まだ、手を入れる余地がある。



---


《地脈崩壊 開始》 《空間固定率:0.2%》 《都市消滅まで:00:04:59》



---


ノイズ混じりの声が、レンの脳へ直接響いた。



---


《適合者確認》 《都市再設計システム 起動》



---


黒いUIが展開する。



---


【都市状態診断:ラグナベイル】


水系循環:崩壊

荷重構造:崩壊進行中

地脈炉:暴走

避難導線:混乱

空間固定:臨界低下

人口保持率:72.4%


【総合判定】 崩壊確定


【推奨行動】 即時避難



---


レンは息を止めた。


ただの警告ではない。


都市を診断している。


測量視界より細かい。水系、荷重、地脈、避難導線、空間固定。都市を一つの生き物として分解し、どこから死んでいるかを表示している。


さらに文字が追加された。



---


《都市は生命です》 《生命は循環によって維持されます》 《排水は極めて重要です》



---


「思想が強いな」


その場違いな文面に、レンは一瞬だけ笑いそうになった。


だが、次に表示された項目で息が止まる。



---


【介入可能項目】


荷重補強

排水経路変更

避難導線再設計


【残リソース:5】


【警告】 空間固定率が0%になると、物理補修は無効化されます。



---


レンは理解した。


これは建物を直す力ではない。


都市の死ぬ順番を、少しだけ組み替える力だ。


東区画。


崩壊速度が他よりわずかに遅い。荷重分散もまだ死んでいない。第七城壁の東側は古いが、地脈熱導管が二重化されている。


あそこだけなら、支えられる。


避難路を一つに絞る。


防壁を一点集中で固定する。


排水弁を閉じれば、地盤沈下を数十秒遅らせられる。


数分は無理だ。


だが、数十秒なら。



---


【設計案】


荷重補強:東区画防壁

排水経路変更:南東第三区排水弁閉鎖

避難導線再設計:東通路へ集約


消費リソース:5

残リソース:0


実行しますか?



---


「レン」


ガストが腕を掴んだ。


レンは崩れゆく都市を見ていた。


血管が切れ、骨格が砕け、神経が焼き切れていく。それでも、まだ完全には死んでいない。


「この街は、まだ息をしてる」


レンはUIを叩いた。



---


《都市再設計 実行》


《荷重補強:成功》 《排水経路変更:成功》 《避難導線再設計:成功》


《残リソース:0》



---


東区画の石畳が発光した。


崩れかけていた防壁の根元に、青白い線が走る。沈みかけた地盤が強引に固定され、ひび割れた城壁が悲鳴を上げながらも形を保った。


南東の排水路が閉じる。


鉄臭い水の流れが変わる。


広場の地面に光の矢印が走り、人々の視線が自然と東通路へ向いた。


崩落が止まる。


たった数十秒。


それでも十分だった。


「道が開いたぞ!」


「東通路へ走れ!」


避難民が一斉に動いた。子供を抱えた女。足を引きずる老人。荷物を捨てた商人。数百人が、崩壊寸前の区画を抜けていく。


ガストが呆然と呟いた。


「お前……今、街を直したのか?」


「直してない」


レンは歯を食いしばる。


「死ぬ順番を変えただけだ」


その瞬間、世界が裂けた。


東区画ごと、空間が紙のように切断される。


固定した防壁も、逃げ遅れた避難民も、建物も、影も、まとめて消えた。叫び声すら途中で切れる。


そこにあったものが、最初から存在しなかったみたいに、地図から削られた。



---


《異常発生》


《東区画:座標欠落》 《物理崩壊ではありません》 《地図座標からの消失を確認》


《空間固定率:0.0%》 《補正不能》



---


レンの喉が詰まる。


今のは崩落ではない。


沈下でも、破断でも、爆発でもない。


場所そのものが消えた。


都市が壊れたのではなく、世界がその区画を捨てた。


ガストの顔から血の気が引いた。


「なんだよ、これ……」


足りない。


設計も、時間も、リソースも、何もかも足りない。


この都市は、もう致命傷だった。


だが、UIには次の数値が表示されていた。



---


《想定死亡数:23,481》 《実測死亡数:23,017》 《差分:464》



---


レンは息を止めた。


変わった。


たった四百六十四人。


それでも未来は変わった。


「設計で、変えられる」


ほんの一瞬だけ、世界がこちらを向いた気がした。


すぐに、その錯覚は崩壊音に潰された。


その時、レンは異常に気付いた。


全部の座標が崩れていく中で、王城地下だけが誤差ゼロだった。


そこだけ壊れていない。


そこだけ、都市の死から外れている。


さらに、UIが震えるように次の文字を表示した。



---


《未解明要因を検出》


王城地下核:空間固定率100%

地脈炉暴走との関連:高

座標欠落との関連:高


【推奨】 原因核を観測してください。



---


「核……」


レンは走り出した。


「待て!」


ガストが後を追う。


燃える市場を抜け、崩壊する排水路を飛び越え、沈む地盤を走る。


途中、子供が瓦礫に潰されそうになっていた。


赤い靴。


レンの足が止まる。


一瞬だけ、世界から音が消えた。


彼は反射的に瓦礫を蹴り飛ばす。


「走れ!」


子供が泣きながら逃げた。


その直後、背後で中央橋が崩落した。


レンは一瞬だけ振り返る。


折れたアーチ。沈む橋脚。崩れていく荷重線。


五百年前の設計意図が、最後の最後で露わになっていた。荷重を逃がす順番があまりにも綺麗で、崩壊そのものが一つの図面みたいだった。


「……綺麗だ」


声に出してから、レンは自分で嫌になった。


人が死んでいる。


都市が滅びている。


それなのに、目を逸らせない。


ガストの怒鳴り声で我に返る。


「レン!」


王城へ続く地下通路の入口が崩れ始めていた。左側の支柱だけが急速に沈下している。あと二十秒で閉じる。


同時に、ガストの足元が割れた。


「ぐっ……!」


右足が歪んだ石畳に挟まれる。


レンは振り返った。


ガストへ手を伸ばす。


その瞬間、王城地下の座標が澄んだ。


誤差ゼロ。


ありえないほど静かな数値。


レンの手が止まる。


ガストは、それを見た。


一秒。


二秒。


崩壊音だけがあった。


ガストが笑った。


「……ほんと、最低だな。お前」


レンは何も言えなかった。


ガストは挟まった足を引き抜こうとして、顔を歪める。それでも笑ったままだった。


「戻ってこい」


レンは息を呑む。


「生きてるうちに言うのは、これだけだ」


地下通路の入口が崩れる。


残り十五秒。


ガストは顎で入口を指した。


レンは拳を握った。


そして、背を向けた。


レンは王城地下へ飛び込む。


地下へ降りるほど、音が減っていく。


悲鳴も、崩壊音も、蒸気の噴き上がる音も遠ざかる。


代わりに聞こえてきたのは、低い振動だった。


ドクン。


ドクン。


地脈振動ではない。


もっと深い。


もっと大きい。


王城最深部には、巨大な地図があった。


古代文明の立体魔法地図。


大陸の八割が黒く塗り潰されている。


違う。


黒く塗られているのではない。


表示されていない。


生存可能な部分だけが、地図として残っている。


「世界のほとんどが……もう死んでるのか」


残った都市の中心で、ラグナベイルだけが赤く点滅していた。


その前に、黒いフードの少女が立っている。


「遅かったね」


「お前は誰だ」


少女は答えなかった。


ただ、地図を眺めていた。


「ラグナベイルは、七回目までは冬に崩れる方が綺麗だった」


意味が分からない。


会話になっていない。


だが、その一言で分かった。


この少女は、人間と同じ時間を生きていない。


「今回は、まだ鐘が鳴ってる」


少女がそう言った直後、地上の鐘がまた一つ止まった。


レンの背筋が冷える。


「お前がやったのか」


少女は首を傾げる。


「鐘は、止まるものだよ」


足元の石畳に、細い亀裂が走る。


少女が歩くたびに、世界が少しずつ壊れていく。


ドクン。


地図の下から、巨大な心臓みたいな音が響いた。


レンは測量器を構える。


これは地脈振動じゃない。


都市そのものが脈打っている。


ドクン。


ドクン。


ラグナベイルの赤い点滅が、心電図のように明滅する。


その横に、黒い欠落が広がっていく。


座標欠落。


物理崩壊の先にある、本当の死。


レンは理解した。


測量士とは、土地を見る職ではない。


世界の寿命を測る職だ。


そしてこの世界そのものが、崩壊する巨大都市だった。


レンは震える手で、最後の測量杭を地面に打ち込んだ。


ガン。



---


《国家崩壊規模:EX》 《測定完了》


《観測結果》 物理崩壊:進行中

座標欠落:拡大中

原因核:王城地下

介入不足:空間固定



---


白光。


轟音。


崩壊。


レンの身体が消えていく。


最後に少女が囁いた。


「次は、もっと上手く設計して」


世界が砕けた。


そしてレンは死んだ。


「おい、レン!」


肩を叩かれる。


レンは息を呑んだ。


朝の王都。


崩壊前。


目の前には、死んだはずのガストがいた。


「西区画の再測量、主任がキレてるぞ。あと、これ食え」


ガストが焼き菓子を投げてくる。


レンは受け取れなかった。


焼き菓子が床に落ちる。


乾いた音がした。


「おい。寝ぼけてんのか?」


レンは、ガストの右足を見た。


まだ、何も挟まれていない。


視界の端には、黒いUIが残っている。



---


《都市崩壊まで:03:59:59》



---


黒い画面が、ゆっくり開いた。



---


《前回介入ログ》


荷重補強:成功

排水経路変更:成功

避難導線再設計:成功

空間固定:失敗


救助数:464

未解明要因:王城地下核



---


続けて、別の表示が浮かぶ。



---


《次の崩壊都市を観測中》 《適合率照合》



---


一瞬だけ、レンの視界に知らない都市が映った。


水没した塔。


空に浮かぶ廃都。


燃える地下都市。


白骨化した城塞。


すべてが、崩壊していた。


ガストが首を傾げる。


「顔、真っ青だぞ」


レンは床の焼き菓子を拾った。


焦げた麦の匂いがする。


手の震えは、まだ止まらなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ