第2話 「どうして僕だけ怒られるの?」
小学校に入ってから、直人は“朝”が苦手になった。
目が覚めた瞬間から、頭の中が重い。
今日は何があるんだろう。 忘れ物はないだろうか。 ちゃんとできるだろうか。
まだ学校にも行っていないのに、不安だけが先に始まっていた。
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「直人、早く起きなさい」
母の声が聞こえる。
直人は布団の中で目を開ける。
カーテンの隙間から朝の光が入っていた。
頭はぼんやりしているのに、心だけが落ち着かない。
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急いで着替える。
ランドセルを開く。
教科書。 筆箱。 連絡帳。
確認している途中で、別のことが頭に浮かぶ。
“今日って図工あるんだっけ”
その瞬間、何を確認していたのか分からなくなる。
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「直人! 早くしなさい!」
母の声が強くなる。
直人は慌てる。
でも焦るほど、身体が止まる。
何からやればいいのか分からなくなる。
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学校へ向かう道。
同じクラスの子どもたちが楽しそうに話している。
流行っているアニメの話。 ゲームの話。 昨日のテレビの話。
みんな自然に会話へ入っていく。
直人は少し後ろを歩きながら、その声を聞いていた。
話しかけるタイミングが分からない。
何を言えばいいのか分からない。
考えているうちに、会話はどんどん進んでいく。
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教室へ入る。
椅子を引く音。 話し声。 笑い声。
全部が一気に耳へ入ってくる。
その瞬間、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
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「宿題出してー」
先生の声。
周囲はすぐにランドセルを開き始める。
直人も慌てて開く。
だが、ノートが見つからない。
入れたはずなのに。
昨日ちゃんとやったはずなのに。
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焦る。
頭の中が真っ白になる。
探す。 見つからない。 また探す。
その間に、周りはもう終わっている。
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「直人くん、まだ?」
先生が近づいてくる。
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「……あ……」
言葉が出ない。
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「また忘れたの?」
教室が少し静かになる。
何人かがこちらを見る。
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違う。
忘れたわけじゃない。
ちゃんとやった。
本当にやった。
でも、どこに入れたのか分からない。
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必死に探して、ぐしゃぐしゃになったプリントの奥からようやくノートを見つける。
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「最初からちゃんと準備しようね」
先生はそう言って去っていく。
怒鳴られたわけじゃない。
でも、直人の胸の中には重いものが残った。
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どうして自分だけ、こんなにできないんだろう。
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授業が始まる。
黒板に字が書かれていく。
先生が説明している。
周囲はノートを書いている。
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直人も必死についていこうとする。
でも、黒板を書いている途中で、先生の説明が耳へ入ってくる。
説明を聞こうとすると、ノートが止まる。
ノートを書こうとすると、話が分からなくなる。
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気づけば、周囲はもう次のページへ進んでいた。
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「直人くん、聞いてる?」
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その言葉に、身体がビクッと跳ねる。
聞いていた。
聞こうとしていた。
でも、うまくできなかった。
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「ぼーっとしない」
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教室の何人かが笑う。
直人はうつむく。
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“ぼーっとしてるわけじゃない”
そう言いたかった。
でも説明できない。
自分でも何が起きているのか分からないから。
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休み時間。
みんなは自然に集まって遊んでいる。
直人は机に座ったまま、その様子を見ていた。
入りたい気持ちはある。
でも、どうやって入ればいいのか分からない。
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「行こうぜ!」
誰かが別の誰かを誘う。
自然だった。
直人には、その自然さが理解できなかった。
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結局、その日も一人で外を見る。
校庭では子どもたちが走っている。
笑い声が聞こえる。
遠く感じた。
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放課後。
家へ帰る。
ランドセルを置く。
母が連絡帳を見ながら眉をひそめた。
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「また忘れ物?」
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直人の肩が小さく震える。
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「ちゃんと確認したの?」
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した。
そのつもりだった。
でも途中で別のことを考えて、何を確認したのか分からなくなった。
でも、そんな説明をしても伝わらない気がした。
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「なんでそんな簡単なことできないの?」
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母は責めたかったわけじゃない。
本当に不思議だったのだ。
どうして何度言っても同じことを繰り返すのか。
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直人も、不思議だった。
どうして自分だけ、こんなに難しいんだろう。
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夜。
宿題をしていると、消しゴムを落とす。
拾う。
その途中で机の傷が気になる。
指でなぞる。
気づけば、何をしていたのか分からなくなる。
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「直人、宿題進んでるの?」
母の声で我に返る。
時計を見る。
全然進んでいなかった。
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焦る。
でも焦るほど、頭が回らない。
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涙が出そうになる。
でも、自分でも何に苦しんでいるのか分からなかった。
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その夜、布団へ入ったあとも眠れなかった。
今日怒られたことを思い出す。
先生の声。 笑い声。 母のため息。
全部が頭の中で何度も繰り返される。
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「どうして僕だけ怒られるんだろう」
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みんなと同じようにやっているつもりだった。
頑張っているつもりだった。
でも結果だけが違う。
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その頃の直人はまだ知らない。
この“怒られ続ける感覚”が、 少しずつ自分を削っていくことを。
そしていつか、
“頑張っても普通になれない”
という現実に繋がっていくことを。
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窓の外では、静かな雨が降っていた。
直人は布団の中で目を閉じる。
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明日こそ、ちゃんとやろう。
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そう思いながら眠る。
そして次の日もまた、 少しだけ遅れた世界が始まるのだった。




