第1話「澱んだ波長と黄昏の境界線」
王立特異魔法学園の正門は、常に重厚な静寂をまとっている。
黒鉄で鋳造された巨大な扉が、外界のざわめきを冷ややかに遮断していた。
門をくぐることができるのは、肉体と精神が成熟のときを迎えた者のみである。
体内に宿る魔力回路は、十八歳という年齢に達して初めて完全に定着する。
それ以前の未熟な器に強大な力を注ぎ込めば、魔力はたちまち暴走を引き起こす。
だからこそ、この最高峰の教育機関は、厳格な年齢制限を設けていた。
エドガー・オルコットは、指定された真新しい制服の袖口を軽く引き下げた。
仕立てられたばかりの濃紺の生地が、わずかにこわばった感触を肌に伝える。
歩みを進めるたび、硬い革靴のヒールが石畳を打ち据えた。
足音は高く反響し、吹き抜ける秋の風に混じって霧散していく。
すれ違う生徒たちの視線が、一瞬だけエドガーに突き刺さる。
彼らの瞳に浮かぶのは、隠しきれない優越感と微かな侮蔑の色だった。
エドガーは視線を伏せ、ただ黙々と回廊の端を歩き続ける。
この学園には、二種類の人間が存在する。
膨大な魔力を操り、ときに五感すらも拡張される特異覚醒者。
そして、彼らの感覚の暴走を鎮める特殊な波長を持った導き手である。
エドガーは後者の属性を持ってこの学園の門を叩いた。
しかし、彼の放つ波長はあまりにも薄く、学園の精密な測定器すら反応を示さなかった。
特異覚醒者の過負荷を癒すには、相応の強度を持った波長が必要となる。
感知できないほど微弱な力しか持たないエドガーは、入学早々にして落ちこぼれの烙印を押されていた。
誰の役にも立てない導き手。
それが、現在のエドガーに与えられた評価だった。
他者の痛みを和らげたいという静かな願いは、誰にも届くことなく胸の奥底で澱んでいる。
冷たい石造りの壁に沿って、エドガーはさらに歩みを深めていく。
華やかな本校舎のざわめきが、少しずつ遠ざかっていった。
行き着いた先は、現在はほとんど使用されていない旧校舎の西棟である。
建物の輪郭が、西の空に沈みかけた太陽の赤い光に切り取られていた。
ステンドグラスの隙間から差し込む光の束が、宙を舞う埃を黄金色に浮かび上がらせている。
エドガーに与えられた今日の特別課題は、この旧校舎の資料室の整理だった。
実質的には、厄介払いのための雑用である。
それでもエドガーは不満をこぼすことなく、与えられた役割を果たそうとしていた。
古びた木製の扉の前に立ち、真鍮のドアノブに手を伸ばす。
その瞬間、指先に微かな静電気のような痛みが走った。
エドガーは思わず息を呑み、手を引き戻す。
空気が、異様に重かった。
肺に吸い込んだ酸素が、氷のように冷たく感じられる。
いや、冷たいのではない。
空間そのものが、目に見えない巨大な圧力によって歪められているのだ。
耳の奥で、甲高い耳鳴りが響き始めた。
周囲の音が急速に遠ざかり、代わりに無数のガラスの破片が擦れ合うような不快なノイズが満ちていく。
廊下の窓ガラスが、目に見えない力に圧迫されて微かに震えていた。
軋むような音が、古い建物の骨組みから漏れ出ている。
強大な魔力の漏出。
特異覚醒者が極限の過負荷状態に陥ったときに発生する、空間の共鳴現象だった。
エドガーの背筋を、本能的な恐怖が駆け上がる。
これほどまでに高密度な魔力の暴走は、学園の教師陣ですら容易に引き起こせるものではない。
引き返すべきだと、頭の中で警告の鐘が鳴り響く。
しかし、エドガーの足は逃げることへの拒絶を示していた。
歪んだ空気の向こう側から、ひた隠しにされた鋭い苦痛の波長が伝わってくる。
導き手としての本能が、その痛みの源泉へと彼を強く引き寄せていた。
エドガーはゆっくりと、圧迫感に抗いながら廊下の奥へと足を踏み出す。
一歩進むごとに、空気の粘度が増していくようだった。
呼吸が浅くなり、額に冷たい汗がにじむ。
石造りの壁には、すでに蜘蛛の巣のような微細な亀裂が走り始めていた。
魔力の残滓が、青白い火花となって虚空で弾ける。
焦げたようなオゾンの匂いが鼻腔を突き刺した。
廊下の突き当たり、深い影が落ちる死角の空間。
そこに、一人の男が崩れ落ちるようにして壁に背を預けていた。
男の着ている漆黒のロングコートは、学園の教師であることを示している。
しかし、その威厳ある姿は見る影もなかった。
男は長い足を投げ出し、頭を抱え込むようにしてうずくまっている。
周囲の空間が、男を中心に陽炎のように激しく揺らいでいた。
呼吸のたびに、男の口から白く濁った呼気が吐き出される。
苦痛に歪む男の横顔が、影の中からわずかに覗いた。




