第57話
アメリア城へ行く
アメリアはライラの声に目を覚ます。
振り向けばいつもの無表情の彼女の姿が直ぐ後ろにあった。机の上に広げていた自分が書いたものを一瞬で脳裏に再生させ、特に問題ある事は書いていないとアメリアは特に隠す事もしなかった。
眠たげに目元を擦る姿は子供だとはっきりと言えるアメリアの姿に、ライラは自分の先程までの考え、そして想いに心の中で苦しんでいる。目の前にいる自分の主人はこんなにも可愛いのに、幼いのに…今までと何も変わりはしないのに、と。
しかし…ともライラは思うのだ。
この小さき主人は自分をブルームーン国へと帰そうとしている事を。
心の中に宿り、根を張り、芽を伸ばし始めた不信はいくら感情を殺す事が出来るライラだとしても、簡単には拭う事が出来ないでいた。
アメリアは起こす為に自分に声をかけてから、ずっと沈黙している侍女を見る。
表情はいつもと変わらない。
そう。変わらないのだ。だが、何故だか違和感を覚える。
その違和感が一体どこから来ているのかライラを見つめ、探すも、アメリアには見つけ出す事が出来なかった。
(ライラ…まだ本調子じゃないんですかね…?)
アメリアは自分が眠りに落ちる時に発していた言葉を、ライラが耳にしていたなど微塵も思っていない。彼女はその時はまだ眠っていたと思いこんでいる。唯一の味方といういつの間にか心にあった安心が、アメリアの勘を鈍らせてしまっていたのだ。
ここにきて二つ目の見落としである。
アメリアは首を傾げて眉を小さく寄せる。ライラはそれをじっと静かに見つめ返すだけ。
静かに風が二人の間をすり抜けていく。
しばらく続いた沈黙は侍女が口を開き、終わりを告げる。
「お嬢様。そろそろ屋敷へ戻りませんか?」
「えっと…そうですね。調べ物も考え事も終わりましたし、帰りましょうか!」
ライラの声色に良く耳を澄ませていたが、いつもと変わらないと判断したアメリアはほっとしたような表情を浮かべ、優しく微笑んだ。
安心した表情へ変化した事により、ライラの中では別の想いが過る。
――お嬢様。その安心した笑顔は…私に聞かれなくて良かったと思われているのですか…?
主人を信じると決めた筈なのに、拭えない不安、不信。
矛盾する己の感情がせめぎ合い、ライラの心へと静かに闇を落としている。
ライラは表情を変えず、机の上にある教材、そして広げていたシートを片付け始めた。淡々と仕事をこなすライラを眺めながら、アメリアは今後の計画を念入りに考えている。
(もう一度街に行きたいですね…。表立って計画は実行されていないにしても、何かしらの変化が街で…、教会で起こっている可能性がありますし…。むしろあの場所にそろそろ侵入したい)
そこまで考えて、一つの障害が立ちはだかる事に気づく。
うーむと声に出してアメリアは頭を捻った。
片付けが終わったライラはその考えるアメリアに無表情に首を傾げる。
「ライラ…もう一度、いえ、何度か街に…ある場所に偵察に行きたいなぁって」
「それは…何と言いますか…、難しいかと…」
「ですよねぇ…」
アメリアの願いは叶えたいライラだが、二人とも思い浮かべるは共通の障害である。
(お婆様どうやって撒きましょう…)
最高難易度であったアークは現在協力体制にある為、別段障害だと思えないのだが、この屋敷で強い存在感を持ってライラの恐怖対象であるアグリアが、アメリアの脳内で腕を組んで胸を張り立ちはだかっているのだ。
それはライラとて同じ事。
二人とも渋い表情を浮かべる。
「お婆様撒かないと出れませんよね…?」
「はい。特にアグリア様はお嬢様と若様を鍛えると言う名目がございますので…遂行する為に普段以上に頑張りそうでして…」
「やめて、死んじゃう」
「死なせません!」
二人は大きな溜息を吐いて、一度戻ろうと頷きあうと、げんなりしながら光に包まれ書斎へと戻った。
魔法時計へと視線を向ければ、一針ほど進んでいるが、ほとんど空間に入った時と変わりのない早朝と言える時間だった。
「とりあえず、病み上がり?なわたくしにお婆様は何をさせる気なのか…後で調べて来て下さいね?肉体的なものは、しばらくは避ける様にとも」
「畏まりました。勿論でございます…可愛い私のお嬢様にこれ以上無理はさせません!」
ライラはいつものようにアメリアと会話が出来る自分に安心し、アメリアはライラの返しに過保護だなぁと小さく苦笑した。
その後、書斎を出て廊下を歩いていた二人を見かけた屋敷の者が、先程入っていった二人が何やら疲れた様子で書斎から出てきたと小さい噂になったとか。
それがアメリアとライラの耳に入り、二人ともアグリアの事を考えていたからだとは別に弁解も誤解を解く事もしなかった。主人の計画を自分の口から発言する必要はない、アメリアが特に誤解を解かないのであればこれはこれで美味しい状況だと考える安定のライラ。アメリアは計画の事もそうだが、少しばかりライラを巻き込んでいる事には申し訳なさが心にあるが、噂にしたければすればいいとにんまりと笑顔を浮かべているだけだった。
勿論この噂は父であるロイド、執事長であるアーク、兄弟のダレン、マイク…この屋敷の権力者全ての耳に入ったという。
面白がったダレンがその事を友の二人に魔道具を通して報告していたなど、アメリアは微塵も知らない。
◇◇
それから数週間ほど時が流れた。
毎日のように祖母アグリアの特訓があり、決まった時間にはブラック魔法老師との魔道具による勉強。日々怠らない筋力、体力作りでいつの間にかアメリアが考えていたよりも時間が過ぎてしまっていた。
そして現在。
アメリアは一人街にいるのである。
(よし!よし!よーーーーーし!!何とか抜け出せました!!!)
アグリアの特訓により精霊魔法をある程度自分の中で取得してしまった、全ての魔法を構築する事の出来るアメリアは、本人も認めるチート能力を使い、屋敷から抜け出してきていたのだ。
ライラに一言入れる時間がなかったが、アメリアは大丈夫だろうと安易に考えている。脳内ではアメリアが喜びながら花吹雪を自分に撒いている。それ程に抜け出せた事が嬉しいのだ。
初めの頃は精霊魔法を使用する際、アメリアの髪が光り輝いていたが、今現在はその様子は見られない。上位と呼ばれる精霊魔法を使用すれば光るが、普段使いと呼ばれるくらいの下位の精霊魔法では反応を起こさないまでに成長していた。
アメリアの現在の格好は以前のお忍びスタイルである。
目元は隠れ、華奢な彼女が男装しているのもあり、下を向いていると陰湿そうな少年といった見た目をしている。
前回は男装ライラの効力もあり目立っていたが、アメリア一人で街を歩いている分には以前の様な視線の嵐は襲ってはこない。
(ライラ…やはりあなたが目立っていたのですよ!私ではない!!!)
全くと小さく呟くと、アメリアは目的の場所であるこの国の中心部。
ジークライド達、王族のいるラナンキュラス王城へと向かう。
空は青々としているが、吹き抜ける風は冷たくもうすぐ冬がやってくる事がわかる。
男装しているアメリアが城へそのまま入る事は出来ない。
一般市民であるこの国の者が城に無断で入る事は出来ないのだ。
ならばと、アメリアは策を講じていた。
城の前には厳重に守るこの国の騎士の姿。
城門を守る騎士達はやる気のない者から、やる気に満ち溢れている常識をもってそうな者まで様々。アメリアは久しぶりに、否、この周回初めてラナンキュラス王城を目にし、目を細めた。
「やっぱり…綺麗だ…」
発音するは普段とは違う言葉使い。見上げるは城。
白色に銀、金が散りばめられているが目に優しく、城門は木造りのようだが、職人の手によって彫刻が施されており、城壁から見える城は青の屋根を持っている。どれもが王に相応しく、守られるには相応しい存在感を持ってそこに聳え立っていた。
アメリアはこの国の職人が好きだ。
職人たち自体には出会った事がないが、その者達が作る物はどれもこれもアメリアを癒してくれていた。
(職人さん達が作ったものは本当に素晴らしい…。さて…鑑賞はここまで!さっさと用事を済ませますか!)
アメリアは一通り鑑賞し満足したのか、民家と民家の間の小さい路地へと足を向ける。
路地の間は狭く、大人は入れそうにない隙間だ。アメリアは周りを確認し、カツラを外すと精霊語を口にする。
『精霊さんたちー!持ってきてくださーい』
ラナンキュラス国の街で精霊語を使用出来るものは、まずいない。だからこそ分かりやすくアメリアは精霊語で呼んだのだ。
精霊語に反応して数匹の精霊が何やら荷物を抱えてアメリアの前へと姿を現した。
『もってきたー!』『えらいー?』
『これでいいのー?』
瞳に精霊力をわざわざ溜めずとも、精霊達を見る事が出来る様に精霊魔法を勉強し、成長したアメリアは、荷物を受け取ると一人一人精霊達を褒めながら撫でる。撫でる事も出来るくらいには成長した彼女は、撫でている間、幸福指数は跳ねあがっているのは言わずもがなだ。
彼女は可愛い物が大好きである。
「ありがとう、精霊さん達。わたくしがここに居る事はお婆様やお兄様、みんなに内緒にしておいてくださいね?」
『うーん?わかったー』『アメリアがそう言うならー』
『うー…魔力きついー…かえるー』
なんとも素直な自由な精霊たちである。
街の中には少なくとも魔力を持つ者達もいる。下位の精霊たちにとってそれは毒でしかない。精霊達に別れを告げると直ぐに精霊達は姿を消して、どこかへ行ってしまった。
「本当に可愛い!!!!…幸せを感じた所で、着替えましょう!」
受け取った荷物はアメリアの服だった。
屋敷から手配して馬車を出して城へやってくる事は簡単だ。だが、アメリアはそうしなかった。自らの足で、やってくる必要があったのだ。
特に手間取る事無く着替え終わったアメリアはくるりくるりとその場で変な所が無いかをチェックすると、荷物に魔法を構築し、隠すと路地から出た。
白色に群青の装飾が施されている日傘をさし、口元を持ち上げる。
日傘はこの街では滅多に目にする事はないが、日傘に装飾されている印はスターチス家の物だと街ゆく人の目には分かった。そして目立つ容姿の良くも悪くも噂の多い彼女の姿は街にも静かに広がっており、その彼女が突如出現した事により、辺りがざわつき始めた。
アメリアはヒールを鳴らし、城門へと進む。
(さて、城門前の騎士様方。お相手頂きましょうか?)
フラグを立てる事を忘れない鋼鉄の精神と魂のアメリアはにっこりと笑う。
心が白いままでいる方が難しい事を。アメリア自身が負の対象である事を。攻略対象ではないこの国の騎士達だが、悪評は確実に攻略対象達の善意を蝕む事を知っている。だからこそここでも、彼女は小さい波紋を作る為に石を落とすのだ。
「御機嫌よう。中に入れてもらえるかしら?」
印の部分を後ろへくるりと回し、日傘で顔を隠して門を守る騎士へと声をかける。
やる気のなかった騎士すらも声をかけてきた少女に警戒心を強め、睨みつけた。彼らからスターチス公爵家の印は見えない。
騎士たちは槍をクロスさせ、城門への道を閉ざす。
「お嬢さん、謁見かい?」
「…いいえ」
「約束もないのであれば通す事は出来ないよ」
王への謁見の約束はない。それには嘘はない。だが、彼らにアメリアを止める事は本来なら出来ない。彼女はこの国の王子、ジークライドの婚約者である。婚約者に会いに来たと一言入れればすんなり入る事は容易だろう。それ程にアメリアは良くも悪くも有名なのだ。
だが目立つ容姿の顔を隠して見えない様にさせ、印すらも騎士達の目から遠ざけている現状では、一令嬢が城に入りたいと駄々をこねているようにしか見えないのだろう。
この国の騎士はまだ捨てた物じゃないなとアメリアは内心思う。
口元が持ち上がるのが止められない。
(ちゃんとやる事は出来る騎士の方々のようですね。良かった、よかった!)
アメリアは考え込むようにして騎士達の服装を盗み見る。彼らが第何師団に所属しているか見極めているのだ。
彼女が今日この場所に来た理由は、第五師団の調査だった。
城門を守る騎士達が第五師団の者ではない事が分かると、アメリアはくるりと日傘を回す。
「あら、ごめんなさい。わたくし王子に用がございまして…」
「は…?」
「…っ!?その印!!申し訳御座いませんが、素顔を拝見しても…」
やる気のなかった騎士が眉を顰めるが、もう一人の騎士が日傘の印に気づくとあからさまに動揺した。それもそうだろう。自分達よりも高位のこの国の公爵家の印だ。
だが騎士は念には念を入れる。
四大公爵の顔を知らない騎士はいない。そしてその子息、令嬢の事は共に頭には入っている。なり変わる事はできない。
アメリアもそれを知っていて、ゆっくりと日傘をずらす。
「ええ。御機嫌よう騎士様」
「あっ…あぁ…」
「アメリア…公爵令嬢…」
二人の騎士は美しく微笑むアメリアに目が奪われた。しかし常識を持ち合わせていた騎士は頭を振り、意識を持ち直し、頭を下げる。
魅了魔法は構築していない彼女だが、容姿は美しく、とても可憐である。
アメリアは未だ自分に目が奪われているやる気のなかった方の騎士の手を取り、見上げた。
「通して下さるかしら?」
「…はい」
感謝は述べない。道が開きそのままアメリアは城の中へと侵入する事が出来た。
一連の流れを見ていた常識のある騎士は思う。
彼女が噂通りの人間ならば…危険だろうか…、報告しに行かねばと。
そして手を握られたやる気のなかった騎士は思う。
噂通りの尻軽なら…と。
それを分かっているかのようにアメリアはヒールを鳴らす。
(一人の騎士さんは常識があって、ちゃんとお仕事してますし、マルです!あの騎士さんは駄目ですねー。暴漢してきた男性たちに目が似てます。やだやだばっちぃ)
鋼鉄の精神と魂のアメリアは進みながら騎士達の評価をしていたのだった。
この騎士達への行動は彼女が起こす悪評へと繋がる。街の人々は騎士達を見ていたのだ。
遠くから眺めていたが一人は仕事をしていたようだったが、一人は誑かされていたように見えたのだ。小さい噂は波紋となり、街へと広がっていった。
(街の人達の評価はどんどん下げましょうねー♪お父様の胃が心配ですけど、フラグが半分くらいべこべこなんですから、未来の為に頑張りませんと!)
鋼鉄の精神と魂のアメリアはこれから第五師団調査へと入る。




