再会
第一界層に現れた界層落ちを討伐し、俺と凍花は晴れて第二界層への出入りを許された。
探求者となって随分と経つ。
その間、ずっと足踏みをしていた俺たちにとって、それは非常にめでたいことだ。
だが、同時に不安を抱くことでもある。
本当に第二界層で自分たちが通用するのか。
そう言った負の感情が胸の中で渦巻いている。
これからに対する期待と不安がない交ぜになったような複雑な心境だ。
とてもとても落ち着かない。
浮き足立つとは、このことなのだろう。
結局のところ、俺は自身の感情をうまく整理できずに一夜が過ぎた。
その影響か、朝に目覚めたのは午前五時半頃。
「……緊張しすぎだっての」
おまけに気持ちの整理はまだつけられていないと来ている。
ため息を一つ、吐く。
二度寝、という気分にも慣れず、しかたなく俺はベッドを下りた。
「――ふぁ」
諸々の準備を終えて自宅をあとにしたのは、午前六時ごろ。
あくびをしながらダンジョンへと向かい、広間につくころには午前六時半になっていた。
約束の時間まではまだ随分とある。
これでもゆっくりと歩いてきたつもりだったけれど、まだまだ時間に余裕がある。
暇という文字が似合うくらいには。
「さて、なにして時間を潰そうかな」
幸いなことに周辺施設は二十四時間営業だ。
適当に巡っていれば時間はすぐに過ぎるだろう。
トレーニング施設にでも行ってみようかな。
そう頭の中で考えを巡らせていると、噴水のほうで見知った顔を見る。
前髪ぱっつんの長髪に、季節外れの外套とマフラー。
どうやら早起きしてしまったのは、俺だけじゃあなかったみたいだ。
「よう、凍花」
噴水の縁に座る凍花の近くによって、そう声を掛ける。
「篝。随分と早いんですね」
「それは凍花も同じだろ?」
「えぇ、まぁ。すこし目が覚めるのが早くて。あ、でも体調管理はばっちりですよ?」
「ははっ、その辺の心配はしてないよ。俺も同じ質だしな」
浮き足立ち、期待と不安がない交ぜになる。
自然と目が覚めて、寝付けなくなり、仕方なく朝早くに家を出た。
この朝とも夜とも言えない、どっち付かずのこんな時間に。
凍花も俺と同じだったみたいだ。
「私たち、第二界層に行けるんですよね」
「あぁ。早起きしたからって、寝ぼけてる訳じゃない。なんなら、頬でも抓ろうか?」
「ふふっ、遠慮しておきます」
くすくすと凍花は笑う。
そのことをすこし嬉しく思いつつ、視線を上へと押し上げる。
白みがかった空を二つに分かつ、巨大な塔。
この中にいくつもの小世界が内包されている。
今日、俺たちはその第二界層へと向かう。
この塔で言えば、どのくらいの位置にあるのだろう。
そもそも積み重なっているのかどうかすら、現時点ではわかっていない。
ダンジョンは未知の塊で、この何世代かで解明できたのは僅かばかり。
いつかすべてが解明される日がくるのだろうか?
一つ言えることは、その頃にはもう俺たちの世代は生きていないだろうということくらいだ。
この予想を裏切ってくれるような展開を、今後に期待するとしよう。
「まだ時間があるし、折角だからこの周辺施設だけでも案内しようか?」
「はい。是非、お願いします。まだ勝手がわからないことが多くて」
「よし。なら、行こうか」
それから俺たちは二人でダンジョンの周辺施設を巡った。
トレーニング施設。図書館。安い飲食店。武具屋。クリーニング店。などなど。
凍花と過ごす時間はあっと言う間に過ぎ、当初に予定していた時刻がくる。
「そろそろ時間だな」
「なんだかんだ、あっという間でしたね」
いい気分転換になった。
これで改めて気合いを入れ直せる。
気持ちの整理は、いつの間にかついていた。
浮き足立っていた気持ちは、どっしりと腰を据えている。
凍花のお陰かな。
「いざ、第二界層へってところか」
「気を引き締めて行きましょう」
俺たちはダンジョンの入り口へと向かい、暗闇色の膜を破る。
第二界層への向かい方は、第一界層と変わらない。
ただ第二界層に行きたいと思いながら、膜を突き破ればそれでいい。
そうすれば、そこはすでに第一界層ではなく、第二界層だ。
密林と砂浜と海の世界が、俺たちを出迎えてくれる。
「――ここが第二界層ですか」
「あぁ、夢にまでみた第二界層だ」
触れる空気、世界の匂い、風の感触。
そのどれもが違う、第二界層。
はじめに足を下ろしたのは、白い砂浜だった。
左手には切り立った岸壁が聳え、右手には果てしない海が広がっている。
砂浜は岸壁を縁取るように伸び、寄せては返す波を受け止めていた。
「……あれが密林か」
視線を上へと持ち上げてみると、岸壁の上に鬱蒼とした緑が見えた。
密林はそこに広がっている。ここからでは向かえそうにない高さだ。
「後ろは……やっぱり、変わらないか」
俺たちが元の世界――地球に帰るための出口。
それは相変わらずの暗闇色の膜であり、塔だ。
カタストロフダンジョンは、内包された小世界にも存在している。
世界には塔があり、塔を介して世界間を行き来をする。
それはこの第二界層でも同じだった。
「しっかし……広いなぁ」
視線を海へと向け、歪みのない水平線を見つめ、ふと言葉が漏れる。
あの先にはなにがあるのだろう?
そう思うと、自然と心が躍るようだった。
「都市はこの砂浜の先にあるみたいですね」
「――あぁ、そうだな」
凍花の言葉で我に返り、当初の目的を思い出す。
「たしか第二界層の研修を受ける、だったよな?」
「はい。私たちはこの小世界について、まだなにも知りませんから」
ここはすでに第二界層だ。
第一界層のような生温い環境ではない。
なにも知らない探求者が生き残れる保証ほど優しい世界ではないのだ。
だから、先駆者たちが編み出した研修を受け、知識と経験を身につける。
自由に動けるようになるのは、それが終わってからだ。
「研修か。随分と昔のことに感じるな」
俺たちは砂浜を歩きながら、昔のことを振り返った。
あれはまだ探求者になる前のこと。
第一界層の研修として、学生時代にダンジョンに入ったことがある。
あの頃はまだ、優等生だったっけな。
「研修と言えば、アレ、やりましたか?」
「アレ? あぁ、アレな」
頭の中にすぐに思い浮かんだそれを口に出す。
「魔物の生態調査」
意図せず、凍花と息が合う。
揃った声に、思わず笑いがこみ上げた。
「面倒だったなぁ、アレは。本当に」
「一日中、ずっと魔物を追いかけるだけですからね」
「それも温厚な魔物のな。本当になんにも起こらなくて、退屈で死にそうになったのはアレがはじめてだ」
何よりも苦痛なのが、レポートを提出しなければならないことだ。
なにも起こらないから、なにも書けない。
無理矢理ひねりだそうとしても、何度草を食ったか、とか何時間昼寝をしたとか、その程度のことしか出てこない。
最終的にはどれだけ文字数を稼ぐかに頭を悩ませることになる。
アレは本当に二度とやりたくない。
「でも、またあるかも知れませんよ。生態調査」
「……考えたくないことだけど。もしそうならレポートは手伝ってくれ」
「任せてください。私、そういうの得意なんです」
「頼もしい限りだな、本当に」
いまは凍花が救いの女神に見える。
そんな風に、この先に待つ研修を憂鬱に思いながら、俺たちは砂浜を歩ききる。
砂浜が終わり、良く肥えた土の地面に足を下ろした。
「ここは第一界層に似ていますね」
「草原ってところはな。でも、あれは全然違う」
目の前に広がる草原の先には、濃い緑の密林が広がっている。
あれは第一界層にはなかったものだ。
そして、都市はあの密林の中にある。
俺たちはこれからこの草原を越えて、密林へと足を踏み入れる。
第一界層を超えて、第二界層へと向かうように。
「さっさと渡ってしまおうぜ」
「そうですね。この草原を私たちはすでに越えているですから」
自身を持って、その一歩を踏み出す。
しかし、出鼻を挫こうとでも言うのだろうか。
その先で一体の魔物が地中から這い出してくる。
けれど、俺たちはその歩みを止めなかった。
行く手を阻むものは、なんだろうと乗り越える。
そう言葉なく現すように、俺たちは異能を発現した。
「景気づけだっ」
放たれる焔と冷気。
二つは魔物へと迫り、焼き尽くし、凍てつかせようとする。
けれど、思い描いた未来は、まったく別の結末を向かえた。
「――なっ!?」
焔と冷気は躱された。
かの魔物が、無数の小さなものへと分裂したことによって。
「この魔物、界層落ちと同じっ」
「だが、このくらいならっ」
怪鳥の時は苦戦を強いられたが、今回の相手は違う。
魔物の体格はそれほど大きくなく、分裂先も指の第一関節ほどしかない。
虫の群れ。蚊柱程度のもの。
このくらいなら、焼き払うのは造作もない。
跳ね、跳び、無数のそれらは空中に自身を使って弾幕を張る。
それに合わせて、迎え打つように焔を灯す。
しかし。
「――それっ」
弾幕は一瞬にして、一つ残らず両断された。
吹き荒ぶ一陣の風が、彼らを斬り裂いて過ぎていったからだ。
無数の鎌鼬を精製し、それを精密動作させる操作力。
この異能には、見覚えがあった。
「ようこそ、第二界層へ」
魔物の亡骸を挟んだ向こう側。
その先に立つのは、よく見知った顔だった。
「風花」
縁関風花。
俺たちの一歩、二歩先をいく探求者。
「待ってたよ。篝、凍花ちゃん」
こうして俺たちの第二階層挑戦は、風花との再会で幕を開けた。
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