第2章 王都への道 2-3. ルーメンクルス教会
僕の記憶が確かなら、森を北に抜けると、一面に広がる草原と、その先の地平に山脈が見えるはず。
そして、それを超えた先に王都がある。
けれども、布を巻いただけの足で歩き続けるにはかなり距離だ。
僕は何とかなるとしても、病あがりでもあるエレミエルには到底無理だろう。
乗り合い馬車か何か、徒歩以外の移動手段を考えなければならない。
「 その鞄の中には何が入ってますか? 」
貨幣が入っているのを期待して、僕はエレミエルに訊いてみた。
思い出したように肩からかけた鞄を手に持って検めた彼女は、その中身が何だったのかを教えてくれた。
「 刑の見届け命令書に、監獄の入構手形、あと、布切れと、お金に変わる物は入っていませんわね 」
さすが、抜け目のない侯爵令嬢だ。僕が何を考えているのか解ってくれている。
「 仕方ないですね。この剣でも売るとしますか 」
「 剣がなくて大丈夫なのですか? 」
「 追手に襲われたら、そいつらから奪えばいいだけですよ。それよりも、この恰好をどうにかしないと、目立っていけません 」
そう言われて彼女は、改めて自分の恰好を確かめている。
僕たちの身に着けている服は、どう見ても囚人を思わせるものだし、そうでなければ逃亡奴隷のものだ。
「 この恰好では、剣を売りに行くことすら難しいのでは? 」
「 大丈夫ですよ。僕に心当たりがあります 」
彼女は訝しそうにしているが、大丈夫、何とかなるから。
脱獄から9日目、漸く森を抜けることができた。
予想通り、北の地平に横たわるエルブース山脈が見える。
山頂の標高は3千メートル以上あるけど、裾野の峠道なら高い場所でも千メートルはないと思う。
軍隊にいた時、一度だけ、王都からオルセー監獄近くのボストニア駐屯地まで行軍訓練をしたことがあるから、街道まで行けば、そこから後のことは朧気ながらも覚えているし。
森を抜けてから2日間かけて草原を歩き続け、ようやく街道に出た。
ただし、安全を考えて、街道そのものを通るのはやめて、路から少し距離をとって林の中や草原を進むことにする。
確か、この先、徒歩で一日ぐらいの所に大きな宿場街があったはずだ。
次の日の昼過ぎ、僕たちは、街が見えるところまでやってきた。
エレミエルを見れば、立っているのも心許なくて限界が近づいているようだ。
これは真剣に、乗り合い馬車などの移動手段を確保しなくてはならない。
僕が当てにしているは、街にあるルーメンクルス教の教会のことだ。
まあ、司教や司祭がまともな宗教家であることが前提なのだけれども。
夕刻が迫っていくると僕は、街外れまで行ってエレミエルを林の中に潜ませ、夜を待って教会に近づいて行く。
脱獄してから既に10日以上が経過している。
街の要人には既に、僕たちの手配書が廻っていることだろう。
なのに、どうして教会に行こうとしているか?
教会と貴族は、表向きは互いを敬っているように見えるが実は仲が悪い。
徴税権に就いて、争いごとを抱えているからだ。
勿論、敬虔なルーメンクルス教の信者ならば、貴族であっても教会に莫大な寄進をするので関係は悪くない。
ただし、このサハルの宿場街を治める領主は、教会と仲が悪かったはずだ。
教会に僕たちのことを報告などしていないと思う。
僕は、剣を背負った囚人服の恰好のまま、教会の門を叩いた。
自分でも思うが、かなり怪しい恰好だ。
幸い、辺りは薄闇に包まれ、教会の周りに人通りはない。
しばらくすると、扉を開けて若い修道士が顔を出したので、僕は、教会で祈りを捧げさせて欲しいとお願した。
ルーメンクルス教の布教地域では、信者が教会を見つける毎に祈りを捧げに行く。
それに従ったまでだ。
「 夜分、申し訳ありません。祈りを捧げさせてはもらえないでしょうか? 」
僕の恰好をしげしげと眺めながら聞くその修道士は、中に入れるかどうか悩んでいるようだ。
僕は、先ず、背中から剣を外すと、その修道士に預けた。
これで、僕が夜盗の類であると警戒することはなくなったはずだ。
それでも疑いが晴れないのか、修道士は僕に尋ねてくる。
「 失礼ながら一つ聞かせて頂きたいのですが、どうして、そのような恰好をされているのでしょうか? 」
どストレートな質問だ。少し失礼じゃないかと思うが、下らないことを教会の入り口で問答していては、そのうち誰かに見つかってしまう。
「 それに就いては説明させて頂きますので、先ず、中に入れて頂いてもよろしいでしょうか? 」
こちらの願いに彼はしばらく考える風を装っていたが、預けた剣の柄や鞘に施された見事な装飾から、何か複雑な事情でもあるのだろうと察したのか、僕を中に入れてくれた。
実は執行官の剣なんだけどね。
「 先ず、祈りを捧げても宜しいでしょうか? 」
敬虔な教会信者を装っているのだ、先ずは祈りを捧げなければ却って疑われてしまう。
修道士も、ここまで来たら祈りを妨げるのもどうかと思ったのだろう。
快く祭壇まで案内してくれた。
教会での祈りの捧げ方なら良く知っている。
投獄されるまで僕は徴税官だったから、教会にもちょくちょく足を運んだものだ。
礼拝堂には、僕の他に信者はいない。こんな遅い時間に来て正解だ。
祈りを捧げた後、修道士に謝辞を伝え、改めて、思いついた身の上を語り始める。
「 ありがとうございました。私は、イーサン・ホートンという者です 」
ホートンという姓は、頭の中の貴族年鑑をめくって思い出したもので、実際に存在する貴族の名前だ。
「 二年前のラムルヘイムとの戦いで、お恥ずかしながら、捕虜となってしまいました 」
戦争があったのも本当のことだ。僕もその時、従軍している。
「 ホートン家に捕虜になる様な男はいない、と父は、捕虜の交換にも身代金の支払いにも応じてくれなかったので、これまで、戦争奴隷としての辱めを受けてきたのです 」
戦争で捕虜になった場合、解放されるには捕虜の交換か、実家が裕福ならば、敵に身代金を渡して引き取ってもらうかの何れかだが、ほとんどの兵士は戦争奴隷として売られていく運命にある。
「 ラムルヘイムの貴族の屋敷で下男をさせられていましたが、隙を見て剣を奪い、主人であった男を殺して此処まで逃げてきたのです 」
勿論、全て作り話だ。しかし、信じてもらえそうなカバーとしては十分だろう。
「 そうでしたか。これまでの無礼をお赦し下さい。
国と信仰のために戦った、敬虔な信者の方に疑いの目を向けるとは、私は、この身を恥じねばなりません 」
修道士はそう言うなり、膝まづいて僕に赦しを請うた。
なんて良い人なんだろう。たまたまだけど、ラムルヘイムがルーメンクルス教を信仰していないのが幸いした。
「 お顔を上げて下さい。着の身着のまま逃げて参りました。この様な汚らしい身なりで、こちらの方こそ恐縮の極みです 」
「 おお、お赦し頂けますか。今宵はもう遅い、是非、教会に泊まっていって下さい 」
まあ、この恰好を見れば宿に泊まる金を持ってないのは一目だろう。
しかし、好印象を与えたのは確かだ。
僕は、もう一押しすることにする。
「 ご厚意は嬉しいのですが、私には、ラムルヘイムで一緒になった妻がいまして、共にこの国に逃れてきております。
街外れに待たせており、彼女を独りにすることはできないのです 」
「 そうだったのですが。判りました。司祭様に許可をとって参りますので、奥様もお連れして下さい。
教会には、信者が宿泊する施設もあります。教義に反するものではありませんので、ご安心下さい 」
うん、彼が良い修道士で良かった。ほんとうに助かります。
彼が司祭の許可をとってくれると直ぐに、僕は、街外れまでエレミエルを迎えに行く。
彼女は、隠れさせていた場所から動かずにいた。
「 お待たせしました。話はつきましたよ 」
「 あんまり遅いので、また、タブナード様が、私を残して何処かに行ってしまったと思ってしまいましたわ 」
「 すいません。相手に疑われないようにするには、それなりの段取りがいるものなので 」
頬を膨らませてご機嫌斜めだったエレミエルだが、今夜は野宿せずに済むと思ったのか、直ぐに満面の笑みを浮かべた。
僕は、彼女のカバーの説明をすると、足に巻いていた布切れで顔を隠すように指示した。
汚いが、背に腹は代えられない。
教会に戻り、例の修道士には、エレミエルがエムルヘイム貴族の邸宅で虐待にあっていたこと、それにより、顔に負った酷い傷を見せたくないので、布切れで顔を隠しているのだと説明した。
そして、いたく同情してくれる修道士に、最後のお願いをする。
「 お話しした通り、我々は、この様に物乞いにも似た境遇と成り果てています。
この恰好ではホートン家の門を潜ることはできません。厚かましいお願いなのですが、贅沢は申しません、服を都合頂けるとありがたいのですが 」
修道士は、それぐらいさせてもらうのは当たり前だと応えてくれる
僕は続けた。
「 それと、王都までの路銀を都合してもらえると助かります。
無事、実家に帰り着いた暁には、借りた路銀をお貸しするのは勿論のこと、寄進で以て、感謝の意を示めさせて頂きますので。
路銀を借りた証として、預けた剣は置いていきます 」
さすがに、剣を手放すと言えば信じるだろう。
案の定、彼は、僕の願いを快く引き受けてくれたのだった。
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タブナード様の魔法によって奇跡的に病から回復することができた私は、彼と共に森を出て、そこから林や原野を抜けサハルという街までやってきました。
鄙びた田舎の宿場街といった佇まいですが、これまでのことを考えると、ちょっとした文明社会への回帰です。
しかし、いまの私たちの恰好は、囚人か、さもなくば逃亡奴隷なので、このままでは街に入ることは出来ません。
タブナード様は、剣と衣服を物々交換するよなことを仰っていましたが、それとて、いまの恰好では難しいと思います。
もしかして、追剥とかなさるお積りなのでしょうか?
いえ、いえ、あの方に限ってそんなことはなさいませんでしょう。
サハルは、王都のように王城を中心にして広がる街ではなく、側を流れる河川以外には防衛設備といえるものがない、街道に沿って伸びる街です。
タブナード様は夕刻になると、その街外れまで私を連れていき、暫く林の中に潜んでいるよう仰られました。
街の教会に向かう彼の後ろ姿が暗闇に溶けてしまうと、なんだか心細くなってきます。
まるで、牢獄に戻ったような気持ちです。
辺りはすっかり夜の帳が降りているから街の住人に見つかる心配はないでしょうが、もし、タブナード様が戻ってこなければどうしようという不安が、少なからず私の心に圧し掛かってきます。
タブナード様に会うまで、親兄弟以外で、ちゃんと会話したことがある男の方といえば、あの、スペックは高いけれども人間性最悪の腐れ王子、あ、これは失礼しました、あの王子だけです。
男の方を見る目が拙い私ですが、タブナード様が頼れる殿方であることは判ります。
籠の鳥であった頃は、誰かに頼ると意識したことはありませんでした。
着る物も食べる物も、学院にまで付き従ってきてくれていた侍女が用意してくれましたから。
それを当たり前と思っていました。
牢屋に入れられて初めて、これまで、人に生かされてきたのだと実感した次第です。
もし、彼が帰ってこなかったら、私は独りでどうすることもできません。
東の空に登った月が中天に懸かろうとする頃、タブナード様が戻って来られました。
「 あんまり遅いので、また、タブナード様が、私を残して何処かに行ってしまったと思ってしまいましたわ 」
あまりにも不安だったので、そのようなことを言ってしまいました。
自分でも子供っぽいと思います。
森で食糧集めして下さった時といい、今回といい、自分があの方に、こんな甘えたこと言ってしまうのに驚いてしまいます。
でも、無事に帰ってきてくれて良かった。思わず顔が綻んでしまいます。
するとオライリー様は、突然、大変なことを言い出されました。
「 エレミエルさん、今夜、僕の妻になって下さい 」
え!え!えええっ!と、突然のプロポーズ?!こ、心の準備が!?
両手で押えた頬が、どんどん熱を帯びていくのが判ります。
心臓がバクバクして、胸が苦しい ・・・・・。
「 ど、どうしたんですか?!また、体調が悪くなってきました? 」
彼に訊ねられますが、まともに応えることができません。
「 え、あ、あの、その ・・・・ 」
「 ルーメンクルス教会に対する方便なんですが、僕の妻の役を演じるなんて嫌、ですよね? 」
「 え?妻の役? 」
「 そう、妻の役です 」
嗚呼!プロポーズされていると勘違いするなんて!?私はなんておっちょこちょいなんでしょう!?いますぐ犬になってしまいたい!
そ、それでも、ちゃんと勤めは果たしましたから!
翌朝、教会から頂いた衣服に身を包んだ私たちは、王都行きの乗り合い馬車に便乗させて頂きました。
農夫姿の親子連れと、大きな荷物を背負った行商人、それに、商家の方を思わせる2人。それが、私たちの同乗者です。
馬車の前後には、2騎ずつの護衛。盗賊対策なのでしょうか?
洗いざらしの麻のシャツに踝丈の灰色のロングスカート、その上から帆布のエプロンをかけた私と、同じく白い麻のシャツに薄茶色のズボンを履いたオライリー様は、どう見ても農民の夫婦といったところ。
勿論、2人とも、ショールと、麦藁帽子を深くかぶって顔を隠しているので、知人に会うようなことがあっても判らないはずです。
6日後には王都に着く予定だとか。
半年ぶりの王都です。さあ、何が私たちを待ちうけているのでしょうか?




