◆エピローグ
「うぅ~……あと何回往復すればいいんだろ……」
私はぐったりしながら椅子に座り込んだ。いまいるのはグランツ城の屋上庭園。多忙な日常からくる疲労を吹き飛ばしたくて、外の空気に当たりにきているところだった。
「なかなかきつい仕事だよね、これ」
「一度に浄化出来れば楽なのでしょうが、数に限りがありますからね」
2体のドラゴンを討伐してから半月。私は何度も商業都市クラドルカに出向いてはゾンビを浄化。救出した人々をグランツ王都に連れ帰るという遠征を繰り返していた。
そのまま商業都市のそばに拠点でも築ければいいんだけど、大事をとっての選択だ。とはいえ、半日かけての移動はやっぱり体に応える。舗装された道に車があればすぐなんだろうけど……こればかりはないものねだりだ。
「ま、最後までちゃんと頑張るけど」
「ご立派です、ミズハ様」
「そもそも自分から言い出したことだしね。っていうかレックスもかなり疲れてるんじゃない? 私と違ってゾンビをおびき出したりもしてるし。大丈夫?」
「私のことなら心配いりません。鍛えていますから」
力強く右拳を胸元にどんっと当てるレックス。
さすがの超人。強がりでもなんでもなく本気で疲労を感じていなさそうだ。とはいえ、体のほうはともかくとして精神的な疲れはきっとあるはずだ。それでもやっぱり嫌な顔ひとつしないあたり本当に強い人だな、と思う。そしてそんなレックスがそばにいるからこそ私も頑張れる。
「……いつもありがと」
私はぼそりと言った。なんだか改まって口にするのが恥ずかしかったのだ。そんな私の突然のお礼に、きょとんとするレックス。でも、次の瞬間にはにこりと爽やかな笑みを向けてきた。
「ミズハ様の騎士ですから当然のことです」
「そうだけど、そうじゃなくて……」
「安心してください。ミズハ様のお気持ちはしかと伝わっています」
はっきり言わない私が悪いんだけど、これは伝わっていない気がする。私は聖女と騎士って間柄だけでお礼を言ったわけじゃなくて……ああ、もうっ。こういうことを考えるのは苦手だ。もどかしい気持ちを消すためにも、さっさと話題転換するに限る。
「そう言えば、あれってどうなった?」
「あれ……とは?」
「ほら、コドベンさんの家族のこと。今回の遠征で見つかったって話だったから」
クラドルカで浄化した人々は漏れなくグランツ王国による身元確認がされている。運よくその場で縁者と合流できればよし。できなくとも今後、新たに救出された際に円滑に合流できるようにとの理由からだ。
「そのことでしたか。後ほど改めてご報告する予定でしたが、無事に面会できたそうです。とても喜んでおられましたよ」
「そっか、それならよかった」
「ミズハ様にお礼を述べておられました。本当にありがとうございます、と」
もとより私はこの世界すべてを浄化するつもりだった。でも、漠然とした目的だけを見ていて、国同士の争いといった問題を直視していなかった。
そんな私にちゃんとこの世界のこととか、私自身が今後どんな道を進んでいくのかとか考えるきっかけを作ってくれたのはコドベンさんだといっても過言じゃない。拉致されたのは散々だったけど、あの人が救われたなら素直に嬉しい。
「ていうか面会ってまだ牢から出られないんだ? もうよさそうな気もするけど」
「イーリス殿のときとは違い、いまやミズハ様は陛下直々に聖女であると正式に認められています。そんなミズハ様を拉致した罪を軽くすることは今後にも影響しますから」
「あ~……そういう事情もあるのかぁ」
私自身にも深く関わることだ。護衛してもらっている身として安易に釈放してほしいなんて言えなくなってしまった。
「とはいえ、危害を加えられたわけではありませんから。そう長くはならないと思います」
「ならよかった。やっぱり家族は一緒にいたほうがいいしね」
異世界に残ることを選んだ私が言えたことじゃないけど。でも、互いに望んでいるなら一緒にいるべきだと思う。
「お姉様、お茶にしませんか?」
柔らかな声が聞こえてきた。見れば、庭園に繋がる柱廊にシアが立っていた。そばには幾つかのティーセットが乗ったワゴンもある。
「もしかしてそれ、シアが用意してきてくれたの?」
「はい、最近のお姉様はいつにも増してご多忙のようでしたから。茶葉も疲れているときに落ちつけるものを選んできたんです。どうですか?」
本当にこの子はなんて出来た子なんだろうか。遠くのほうでシアを見守る兵士さんや侍女さんたちがいる。1人ですると突っぱねてきたのが容易に窺える構図だ。なんともいじらしい。
「もちろん頂く! 頂きますっ」
「よかった……! では、少々お待ちください。すぐにそちらへお持ちします」
ティーセットを乗せたトレイを両手で持ち上げるシア。なんとも危なっかしいその姿を見て、レックスがすかさず駆け寄ろうとする。でも、すぐさまシアの視線に制されていた。
「大丈夫です、レックス」
「で、ですが……」
「お願いします。わたくしにはこれぐらいしかできませんから」
シアは浄化作戦に参加できないことをいつも悔やんでいる。そんな想いがありありと感じられる言葉だった。
シアは愛らしく眉を歪めながら、その後もゆっくりと歩を進める。終始ふらふらとしていたけど、なんとかティーセットを庭園のテーブルに運び終えた。小さな口を開いて、ふぅと安堵の息をこぼすシア。相変わらずどのしぐさひとつとっても可愛い子だ。
「やっぱりシアは癒しだなぁ」
「い、癒し……ですか。よくわかりませんが、お姉様のお役に立てたのなら嬉しいです」
思わず私がもらしてしまった心の声に、首を傾げつつも笑顔で応じてくれるシア。天使がいたとしたら、きっとこんな感じに違いないと今以上に思ったことはない。
「そう言えばナディさんは一緒ではないのですね」
シアが茶の準備をしながら疑問を口にした。用意されたカップが4つなあたりからして、ナディちゃんにも振舞うつもりだったみたいだ。
「お母さんに挨拶しにいきたいから一度ルコルの村に戻るって。ほら、明日アレがあるでしょ?」
「なるほど、そういうことでしたか」
アレと説明しただけで納得してくれた。そう、それだけ明日はナディちゃんにとって……ううん、私にとっても大事な催しが行われる予定だった。
◆◆◆◆◆
翌日。謁見の間に多くの人たちが集まっていた。大半が貴族の人と近衛騎士団の人たち。あとは今回の主役といっても過言じゃない──ルコルの人たちだ。彼らは玉座に座る王様を前にして片膝をついている。
ちなみに私はレックスと一緒に玉座近くの隅でその光景を眺めている。
「──此度のドラゴン討伐遠征において大いに貢献してくれたそうだな」
「我々は聖女様にこの身を救って頂いた御恩を返したまでです」
王様の問いにそう答えたのはテオスさんだ。
「聖女殿はこの世界においてもっとも重要な存在だ。その聖女殿を守った功績は決して少なくない。ルコルの者たちよ、わずかばかりではあるが褒美を受け取るがいい」
「ありがたく頂戴いたします」
この式典は言ってしまえばドラゴン討伐遠征に参加し、とくに活躍したルコルの人たちを労うためのものだ。兵士さんたちから幾つかの木箱やら袋やらを受け取るルコルの人たち。中にはきっと高価な宝飾品が入ってるに違いない。
というか、結構前に頼まれて宝物庫を浄化した覚えがあるんだけど……いや、忘れよう。ご褒美の品に私の唾液がかかっているなんて誰も知りたくないだろうし、私としても申し訳ない気持ちで一杯だし。
「そしてナディ・オル・テオス・ラ・クイム・ロム・ルコルよ」
「は、はいっ」
王様に名前を呼ばれて、上擦った声で返事をするナディちゃん。見るからに緊張しているのがわかる。少しでも小さく見せようとしてか、耳はしゅんと縮こまっているし、尻尾もくるんと丸まっている。見慣れたとはいえ、やっぱりナディちゃんが見せる耳と尻尾のしぐさは最高に愛らしい。
「兵たちからそなたの活躍を聞かせてもらった。誰もが手を焼いていたドラゴンをたった1人で落とした、と」
「たしかに私はドラゴンを落としました。ですが、私1人の力だけではとうていかないませんでした。皆が注意を引いてくれたから……大切な友達が勇気をくれたから、なんとかドラゴンを落とせたのです」
緊張しきっていたナディちゃんだけど、その説明をするときだけはどこか堂々としていた。あと〝大切な友達〟と言ったときにちらりと私のほうを見てくれていた。
「それでも、ただ1人ドラゴンを射抜けた事実は変わりない。よって、そなたには特別にミーティア勲章を与える。これは我が初代グランツ王が弓の扱いに最も長けた者に贈ったものだ。その者が射る矢は、まるで流星のようだった、と」
「あ、ありがたく頂戴いたします……!」
こわばった声で応じるナディちゃん。きっと畏れ多いなんて思っているに違いない。私は元になった人たちのことは知らないけど、要するにナディちゃんの弓の腕が認められたってことだ。自分のことのように嬉しくて仕方なかった。
その後は形式的な段取りで式典は終わり、そのまま舞台は迎賓用の大広間へと移動。そこで私のような庶民出には縁遠いパーティなるものが始まった。参加者はドラゴン討伐遠征に赴いた人たちがほとんどだ。約1名、開始早々に宗教勧誘をしはじめて追い出された人はいたけど。
「料理も随分と彩りが増えてきたね」
私はあちこちのテーブルに置かれた料理を見回しながら言った。
当然だけど肉料理に関してはひどく乏しい。でも、レックスが言うにはいずれ生産体制が整って増えていくという。私としてはそれまでにボンレスハムだった動物たちから繁殖したという事実をなんとかして記憶から抹消したいところだ。
「これもミズハ様が貴重なだ──」
「だ、なんて?」
「聖水を恵んでくださったおかげです」
私の圧に屈してレックスが即座に言い換えた。主従関係とかどうでもいいと思ってるけど、こういう点に関しては存分に立場を利用していきたい。
「それにしても……ナディちゃん、すごい人気だね」
「無理もありません。今回の主役といっても過言ではありませんから」
会場の中央に目を向ければ、ナディちゃんを中心に20人ぐらいの兵士さんたちが集まっていた。全員が少し興奮した様子でナディちゃんに話しかけている。
「ナディ殿が最後に放ったあの矢は実に見事でした」
「ああ、俺もあのときは思わず見惚れてしまった。そうだ、よければ今度俺に弓の指南をしてもらえないだろうか?」
「それならば私にもお願いしたいのだが」
「ずるいぞ。俺も頼みたい! ナディさん、ぜひっ!」
「あ、あのあの……えっとっ」
誰からどう答えたらいいかわからないといった様子でたじたじのナディちゃん。助けにいきたいところだけど、パーティは始まったばかりだ。兵士さんたちもナディちゃんと話をしたいだろうし、もう少し様子を見てからにしよう。なんて考えていたら、視界の端に見知った顔を見つけた。
「ピーノくん、浮かない顔してるね」
「こういった空気があまり好きじゃないだけだ」
「それでも来てるあたり律儀だよね」
「僕としては思うところがあったからな」
「……思うところ?」
「ドラゴンが2体いたのは予想外だった。すまない」
目を少し伏せながら、そう謝罪してくるピーノくん。私は思わずきょとんとしてしまった。
「まさかそれを言うためだけに来たの?」
「……悪いか?」
「いや、悪くはないけど……たしかにドラゴンが2体いたのは予想外だったけど、あんなの誰もわからないし、ピーノくんが謝る必要なんてないよ。大体、私からお願いして始まったことだし」
「そんなもの、話を受けた時点で僕の責任だ」
「でも、結果的に成功したんだし。それもこれもピーノくん考案の矢と冠水作戦があったからだよ。ね、レックス」
「はい、あの討伐遠征はピーノ殿の作戦あってこその勝利です」
プライドが高いのかただの負けず嫌いなのか。いずれにせよ、ピーノくんの不満げな顔はまったく変わらなかった。どうにかしてこの不愛想な顔を崩せないかな、なんて考えていたとき。
「お姉様っ」
最強の矛──じゃなくて、シアの声が聞こえてきた。振り向いた先、駆け足で向かってくるシアが映り込む。周囲の目を気にして慌てて楚々とした歩き方に戻しているあたり、王女様も大変だなとつくづく思う。そして私のおてんばな部分が移りはじめている気がして罪悪感もたんまりだ。
「シアも来られたんだ」
「はい、あまり気を遣わせないようにとお父様から注意されましたが」
今回のパーティには位の高い人たちは出席していない。きっと兵士さんたちが委縮しないようにとの配慮からだろう。実際、シアが来たことでかしこまる人たちがたくさんいた。
そんな彼らに、シアが「皆様、私のことは気になさらずにどうぞ楽しんでください」と声をかけたことで徐々にではあったけど、さっきまでの賑わいが取り戻された。
シアが可愛らしいしぐさで少し横にずれると、私の後ろに立っていたピーノくんに向かってにこりと微笑みかけた。
「こんにちは、ピーノ様。来てくださっていたのですね」
「あ、ああ。聖女殿に少し用事があってな」
いつも通りシアを前にしてよそよそしくなるピーノくん。さっきまでの不愛想な顔が残っていたのか、シアが私に疑問の目を向けてきた。
「どうかされたのですか?」
「それがね~、ピーノくんが素直にお礼を受け取ってくれなくて。ほら、今回の討伐遠征の作戦を考えてくれたの、ピーノくんでしょ」
「だから、それは完全ではなかったからと言って──」
「その件でしたかっ」
必至に反論しようとしたピーノくんの声を遮る形で、シアが声をあげた。そのまま歩を進めると、ピーノくんの右手を両手で優しく握りはじめる。
「今回の討伐遠征において、ピーノ様の案が大いに力となったことはわたくしも聞き及んでいます。お姉様の妹として。そしてグランツ王国の王女として、改めてお礼を言わせてください。ピーノ様、本当にありがとうございます……!」
シアの純真な感謝の気持ちを受けて、さすがのピーノくんも反論できなくなっていた。というかピーノくん、異性と握手をしない主義だったはずだけど、あっさりと握られている。
やっぱりシアは例外みたいだ。ついでに耳まで真っ赤のピーノくん。そんな微笑ましい光景を前に私が口元を綻ばせていると、ぎろりとピーノくんから睨まれてしまった。
「な、なんだその顔はっ」
「なんでもないですよ~!」
恥ずかしさが頂点に達してしまったらしい。ピーノくんが慌てつつもシアの手をそっと離すと、そっぽを向いてしまった。
「用は済んだし、僕は帰らせてもらう」
「そうなのですか? 来られたばかりなのでは……」
「シアもこう言ってるし、少しぐらい楽しんでいったら?」
「悪いが、さっきも言った通りこういう空気は苦手なんだ。大体、聖女殿は僕なんかよりももっと気にするべき者がいるだろう」
そう言い残して、早々に広間から退出してしまうピーノくん。相変わらずあとくされがないというかなんというか、あっさりしている。とはいえ、今回に限ってはシアとの触れ合いもあって後ろ姿に余裕がなさそうだけど。まさに年相応といった感じだ。
それにしても、もっと気にするべき者って誰のことだろ? そう疑問に思いながら辺りを見回してみる。と、ナディちゃんを囲む集団がさらに増えていた。しかも──。
「ルコルの女性がこれほど素敵だったとは、もっと早くに知っておきたかった」
「本当にその通りだ。なんと愛らしい耳に尻尾か……!」
「ナディさん、いまお付き合いしている人とかは……?」
いつの間にやらパーティが始まったときの硬派な話題から一転していた。たぶん、周囲よりも先んじて仲を深めようとしているんだろうけど、言い寄る男の人たちの圧がすごい。レックスもその光景を見て、唖然としていた。
「……ナディ殿、すごい人気ですね」
「可愛いうえにスタイルいいしなあ。そりゃモテるよね」
「はい、ナディ様はすごく素敵な方ですから。お姉様の次に」
さらりと私を推してくるシアの一言はともかくとして。ナディちゃんの外見に関しては前から変わっていないけど、きっと勲章を授与されたことでそういった面にも注目が集まったのだろう。
べつに悪くないことだし、私としてもナディちゃんの可愛さが広く知られて嬉しい限りだ。でも、ナディちゃんを困らせるのはよろしくない。
「ミ、ミズハちゃ~ん……」
私が見ているのを感じ取ったのか、半泣き状態の目を向けてくるナディちゃん。助けを求められたことだし、これ以上様子見するわけにもいかない。
「はーい、どいてくださーい。どいてくれないとさっきゾンビを浄化してきたばかりの手で触っちゃいますよ~」
そう忠告しながら右手を前に突き出すと、ナディちゃんの周りに集まっていた人たちが勢いよく離れていった。まるで家の中に虫が出たときを思わせる過剰な反応だ。
「……ね、レックス。自分でやっといてなんだけど効果抜群過ぎない?」
「多くの者が身をもって知っていますから」
「冗談なのに……ちょっと傷つきそう」
ナディちゃんは守れたからいいけど。でも、この方法は自分のためにも今後なるべく使わようにしよう。使えば対価として少なくない尊厳が失われていく気がする。なんて本気でへこんでいると、ナディちゃんが両手で私の右手を握ってくれた。
「だ、大丈夫だよっ。ミズハちゃんはいい匂いだからっ」
「それに温かくて、人を救える優しい手です」
ナディちゃんだけでなく、シアも私の右手にそっと包んでくれる。
「ありがと、そう言ってくれるのは2人だけだよ」
私が2人のありがたい慰めを噛みしめていると、なにやらレックスがひどく真剣な顔を向けてきた。
「ミズハ様、私もナディ殿と同じように思っています」
「レックスが言うとなんか変態っぽいからいまのは聞かなかったことにする」
「な、なぜ私だけっ」
嬉しくないわけじゃないけど、衆人環視の中で異性からそんなことを言われる身にもなってほしい。ひとまずデリカシーのないレックスは置いておいて。私は改めてナディちゃんと向かい合った。
「それよりごめんね、もう少し早めに助けにくるべきだったね」
「ううん、こうして来てくれたし大丈夫だよ」
本当に純粋でいい子だ。少し困った顔のナディちゃんが可愛かったなんて口が裂けても言えない。
「少し遅れちゃったけど……おめでと、ナディちゃん」
「ありがとう。これもミズハちゃんのおかげだよ」
「私はなにもしてないし、ナディちゃんの実力だよ」
「ううん、ミズハちゃんがそばにいてくれたからだよ」
互いに譲りあっての平行線。ドラゴンを討伐してからずっとこの調子だ。だからか、おかしくて2人してくすくすと笑いあってしまった。ちなみに妥協案はもう出ている。〝2人で頑張った〟だ。
「それが勲章なんだね。なんだかちょっと……古い感じ?」
私はナディちゃんの胸元につけられた勲章を見ながら感想をこぼした。精緻な金細工が施され、素人目にも繊細さを感じられる。ただ、素地が少し暗めの質感で華やかさとは程遠い印象だ。
「かなり昔に造られたものですから。材質も多くが青銅ですし」
そう説明してくえたのはシアだ。さすが王族。勲章を与える側とあって詳しいらしい。
「新しく造ってくれればよかったのにって思ったけど、こんなご時世だしね」
「たしかに古くはありますが、価値は決して低くありません。むしろ、より増しているかもしれません」
誇らしげにそう口にするシア。いわゆる年代物というやつだろうか。私にはそのものの価値はわからないけど、ナディちゃんが認められた証だと思うと、とても価値があるように感じられた。
「にしても、ちょっと大きいね」
「うん、重くて普段はつけられないかな。残念だけど」
勲章を触りながら苦笑するナディちゃんに、シアが「問題ありません」と口にした。
「勲章は授けられたこと自体が大きな意味を持ちますから。平民の方が授与された場合、その位は騎士となります」
「その話は聞きました。でも、本当にいいのかなって。私なんかが騎士って……」
「聖女であるミズハ様を守るにはきっと必要になると思いますよ」
レックスが微笑を浮かべながらそう答えた、直後。「ミッズハー!」と聞き慣れた声が後ろから飛んできた。今回のパーティはドラゴン討伐遠征の参加者が集まっている。当然ながらキースさんも参加していた。
また面倒な人が来たなと思いながら私は振り返ったけど、すでにキースさんは兵士さんたちに両脇を掴まれていた。その光景を見ながら、レックスが淡々と話を続ける。
「このように貴族の方がミズハ様に言い寄ってきた際、籍だけでも王国に置いていれば追い払っても問題にはなりませんから。ロワダン卿、申し訳ありませんがご退場願います」
「また邪魔をする気かレックス・アーヴァイン! これから私はミッズハーと共に生き抜いた遠征時の劇的な思い出を語らうところなんだ! 放せ! このっ」
そもそもキースさんと一緒にいた時間はほとんどないというのに……相変わらず妄想の激しい人だ。なおももがきながら連れ去られていくキースさん。普段温厚なシアもさすがに「本当に困った人ですね」とまなじりを下げて呆れている。ナディちゃんも「あはは」と苦笑していた。
「た、たしかに必要になりそうかも……」
用途のほとんどが対キースさんとして使われそうなあたりどうかと思うけど。でも、ナディちゃんが不当に罰せられるようなことがなくなったのは嬉しい限りだ。
「ナディ、ちょっといいか?」
キースさんの騒ぎで少し場が落ちついていたこともあり、その声の深刻さが伝わってきた。見れば、ルコル族の男性5人組がそばに来ていた。なにやら全員が真剣な顔つきだ。
「皆、どうしたの?」
「その、……か……たな」
「……え?」
「悪かったって言ってんだよ」
自棄気味に聞こえる声だけど、心がこもっていることはばつの悪そうな顔からありありと伝わってきた。1人が謝罪から切り出したのを機に、彼らは代わる代わる話しはじめる。
「お前のこと、役立たずだとか無能だとか言ってよ」
「族長の娘なのにってのもたくさん言った」
「あと……巨人とかデカブツとかも」
「あ、ああ、そのこと。私はべつに気にしてないよ」
「気にしてないって、お前そんな軽く──」
「だって本当のことだったし」
ナディちゃんはまなじりを下げつつも、どこか淡々と応じていた。これまでの落ち込んでばかりのナディちゃんと違っていたからか、ルコル族の男性たちが揃って目を瞬いている。
「私がルコルの人間として力不足だったのは間違いないよ。っていうか実際にいまもそうだと思うし」
「でも、お前は俺たちが当てることすらできなかったドラゴンを射抜いただろ」
「だとしても私1人の力じゃ無理だった。ミズハちゃんが勇気をくれたから矢を射られたし、矢を上手く当てられたのだって皆がドラゴンの気を引いてくれたからだよ。そうだ、あのときのお礼、まだ言えてなかった」
ナディちゃんは優しく微笑むと、「ありがとう」と口にした。その純粋で眩しい笑みを前に、ルコル族の男性たちが揃ってたじろいだ。心なしか顔が赤らんでいるようにも見える。
「お前、変わったな」
「そうかな?」
「ああ、変わった。その……なんていうか、よくなったと思う」
「……? だとしたら良かった」
首を傾げつつも笑顔で応じたナディちゃんを前に、ルコル族の男性たちがあからさまに目をそむけた。
あれって好きな子ほどいじめたくなる小学生男子みたいなあれかな。果たしてこの異世界で、しかも人間じゃない異種族にまで適用されるかはわからないけど……大方間違っていなさそうだ。
ナディちゃんに悪口を言う嫌な人たちって印象だったけど、こうなってくると可愛らしく見えてくるから不思議だ。
「と、とりあえず言いたかったのはそれだけだ。じゃあなっ」
そう言い残して去っていくルコル族の男性たち。彼らの余裕のなさに終始ナディちゃんは困惑していたけど、内容は良いことばかりとあってか、その顔は少し綻んでいた。
「ごめんね、ミズハちゃん。なんだか変なところ見せちゃって」
「ううん。それにしても、よかったね。お父さん以外の人たちにも認められて」
「うんっ、これならミズハちゃんの護衛として胸を張れるかも」
晴れやかな顔でそう口にするナディちゃん。はっきりと言い切ったけど、私はその〝護衛〟という言葉がどうにも引っかかって仕方なかった。
「でも、本当にいいの? その、私の護衛になること。ルコル族の人たちって近いうちに村に戻るんでしょ? 一緒にいたかったんじゃない?」
「もう決めたことだから。それにね、ドラゴンと戦ったときに思ったの。きっと私の弓はミズハちゃんを守るために磨いてきたんだって」
「ナディちゃん……」
「お父さんにももう話してあるし、それに……お母さんにも伝えてきたから」
先日、村に戻っていたナディちゃん。勲章授与の報告を先んじてお母さんに報せるためだと思っていたけど、どうやら理由はそれだけじゃなかったみたいだ。ナディちゃんの決意を聞いてか、シアが前に歩み出る。
「ナディさんが王都に残って下さるのはわたくしも嬉しいです」
「ミズハちゃんの護衛として精一杯頑張りますので、これからもよろしくお願いします、シア殿下」
「はい、こちらこそ。ただ、ずっと思っていたのですが……その殿下というのは堅苦しいので、どうかわたくしのことはシアとお呼びください」
「え、ですが呼び捨てにするのはちょっと……」
シアのお願いに困惑するナディちゃん。その気持ちはすごくわかる。なにしろ相手はこの国の王女で、本来であれば関わることすら難しい立場の人間だ。でも──。
「私、思いきり呼び捨てにしちゃってるんだけど」
「ミズハちゃんは特別だよ。聖女様だしっ」
「友達っていうのは、そういう立場みたいのを失くすものだと思うけどね。ほら、ナディちゃんが私のことを名前で呼んでくれたみたいに」
私は自分の例を出しながら、にこりと笑った。一応、私も〝聖女〟という尊ばれる存在だったけど、ナディちゃんと友達になれた。きっとシアとも大丈夫なはずだ。私の後押しが上手くいったのかわからないけど、ナディちゃんが深呼吸をしたのち、改めてシアに向かった。
「じゃ、じゃあシア……ちゃん」
「はい、ナディさんっ」
満面の笑みで応じたシアを前に、こわばっていたナディちゃんも一気にほぐれた。私の妹。そして親友の仲が深まったのはなにより嬉しい。きっと長い付き合いになるだろうし、ずっと仲良くしていきたいところだ。
「私としてもナディ殿と共に戦えるのはとても心強いです」
レックスが自身の胸を右拳で叩きながら、ナディちゃんにそう声をかけた。
「色々ご指導よろしくお願いします、レックスさん」
「任せてください。このレックス・アーヴァイン、ミズハ様の騎士として全身全霊でお応えします」
戦士としてレックスの能力が高いことは疑いようがない。でも、意気込みすぎてなんだか心配だ。私はナディちゃんにこっそりと耳打ちする。
「レックスって融通利かないところあるから、そういうところは学ばなくていいからね」
「え、う、うん」
戸惑い気味に頷くナディちゃん。ひそひそ話をしていたからか、レックスが「ミ、ミズハ様?」と怪訝な顔を向けてくる。もちろん私の返答は「なんでもないよ」だ。
「なにはともあれ、ともに力を合わせてミズハ様をお守りしましょう、ナディ殿!」
「は、はいっ!」
クラドルカの浄化はまだまだ残っている。仮に終わったら終わったで今度は争いが起きないように話し合いをしなくちゃいけない。そうなればゾンビ以外の脅威からも注意する必要性が高まってくる。でも、レックスとナディちゃんの2人がいれば無事に乗り越えられるはずだ。
「兄貴、俺を忘れてもらっちゃ困りますよ」
まるで機をはかったかのように声をかけてきたのはロッソさんだ。
「いたのですね、ロッソ殿」
「ひ、酷いっすよ、兄貴! 俺も一応、討伐遠征に参加してたんすからっ」
「ごめん、私も気づいてなかった」
「姉御まで! くぅ……場違いな場所に来て隅っこに避難してたのが仇になっちまったか……っ」
たしかにお城でパーティなんて庶民には縁遠い場所だ。委縮してしまう気持ちはとてもわかる。きっと私も聖女なんていう立場じゃなかったら、間違いなく隅っこ族になっていたと思うし。
「と、とにかく! 俺もなにかあったときは呼んでください。姉御のためならいつだって体を張りますから!」
「うん、そのときはお願いします」
実際、討伐遠征時にはロッソさんに大いに助けられた。とくに、坑道で鉱夫ゾンビに追い詰められた、あのとき。ロッソさんの機転と身軽さがなければ、いまこの場でパーティに参加なんてできなかった。最悪な印象から一転。いまや本当に頼れる知人の1人だ。
「イーリスもいるです」
どこからか声が聞こえてきたかと思うや、そばのテーブル下からぬっとイーリスさんが出てきた。私は思わず「うわっ」と声をあげて飛び退いてしまう。
「なんてところから出てくるのっ。っていうか追い出されたはずじゃ」
「抜け出してなんとかここまで来たです」
したり顔を見せるイーリスさん。その手には私をかたどった像が大事そうに抱きかかえられている。遠征時、ドラゴンに投げつけて紛失したはずだけど……どうやら代えがあったようだ。
というか、服の皺がくっくり彫られていたりスカートがふわりと舞った状態だったり、以前より完成度が遥かに高い。前々から思っていたけど、私を崇めるミズハ教の人たちは彫刻家になったほうが絶対に幸せになれる気がする。
「……まさかそれで殴ったんじゃないよね」
「そ、そんなことはしてないです」
「すごく怪しいんだけど」
「これで殴るのはゾンビだけです」
「なにが相手でも危ないから、そういうのダメって言ったでしょ」
「イーリスを心配してくれる女神様、尊いです……っ」
思いきり勘違いしているようだけど、私が心配しているのは怪力のイーリスさんに殴られたゾンビのほうだ。とはいえ、本人は恍惚の笑みを浮かべてトリップしている。もはや勘違いを正したところで意味はなさそうだ。
私が呆れ気味にため息をついていると、隣からナディちゃんのくすくすと笑う声が聞こえてきた。
「え、どうしたのナディちゃん」
「ごめん、なんだか楽しくなっちゃって。私、こんな賑やかなところにいたことってあまりなかったから」
たしかにイーリスさんもロッソさんも賑やかな人たちだ。すでに退場したキースさんもあわせれば賑やかというより騒がしいことこのうえなかった。ナディちゃんは村でよく1人でいることが多かったらしいから、余計にそう感じるのかもしれない。
「では慣れて頂かなければなりませんね。なにしろミズハ様の周りはいつもこの調子ですから」
「ねえ、レックス。その言い方だと私がこの空気を作ってるみたいじゃん」
「違うのですか?」
本気でそう思っていたみたいだ。
「そうですね。こればかりはレックスを支持せざるを得ません。お姉様の周りはいつも明るくて笑顔が絶えませんから」
「えぇ、シアまでっ?」
まさかシアがレックスに加勢するとは思わなかった。とはいえ、私としても暗いよりは明るいほうがいい。多少……いや、かなり個性的な人たちが集まっているのは気になるけど。そんな私を取り巻くやり取りがナディちゃんにはおかしく映ったみたいでまたくすくすと笑っていた。
「納得いかないけど、ナディちゃんが楽しそうだし、いっか」
「私は好きだよ。ミズハちゃんが作る、この明るい空気がとっても」
いまでこそ聖女として担ぎ上げられている私だけど、女神様の力がなければどこにでもいる平凡な女子高生だ。特別な力なんてない。でも、そんな私でも誰かを笑顔に出来るならそれ以上のことはない。
さっきも話した通りクラドルカを浄化してからが本番だ。ゾンビじゃない人間を相手に争いを起こさないように立ち回らないといけない。
それは女神様から得た力だけじゃなくて私自身の力もきっと必要になってくる。すごく大変だろうなってことは想像できる。でも私にはたくさんの仲間がいる。そして大切な友達も!
いまも騒がしいパーティ会場の中、私はナディちゃんへととびきりの笑顔を向けた。
「ナディちゃん、これからもよろしくね」
「うん、こちらこそ。ミズハちゃんっ」