第24話 はじまりの夜-3
全ての音が消えた。
私を取り囲んでいた全ての音が消えた。
教室から歩いている時も静かだったけれど、音は存在していた。
廊下を歩く生徒達の靴の音、風に乗りやって来る街からのざわめき。
何かしらの音が聞こえていた。
それら全ての音は、私が世界と繋がっている事の証。
でも、今は聞こえない。聞こえるのは自分の呼吸と鼓動の音だけ。
つまり私が外界から隔絶されつつある事を意味している。
『彼女』が私に会いにやって来る。他の誰でも無く私に会いにやって来るんだ。
いよいよだ。いよいよ『彼女』、魔王がやって来る。
…
……
………
「ううぅ…シルフぁ緊張するよー」
コロネはそう言いながらその場でゆっくりと回転していた。ゆるゆると一周して戻ってきた瞳は潤んでいて、拾って来た子犬の様です。
「うん、大丈夫だから落ち着こうよ、ね?」
流石に放っておく訳にもいかないので、一応コロネを慰めてみたけれど。
やはり言葉をかける程度では落ち着かない様で、回転する速度がさらに速くなってしまった。
緊張しているのはコロネだけでは無い。
周囲を見れば壁に向かって呪文か何かを唱えている子もいるし、掌に何か文字を描いては飲み込む仕草を繰り返している子もいる。
こんな事を言ってる私も自分の髪を弄るのが止まらなくて、毛繕いをする猫の様になってしまっている。
猫みたいと言うのはクロワからの喩えなのだけど、その彼女はと言うとぷるぷると震える子犬の様な状態でルキアに頭を撫でられていた。
流石ルキア冷静です!と言いたいところだけど。やはりと言うか、その撫で方がなんだか人形の様で。彼女もまた人知れず緊張している様です。
なぜ私達がこんな事になっているのかと言うと、待ち時間です。
緊張しながら歩き歩いて『召喚の間』へと到着した私達だけど、今度は待ち時間で緊張する事になってしまった。
今宵、私達のクラスで使用できる部屋の数は八。
つまり、同時に八人が『契約の儀式』に挑めると言う事。
八部屋も使えれば直ぐに順番が回ってきそうなものだけど、そう単純では無い。
『契約の儀式』にかかる時間は人それぞれらしくて。
数十分程度で終わる子もいれば数時間かかってしまう子もいるらしい。
全ては『魔王』の気分次第……
流石に全員が数時間かかるとは思いたくないけれど。
皆の緊張が続く中、廊下に金属の軋む重い音が響いた。
急な音に驚きの声を上げてしまった子もいたけれど、その場に居た全員直ぐに音の出所に気付いた。
『召喚の間』の扉が開く音だ。
最初に儀式に挑んだ八人のうちの一人が扉の向こうから戻って来る。
皆の注目が扉に集まる中、軋む音は断続的に響き八回繰り返した所で止まった。
開いたのは三の番号が振られた部屋。
半分だけ開いた扉から、はみ出す様に小柄な少女が出てきた。
「メリッサ!」
誰かが少女の名を叫んだ。
少女の名前はメリッサ、金の髪がくるんっと巻いたふわふわ巻き毛の少女。
元気を絵に描いた様な子で人に抱き付くのが趣味らしい。私も朝の挨拶と言って良く抱き付かれます。
なぜかコロネには背中へ体当たりするけれど、本能的にそうしたくなるらしい。
そんな元気少女であるメリッサの様子が何かおかしい。
視線は定まらずどこか上気した様な表情をしている。
「メリッサ何があったの?」
皆が戸惑う中、委員長であるルキアが声をかけた。しかし反応が無い。
ううん、メリッサの目がぴくりと動いた。
「あ?えっと……」
続けて身体と同じに小さな口からぽつりと小鳥の様な声が聞こえた。
『えっと』の後に何が続くのか?それを聞き逃さんと皆の声と動きが止まった。
皆聞きたいし知りたいんだ、『召喚の間』の中で何があったかを『契約の儀式』で何があったかを。
だから待つ、じっと待つ。
皆がメリッサの言葉を待ち続け約十秒、彼女の口が開き動いた。
「…すごかった……」
メリッサは一言だけ呟くとその場に座り込んでしまった。
………
……
…
私達は再び待ち時間を持て余していた。けれどさっきまでとは違う。
結局メリッサはあれ以上は語る事が出来ず、緊張と心身の疲労から上級生のお姉様方々に保健室へと運ばれて行ってしまった。
他の扉から出てきた子達もふらふらの状態で、一言二言語るのがやっとの状態。
わかった事は『契約の儀式』が『すごい』と言う事だけでした。
何がどう『すごい』のかわからないけれど。
彼女達の齎した抽象的な情報は、私達の中に恐怖心だけではなく好奇心をも芽生えさせていました。
何があったのかを知りたい、彼女達が無事に儀式を終えた。
それらの事は私達の緊張を多少でも緩和してくれたのだから、メリッサ達には感謝しないといけない。
でも、なんにしても待ち時間を持て余す事になるのはやもえない事。
それでも時間は確実に流れて行き。
「んー次はっと、シルファちゃん君の番だよ?」
呼ばれた!
フィールさんが生徒リストを捲り私の名を読み上げた。でもなぜちゃん付け?
いいや。その疑問はひとまずこっちにおいて、ついに私の順番が回ってきた。
胸に左手を当てながら一呼吸すると、私は大きめの声で返事をした。
したのだけど。
「は、はひっ!」
また噛みました。
やはりまだ緊張が残っているみたいです。
当然だけど皆の視線が私に集まっている、けれど今夜は笑い声は起きなかった。
皆わかっているんだ。
この緊張状態の中、次は自分が噛んでしまうかもしれない事に。
でも、恥ずかしいものは恥ずかしいのです。
とにかく前に行こう。
「シルファがんばれ」
朱に染まる顔を俯き隠し前へ向かおうとする私を、コロネ達が小声の応援で背を押してくれました。
友達って本当にありがたい、お陰で少し落ちついたかな?
うん、きっと大丈夫。
「うんうん、愛だね友情だね。大丈夫、学んだ通りにやればいいだけだよ」
列の間を抜け、扉近くに辿りついた私を迎えたのはフィールさんのにこにこ顔。むしろにやにや顔?
私、この人少し苦手かも?
なぜかわからないけれど、私だけ他の生徒との扱いが違う気がします。お姉さま絡みだとは思うのだけど。
「じゃあシルファちゃんは五番の扉に…五番?」
「はい、五番ですね。…?」
何気に返事をしたけれど、なんだろう?五番の部屋には何かあるのかな?
横目でチラリと扉の方の見るも、特に変わった所は無い。多分。
私の前にあの部屋を使った子達も、メリッサ達と同じ状態だったし。
「このタイミングで順番が巡って来るなんて、運命の導きなのかな?」
「は、はぁ…?」
何の導きなのか聞こうとしたけれど、フィールさんはにやにやするばかりで答えてくれない。
もうこの人はこう言う人なんだって理解するしか無いのかも?でも、お姉さまの友人ではあるみたいだし。
考えれど言葉の意味がわからないまま、彼女が引き開いてくれた扉のくぐり私は『召喚の間』へと入って行く。
ついに来ました『召喚の間』
いつもの私なら、好奇心のまま部屋の様子を見渡すところだけど。
しなかった。
なぜなら部屋の様子を見渡すよりも大事な事が出来たから。
「お姉さま?」
お姉さまだ。黒い装束を身に纏ったセレーネお姉さまがそこに立っていた。
部屋を照らす灯火は薄暗いけれど、私がお姉さまのお顔を見間違えるはずがありません。
くしくしと指で目を三度擦ってみたけれど、やはりお姉さまです!
でも、この部屋がお姉さま担当だったのは偶然?
ぽかんと立ち尽くす私の背後で扉の閉まる重い音が響き。
そして廊下からの音が消えた。
「…はぁ、ダメね……」
最初に聞こえたのはお姉さまの溜息。そして声。
何がダメなのかわからないけれど、皆にでは無く私への声だ。
「あ……」
お姉さまは私の元へ寄ると、両手を私の両肩へと乗せて来ました。
ううん、もしかしたら私の方からお姉さまの元へと寄っていたのかも?
わからないけれど、お姉さまと私は直ぐ側にある。
それにこの手の感触、幻影で幻覚でも無く間違いなくお姉さまの手だ。
「全員の儀式が終わるまでは特別扱いしないつもりだったのだけど……」
お姉さまは呟く様に言うと私の背を撫でる様にしながら両手を降ろし、そのまま私を引き寄せ抱き締めました。
私だけでなくお姉さまも我慢していたんだ。それを知るともう嬉しさを抑える事が出来なくて。
だから私も両手をお姉さまの背へと。これは私とお姉さまにとって自然な流れ。
抱き締めあった姿勢から顔を上げれば静かな微笑み。
でも、笑みを交わし合ってすぐお姉さまの表情に翳りが。
「ほんと私って忍耐力が無いわね…ふふっ」
お姉さまの微笑み顔は崩れ、曲がった唇から自嘲の言葉が零れ落ちました。
ああ、お姉さまダメです、素敵な微笑みが勿体ないです!
「わ、私もです!お姉さまも私も皆の前では我慢しましたから!」
忍耐力が無いのは私も同じ、だからこれはお互い様なのです。
だって直ぐにでも儀式を始めないといけないのに、私はお姉さまとの逢瀬を優先してしまっている。
扉の向こうには、私が儀式を終えて出て来るの待っている子達がいるのに。
「ありがとうシルファ…二人とも同じ気持ちだった、そう思うと素敵ね」
「はい!素敵です♪…あ?」
そう告げてお姉さまは唇を笑みの形に戻すと。抱き締めていた腕を緩め、私から一歩二歩と身を離しました。
名残惜しいけれど『儀式をはじめなさい』そう言う事なのでしょう。
お姉さまからたくさん元気を貰いましたから、シルファはもう大丈夫!
気合いを入れ直し、儀式に挑もうする私の耳に予想外の言葉が飛んできました。
「ふふっ、素敵な装束ね……」
「え?あ、あの……」
溜まっていた元気が頭の天辺から一気に弾けました。
お姉さま?私はこれから儀式に。
ああ、そんな風にしみじみと見られてしまったら。
「似合いすぎて、まるで貴女のために用意されたのかと思えてしまうわ……」
お姉さま褒めすぎです、私はどうしたら良いのでしょうか?
踊りますか?
そうじゃない!もう、私は何を考えているのでしょう。
装束です!
私もお姉さまの装束姿をまだしっかりと見ていませんでした!
だから見ます!しみじみと見ます!
お姉さまの装束は黒。
私の纏う装束の白とは対象的で、それがなんだか嬉しい。
それに、黒の装束は夜空を想起させ、私にとってのお姉さまのイメージその物。
注目すべきは銀糸で刺繍された紋様だ。
黒の中に煌めく紋様は夜空を舞う雪の様で……
雪の様で?
「あれ?お姉さま…その刺繍って……」
「…刺繍?」
お姉さまは装束の刺繍部分を指先で軽く摘まみ上げると、私を見詰めながら右に小さく傾げました。
その仕草が可愛くもあり艶めかしもあり、つい見惚れてしまいそうになってしまうのだけど。今は我慢。
先に疑問を解決したいので話を続ける事にします。
「はい、その刺繍は雪…雪の結晶ですよね…私のも……」
私も纏った装束の同じ部分を指で摘まみ上げてみせました。
比較してみると、やはり摘まみ上げ崩れた形も同じ。
間違いありません、黒と白、色は違うけれどこの二着は同じ型の装束です。
でもなぜ?いえ、答えは一つしかありません。
「…シルファもしかして…貴女もシロノさんのお店で…?」
「!!」
驚く私の顔を見てお姉さまは納得した様に頷き、さらに驚く言葉を口にしました。
『六花の花嫁』
それを知った瞬間、私の中の興奮が止まらなくなってしまう。
これは後で知った話なのだけど、二つの装束はシロノさんが一つのシリーズとしてデザインした物だったそうです。
黒を縫い上げ、お姉さまに譲渡した後。閃きを得て白を縫い上げたとか?
その事は今はまだ知らないのだけど、それでも驚くべき偶然もあったものです。
まだ興奮が止まりません、今ならなんでも出来そうな気がします。
「私も驚いてしまったわ……、今なら緊張も抜けているし、行けるわね?」
「は、はい!」
お姉さまの言葉に、こくりと頷き大きめの声で答えた。
行けるとは勿論『契約の儀式』の事、そのために私はここへ来たのです。
…忘れていた訳では無いですよ?
お姉さまともう一度抱きあうと、私は『儀式の間』の中央へ向かう。
向かうと言っても、お姉さまから数歩の距離だけど……
四方を石造りの壁に囲まれた室内、四隅には松明の炎が掲げられ室内を照らす。
壁と同じに石造りの床、その中心部分に大きく描かれた複雑な紋様と文字列。
四角と四角が重なり、さらに角を五つ持つ星の形が重なる。
文字列は術者を守る加護の言葉と加護を与える神々と原初の魔王の名が並ぶ。
これが『契約の儀式』の舞台となる『召喚の魔法陣』。
本来魔法陣は召喚した対象をその内に封じ、召喚者を護るために使われる物。
でも今回は違う。
契約すべき魔王は魔法陣の中に降臨する、だから契約のためには私も魔法陣の中に立たなくてはいけない。
だから、私はそのまま魔法陣の中央へと歩いて行くのだけど。
「…あ…ん」
魔法陣の中央へと足を踏み入れた瞬間、肌を何かが撫で通り抜けて行った。
足の指先から太腿へ、太腿からお腹を経由し胸先へ、そのまま首筋と頬を撫で通過して行った。
驚いてしまったけれど、多分魔力の流れだ。魔法陣の中と外を隔てる、壁あるいはカーテンの様な物。
不快では無かったけれど、妙な気分になってしまいそう。
いけないいけない、集中集中。お姉さまも見ているのだし、恥ずかしい姿は見せられない。
「契約の儀式はじめます……」
宣言する様に言葉を告げると、私は顔の前で両腕を交差させる。
その状態から、弧を描く様にしながら腕を降ろし。
身から少し離した位置に。腕を僅かに広げた様にも見える位置で止める。
その姿勢のまま胸を逸らすと目を閉じ深呼吸を繰り返す。
一度、二度、三度……
息を吸う度、大気に満ちる魔雫が私の中に集まり、私と世界と重なって行くのがわかる。
八度目の深呼吸。重なった!
「開け 開け 扉よ開け、開け 開け 扉よ開け……」
「…開け 開け 扉よ開け、開け 開け 扉よ開け……」
言葉を繰り返す、何度も繰り返す。
「届け 届け 声よ届け、届け 届け 声よ届け……」
「…届け 届け 声よ届け、届け 届け 声よ届け……」
石造りの壁に声が反響し、何重にも重なり重なって耳へと戻って来る。
私が増えた様にさえ思える不思議な感覚、私と私による輪唱。
声には力がある。だから声が重なる事でその力は何倍にも何十倍にもなる。
それに声が小さな子でも、この効果を利用すれば声の力を大きく出来る。
私達が普段使う魔法、例えば『指弾きの灯り』の様なイメージすれば発動出来る魔法とは異なり、召喚には発動のための準備が必要になります。
それが詠唱。
とは言っても意味の通る言葉の集まりならば、割と適当でも問題が無い…らしい。
セルティス先生曰く。
『先生の詠唱も学生時代から大分変わっているんですよー、学生時代はもっとこう…いえ、この話はやめておきましょう……』
うん、そう言う物なのでしょう。
とにかく、召喚対象の機嫌を損ねる様な事を言わなければ大丈夫らしい。
召喚はこちらから呼び付けて、お願いする術だもんね?
詠唱は続く。
「開け 開け 扉よ開け、開け 開け 扉よ開け……」
「…開け 開け 扉よ開け、開け 開け 扉よ開け……」
息が苦しくなってきたけれど、止める訳にはいかない。
ここからは気力との戦い。でもなんだか楽しくなってきた。
徹夜した後の妙に気分が昂ぶっている、そんな状態。
私の中の何かがどんどん高見へと駆け上がり……
全ての音が消えた。
私を取り囲んでいた全ての音が消え去った。
教室から歩いている時も静かだったけれど、音は存在していた。
廊下を歩く生徒達の靴の音、風に乗りやって来る街からのざわめき。
何かしらの音が聞こえていた。
それらは全て、私が世界と繋がっている事を示す音。
でも、今は聞こえない。聞こえるのは自分の呼吸と鼓動の音だけ。
つまり私が外界から隔絶されつつある事を意味する。
『彼女』が私に会いにやってくる。他の誰でも無く私に会いにやって来る。
いよいよだ。いよいよ『彼女』、魔王がやって来る。
ついにその時は来る。
『待っていたよ』
それが最初に聞こえた声だった。
それが全ての始まりを告げる声だった。
ここまで読んでいただきありがとうございますですです。




