第2章 王都への道 2-2. 罹患
樹齢千年はあろうかという大木の、その根元にある洞の中でエレミエルが横たわっている。
昨日、倒れた彼女を背負って森を彷徨い、ようやく、この場所を見つけることができたのだった。
天からは、さわさわと霧雨が降り続き、辺り一面を湿らせている。
苦しみに耐える、そのやつれた表情が、僕の心を苛む。
彼女が病気に罹っていると、どうしていままで気づかなかったのだろう?
もう少し気遣っておれば、こんなことにならなかったのに。
正直、彼女は此処までよく頑張ったと思う。
それだけに、ここで脱落して欲しくない。何としてでも、彼女を王都まで連れていかなければ。
彼女の弱った体には、病気に打ち勝つだけの体力は残されていないだろう。
さりとて、病院にも連れていけなければ、薬すらない状況だ。
「 ・・・・ タ、タブナード様、私を、置いていって下さい ・・・・ やらねばならないことがあるのでしょう ? 」
自分を残して先に行けと、たどたどしい口調で彼女はそう言うが、そんなことできる訳がない。
此処で置いていってしまえば、おそらく彼女は助からない。
途方に暮れるとは、正にこういうことを言うのだろう。
しかし、改めて思うが、彼女は侯爵令嬢なのに、貴族にありがちな自分は特別だという意識がない。
それどころか、僕の心配までしてくれている。
この子を助けることができなければ、一生後悔しそうだ。
こんな時に、状態異常無効化や回復の魔法でも使えれば ・・・・・。
だけど、状態異常無効化どころか、魔法の術式を何も知らない。
着火の魔法を発動させたのと同じ様に、イメージから能力で術式を組み立てることが出来ないだろうか?
前世の知識から、発熱の原因が病原菌と、それに対する彼女の免疫反応だと知っている。
そして、病原菌がどういった存在なのかも。
どんな種類の病原菌かは解らないけど、免疫が反応している病原菌を特定して、それを滅菌すれば発熱は治まるはず。
自らのイメージ力で魔法を構築するより外に手はないが、試してみる価値はあると思う、いや、これしか方法はない。
エレミエルは、いまは眠っている。
目覚める頃には、病気が治ってるようにしてあげよう。
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迂闊でした。
こんなところで、病を患うなんて。
タブナード様のお陰で、オルセー監獄から脱獄して此処まで逃げ延びることができました。
投獄中に、乾き切ってヒビ割れてしまっていた私の心にも、僅かですが潤いが戻ってきたようにも感じます。
そう、希望という名の潤いが。
ただ、これまでに見てきた、醜いまでの取り巻きの方々の振る舞いを思い出すと、再び憤りが、私の心を蝕みます。
それに、監獄から抜け出したのはいいけれども、これからどうすれば良いのか判らぬ絶望に似た悲壮感も。
こういうのをストレスというのでしょうね。
勿論、タブナード様のことは信じています。
ただし、彼が、私を助けることでメリットがあるでしょうか?
そんな、不確実な可能性に期待するには、私の猜疑心は大きくなり過ぎてしまいました。
僅か16歳の小娘が、あのような目に会ってきたのですから。
それに加えて、牢獄の暮らしが結構、体に堪えていたようですね。
ゴワゴワした硬い麻布でできた囚人服を着せられ、不潔で冷たい牢獄で送る日々。
牢に入れられた貴族が発狂したという話を聞いたことがありますが、正に、こういう辛い状況に我慢ができなかったのでしょうね。
そういう意味では、クリストフ殿下と取り巻きの方々には感謝をしないといけないかもです。
彼らに対する憤りが、折れそうな私の心を支えてくれたのですから。
それに、脱獄時に堀に落ちてずぶ濡れになったのが良くなかったと思います。
いえ、タブナード様の機転と行動力には、感謝してもし切れるものではありません。
ただ、結果として、そのような事実があったと申し上げているだけなのです。
あのような逃避行、普通に貴族の令嬢をしておれば経験することなどないのですから。
堀に飛び込んだり、焚火で暖をとったり、山菜を食べて飢えをしのいだり、何もかもが初めての経験で ・・・・・。
あら、私、なにか、燥いでしまってます?
だからかも知れません。
燥ぎ疲れた子供のように、熱を出してしまったのかも。
タブナード様は私を負ぶって森を歩き続け、大きな木の洞まで運んで下さいました。
痩せていても彼の背中は広く、安心感があります。
あの方には、何かを成し遂げようする意思を感じます。
おそらく、彼を陥れた、何者かの悪事を打ち砕くことなのではないでしょうか?
「 私を、置いていって下さい ・・・・ やらねばならないことがあるのでしょう ? 」
私は、彼の足を引っ張りたくなかったので、お願いしました。
オルセー監獄から脱獄できただけで、もう十分です。
此処で命運尽きたならば、それが私の寿命だったということでしょう。
ですが、タブナート様は諦めませんでした。
漢なのですね。
彼は、散々悩んだ挙句、魔法で私の病を治そうとしました。
確かに魔法には、毒のような継続ダメージや、麻痺など行動制限といった状態異常を無効化するものがあります。
しかし、病を治すとは聞いたことがありません。
何故なら、私たちの住む世界の医療レベルでは、何故、病を患うのか解っていないのですから。
病気の原因が呪いなのか祟りなのか、はたまた瘴気なのか、それすら誰も解っていません。
解熱や消炎はできても、原因を知らないことには病を根本から治すことは不可能なのです。
ところが、彼は、それをやってしまわれました。
病を癒して頂いたにも関わらず、どうやって、それができたのか私にも解りません。
そもそも、魔法とは、精霊と契約してその力を使わせてもらう術です。
術の発動には、大気に溢れているマナを利用します。
そして、それを可能にするのが、魔法術式なのです。
原因が解らない、病という状態異常を無効化する術式は存在しません。
術式が存在しない以上、精霊との契約も、マナを消費しながらの発動も理論上ありません。
これが、どういうことを意味するのか?
彼は、精霊の力を借りず、大気中のマナも消費せずに私の病を治したということになります。
つまり、自身で術式を創造し、自らの身に宿るマナを削って魔法を発動させた云こと。
これは、すなわち命を削ったようなものと言えましょう。
私は、あの方に、とても大きな借りができてしまいました。
さて、どうやって返したらいいものでしょうか?
まあ、おいおい考えていきましょう。
あら、また、楽しくなってきましたわ。
熱のせいで、どうにかなってしまったのかしら、私は?




