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放課後、君とだけ秘密の話をする  作者: 御上常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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第1話 春の教室と、ちょうどいい僕

 新しいクラスというものは、四月の最初の数日だけ、やたらと音が軽い。


 廊下から流れ込んでくる足音も、教室の中に転がる笑い声も、どこかまだ仮のものみたいで、みんな自分の席と居場所のあいだに薄い膜を一枚はさんで喋っている。二年生になって一週間。ようやくその膜が少しずつ破れ始め、教室の空気が「このクラスのもの」になりかけていた。


 窓際の席で頬杖をつきながら、その空気をぼんやり眺めるのが、僕は嫌いじゃない。


 誰かの輪の中心にいるわけじゃない。でも、一人でもない。


 前の席の男子が振り返って昨夜の動画の話を始めれば適当に相槌を打てるし、隣の列の女子が提出物の場所を忘れたと騒げば「職員室前の棚じゃない?」くらいのことは言える。そういう、いると少し便利で、いなくてもそこまで困られないくらいの立ち位置。昔から、僕はそういう場所に収まるのが得意だった。


 目立たない。けれど埋もれもしない。


 そういう「ちょうどよさ」は、案外、生きていくのに便利だ。


「湊」


 名前を呼ばれて顔を上げると、机の横に篠宮美晴が立っていた。


 朝の光を背に受けているせいで、肩のあたりの髪が薄く透けて見える。入学の頃からほとんど変わらない、黒髪のストレート。真面目そうな顔立ちなのに、喋り出すと案外きつい。幼馴染というのは、だいたい相手の第一印象を壊すところから始まる。


「なに」


「なに、じゃないでしょ。ネクタイ曲がってる」


 そう言って、美晴は僕の返事を待たずに手を伸ばしてきた。


 指先が結び目に触れる。軽く引かれ、緩みを整えられて、結び目が喉元へ戻ってくる。


「朝、鏡見た?」


「見たよ。一応」


「じゃあなんでこうなるの」


「一応見ただけだから」


「威張ることじゃないでしょ」


 呆れたように息をつきながらも、美晴の手つきは手慣れていた。昔から、僕が制服を着崩しているだの、シャツの裾が出ているだの、提出物を忘れているだのを一番先に見つけるのは彼女だ。


 母親か、と口にすると本気で怒られるので、さすがに最近は言わない。


「はい、できた。ほんと、ちょっとはちゃんとしてよね」


「篠宮さん、朝から世話焼きすぎじゃない?」


 斜め後ろの席から茶化すような声が飛んできた。振り向くと、男子がにやにやしている。そのさらに向こうで別のやつが肩を揺らして笑っていた。


「もうそれ夫婦じゃん」


「違うから」


 美晴が即答する。間髪入れず、きれいなくらいの否定だった。


 けれど耳が少しだけ赤い。たぶん僕しか気づいていない程度に。


「ほらね、違うらしい」


 僕が言うと、美晴はじろりと睨んできた。


「湊もそこに乗らないでよ」


「僕、被害者なんだけど」


「どこが」


「朝からネクタイ締め直される高校二年生男子の人権について考えてほしい」


「締め直される前に自分で直せばいいでしょ」


「正論で殴るのやめて」


 そのやりとりに、周囲がまた少し笑う。


 明るい笑いだ。からかい半分、親しみ半分。悪意はない。少なくとも表面には。


 こういう瞬間、僕は自分の立ち位置をはっきり実感する。美晴との距離の近さはみんな知っていて、だからこうして軽口の材料になる。でも、本気で何かを期待されているわけでもない。僕らがこうして言い合うのは、幼馴染として長く一緒にいた結果で、恋愛とは別の、もっと安全なものとして処理されている。


 たぶん美晴も、それをわかっている。


 だからこうして、否定もできる。


「そういえば、英語の小テスト今日だっけ?」


 前の席の男子が思い出したように言って、空気が一気にざわついた。


「うわ、忘れてた」


「昨日単語帳開いてない」


「終わった」


「篠宮、見せて」


「やだよ」


「湊、お前は?」


「開いてない側です」


「だと思った」


 美晴が即座に切り捨てる。


「幼馴染なのに信用ゼロ」


「幼馴染だからわかるの」


 そう言い切って、自分の席へ戻っていく後ろ姿を見ながら、僕は机に肘をついた。


 幼馴染だからわかる、という言葉は便利だ。


 近さの説明にもなるし、踏み込みすぎの言い訳にもなる。たぶん僕も彼女も、それに甘えてきた。相手のことを知っているような顔をして、本当に言うべきことはあんまり言わないまま。


 もっとも、それは美晴に限った話じゃない。


 誰に対しても、僕はだいたいそんな感じだった。


 話しかけられたら返す。困っていそうなら少しくらい手を貸す。けれど、自分から深くは立ち入らない。相手の気分を害さない程度に近づいて、それ以上は入っていかない。


 たぶん、それが「やさしい」と見えることもあるんだろう。


 でも本当は、ただ面倒を避けているだけなのかもしれない。


 そんなことを、朝から真面目に考える必要はない。僕はそういう思考をすぐに打ち切る術も知っている。


 教室の前方で、がらりと扉が開いた。


 担任が入ってくる。四十代くらいの男性教師で、まだこのクラスの空気に馴染みきっていないような、少し居心地の悪そうな笑顔をいつも浮かべている。教壇に立つと、教室のざわめきが少しずつ弱まっていった。


「はい、おはよう。そろそろ席つけー」


 教師の声に従って、みんなが椅子を引く。床をこする音が重なり、さっきまで散っていた空気が一か所に集まってくる。


 ホームルームが始まる。


 連絡事項。小テストの確認。来月の校外学習についての話。ごく普通の朝だ。二年生になった実感なんて、こういう平凡さのなかでしか少しずつ育っていかないのかもしれない。


 そのあと、担任は出席簿を開いた。


「じゃあ、出席取るぞ」


 名前が順番に呼ばれていく。


 短い返事。眠そうな声。やけに元気な声。小さなざわめきの残りかすみたいな「はい」が教室のあちこちから返る。


 僕は窓の外の桜を見ていた。


 校庭の端に並ぶ木はもう満開を過ぎていて、風が吹くたび、花びらが少しずつ散っている。春って、きれいなものほど終わるのが早い。そういう当たり前のことを、毎年同じように思う。


「水野」


 担任の声で我に返る。


「はい」


 返事をすると、担任は出席簿に目を落としたまま、次の名前へ移る。


 その途中、一瞬だけ間があいた。


 本当に一瞬だった。


 ほんの、呼吸一つぶんくらいの沈黙。


 けれどたしかに、そこだけ音が落ちた気がした。


 僕だけじゃなく、前の席の男子もわずかに顔を上げたのが視界の端に映る。けれど、次の瞬間には何事もなかったみたいに点呼は続いた。返事があり、出席簿をめくる音がして、教室はまたいつもの朝へ戻っていく。


 たぶん気のせいだ。


 先生が名前を見落としかけたとか、順番を確認しただけとか、その程度のことだろう。出席なんて毎日ある。毎日同じようにやっていても、少しくらい淀むことはある。


 僕はそう結論づけて、また窓の外を見た。


 花びらが一枚、グラウンドの方へ流れていく。


 なんとなく、その行方を目で追った。


 昼休み、美晴は予想通り英単語テストで高得点を叩き出し、僕は予想通り可もなく不可もなくといった微妙な点数を取った。


「ほら」


 彼女が答案をひらひらさせる。


「見せてあげようか?」


「その言い方、全然見せる気ないやつじゃん」


「あるよ。反面教師としてなら」


「仲間に厳しい」


「最初から仲間だと思ってないし」


「ひど」


 笑いながら言うと、美晴も少しだけ口元を緩めた。


 そのタイミングで、教室の後ろから明るい声が飛んでくる。


「ねえ、それなに。夫婦漫才の練習?」


 橘花音だった。


 陽の当たるところに自然に立つタイプの子、というのはいる。花音はまさにそういう感じの女子だった。話しかけるのが上手くて、誰の輪にもすっと入っていける。美人というより愛嬌がある顔立ちで、笑うと周りまでつられて明るくなる。男子にも女子にも人気があるのは、見ていればわかる。


 彼女は僕の机に肘をつき、にやにやしながら美晴と僕を見比べた。


「朝からネクタイ直してもらって、昼は答案見せてもらって。湊って、案外ちゃんと飼われてるよね」


「言い方」


「飼ってないから」


 美晴がすぐに返す。


「じゃあ保護?」


「それも違う」


「世話?」


「……それはちょっとあるけど」


「認めた」


 花音がけらけら笑う。つられて周りの何人かも笑った。


 美晴はますます不機嫌そうな顔をしたけれど、本気で怒っているわけではないらしい。こうしていじられるのも、もう慣れているのだろう。


「湊もさあ」


 花音が僕の方へ顔を向ける。


「もうちょっと自立したら? 篠宮さん、将来苦労するよ」


「将来ってなんの」


「知らない。夫婦の将来?」


「だから違うって」


 また教室に笑いが広がる。


 花音のこういうところはすごいと思う。誰かを悪者にせず、その場の空気だけをきれいに掬い上げて笑いに変える。中心にいるわけじゃないのに、気づけば場の温度を少し上げている。ああいう才能は、努力で身につくものじゃない。


「でもさ」


 花音は机の上の僕の答案をつまみ上げて、点数を見て笑った。


「湊ってほんと、絶妙だよね」


「なにが」


「全部。勉強も運動も、そこそこ。誰とでも喋るけど特別仲良い感じはしないし、なのに嫌われてもないし」


「褒めてる?」


「半分くらい」


「残り半分は」


「観察結果」


 言ってから、花音は少しだけ首を傾げた。


「あと、誰にでもやさしい顔するよね」


 なんでもない調子の言葉だった。


 教室のざわめきに自然に混ざる、軽い冗談みたいな声音。だから僕も軽く返す。


「顔は自前なんだけど」


「そういうとこ。怒らないで流すの上手いよね」


「怒るほどのこと言われてないし」


「ほら、そういうとこ」


 花音は満足そうに笑って、答案を机に戻した。


 誰にでもやさしい顔。


 それはたぶん、悪い意味ではない。少なくとも、花音は悪意で言ったんじゃない。言葉だけ拾えば、感じのいい男子、話しかけやすい男子、くらいの意味だ。


 けれどなぜか、その言い方は少しだけ耳に残った。


 やさしい、じゃなくて。


 やさしい顔。


 僕はそんな細かい違いに引っかかるほど繊細な性格じゃないつもりだったけれど、なぜだかその一語だけが、昼休みのざわめきの中で小さく沈まずに浮かんでいた。


 午後の授業は、春の陽気のせいでどれもひどく眠かった。


 数学の途中で意識が飛びかけ、古典は先生の声が子守歌みたいに聞こえた。最後の世界史だけは、先生の板書が速すぎて眠る暇すらなかったけれど、それはそれでしんどい。


 六時間目が終わるころには、教室全体が少し疲れていた。


 部活に行くやつ、帰るやつ、残って喋るやつ。放課後の始まりにはいつも、日中より少しだけ気の抜けた空気が流れる。そこには「今日はもう授業が終わった」という共通の安堵がある。僕はあの感じが好きだ。


「湊、帰る?」


 鞄を肩にかけた美晴が聞いてくる。


「今日はちょっと図書室寄る」


「へえ、珍しい」


「返す本あるから」


「ああ、あの全然読んでなさそうなやつ」


「ひどい偏見」


「事実じゃん」


 そのとおりだったので否定しづらい。


 先週なんとなく借りた短編集は、半分も読めていない。けれど返却期限は待ってくれないし、延長手続きをするのも面倒だった。だから、とりあえず返してしまおうと思っただけだ。


「じゃ、先帰るね」


 美晴はそう言って、少しだけ言葉を切った。


「……あんまり遅くならないでよ」


「母親?」


「もう言ったら怒るから」


「言ってないって」


 美晴は僕をひと睨みしてから、くるりと背を向けた。友達に呼ばれて、そのまま教室の外へ出ていく。去り際に一度だけこちらを振り返った気がしたけれど、たぶん気のせいだ。


 花音はまだ教室の中央で何人かと話していた。笑い声が絶えない。彼女の周りだけ、放課後の光が少し明るいみたいに見える。


 僕はそんな教室を横目に、借りていた本を手に席を立った。


 廊下に出ると、教室の騒がしさが少し遠ざかる。夕方前の廊下は、どこも中途半端に明るい。窓から差し込む光が床のワックスを鈍く光らせていて、歩くたび、自分の足音がやけに乾いて聞こえた。


 図書室は特別好きな場所というわけじゃない。でも、嫌いでもない。


 静かだから、というより、静かでいていい場所だからだろう。教室では少し気を遣う沈黙も、図書室では本の一部みたいな顔をして許される。


 扉を開けると、空気の温度がわずかに違った。


 紙とインクと、古い木の匂い。窓際の席では何人かが自習していて、カウンターの向こうでは図書委員らしい女子が本の整理をしている。その中に、見覚えのある横顔があった。


 雪平栞。


 同じクラスの女子だ。教室ではあまり目立たないけれど、目立たないことを選んでいるように見える人だった。黒縁の細い眼鏡をかけている日とかけていない日があり、今日はかけていなかった。肩の下まである髪を片側だけ耳にかけて、貸出カードの束を淡々と整えている。


 同じクラスになってから、数回、教室で話したことはある。


 けれど、彼女がちゃんと喋るのを聞くのはほとんど図書室の中だけだった。


 僕はカウンターに本を置いた。


「返却お願いします」


 栞は顔を上げて、僕を見る。数秒ほど、相手が誰かを確認する間があった。


「あ、水野くん」


「湊でいいよ。同じクラスだし」


「じゃあ湊くん」


 名前を言い直す声が、思ったより柔らかかった。


 彼女は本のバーコードを読み取って、手元の端末に何かを入力する。画面を見ながら、小さく首を傾げた。


「全部読んだ?」


「半分くらい」


「正直」


「読み切ったふりして褒められる未来が見えなかったから」


「褒めないけど」


「ですよね」


 栞が少しだけ笑う。


 その笑い方は、美晴や花音とは違った。大きく崩れず、音も立てず、でもたしかに表情がやわらかくなる笑い方。春の夕方の図書室には、そういう静かな変化の方が似合う。


「水野……じゃなかった、湊くんって、こういうの読むんだ」


 返却した本の表紙を見ながら、栞が言う。


「いや、そこまで深い意味はない。なんとなくタイトルで」


「表紙買いならぬ、表紙借り?」


「そんな感じ」


「中身より先に雰囲気で選ぶ人なんだ」


「人聞き悪いな」


「悪く言ってないよ」


 悪く言っていない顔で、栞は本を受け取って棚の脇に置いた。


 窓から射し込む斜めの光が、カウンターの端を金色っぽく照らしている。図書室の時計は、もうすぐ四時を指そうとしていた。部活の始まる時間だ。外から、遠く吹奏楽部のチューニングみたいな音がかすかに聞こえる。


「湊くんって」


 栞がふいに言う。


「ちゃんと見てるようで、見ないほうを選ぶの上手そう」


 あまりに唐突で、僕は一瞬意味を取り損ねた。


「なにそれ」


「なんとなく」


「褒めてるの、それ」


「どうだろう」


「雪平さん、たまに急に難しいこと言うよね」


「言ってる方はそんなつもりないけど」


 栞はそう言って、次の本へ視線を落とした。話はそれで終わりらしい。


 ちゃんと見てるようで、見ないほうを選ぶ。


 さっきの花音の言葉と、どこか似ている気がした。


 誰にでもやさしい顔をする。ちゃんと見てるようで見ないほうを選ぶ。


 別に悪口じゃない。どちらも。けれど、その二つの言葉が重なると、急に輪郭のはっきりしない何かが自分の中に浮き上がるようで、少しだけ落ち着かなかった。


 とはいえ、それを正面から考えるのも面倒だった。


 僕はもともと、自分のことを深く掘るのが苦手だ。たいていのことは「まあ、そう見えるならそうなのかも」で済ませてしまう。その方が楽だし、余計なところに引っかからずに済む。


「じゃあ、また」


 本も返したし、長居する理由はない。


 僕がそう言うと、栞は小さく頷いた。


「うん。また」


 図書室を出る前に、なんとなく振り返る。


 カウンターの向こうで本を整理する彼女の横顔は、教室で見るときより少しだけ遠く見えた。同じクラスの同級生なのに、別の場所にいると違う人みたいだ。そういうことは、たまにある。


 廊下へ出ると、校舎の中はもう少しだけ静かになっていた。


 帰宅部の生徒は減り、部活の声がグラウンドの方へ吸われていく。夕方の学校には、昼間とは別の輪郭がある。人が少なくなるぶん、場所そのものが前に出てくるというか、校舎が校舎自身の顔を見せ始めるというか。


 僕は階段を下りながら、今日一日のことをぼんやり思い返していた。


 美晴の手つき。花音の笑い声。栞の静かな言葉。


 どれも、たしかに「よくある学校の一日」のはずだった。


 それなのに、朝のホームルームで一瞬だけ落ちた音のことが、頭の片隅にまだ残っている。


 気のせいだと思った。今もそう思っている。


 でも、気のせいにしては、少しだけ耳に残りすぎている気もした。


 昇降口へ向かう途中、教室の並ぶ廊下を横切る。


 自分のクラスの前を通りかかったとき、扉は半分開いていて、中が少し見えた。まだ何人か残っているらしい。誰かの笑う声がして、すぐに別の声が重なる。


 いつもの、明るい教室だ。


 けれど、なぜか一瞬だけ、そこに妙な空白があるように見えた。


 人が足りない、というほどはっきりしたものじゃない。ただ、夕方の教室という風景のどこかに、うまく埋まっていない隙間みたいなものがある気がした。


 僕は立ち止まりかけて、それをやめた。


 たぶん、見間違いだ。


 夕方は影が長くなるし、教室の見え方だって昼間とは違う。人の感覚なんて、光の当たり方ひとつで簡単に騙される。


 そういうことにして、僕は昇降口へ向かった。


 靴を履き替え、外へ出る。


 春の風はまだ少し冷たかった。けれど冷たいだけじゃなくて、どこかやさしい温度も混ざっている。冬みたいに拒まない風だ。


 校門へ向かって歩き出したところで、ポケットのスマホが震えた。


 美晴からだった。


『ちゃんと帰ってる?』


 短い一文に、思わず笑ってしまう。


 僕は立ち止まって返信を打つ。


『帰ってる。保護者の確認早いね』


 すぐに既読がついて、


『誰が保護者』


 と返ってきた。そのあと、少し間を置いてもう一件。


『明日、小テストの解き直しあるかもだからノート持ってきなよ』


『了解。さすが優等生』


『感謝して』


『してる』


 そのやりとりだけで、なぜだか少し安心する。


 幼馴染という関係は、ときどき厄介で、ときどき便利だ。たとえば今みたいに、何の意味もない短いやりとりだけで、今日という一日がちゃんと元の位置に戻ることがある。


 空を見上げる。薄い青の向こうに、夕方の色がゆっくり混ざり始めていた。


 明日もたぶん、同じような日になる。


 教室で誰かが笑って、美晴に何か言われて、花音が茶化して、授業は少し退屈で、放課後にはそれぞれの時間が流れていく。


 そういう毎日がしばらく続くのだと、そのときの僕は、なんとなく信じていた。


 信じていたというより、疑う理由がなかった。


 だからたぶん、そのくらいの気持ちで十分だったのだ。


 誰にでも少しずつやさしい顔をして、見なくていいものは見ないまま、ちょうどいい場所で笑っていられるのなら、それで。


 少なくとも、あの日までは。

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