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そして生まれる『もの』-08(184)

「……お前達は、私を甘やかし過ぎだとは思わないのかい?」

 せきを切ったように溢れた涙は、抑圧された感情を道連れに、一瞬で空へと消えていったのだろう。

 胸に響く微かに笑いを含んだ声に、皓は引き際を悟ると、腕に抱いた華奢な身体を解放した。

 遙が大人しく身を委ねたのは、ほんのわずかな時間に過ぎず、予想以上に早い立ち直りに、皓は内心で舌を巻く。

 助けたいと差し出した掌を、さも握ったように見せかけて。

 寄せられる愛情に表立った拒絶はないが、肝心な場面で誰にも甘えようとしない事に、遙自身は気付いていないのか。

 常に自らを律し、決して取り乱す事のない遙の態度に、整理し切れない憮然とした想いが、皓の胸を過ぎる。


「思いたいが、思えねぇ」

「?」

「こんなに近い位置にいるのに、まだ全然届かねぇ」

 腕を伸ばせば届く距離で。 痛みに震える細い身体は抱き締められても、隠された本当の孤独には届かない。

「……皓?」

 散らしたはずの失望が伝わったのか、皓の返答に首を傾げた遙の瞳が揺れて、伏せられる。

 人間が宿す複雑な感情を理解出来ない遙には、皓が何を訴えているのか、解らないのだろう。

 決して交差する事のない互いの気持ちに、続きを失くした言葉が、妙にざらついて。

 周囲に下りた後味の悪い沈黙が、二人の世界を占める寸前で、遙は口を開いた。


「何が、どう届かないと言うのだろう?」

「ああ?」

「悪いがお前の言っている意味が、私には良く理解出来ない」

「だろうな」

 寄せられた信頼や、向けられた厚意なら、難なく理解が出来る。

 だが人ならば、誰もが当たり前に抱く『情』や『愛』を理解出来ない、孤独な存在。

 ――いや。斎の言ったとおり、遙は愛情を理解出来ない訳ではなく、理解しようとしないだけなのだろう。

 不特定多数に配られた愛を受け取りながら、一対一の濃密な情は避ける遙の態度に、皓の尖った神経がささくれる。

「だが改めて否定する必要がどこにある? 俺はそんな事、最初(はな)から期待なんかしちゃいねぇ!」

 感情の任せるまま、荒れた口調で吐き棄てた皓の言葉に、一瞬怯んだ様子を見せた遙を、背後から支える形で、恭がそっと寄り添う。

 すがるように後ろへと流した遙の視線を受け止めて、微笑む恭の慣れた動きに、皓の視線がわずかにすがめられた。

「済まない皓。私にはお前が何故怒っているのかが、解らない。だがどうしてもお前に聞いて欲しい事がある」

「何だ?」

 投げ掛けられた言葉より、ともすれば遙の両肩を柔らかく包む恭の掌へと、意識は向かう。

 幾度となく眼にしてきた光景に、何故か割り切れない感情を抱えながら、皓は再び向けられた碧眼に、神経を集中させた。




 皓と二人だけの場が必要なら、席を外そうか、と問いかけた恭の言葉に、遙は小さく首を振った。

「違う。話したいのは、皓だけに限った事じゃない」

 身動ぎと共に肩から離れた掌を、無意識に追うとした視線をねじ伏せて、遙は恭にも聞いて欲しいのだと、足りない言葉を補足する。

 胸底深く沈めた想いを吐露する事に、この期に及んでもなお、迷う理性を説き伏せて、遙は慎重に言葉を選ぶと、口に乗せた。


「初めて皓の胸に抱き締められたあの日から、ずっと考えていた。お前達の存在は、私を必要以上に弱い者にしてしまうから、一定の距離を置くべきだと」

 二人を屋敷へ迎え入れる前と比較して、明らかに弱くなった精神。

 独りで生きる事に慣れたはずの魂は、気付けば彼らの存在を間近に求め続けていた。



「すぐ傍らにある胸から、手が届かないほど離れてしまえば、心はいずれまた、孤独に慣れる。……そう考えたんだけれどね」

「阿呆が。んな事考えてたのか」

「だから俺達の事、あんなに避けてたんだ」

 遠ざけた事を気付かれないように、上手く装っていたつもりだったが、漏れた皓と恭の言葉に、判断の甘さを知らされて、遙は苦い笑いを浮かべた。

「私なりに、一応真剣に考えて出した策なんだけどね。……でも結局、何の効果も無かった」

「当ったり前だ。そんな簡単な事で、いままでの全部を失くされてたまるかよ」

「それだけじゃない。どうしてだろうね。避けようと意識すればするほど、私は常にお前達の存在を身近に感じていた気がする」

「それはね、遙ちゃん。心が心を求める距離は、眼に視える実際の距離とは、何の関係も無いからなんだよ」

 ゆっくりと諭すように告げられた恭の言葉に、遙は驚きと共に小さく頷いた。

「そう……かも知れない」

 距離を超えて届く、切なる想い。

 追い詰められた遙が、無意識に皓を求めたように、例え姿が見えないくらい離れた位置にいても、強い絆が両者の間に存在する限り、常に傍らに魂は寄り添い続ける。

「……俺の言っている内容が理解出来たってことは、遙ちゃんには、思い当たる事が有るんだよね?」

 正面から絡んだ、どこか含みのある恭の視線を受け止めて。

 伏せられた言葉の指す意味を正しく読み取ると、遙は改めて皓の精悍せいかんな顔立ちに視線を向けた。


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