第26話 防衛魔法の真価
押し寄せてくる水に恐怖感を抱いている暇はない。イルカがこちらへ突進してくる。さらには女性の杖から水の塊が発射される。私はそれらに身構える。
「……へ?」
飛んできたはずの水弾も、イルカも、私の目の前にはなかった。視界に広がるのは暗くどんよりとした場所であった。身体はフワフワとする。どうやら海の魔女の攻撃を喰らう寸前でどこかへ転移したらしい。
横を見渡すもネモネの姿がなかった。一気に血の気が引いていくようであった。ここまで一緒に来た獣人の少年が無事ではないと、今晩以降の寝つきが悪いからか。そんな安っぽい考えではない。もう決めたのだ。彼と一緒に城に必ず行くと。
「ネモネ! 近くにいるのなら返事をしてください!」
必死に彼の名前を叫ぶ。声を出せているかもわからないぐらい朧げな感覚である。それでも彼の名前を叫んでいると、奥の方から見覚えのある人物が歩いてくる。
「ライラック!」
黒いローブに身を包んだ紫色の人物が、頭の上の耳を揺らしながらこちらへ近づいてきた。
「やぁネリネ。あまり大声をだすものではないよ。魔法使いたるもの常に冷静であるべきだ。おっと、いけない。君は魔法使いではなかったね。久しぶりの再会を祝いたいところだが、あまり時間が無いんだ。今は私の魔法で君の精神だけをこの空間へ招き入れている状態だ。安心して欲しい。外の世界とここでは流れている時間がちがう。つまり今世界の時間は止まっているということだ。それにこの空間へ干渉できるものはいないから安心して欲しい」
この壁打ちのような会話を懐かしく、頼もしく感じる日がくるなどと思ってはいなかった。
「嘘をついているとは思いませんが、あなたの固有魔法は夢に入り込むことではなかったのですか」
「言ったはずだよ。大体あっていると。私の固有魔法は精神を支配する魔法だ。まぁこの言い方にも多少誤解があるのだけど」
「はい?」
それが本当であるのならばとんでもなく強力な魔法である。どこまで支配することができるのか、発動にどんな条件があるかなどはわからないが、今まさに時間の猶予を作り出していることに間違いはないので、全く規格外の魔法である。魔女と名がつくだけの理由はあるということだ。
「事細かに私の魔法についてを説明している時間は無いから、今だけは私の言うことを信じて欲しい」
私とライラックの確執を考えれば、信じろというのが無理な話であると彼女もわかってはいるのだろう。私としても、海の魔女と対峙している状況を一人でどうにかできるとは、思っていないのでいま出せる答えは一つであった。
「わかりました、あなたにすべてを任せます。私はどうすればよいのでしょうか」
「ネリネ。魔女と戦ってはダメだ。分かっていると思うが勝ち目は全くない。魔女とは規格外の存在だ。さらに言えば四大魔女は相手が不味すぎる。僕でさえも逃げることを真っ先に考える。だから今すぐに逃げて欲しいんだ」
「作戦かなにかがあるわけではないのですか? 私だって逃げようと試みているのですが、逃げられないのですよ。隙が全くないんです。それにあの展開された水のようなものが厄介で」
私の言い分を聞くと、想定とちがうと言いたげに目を丸くする。大きく綺麗な瞳が鼻につく。うーんと首を傾げて腕を組み、少し考えるような仕草をすると口を開いた。
「君が主人から借りているという力は防衛魔法の極地であるのだ。つまり対魔法使いとの戦闘においては君の盾に敵う防御策はないんだ。それなのに隙が作り出せないなんてことを言ってもらっては困る。それどころか領域さえも中和できないとは」
声のトーンが一段階低くなったのを感じる。これは呆れている訳ではなく、心底見損なったという感情が込められていると思う。
「そんなこと言われましても、私は魔法使いではないんですよ。使いこなすなんて無理な話です。それにご主人様は私にこの力の使い方などは教えてくれませんでした」
「ネリネ。始まりは貰った力かもしれない。だけどもうその力は君に順応し始めているんだ。そうでないのなら、盾を走らせるなんていうおかしな姿に変わることなど考えられない。だからこれは君の問題なんだよ」
彼女は続けるように指先を立てて、一つ教えられることがあると言った。
「防衛魔法の強度は行使者の精神力の強さに影響されるんだ。つまりは自分を、誰かを、目の前の脅威から守りたいと強く思うことでその願いが形になる魔法なんだ。いいかい、大事なのは魔法に適正があるかじゃない。強い信念が大事なんだよ」
ピンチになるといつも助けてくれるSentinel。ご主人様から授けられた力であるが故に、自分で使いこなそうなんて考えたこともなかった。それが自分の精神力が作用するとも考えたこともなかった。
ただ、ご主人様の盾で有ればもっと硬いし、もっと多くの人を守ることができる。そんな劣等感ばかりがあった。凄いのは自分ではなくご主人様。そのことに変わりはないが、自分がもう少し自信を持つことで、自分もネモネをも守ることができるというならばやらない選択肢はない。
「ありがとうございます。私やってみます。海の魔女に立ち向かってみます」
「ああ、何か響いてくれたみたいだけど、忘れないでね。逃げてほしいんだ君には」
「何でそう人の決意に水を刺すようなマネができるのですか。というか城には遅かれ早かれ私一人でも行きますからね」
城主様には一度会わなければならない気がするのだ。ネモネの件もあるが何か重要な情報を手に入れられる予感がするのだ。
「わかったこうしよう。ネリネには時間を稼いでもらうことにする。いまドラセナとローズとエリカがそちらへ向かっているんだ」
「え! 皆さんもう合流していたのですか」
どうやら私は一番後回しにされていたらしい。一番安全である私の元へ集まってくれると信じていたのだが、結果としては一番安全な私は放置されていたようだ。悪かったとライラックはペコペコと平謝りをしている。
「私の狼は。ルガティはそちらへいるのでしょうか」
たった一人の相棒の行方は気になって仕方がないことである。
「それが狼くんとだけまだ合流できていないのだよ。てっきりネリネと一緒だと思っていたからこちらも驚いたさ。君一人で戦っているんだからね」
「──そうですか」
「本当にこれに関しては悪いと思っているよ。彼の魔力だけ感知できないんだよ。詮索する気はないけれど、多分彼は特殊な出生か、生い立ちなんだろうね」
聞きたくなかった情報に頭と体がフラつく。最悪のことを考えてしまう。彼はたった一人の家族なのだ。彼を失くしてしまったら私はどうやって生きていけと言うのだ。暗い思考を巡らせていると体がフワッと浮いた。文字通り浮き上がったのだ。
「ネリネ、もう時間だ。これだけ最後に聞いてくれ。本当に無理だったら私の指輪に念じて欲しい。指輪の魔力を使って私が一時的に駆けつけることができるから」
「わかりました。覚えておきます」
自分より下にいるライラックに向けて返答した。
「まさか、君とこれまで通りに会話できると思っていなかったよ。てっきり拒絶されるかと。君の無事を祈っている。またこうして話がしたい」
「話がなが──」
言い終わる前に空高く舞い上がる感覚に襲われる。これは体感したことなのかそう感じるだけなのかわからなかった。




