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公爵令嬢、退学届を出しに行く

 迎えに来たアレクスの馬車に乗り込み、私たちは学園へと向かった。

「この時間ではすでに講義は始まっていますよね?本日は何をしに?」

「退学届を提出しに行くのですわ」

「退学届?」

「だって私、あと1年もしないうちに社交の必要がなくなるでしょう?」

 昨日アレクスの婚約者に指名された私は今年の社交シーズンが終わり次第、彼とともに巡礼の旅に出なくてはならない。全ての巡礼が終了すると、巫女は女神の依り代として認められ、一生勇者の治める辺境伯領から出る必要はなくなる。そのため、私はこれから学園に退学届を出しに行くのだ。

「俺は別にご令嬢を領地に監禁する趣味はありませんが」

「でも歴代の勇者様はそうだったわ」

 私は窓の外を眺める。我が家の周りには多くの国民が集まっていた。

「民の間では勇者様は愛する巫女様を誰にも見せたくないのだと専らの噂ね」

 比較的民政派であり、使用人に庶民も採用している我が家でもこのように多くの民が集まるのは珍しい。王家の馬車がアッシェンブラウト公爵家から出てきた。耳の早い者はその意味を分かっているようで、垂らされた絹の隙間から私たちの姿を一目見ようと手を振る影が見える。

「愛する女性を他の男に見せたくないという気持ちには同意しますが……アッシェンブラウト公爵令嬢は愛する人に束縛されたい質ですか?」

 私が上げようとしたカーテンの裾を抑え、アレクスが問う。

「勇者様がお望みなら受け入れますわ」

「その返答はあなたが愛故の束縛をされるのが好きということですか?それとも本心では嫌だけれども勇者に言われたら従わざるを得ないということですか?」

 機嫌を損ねないように当たり障りのない返答をした私の態度が気に入らなかったのか、アレクスがさらに質問を重ねる。

「私の嗜好など勇者様のご希望と比べたら些細なものですわ」

「俺はあなたの愛が欲しいのです」

「私たちはすでに婚約関係でしょう」

「確かに、世間的にはそうです。けれど、俺はあなたの真実の愛も欲しい。だからどうすればあなたに選ばれるのか知りたいし、一つでも多くあなたの好みが知りたいのです」

私の好み。考えもしなかった問いに思わず息を詰めた。

前世の私は乙女ゲームユーザーであったものの、ヒロインに自己投影するタイプではなかった。ノロクビをやり始めたきっかけもキャラクターとの恋愛目的ではなく、理不尽ゲーへの挑戦心からだ。このバグゲーはどうやったら強制バットエンドを回避でき、攻略対象とハッピーエンドを迎えることができるのか。それが気になって始めたからプレイには自分の趣味嗜好を反映させず、クリアの最適解を考えて常に選択肢を選んできた。

 今世もそうだ。思い返せば転生に気付いてから勇者と距離を置き、攻略対象の周辺をひたすらに調べた日々。彼らにどう好かれるかは探ってきたものの、自分がどのような人が好きかを考えるほど心に余裕はなかった。でも、あの日。この世界に転生した初日に決めたこと。

「——私は私を守ってくれる人を好きになる」

死亡フラグの回避手段の一つに、自ら強くなるという、最も単純で定番の方法がある。私もかつては、人が寝静まった後に密かにレベリングできないかと考えたことがある。だが現実はそう甘くない。実際の公爵令嬢は使用人から完全に目を離される時間などなく、常に静かに監視されているものなのだ。

貴族令嬢の隣室には通常侍女が控えているし、雪国のアスクハイムでは夜ごとに火の番が屋敷を巡回する。私は扉からの脱出を早々に諦め、窓からの脱出を試みた。けれど雪国の窓は防寒のため、小さく重く作られていた。ここから出られるだろうか、いや出るしかない。

窓に手を掛け、力を込める。凍てついた窓枠が鈍く鳴り、張り付いた氷がひび割れる音が、静まり返った夜に不釣り合いなほど大きく響いた。それでも慎重に力を加え、ようやくわずかな隙間をこじ開けた。瞬間、流れ込む冷気。途切れる寝息。隣室の気配が動く。私は手を止め、結局そこから先へ踏み出すことができなかった。

そもそも、ノロクビの世界線ではレベリングという概念はない。よって、私がこの10年で積み重ねられたのは知識と、死への覚悟だけ。私の心はこの世界がノロクビの中だと気付いてからいつも不安に苛まれていた。だからか、つい本音が零れてしまった。

「安心しました。今も、あなたの好みがお変わりないようで」

私の言葉にアレクスが微笑む。彼の問いは政略結婚という枠を逸脱した、私自身を問う言葉。これに答えるべきではなかったと、一拍遅れて理解する。

勇者は私を殺す存在。このように迂闊に嗜好を明かせば、そこに踏み込まれる余地を与えてしまう。胸の奥がわずかにざわつくのを感じながら、それでも表情だけは崩さぬように保つ。内心の動揺を押し隠し、私は次の言葉を探す。

けれど、安心したとはどういう意味だろうか。しかしその真意を問う前に、御者が学園への到着を告げたのだった。

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