第78話
項が熱い。
いつも以上に熱を持った項に手で触れる。
アメリアはゆっくりと目を覚ます。
ダリアのクリスタルは最後の最後までアメリアを拒絶していた。
過去を見てしまった後悔はないが、知ってしまった真実に顔を顰めた。
体を起こして時間を表示している魔道具へと目をやる。
夢の世界で過ごしていた時間を確認したかったのだ。
目覚めた時から、眠った時まで、そして現在の時。
「現実は時に非情」
アメリアは深く溜息を吐く。
ジークライドのクリスタルに触れていた時間と現実の時間は全く共通ではなかった。見るたび見るたび長くなっていたと感じていたクリスタル投影は、今回アメリアが思っていた程時間を食ってはいなかったようだ。
実の所また一年以上眠り続けたのではないかと思っていたのだが、指し示すカレンダーは五か月過ぎた程度だった。
それでもフラグ建築イベントは逃したのは確かだが、以前よりもまだ体は動く。少し精神が、心が疲弊しているだけだ。
普通の少女であれば動く事もままならない程に眠っていたが、アメリアは自分自身の鍛えてきた過去は裏切らないと指を動かし確認した。
目覚めてから義母の出来事が発生するまで時間はかからず、また解決まで日にちはいらなかった。
もう少しゆっくりやれば良かったのかもしれないと思い返せば若干後悔し始めた。
(ご飯くらいゆっくり食べてから動けば良かったですかね? 少しやせた気がします)
あと二か月ほどたてば学園への入学式を迎える。
それまでに起きられたのだから何ら問題はない。あるにはあるが、ないにはない。
「二か月前ですし、学園見学みたいなイベント近々ありましたねぇ」
ユリとマイクと同じく攻略対象盛りだくさんイベントだった筈だとアメリアは記憶を手繰る。
事細かく思い出せるのも彼女が培ってきた死亡回数のお陰である。
自分が死ぬ瞬間、また死ぬために必要なフラグは何だったかを良く良く思い出す。思い出す事で精神が壊れてしまってもおかしくない筈が、流石のアメリア。多少の疲れは見えても何の事は無いように淡々とすることを思い出すのである。
(神さま方との約束は変わりませんもんね……。ユリやマイクの事はなるようになるでしょう。真実を知ってしまっても、本編や物語に何も支障はないですし……私の気持ちの持ちよう。それだけ)
自分がするべき事を再確認し、ベルを鳴らす。
寝着から出る自分の腕を見て、「うわぁ……」と声を漏らしてしまった。
白過ぎるのだ。
少女のような柔らかさすらも見えない自分の腕にまた溜息を吐いた。
肉体は死ぬ事をしなかった。それはジークライドのクリスタル投影の時と変わらない。
しかし、それが連続で今回起きてしまった為に、大体一年と五か月程眠りこけていた事となる。
太陽の日差しを軽くあたる事も無く、部屋のベッドに横たわっていたのだから、それはもうアメリア自身が引くほどに白い。
誰かがアメリアの体を運ぶ事など、この屋敷でする者はいない。
関わろうとするもの好きはまずいないのだ。
多少痩せたと思っていても肉体が維持出来ており、部屋が整っている辺りは誰かがやってくれていたようだと、一人くらいしか思い当たらないアメリア。
しばらくすると部屋が叩かれ、案の定アークが入ってきた。
軋む体を起こせば目の前に薬湯が。
何度かそれと無表情で差し出している執事長を無言で視線が行き来する。
アメリアは首を振る。アークは無表情で同じく首を振った。
しばらく繰り返し、アメリアは折れた。
「ぅぅぅ……」
ちらちらとアークの見るも、飲むまで監視しているつもりなのか視線は一切外れそうにない。
アメリアは観念し、薬湯を飲んだ。
「~~~~……」
やはりというか二度目ではあるが、不味い。とことん不味いの感想で顔が渋る。
アークはというと飲んだ事にシルバーグレイの瞳を細め、微笑を浮かべるものの、アメリアの渋顔を目にし顔を背けて笑いを耐えている。
両者とも声には出していないものの、口からやや声が漏れ出ている。
薬湯を何とか全部飲み干し、アメリアは声をゆっくりと絞り出した。
美声と呼べないまでも、声が出せないレベルからは回復を見せている。流石は薬湯である。
アークの作る薬湯は何か特殊な方法で作られているのではないかと思うレベルでの回復量。アメリアはご都合主義なのかなと納得する事にした。
それよりもだ。
いまだに小さく笑っている彼にアメリアはむっすりと口を曲げる。
「アーク、笑わないで下さい。これ不味いんですよ?」
「ふ、ふふ……失礼、しました。おはようございますお嬢様」
「もう……。わたくしが眠ってからどうでし――」
真面目な話をしようとしたその時、アメリアの腹は淑女らしからぬ大きな音を立てた。
これには鋼鉄の精神を持つアメリアも赤面を隠せなかった。
お腹を押さえ、悔しそうに顔を歪めて唇を噛む。アークは今度こそ耐えられなかったようで吹き出し小さく声に出して笑い始めた。
屈辱だとアメリアはぷるぷると体を震わせる。
「んんん……っ」
「唸らないで下さい。また笑って死にそうです」
「こんなに眠った事ないんですもの! お腹だって鳴ります!」
理由はそうだろうが、羞恥からか素直に口にしてしまう彼女にアークは噎せかける。
「んっふ!……ふ、ふふ……左様で、ございま、すね」
「笑わないで!」
羞恥で死ねそうだとアメリアは思った。
薬湯で多少は元気ではあるものの、体は軋み腕を上げるのもやっとだ。それを判っているのかアークは「少々お待ちください」と表情筋を引き締め一礼、部屋を一度出て行った。
部屋を出て食事をするには体を動かさないといけないのだが、今のアメリアの体でそれをやったら本当に化け物である。
化け物扱いされる分には構うつもりはないが、巻き込まれるのは恐らくアークだろうとアメリアは気付いた。巻き込んでもきっと彼は何も言わないだろうが、状況が状況だ。大人しくしている。
何せ……ベルを鳴らしてしばらく経つが、メイドや騎士、兄たちはいまだ来ないのだ。来たのはただ一人。アークだけ。
ロイド付きの筈のアークが動かなければならないほど、現状アメリアの立ち位置は不安定なのだろう。
自分だけの立ち位置が安定していないのは別に気にはしないが、その問題児を構っていたかもしれない、いまだ協力体制にある執事長の立場を悪くするのは気が引けた。
アメリアはアークが今度は食事を持ってきたことで、自分の懸念は確信へと変わったのだった。
運んできた料理にアメリアは唖然とした。
裕福な公爵家だからこそ振舞われる貴族の食事。普通なら、普段なら何も気にしないが、明らかに目覚めてばかりの者に食べさせる食事ではないそれら。
「アーク……」
「ご安心を。持ってこなければいけなかっただけですので、ちゃんと今のお嬢様が食べられる食事もご用意してございます」
「……持ってこなければいけなかった?」
「旦那様の指示です」
アメリアはぱちぱちと瞬いた。
父がこの容赦ない食事を指示したのだと言うではないか。
スープだけならアメリアだって今食べる事が出来そうだが、肉や穀物、そのほか諸々。一年五か月眠っていた自分には重すぎる食事。
いくら嫌われていたとしても、これはどうなのだろうと首を傾げる。
(胃をびっくりさせて吐かせようとかそういう?)
鋼鉄の精神と魂を持つアメリアはこれを無理やりに平らげたら死ねるかと目を閉じて考えた。
すぐに瞼を上げ、美しくないなと結論を出した。
物語の本編が始まる前なのだ。頑張ってみても良いが、無理やり食べて嘔吐物にまみれてという末路はあまりにも美しくない。
アメリアの中の死亡フラグリスト的にもワーストランキングにある程にそれは嫌だとなっている。過去の周回で似たような死に際があったが、失敗すると本当に嘔吐物まみれになって苦しいだけで中途半端に生きている状態になる。それを思い出しても美しくないと首を振る。
攻略対象に殺されるとかでもなんでもなく、自分から選んだ最終死の未来が嘔吐物まみれなんて流石に神々に顔向けできない。
死ぬための努力は惜しまないが、美的部分で受け入れがたかった。
首を小さく振ったアメリアにアークは別の解釈をしたのか「失礼致します」と一言。スープの入っている皿を片手にベッドサイドの椅子に腰かける。
「お嬢様。食べながらで構いません。報告がございます」
スープを掬い口元に持ってきてくれているアークに心の中で感謝しながら、話を聞く。
神妙な顔をし、しかし自分に食事を与える彼の手は自分を労わるようにゆっくりと。
「お嬢様がまた眠りについてからこの屋敷はまた変わりました。お嬢様を居なかった者のように、居ない者のように扱っています。幸い私は動けていますが、旦那様や……」
「……お兄様達もそのように?」
「はい。ユリお嬢様以外はこの部屋に近寄ろうと致しません。最初の頃は王太子殿下も見舞いにいらっしゃっておりましたが、今では……」
(な~るほど? 私が眠っていたからユリとの接触が増え、陥落寸前か陥落済みの可能性がとても高いと? 魅了無しでもユリは愛されるはずですし、現状ユリの魅了がどれくらいかかっているのかも未知数。……これはむしろ良い報告では?)
流石多少は疲れたと言っても流石は鋼鉄の精神と魂を持つアメリア。
この状況を良しとした。
しかしアークはそれを良しとしないのだろう事は、流石のアメリアにも察しはついた。
スープを何とか時間をかけて飲み干し、それでも多少お腹が空いている気がするとお腹を擦った。
「ん~……別に問題なさそうですけど?」
「あるんですよ。お嬢様、俺でも結構きついんです」
「え、何が?」
「頭の中でユリお嬢様の事を優先したくなる自分がいるのを抑えるのが、です」
お腹の具合を確かめて聞いていたアメリアは素っ頓狂な声を上げた。
「へあ?」
「以前から違和感があったのです。それが、お嬢様が眠った後からかなり酷い。旦那様や他の者達が全てユリお嬢様を優先し、それが普通のように」
「あ~」
「何か心当たりが? ユリお嬢様に何か……っ! 本当に気持ち悪いこれ」
自分の声にやや恥ずかしい思いをしているアメリアを置いて、彼はどうやら本当に気持ち悪い様子で語る。
思い当たる節はあるものの、どうするか考える。
「大変そうね、アーク。そのまま感情を委ねてわたくしを嫌ってくれても良いのに。態々耐えてくれたの?」
「俺がここで折れれば、誰もお嬢様の世話をしなくなります。気付けば骨にでもなってしまいかねない」
アークの苦労人気質は根っからなのだとアメリアは苦笑し、彼が本当に心から心配し自分を守ろうと動いてくれていたようだと気付く。
放っておいたらもしかしたら死ねたかもしれないが、強制力が彼を引き留めていたのかもしれない。
強制力とユリの力の間で苦しんでいる彼には、話しておいた方が良いだろうかとアメリアは視線を落とす。
ヒロインの攻略対象である彼に話す必要は本来ならないのだろうが、これだけ頑張ってくれていたのだ。多少は種明かししても許されるだろうか。
「優しいのね。そう、アークには話しておいて良いかもしれない。ユリの印は魅了の印なの」
「…………はい?」
今度はアークが素っ頓狂な声を上げた。
「凄い声出たけど本当よ? まぁ、印がなくともあの子ならみんなから愛されて優先されていたかもしれないけれど」
そういう風に作られた世界だから。
アークと目を合わせずアメリアは話し終えると刺さる視線に目を向ける。
シルバーグレイの瞳とレンズ越しに目が合った。
「お嬢様言っている意味をご理解していらっしゃいますか?」
「え? 何が?」
「印の効力をもしユリお嬢様が知っていたとして、それを酷使していたらどうなりますか?」
子供に教えるように問いかけるアークにアメリアは眉を寄せて考える。
「えぇっと……? 人の意識を勝手に捻じ曲げるのだから……禁忌魔法と同じで……罪にはなる、のか、な?」
「はい。それに、王太子殿下や公爵子息も現在恐らくではありますが、ユリお嬢様に好意を抱いております。王族にそれを使用していたと判明したら」
アークの言いたい事を理解したアメリアははっとする。
「ユリは捕まってしまうわ! どうしましょう! アーク! 捕まるならわたくしではないと!!」
「いや、そうじゃないでしょう!?」
「そうなのよ! えぇ……本当にどうしましょう。無意識なら許されるかしら? あの子まだ幼いし……」
「見た目より年齢はまぁ……幼子でございますからね」
「そうよね。そういう方向で何とかしないと」
「いや、そうじゃなくて……」
「ユリが罪に問われるのは駄目よ! わたくしは良いけど!」
「……お嬢様、判りました。話を変えましょう」
話を聞かない少女に対し、ずれてもいない眼鏡の位置を直しアークは話を変える。変えようと努力し始めた。
「え、でも」
「黒の本の件についてです」
「どうなったの!」
上手い具合に食いついたアメリアに内心一安心したアークは、目覚めたばかりの少女にする話ではないなとも思い始めている。だが、ここで話を終えてしまえば恐らく目の前の少女の暴走は加速すると予想していた。
―まだベッドの上で大人しいが、お嬢様だからなぁ……。
過去を垣間見ても大人しくしていないだろうと予想は確信に近い何かを得ていた。
手に持っていた空になったスープ皿を戻し話す。
「今それは王管轄となっております」
「・・・・・・・・・・は?」
(殿下のクリスタルの未来を描こうと言うの? そんな馬鹿な話……)
「あって良い訳ないじゃない!」
「お嬢様……?」
「あれはマイクを狂わせてしまった禁忌魔法が記されている書物なのよ! それを王家が保管? 危険じゃない!!」
「一般の者の手に渡るよりも、証拠として保管されているのであれば……問題ないのではないでしょうか?」
アメリアも自分が言っている事の矛盾は重々承知している。
アークの言っている意味もアメリアは理解していた。王家が誇る警備隊の元に保管されているのであればどこよりも安全ではあるのは間違いない。
アークの報告によれば、黒の本は男爵の事件と関わりがあるとされ、かなり重度の危険性をもつ証拠品として王家に保管されているとの事だ。何重にも厳重に保管されている状態で、最早封印に近い状態との事。よって外部からそれを盗み出す事はほぼ不可能とされているらしい。
しかし、彼女の心配はそういう次元のレベルの問題ではない。
この世界の未来をクリスタルの投影により見て知ってしまった彼女だからこそ、〝王家〟が所持している事に問題があるのだ。アメリアはこのままではジークライドが遠くない未来、クリスタルの中の彼のように、同じ道を選ぶ可能性が出て来てしまったという事に他ならない。
アメリアは下唇を強く噛み締める。
(どうすればいい。どうすれば殿下があれに触れる事がないように出来る? どうしたらいい! 考えろ、アメリア!!)
自分を叱咤し、必死に思考を巡らせる。
ユリの魅了は加速を見せている。たかが五か月されど五か月。その間に黒の本は最悪の未来の一路を辿っている。
アンスリウム男爵がただの新規フラグであり、モブだと思って楽観視していた過去の自分にアメリアは吐き気を覚えた。
クリスタル投影はマイクの頃から、アンスリウム男爵に対し、黒の本に対し、警告していたではないかと。
後悔しても何も始まらないとアメリアは体を再びベッドに横たえた。
「殿下にそれを譲って貰うしかないですよねぇ……王家の使っている魔法でしょうし」
「それは……恐らく、出来ないかと」
「あ~~~~……もうユリに陥落されてます?」
「言い方には気を付けましょう、お嬢様」
状況は最悪だとアメリアは大きくアークにも聞こえる音量で溜息を吐いた。
寝ても起きても疲れる。
少し休もうと寝返りを打とうとしたその瞬間。
服が破ける音が響く。
「……アーク」
「眠っている間に成長なさっておりましたからね。合わなくなっていたのでしょう」
「着替えさせてくれていた?」
「……」
顔を背けるアークにアメリアは気付いた。彼の耳まで真っ赤になっている状況で気付かないほどアメリアは鈍感ではない。
(そうですよね! そういうのはメイドのお仕事ですもんね! アークとしては管轄外よね!!!)
体が綺麗な事を考えると彼が精霊魔法なり、拭くなりはしてくれていたようだが、流石に着替えさせる度胸はなかったらしい。いや、もしかしたら試みたのかもしれない。しかし、アーク以外の人物たちはアメリアを居ない者として扱っていた。
新しい服など誰も頼まなかったのだろう。アークがもし進言していたとしても、アメリアは彼らの中では〝居ない者〟なのだ。
未婚の淑女、子供だろうとなんだろうと、婚約者持ちのレディの素肌を見る事は流石の執事長という立ち位置だろうと複雑なのだろう。
それが分かったアメリアは、アークに感謝しつつもどうしようかと口をもごもごと動かしている。
何とも言えない空気にアメリアはから笑いを浮かべるしかない。
身なりは自分で何とかする事が出来るが、服を手に入れるにはどうしても業者なり、買いに出なくてはいけない。
サイズの合わない服のまま出掛けるなど公爵令嬢としてどうなのだろうと考える。
(ないわね)
絶対にない。
サイズが合わずぱっつんぱっつんか、七分丈。無理やり着用したところでオーバーハイウェスト……想像するだけでどうしようもない。みすぼらしいこの上ない。
いくら自分が虐げられようとそれだけは公爵令嬢としての意地が許しはしなかった。
悪口を言われようと、自分の評価が下がるのは構わないが、それはあくまでも万全の体制であるからして、服がないなど……公爵家の評価に繋がる。
それだけは断固拒否である。
もぞもぞと体を隠しながらアークを見つめる。
「アーク頼みがあります。業者を呼べないなら自分で手に入れるので、使用人の服でも良いので手に入れてきてくれません? 出来れば男性の」
「そ、れは……」
「大丈夫です。変装セットはあります」
「何故?!」
「良いから早くしてください。ベッドから出られないでしょ!」
彼の質問に一々答えていては時間が足りなくなる。
現状どれほどの時間自分が無駄にしていたのかすら確認したくはない。
さっさと自分の服を仕入れてしまうに限る。
アメリアの服は特注に近い。コルセットを必要としないタイプの物が多い。ダリアに虐待されていた手前その方が楽だったのもあるが、慣れてしまえば体形維持さえ怠らないのなら自然でいられる姿が如何に楽なのか……コルセットで締め付けられていた過去を経験しているアメリアだからこそ、いやでも分かるものだ。
男性はその辺楽で良いななどは思わない。多少は思っても……思うだけにしているアメリア。
いざ男装をした過去でも感じたが、ドレスより遥かに軽いなんてことはないと思い込もうと頑張っている。そうでもしなければ男物の服が増えてしまいそうだったのだ。
長時間―期間―睡眠を経て、アメリアの体力は結構落ちていた。
アークが服を準備するのに数時間を有したが、それでも数時間で準備してきた彼は優秀以外の何物でもないだろう。
ライラから渡された過去の服とは違い、多少なり気品漂う感じのコーディネート。市井に向かうにしてもお忍びにしても少し目立つかもしれない服だった。
色は抑えられているが、元々あるシルクの質と言うのは見る者が見ればわかるというものだ。
「アークこれは一体誰の物です?」
執事長という立場なら持っていてもおかしくはない質の物だが、アークの物ではないのは確かなそれ。彼が身に着けたら腕を通す前に肩が破けかねない。身長的にも合わない。
優秀ではある彼だが、何処からこれを入手してきたのかアメリアは気になった。
少し疲れた様子で斜め下を見つめ、アークは答える。
「先程お伝えした通り、現在この屋敷ではお嬢様の存在を口にする者はほとんどおりません。その為、今の所まだ……まだ! 無事な」
「なるほど、お兄様のお古ですか!」
「……良くお分かりになりましたね」
「お兄様がまだ無事なのが気になりますが、〝そういうもの〟なのでしょう」
「……?」
アメリアは一人で納得し、「着替えるから一旦外にいて」とアークを部屋の外へ追い出した。
一人で身なりを整えるのかと眉を寄せる彼に、さっさと出ていけと笑顔のみで語った。
渋々といった様子で出て行ったアークに、アメリアは扉越しに苦笑を浮かべる。
(曲がりなりにもアークも攻略対象だというのに。私に対して修正を入れたから彼が私の近くにいるはめになっているんでしょうね……。強制力というのは本当に色々邪魔をしてくれる……)
受け取った服に着替える為、腕を通せばお古にしては肌触りが最高である。
兄が何故今の今まで処分せず取っておいたのかは不明だが、ごわつきもないシャツや動きやすい生地のパンツはとても軽く楽だった。
アメリアは着替え終えるとクローゼットの奥から以前使用したウィッグを取り出す。
随分と頭のサイズが変わってしまっている気がするが、被れるだろうか。
アメリアは若干の不安を抱きながら、髪を纏めてそれを被った。
「…………ライラ、貴女は本当に優秀過ぎる……」
被れなければ何とか別の方法を考えようと思っていた矢先、すっぽりと頭を覆い目元まで隠れるウィッグの髪の毛。以前の時のように見事なまでにぴったりサイズに鏡を見つめながら驚きを隠せなかった。
一体これにどんな技法が使われているのかは分からないが、流石に……。
「流石にこれ手作りという事はないわよね……?」
想像し一瞬背筋が凍りそうな程恐怖が駆け巡る。ぶるりと震える体を抱き締め、腕をさすりながら、廊下にいるアークを呼んだ。
「失礼致します。おじょ…………」
「あー、あー、あー」
室内に入ればそこには見知らぬ少年。
男にしては細身な体だが、一見してみればただの男の子である。
アークは言葉半ばで固まった。
そんな彼を放置し、アメリアは声の調整に入っている。
いつも通りの声では変装をしている意味が全くない。見た目だけ変えることなど誰だって出来るのだ。声を出して気付かれましたでは遅い。抜かりはないのだ、この令嬢。
貴族でもない一般市民が彼女の声を知っているかと言えば微妙な所ではあるが、気にしてはいけない。
「うん、これくらいかな? アークどう?」
「……お嬢様ですよね?」
「そうだけど、まあ見えないよね」
「声まで変えられているので、分かりませんね。驚愕致しました」
「ん? それは変装レベルがそこまで高くないと思っていたという事? これでも全てにおいて全力で取り組んできたんだが、アークは見抜けなかったのかな?」
自分の兄を見本にアメリアは男性になりきる。
いつもと違う彼女にアークは反応が少し遅れるも、流石は優秀な執事長。すぐに気を持ち直し、対応して見せる。
アークを置いてアメリアは一人でそのまま街に行こうとしたが、それはアークが許しはしなかった。
一応アークも多少の変装をお願いし、二人で街へと向かった。
(どうしてこうも似るのでしょう?)
アークの変装があわよくば女装であればアメリア的にも楽しかったが、本当に少し姿を変えただけで、お忍びスタイルで出掛けた時のライラの状態になっていた。
目立つつもりはなかったのに、これでは嫌でも目立つだろう。
過去の惨劇再びは避けられれば良いなぁなどと、アメリアは少し遠くを見つめて思った。
絶賛術後療養中なのでしばらくお休みです(ヽ´ω`)




