幕間―とある侍女―
ライラ視点
風の囁きに深い眠りからゆっくりと覚めた。
この空間の時間の流れは外の世界とは違った状態で、長い時間この空間で眠っていたとしても、外の世界の時間は進んでいない不思議な時の流れを持っている。
アメリアお嬢様の魔力に当てられ、思ったよりも体が重く感じる。
あの小さな体のどこに、あんな魔力量を持っているでしょう…。
齢7歳にしては他の御子息、御令嬢より才の芽が育つのが早い私のお嬢様。
ゆっくりと閉じていた瞼を上げて、見上げるは空。
アスターは本当にこの春の陽気が好きですね。お嬢様も春の生まれですし…二人は本当に似ていらっしゃる。
穏やかな気候。澄んだ空気。どれもが私が愛したアスターが好んでいたものだ。
初めてこの空間にやってきた時、アスターが自分に隠しごとをしていた事にかなり腹立たしかったが、精霊力しか持たない筈の体の弱い彼女がこの国にやってきたのだ。逃げ道も必要だったのだろうと、落ち着いて考えてみれば分かった事だ。
アスターを愛していた聖霊達は今どうしているんだろうか…。
ゆっくりと流れる雲を見つめ思う。彼女が亡くなった事は聖霊や精霊達も、人間も種族を飛び越えて悲しんだ。アスターは色々なものに愛されていたと思う。
一部の分からず屋共はお嬢様を産んだから、お嬢様さえいなければ死ななかったと騒ぎ立てていたな…。あの時は何も思わなかったが、私のお嬢様への暴言ね…。そっとお説教をしておきますか。
アスターの葬儀で口々に聞こえてきた小さな闇を、生まれたばかりのお嬢様に聞かれていなくて本当に良かった。聞こえていても生まれたばかりの私のお嬢様だ。分かる訳もないが、必要のない事は避けておくに限る。
あの時、私もアスターを失った事のショックで気にも留めていなかったのがいけない。あれらは直ぐ様処理しておくべきだったと、今更ながらに後悔している。
少し前の事を思い出していると、近くに居た筈のお嬢様の姿が見当たらない事に気づく。
あの木の下にいらっしゃるのでしょうか?
未だ回復しきれていない体をゆっくりと起こし、お嬢様が居るであろう一本立つ木の下へと視線を向ける。
案の定、私のアメリアお嬢様はそこに座っていた。
小さい体で何やら机に真剣に向かっているようだ。
「課題…でしょうか?」
シートの上にあったいくつかの本はそこには無く、机の上に広げ置かれているのが少し遠いが分かった。
あのじじいからの課題を真面目にこなしている小さな背中を見つめ、思う。
「お嬢様。いつになったらその背中の、体の傷を私に話して下さいますか?」
――いつか話す。
そうお嬢様は私に仰った。それまで聞かないで欲しいと。傷の事を含め仰っていたのだろう。約束して下さった事は素直に嬉しく思うが、お嬢様の体にある無数の傷を思い返しても、殺意しか起こらない。
あの娼婦が、ダリアという女がつけたのは分かっている。
人前ではロイド様の奥様としてちゃんと敬称付きで呼ぶが、本当ならあの女の名前すら呼びたくはない。私のアスターを傷つけたばかりでなく、その宝である私のお嬢様にまで手を出しているのだ。正直な所さっさと処理してしまいたい。
公爵夫人という立ち位置が少し問題にはなるが、出来ない事はないだろう。
まぁ…それをお嬢様は良しとしないのですけどね…。
歯痒い。
許可さえ頂けるならば直ぐにでも手を下せると分かっているのに、お嬢様は私の性格を良く分かっていらっしゃる。絶対にその手の話はしない。あの女は表向きの顔は清々しいまでに仮面を被って、私やアーク以外の使用人にはあの女の性根は見抜けないとはっきりと言えるほどの役者っぷりだ。公爵夫人という仮面はとても良く被れている。
そんな女にロイド様ははめられたのだろう。
いくら話を聞いても明らかに不自然な点が多すぎる。あのアスターを射止めたロイド様がそんな失態を犯す筈もない。
不自然なまでに自然な流れで、あの女はこの屋敷にやってきて、居座った。
そしてお嬢様に手を出した。
あぁ…今怒りで我を忘れてはいけない。
ふつふつと燃え上がる怒りの種を理性で押し殺し、沈める。昔から感情は殺して来た。慣れた物だ。
何度か大きく息を吸い、吐き出して落ち着きを取り戻させる。
木の下に居るお嬢様には気づかれていないようだが、あの女の事を考えると私の混沌の扉が開きかける程に危うい。
それもこれもお嬢様が何日も眠っていた時に、体を拭いて傷に気づけたからだ。
気づいた時に本人に問い質す事すら出来ない状態で、小さい体に幾重にも重なった傷は、普段のお嬢様の服からは見えない位置に存在していた。
そんな状態になるまで私は気が付けなかった。
その予兆はあったというのに、大丈夫。気にしないで。とお嬢様に言われてしまうと「そうか」と納得してしまう自分がいた。それ以上聞き出す事すら出来ない自分が。
何故あの時深く追求しなかった…?
今思い返しても分からない。お嬢様がそうだと仰れば、例え間違っていても、“そうだ”と思ってしまう事が多い。訂正するような事を言う事もあるが、基本その考えから抜け出せない。
ゆっくりと首を振り、息を吐く。
いくら考えても分からない。ただお嬢様が望むのであれば、そうしてあげたいと思うのだ。
証の力なのか、従えと言うのであればそうする以外に私には選択肢はない。心から授けた相手は、アスターではなくアメリアお嬢様なのだから。
私が気づいている事にお嬢様は気がついているのでしょうか…?
ロイド様、アークのこの屋敷にいる二名からお嬢様の魔力を感知した。アークは書庫での馬鹿な事をした罰ではあるけれど、ロイド様はアグリア様がやってきた時に二人で話されてから付与されていたようだった。
一体何をお嬢様に…。
自然と口から舌打ちが出てしまう。
お嬢様から魔法を構築されるなんて羨ましい!
この国の魔力を使う魔法は良く分かっていないが、二人に構築された魔法はかなり高度な物だと理解できる。それ以外に分かる事と言えば、触りたくないと本能で感じる事だけだろう。
男性二人に魔法を構築するのに、自分を攻撃しているあの娼婦……ダリアには構築しないお嬢様。
「全て“いつか”話して下さるのよね…」
自分の中に残る怒り、嫉妬全ての感情を抑え込み、お嬢様の仰る……いつかを待つ事に決めた。話しさえ聞き出せればさっさとあの女は処理してくれる。その為の力を私達フリージアは持っているのだから。
お嬢様なるべく早めに教えてくださると私の心が平穏です。
机に向かう小さな背中に苦笑を一つ送る。
「それにしても…何の課題に取り組まれているのかしら?さっきの物なら魔道具を通して、後でじじいと話せば済むような内容だと思うのだけど…」
真剣に机に向かっているお嬢様にゆっくりと立ち上がって近付く。
普段なら足音をわざと人のように鳴らしている私だったが、ついお嬢様が何を書いているのかが気になり過ぎてそれを怠ってしまった。
普通に歩けば、私とアークは足音、気配が全くさせない特訓を受けてきたので、普通の人間のように生活をすることすら大変だったりする。お嬢様の頼みごとなどは簡単にこなせるので、その点には教えてくれた―叩きこんでくれた―親に感謝はしておく。
精霊魔法とそれを使えばあら不思議、瞬間的に移動が可能という便利具合。
そういえばそれでアスターに、「今日!今すぐ!庭に出たいから一瞬で!運んで!さぁ!」と良い笑顔で言われた事あったわね…。
一部の人達がアスターの遺産という言葉を使っていたが、アグリア様から聞いた話。アスターの遺産は即ち、周りから見てアスターの便利道具という意味も含まれていたらしい。
と言う事は、あれか?私は移動便利道具って意味だったの?
アスター…本当に天国で待っていなさい。探し出してお説教です!
私とアークがアスターの遺産と言われている事は知っていたが、移動する事に私は多く使われていた事を思い出して、天国で幸せに暮らしているであろう彼女に念を送った。是非とも真実を聞かせてもらいたいところだ。
私は剣であり盾であって、移動道具では決してない。
そうこうしている内に、お嬢様の座る椅子の二歩後ろ辺りまで接近していた。
足音を鳴らすのを忘れてしまっていたけど、もういいか。話しかければいい話だ。
そんな事を思っていたら、羽ペンを綺麗に動かしているお嬢様が私の名前を撫でているのが目に入った。
お嬢様!?なんですか!?撫でるなら私を!!!
興奮しそうになるのを内面で抑え込み、声をかけようと口を開いた…その時。
お嬢様から小さな声が聞こえてきた。
「アークを連れて…ブルームーンへ帰ってください」
「―――っ!!」
おじょうさま……―?
思考が停止する。上手く息が出来ない。いつもなら抑え込める感情が内面で暴れる。
どうして…。
何度見てもアメリアお嬢様は私の名前を撫で、私の名前に向かって瞳を向けている。
私はどうやって呼吸していた。どうやって立っていた。
それすらも分からなくなりそうな程にお嬢様の言葉は私へと突き刺さった。それはまるで、いつかの小屋の中で受けた短剣のように。
痛む胸を押さえ、何かの間違いだと、聞き間違いだと訂正してほしくて、手を伸ばしかけた。
小さな体のお嬢様の頭がゆっくりと机に沈んでいく。
眠気がきたのだろうか。だが、眠る前に…。
気配を、足音を出す事を怠らなければ、きっと聞けなかっただろう。
お嬢様は眠たげに――
「ライラに…気づかれない様に…、かえって、もらわないと………」
と。
何分、何時間経ったのだろうか、時間は経過しておらず、一瞬かもしれない。
目の前が真黒に染まった。
どくりどくりと激しく鼓動する心臓は背中からも振動しているかのように、耳の奥でも聞こえる。動揺を隠しきれない。
目の前で眠る小さな主人は、私に気づかれない様にと口にしていた。
確かに眠気が勝っていて、たどたどしさはあったが、はっきりと聞きとる事ができた。お嬢様は約束したというのに。いつか話すと。
それなのに、小さき主人は…私に気づかれない様にアークと私をブルームーンへと帰す考えでいるようだ。
怒り狂いそうだ。
怒鳴り散らしてしまいたい。
一体私が何故証を授けているのか分かっていない!
私はアメリア・ド・グロリア・スターチスの剣であり盾だ。
それを本人に気づかれず、ブルームーン国に帰すだと…?
何を言っているんだこの主人は…。
自分の中にある違和感、不信がぐるぐると脳内を占拠していく。
一瞬脳裏にユリ様の陰。
証を授けた相手が……間違いだった……?
ザァと強い風が吹く。
「っ!私は…何を考えて…」
思考が戻る。耳の後ろで激しく脈が鳴る。
今私は何を考えていた…?!
自分の考えに心がざわめく。お嬢様を信用すると、信じると決めたそばだというのに…、私の心はお嬢様を疑い、仕舞には証を授けた事すらも間違いだったと思い込もうとした。
吐き気がする。
アスターの時にそんな事は感じも思いもしなかった。
一体どうしたというのか。
私が一番じゃないのはアスターの時だってそうだったじゃないか。それだというのに、私の心が、今の主を、アメリアお嬢様を疑う。
「馬鹿な…愚かな…私は……」
先程の風が吹かなければ、私はこの場所でお嬢様に何をしていたのだろう。想像もつかない。ただ、先程までの自分の考えに頭を振る。
水があれば被りたいわね…。
手で激しく自分の頬を叩き、この穏やかな空間に似つかわしくない音を響かせた。
喝が足りない。
お嬢様を疑うなど笑止千万と自分に自分で喝を入れたが、少し足りない。どうするか考え、のちほどアグリア様に叱って頂こうと心に決める。
アグリア様は恐怖対象ではあるけれど、相手としてこれ以上の方は存在していない。
下を向き、目を閉じる。心を落ち着かせ、いつもの私へと戻す。
さっきの風はアスター?……あなたの空間だものね。ありがとう。
亡くなっても尚消えないこの空間を創りし愛した人は、風となって私を叱ってくれたようだ。感謝を心の中に。
瞳を開き、眠りこけている私の可愛いお嬢様を起こしにかかる。
「お嬢様起きてください。そろそろ戻りませんか?」
私の可愛い可愛いお嬢様。
どうか私を捨てないで。
私に貴方を守らせて下さい。
次回予告≫
次回は本編に戻ります。




