第2章 王都への道 2-4. フロスト教授
今月、研究室からの帰り路で月を眺めるのは何度目じゃろう。
またしても帰りが遅くなってしまった。
ここ暫く、陽のある内に自宅に戻ったためしがない。
まっ、誰が待っている訳でもないんで構わんのだが。
研究バカの儂に愛想をつかして、女房が家を出て行ってしまってから久しい。
経世済民の学問を究めるのが儂の使命だと思い、毎晩遅くまで研究をしているのじゃが、旧弊なこの国の政治体制では民を救うのは何時のことやら。
特に最近、王侯貴族の権力の乱用には目に余るものがある。
特に問題なのは第3王子のクリストフ殿下、そして、その後見人たるヴィスコンティ公爵じゃ。
これまで何人もの貴族が、公爵に従わなかったが故に言い掛かりをつけられ断罪されていった。
身内を犠牲にまでして、襲い掛かる災難から身を護ったブラウンズウィック侯爵は例外といえよう。
いまでは、どの貴族も、王の従弟である公爵の顔色を窺がうのに必死じゃ。
オラエリーも可哀想なことをした。
知り合いの頼みだといって、貴族に対する徴税官など引き受けねば良かったものを。
それに、亜奴の専門は税理でなく政経だ。もっと大きな視点から物事を考える学問なのに。
徴税官の多くは、貴族に抱き込まれるか、さもなくば、罪をでっち上げられて罷免されるのがオチだ。
亜奴も見事に冤罪を擦り付けられてしまった。
最早、貴族政治のシステムは老朽化して使い物にならん。
人は、見返りがあるから努力できるのであって、他人から奪うことが罷り通るこの国は、疲弊する一方じゃ。
それが判らぬほど愚かな王ではないはずなのだが。
自宅の屋敷に帰り着き、扉の鍵を開ける。
あまり遅いから、通いのメイドは既に家路に就いてしまっているだろう。
思った通り誰もいないようで、灯り一つない真っ暗な廊下を手に提げたカンテラで照らしながら居間へと向かう。そして、テーブルの側のガス灯に火を入れた。
メイドが作り置きしてくれた食事が1人分置かれたテーブルが、それとなく哀愁を誘う。
再婚でも考えるか?しかし、今のままの生活では、また逃げられるだけか?
カンテラをテーブルの上に置いた時、ふと、部屋の中に人の気配を感じた。
オラエリーの再審を求めていた時には屋敷を見張っていた公爵の手下も、亜奴の島流しが決まった後はめっきり姿を見せなくなったのだが ・・・・・・。
ならば、泥棒か?!
「 誰かおるのか?! 」
気配のする方に向かって儂が叫ぶと、ガス灯の明かりが届かぬ暗がりに、ゆらりと影が立ち上がった。
何か、武器になりそうなものを手探りに探すが、生憎とそんなんもの、食事を摂るテーブルの近くには置いておらん。
研究熱心なのはいいが、その前に己の身を護れるようにしておかんとのう。
何処のど奴かと、テーブルからカンテラを取り上げて影を照らす。すると、暗がりから懐かしい顔が浮かび上がった。
「 教授、お久しぶりです 」
以前と変わらぬ朗らかな喋り方に、思わず上ずった声で亜奴の名を呼んでしまった。
「 オラエリー、お前、生きとったのか?! 」
「 ええ、お陰様で 」
見た目はかなりやつれてはいるが、元気そうだ。
脱獄したとは聞いていたが、まさか、王都に戻っていたとは!?
捕まれば、今度こそ極刑だというのに!
儂は、カンテラを持つのとは反対の手で額を押えながら、半年前まで教え子だった男に尋ねてみる。
「 いつから王都に? 」
「 5日前ですかね? 」
「 どうして直ぐに儂を訪ねんかった? 」
「 教授が公爵に取り込まれていたら、僕は、飛んで火に入る何とかになってしまうので。
身辺調査をさせて頂くのに、ちょっと時間がかかってしまいました 」
「 ふんっ、相変わらず手回しの良いことじゃ。まあ、安心はしたがの 」
そうなのだ。コヤツは変に用心深いところがある。
そんなことを考えながらカンテラを再びテーブルに戻そうとすると、不意に違和感を感じた。
どうしたことだ、此れは?女連れで逃亡しておるのか、此奴は?!
「 女連れとは、お前も隅におけんの 」
「 ええ、この人も僕と同じく王族から被害を受けたみたいで、放っておけなくて 」
王族の被害と聞いて、或る事を思い出した儂は、オラエリーの背後に控える女性をしげしげ見て驚いた。
「 お、お前さん ・・・・ もしや? 」
誰を連れて脱獄したのか儂の見当がつくのと同時に、その女性は頭からショールを外した。
思っていた通りじゃ。
「 申し遅れました。エレミエル・アウグスタと申します 」
「 ・・・・・ やはり、エレミエル嬢だったか 」
ブラウンズウィックを名乗らぬのは、除籍された意味を良く理解しているからだろう。
なんとも、気丈な娘じゃ。
オーリーの奴、自分だけではなく、この娘の名誉まで取り戻そうとしているらしい。
「 それでオラエリー、どうやって再審をやる積りじゃ 」
「 さすが教授、良くお解かりです。でも、僕もそこが思いつかなくて、教授の許を訪れた次第なんですけど 」
うむ、然るべき人物に再審請求してもらえば、裁判所に断る理由はないが、ブラウンズウィック侯爵には頼めんじゃろう。
一端、娘を除籍にまでしとるんじゃから。
そうなると、クリストフ殿下やヴィスコンティ公爵と真っ向から張り合える人物は限られてくる。
「 オライリー、お前、テルシウス殿下の学友だったな? 」
「 はい、そうですが 」
「 殿下に頼んではどうだ? 」
そうなのだ、コヤツは奇遇にも、王族の知り合いがおる。
しかも、徴兵制度のあるこの国で、同じ部隊にいたのだから、もう、只の知り合いではない。
なのに返ってきたのは頼りない返事じゃった。
「 それも考えましたが、今となっては連絡をとる方法すらありません 」
「 それもそうか。直接、会いにいくことはまず無理じゃろう。それに、差出人の名前の無い手紙では殿下に届けられんか 」
「 そうなんです 」
コヤツやエレミエル嬢が脱獄囚である以上、まともな伝手で、王族に連絡がとれようはずがない。
これは、考えところじゃな。
儂は、よくよく考えた上で、一計を案じた。
「 ふむ、わかった。お前、殿下にしか判らない内容の手紙を書け。それを儂の名前で殿下に届けるようにする 」
「 ええ、でも、そんなことをしたら、教授に迷惑がかかるんじゃあ? 」
「 オーリー、間違えるな。儂は、お前を助けるために危険を冒そうとしているのではない。
法治を嘲笑うかのように振る舞う、クリストフ殿下とヴィスコンティ公爵に眼にものを見せてやるためだ 」
そうじゃ、民を救うには、先ず、王侯貴族に一発かましてやらねばなるまい。




