第70話ー1
一体どうなっているのだろう。
アメリアは目の前の状況を整理しなくてはと、必死に頭を回転させている。しかし動揺が抑えられない。
何故、どうして。
頭の中で何度も何度も繰り返し、疑問が浮かんでは答えが導き出せず、弾ける。
【主要人物】であるマイクは決して、本編前の今、決して死ぬ事はないとアメリアは思っていた……。だがどうだろう。
現状、合魔獣を挟んだ向こう側では自分の弟が地面に倒れているではないか。
自分の声に反応すらしない。ぴくりとも動かない。
手が震える。鼓動が激しく脈打つ。焦りからか、何なのか、嫌な汗がアメリアの背中を流れた。
「ハハ、ハハッ、完成です! 流石はマイク様っ! 完璧な仕上がりですよ!」
この場に似つかわしくない軽快な笑い声をあげるのは男爵。
一気に頭に血が上る。怒りに青銀の髪が揺らいだ。
(な、にを……笑っているの? マイクは、私の弟は幸せにならなくてはならないの。私以外が死ぬなんて……――あってはならないのよ!)
アメリアの周りに魔力が放出される。
怒りで我を忘れたアメリアの魔力は、聖霊であるブラックとライラに、そして精霊達にダイレクトにダメージを与えた。呻き、立ち上がる事が出来ない程の魔力量。数少ない精霊は悲鳴をあげ逃げ惑う。
このままでは二人とも崩れ落ちる事が容易に想像出来る程に強い魔力。
魔力を扱う人間ですら立っている事が困難なレベルの力を、アメリアは魔力を放出したまま男爵を睨みつけた。
「おやおや公爵令嬢殿はお怒りかな? 貴女様のお陰で完成できたのです、本当にありがとうございました」
態と煽るような言葉。
状況を知らない者が聞けば、アメリアが手を貸したとも思える言葉だ。
アメリアはそれを否定しない。肯定もしない。ただただ鋭く睨み付けている。
光の加減で色の変わるアメリアの瞳は漆黒へと染まり、赤い星々が輝いているように見える程に拒絶、憤怒、それらを表している。
アンスリウムが何故立っていられるのかどうかなんて、今のアメリアには関係なかった。どうせ禁忌魔法とか、それの派生だろうと、興味がないように手に持つ扇を広げ、静かに怒りを声に乗せた。
「そうですか。それは良かったわ。でもね、わたくしはわたくしの物に手を出されるのが大っ嫌いなのです」
「それはそれは残念です。貴女様にそのような思いをさせてしまうなど、申し訳ありません。……しかし、ご心配には及びませんよ。その思いもここまでです、どうかご安心を。――貴女様はここで死ぬのですから」
男爵が手を翳せば、合魔獣は従う。言葉を発するように口を開き、牙を見せアメリアへ襲い掛かってきた。元々青年であったであろう姿はもう見る影もない、ただの獣のよう。
アグリアとブラックが、アメリアの名を呼ぼうとした。
獰猛に、ただの獣のように襲い来るものを、アメリアはただ小さく首を傾げ、まるで興味がなくなった〝玩具を捨てるように〟あるいは、〝埃を払うように〟扇を持つ手を横に薙いだ。
「うるさいんですよ、さっきから。わたくしが話しているのです、口を閉ざしなさい。見苦しい」
何が起こったのか誰も、そう誰も理解出来なかった。
禍々しい魔力を放ちながら、襲い掛かる合魔獣の姿を見ていた筈だった少女。危機感すら感じていない様子の公爵令嬢。そのたった一人の少女が手を横に振った瞬間に、獣の口が裂けたのだ。
理解出来るのは、アメリアただ一人。
合魔獣は一つの頭を大きく振り、轟音を響かせ、のたうち回り、悶え苦しむ。
アメリアは少しの違和感を覚えたが、今は良いと横に置いた。
今は目の前の男が先だ。
こつり、こつりと石畳を、わざと踵を鳴らして男爵に歩み寄っていく。
圧倒的有利だと思っていたアンスリウムは、得体のしれない少女の力に恐怖した。
がくがくと震える足は、彼女の歩み寄る足と離れるように後退る。
「ひっ! なんだ、何なんだ! 何故詠唱を必要としない!?」
「あら、何の事? あぁ、わたくしの扇が珍しかった? そんなことはどうでも良いのですよ。わたくしのお陰で貴方は今まで生きて来れたようなものですよ? 知っていまして?
第五師団の方々を上手く懐柔していたようですが、とある方から貴方がなさっていた事を教えて頂きましたの」
第五師団の、とある方と告げればアンスリウムは目を見開き、みるみる内に険悪な表情へと変わる。
「ルドベキアか! 裏切ったのか! いつの間に……、くそ!」
アメリアは目を細めて小さく、彼だけが聞こえるように告げる。
「誰かは申しません。必要がないですもの。
貴方は禁忌魔法をマイクに教え、そして第五師団長へ使った。それを知る者はわたくし以外いない。いう事のきかない善良な第五師団長たちへの禁忌魔法の詳細などは、わたくしが持っています。
貴方の予定なら、本来どれもこれも証拠などない筈だった。……本当に上手い事やっていましたねぇ。お上手でした。
資料など見させて頂きましたが、自らの手を汚す事はほとんどしていませんでしたし……本当にお上手。――でも、現状もう言い逃れなんて出来ませんよねぇ?」
無邪気に笑みを浮かべるアメリアを、アンスリウムは悪魔の様だと感じた。
瞳の色は闇のように深く、飲み込むかのように漆黒。
男爵は「全てを明かしたら救世主なんて出来ませんよねぇ?」と。死の宣告にも似た言葉を更に耳にした。
本当に全てを知っている少女。
この少女さえ消してしまえばどうとでもなると思うのに、〝勝てる気がしない〟のだ。圧倒的な力を目にアンスリウムは足搔く事しか出来ない。
「たかが男爵が公爵令嬢であるわたくしを殺そうとしたのですから、分かりますよね?」
『移動するは――――』
特別強いこの少女を仲間に引き入れる事を一瞬でも考えた己は馬鹿だ。噂通りなら知恵もないただの我が儘で傲慢な公爵令嬢である筈の少女は、目の前で自分の悪事の全てを知っている。マイクのように懐柔するなど不可能だと確信し、倒れているマイクの元へ精霊魔法を構築し移動しようと……――した。
「マイクに手を出すなと言っているのが判りませんか? お馬鹿さん。わたくしが話しているのに何処に行こうというの。無礼にもほどがあるわ。
その汚い口は閉じてしまいなさいな。お前に自由など与えはしない」
「ぐぁあああぁっ!!」
無詠唱とは本当に強いものだと、アメリアはぼんやりと思った。
今度はアンスリウムの口をアメリアは無詠唱で裂いたのだ。その場から微動だせずに。
返り血は浴びていない。
男爵は口元を押さえ蹲り、とめどなく血を床に流し苦しむ。
様子をじっと見つめていたアグリアの瞳でも捉えられないアメリアの魔法。
誰からしても、アメリアはただ、手を振っただけ。
それだけで合魔獣、アンスリウムどちらもが、口を押さえ悶え苦しんだ。
アンスリウムの精霊魔法は、構築不十分で発動するはずもなく霧散する。
呻き声しか上がってないその場にただ一人、アメリアは背筋を伸ばし立っている。
「あら、ごめんなさい。それではもう閉じれませんね」
男を嘲笑うようにくすくすと響く、子供の笑い声。
まだその中でも無事なアグリアは自分の目を疑った。そして同時に笑顔を浮かべる孫に背筋が凍りそうになった。一体あの子は何者なのか。
非常に異様な光景。
アメリアはゴミを見るような目をアンスリウムに向け、近付いた。
「お前がしていた事は全てわたくしが貰い受けます。良いですね? まぁ拒否権なんてものはありませんけど。……でも、お痛が過ぎましたね、男爵。駒にしても何にしても、わたくしの許可なく、わたくしの物に手を出した罪は重い。報いを受けなさい」
手を上げ、扇を広げた。断罪機を思わせるようなその動き。
「代償はお前の首で良いですね?」
アグリアは察し、アメリアを止める為に叫んだ。
「何をしているかおチビ、殺すな! その瞳は節穴か! 病みっこは生きとる、しゃんとせいっ!」
アメリアは祖母の声ではっとする。暴走しかけていたみるみる内に魔力が収まっていく。
ふらりと青銀の髪がまとまりをもって落ち着く。
上げていた手をゆっくりと下し、マイクを見つめた。
良く見てみれば辛うじてだが、マイクの身体が呼吸で上下に動いているのが見える。
安堵に唇が震えるも、アメリアは自分を律し、息を大きく吸い、吐く。
落ち着け、鋼鉄の精神と魂を持つアメリアと何度か繰り返した。
(良かった……)
冷静を取り戻し、瞳の色は元に戻る。悶え苦しみ暴れる合魔獣を見る。怒りに飲まれていたが、以前出会った合魔獣と訳が違うとどことなく肌で感じ取っていた。
落ち着いてみればそれが良く分かる。
生み出された合魔獣は形状が以前のものとは変わっている。そしてそれを構築する魔力の量が違う。
アメリアの魔力が収まれば、ブラックはぜぇぜぇと肩で息をして汗を拭った。
「何という力じゃ……流石はアグリア様の孫ですな」
「何を馬鹿な事を言っておる。あの子はあれでほとんど力を解放していない」
アグリアは冷静に状況を見ていた。自分の孫の力を。
――あの子が本気を出してわしと戦っていたら、わしは片手で捻られたのではないか?
歴戦の女大公、アグリアは完敗だと小さく首を振った。
そんなことを思われているなど露ほど思っていないアメリアは、合魔獣を放置しマイクへ駆け寄った。
「マイク!」
浅い呼吸を繰り返し、顔色が悪い。枯渇していっている魔力が、合魔獣へとまだ注がれている事に気付いたアメリアは、再び体の向きを変えた。
「解除方法をわたくしは知りません。でも貴方はただ巻き込まれた被害者なのです……。貴方が存在し続ける限り、わたくしの弟は苦しむ」
合魔獣に語り掛けるように呟けば、獣の大きな瞳がアメリアを見つめ弓なりに歪む。
口が裂けて酷い声が地面を揺らしながら音になる。
鼓膜が裂けそうになるほどの声量。轟音。アメリア以外は耳を押さえた。
「あァあ゛……あ、ノ時の、良イヨ……男爵サマのチカラになれだぁあぁあああ」
あまりに醜く汚い声は普通であれば聞き取れないレベルのもの。普通の人であれば獣が叫んでいるだけに聞こえるだろう。
しかしアメリアはしっかりと意味を理解し、頷いた。
「獣よ! その小娘を殺ぜぇぇっ!」
合魔獣に向け男爵は叫ぶ。
応えるように獣は吠える。
「本当に優しい人。止めるのが遅れなければ貴方はこんな姿にならずに済んだ。全てはわたくしのせい。恨むのならわたくしだけを……貴方は確かに男爵の力になれました」
こんなことをされても青年の心は男爵への感謝でいっぱいだった。
彼からしたら男爵は本当に感謝すべき相手だったのだろう。アメリアは悲し気に一度瞼を伏せた。
男爵の願いを聞き届けようと、青年は、否、合魔獣はアメリアへ再度牙を剥く。
(あぁ……、モブだとしても、この世界で私が関わった人。貴方の幸せも私は願っていた。本当に、本当にごめんなさい)
関わったからこうなったのだろうか。アメリアの脳で巡る考えは答えが出ない。
せめて目の前の青年の魂が安らかに眠れるように。
口に出し、青年に届けるように詠唱する。
「あるのは安らぎ。眠れよ、獣。ただ優しく笑えるように業火に眠れ」
刻むは安らぎと共に風、構築するは業火。
自分に優しくしてくれた彼が、自由に風に乗り、眠れるように。
想いを込めてアメリアには必要のない詠唱を紡いだ。
構築された魔法は業火となり、合魔獣を飲み込む。悶え苦しんでいた表情がぴたりと動きを止めた。きょろきょろと辺りを見渡したと思えば、天井を見上げ僅かに微笑んだ気がした。
そしてその笑顔を一瞬に、業火はどろどろとした皮膚を硬化させ、更に水分を蒸発させて灰へと変えていった。
意図も簡単に行われてしまったように見える魔法の構築は、その場にいた者を戦慄させるには十分の威力だった。
齢十歳にも満たない子供がこれほどの魔力を操り、暴走させる事なく、意思のまま構築し、展開した事は焦燥感など感じさせず、絶望に近い何かを与えたのだ。
役割を終えた業火は静かに消えていく。地下施設には教会にある美しいステンドグラスなどない。光が外から差し込む事もない。
アメリアはその中で祈りを捧げるように、手を胸の前で組んでいた。
静まり返る空間を支配するのは沈黙。
アメリアがマイクへと足を向けようと一歩引いたヒールの音だけが響く。
「どうしてお姉さま! こんなひどい事をなさるの!?」
突如、甲高い声が響いた。
覚えのある声にアメリアは振り返りざま表情を作る。
「はぁ……酷い? どこがですか? 貴女こそ今までどこにいらっしゃったの?――ユリ」
振り返ればマイクの元で膝をついて治癒の魔法を構築しているユリの姿を目にした。
そして同時に眉を顰めた。
二つにまた分けさせていただきます。
次回は来週月曜日となります。宜しくお願いいたします




