残響
私はJ。大学の基礎医学研究室で、日々、生命の設計図とも言える遺伝情報の解読や、それらが織りなす複雑な現象の解明に取り組んで来た 。私の日常は、顕微鏡下のミクロな世界と、膨大なデータというマクロな情報の間を行き来する、いわば論理と実証の世界であった。しかし、そんな私でも、時折、我々の理解の枠組みを静かに揺るがすような話に出会うことがある。それは、科学という灯りが届かぬ領域に、なおも広がる深淵を覗き込むような感覚に近いのだ。
先日、長年音楽ホールとして親しまれ、老朽化のために取り壊されることになった「Dホール」の最後を惜しむ有志の会合に、知人に誘われて顔を出した。古い建物特有の、どこか懐かしい埃の匂いと、無数の演奏の記憶が染みついたような空気が、そこにはあった。参加者は思い思いにホール内の見学をしたり、昔話に花を咲かせたりしていた。
その輪から少し離れた舞台袖で、一人静かに壁に耳を当てている初老の男性がいた。声をかけると、彼はゆっくりとこちらを振り返った。名札には「K」とあり、かつてこのホールの専属音響技師を長年務めていた方だと、後に知人から聞いた。
「何か、お探しものでも?」
私がそう尋ねると、K氏は穏やかな、しかしどこか遠くを見つめるような目で私を見た。
「いや……ただ、最後の音を、聴いているのですよ」
「最後の音、ですか?」
「ええ」と頷いたK氏は、私を促すように、舞台裏の小さな控え室へと導いた。そこは、雑多な機材が壁際に積み上げられ、中央には古びた長椅子が一つ置かれているだけの、簡素な部屋だった。
「先生は高名な研究者だったと伺いましたが」と、K氏は静かに切り出した。
「科学というのは、実に多くのことを解き明かしてくれます。しかし、それでもなお、説明のつかないことが、この世界にはあるように思うのです。特に、このホールのような場所にはね。」
K氏が語り始めたのは、彼が現役だった頃の、ある不可解な体験だった。
「もう三十年以上も前のことになりますかな。ある著名なピアニストのリサイタルの録音を担当しておりました。完璧主義で知られた方で、リハーサルから何度もテイクを重ね、ようやくOKが出たのが深夜近く。演奏家もスタッフも疲れ果てて、ホールには私一人だけが残り、後片付けと機材のチェックをしていたんです。」
その時、だったという。誰もいないはずのホールから、ピアノの音が微かに聞こえてきたのだ。それも、先ほどまで録音していたはずの、あのピアニストが弾いていた難解なパッセージの一節だった。
「最初は、再生機器の故障か、あるいは誰かが残って練習しているのかと思いました。しかし、コントロールルームの機材は全て電源が落ちている。ステージにも、客席にも、人影一つありません。なのに、ピアノの音だけが、まるでホールの壁自体が震えるように、確かに耳に響いてくる。それも、先ほど録音した音源と寸分違わぬ、完璧な演奏でした。」
K氏は、その音を録音しようとマイクを向けたが、録音機はうんともすんとも言わず、ただ静寂を記録するだけだった。しかし、彼の耳には、その美しいピアノの旋律が、数分間にわたってはっきりと聞こえ続けていたという。
「翌日、ピアニストにその話をしましたら、『ああ、それはホールの残響が、私の音を覚えていてくれたのですよ』と、微笑んでおられました。しかし、私には単なる美しい詩的表現とは思えませんでした。あの音は、もっと生々しい、誰かの意志が込められたような響きでしたから。」
またある時は、こんなこともあったという。
「古いオペラ公演の準備で、舞台装置の確認をしていた夜のことです。誰もいない客席の、ある特定の座席の辺りから、時折、女性の押し殺したようなすすり泣きが聞こえてくるのです。他のスタッフに聞いても、誰もそんな音は聞こえないと言う。しかし、私には確かに聞こえる。調べてみると、過去にその座席の近くで、ある若いソプラノ歌手が、公演中の事故で重傷を負い、再起不能になったという記録が見つかりました。」
K氏は、それ以来、誰もいないホールで作業をする際には、必ずその座席に一輪の花を供えるようになったという。すると、不思議と、すすり泣きは聞こえなくなったそうだ。
「科学的に説明しようとすれば、疲労による幻聴や、あるいは建物の構造が生み出す特異な反響現象、ということになるのでしょう。もちろん、私もそう考えようとしました。」 K氏は言葉を区切り、長椅子に深く腰掛けた。「しかし、このホールで長年音と向き合っていると、音というのは単なる空気の振動ではなく、そこに込められた人々の想いや記憶を運び、そして時には、この空間自体に染み込んでいくのではないか、と思えてくるのです。あのピアニストの音も、ソプラノ歌手の悲しみも、この場所が記憶し、時折、私たちに語りかけてくるのかもしれない、と。そんな風に思うのです。」
K氏の話を聞き終えた私は、言いようのない感慨に包まれていた。遺伝子や細胞といった、目に見える実体を追いかける日常の中で、私は時折、そうした「科学の言葉」では掬いきれない領域の存在を意識することがあった。K氏が体験した「音の記憶」は、まさにその一つなのかもしれない。場所が記憶を持つ、というのは非科学的な発想かもしれないが、長年多くの人々の強い感情を受け止めてきた空間が、何らかの形でその「気配」を留めるということは、あっても不思議ではないように思えてくる。
「あるいは、これでようやく、このホールも静かに眠りにつけるのかもしれませんな。」
K氏はそう言って、寂しそうに微笑んだ。
解体されるホールは、その物理的な構造を失うと同時に、そこに宿っていたかもしれない無数の「声なき声」もまた、霧散していくのだろうか。それとも、また別の形で、どこかにその残響を留め続けるのだろうか。
その夜、私は、K氏の語ったホールに残された「最後の音」に想いを馳せながら、我々の知らない世界の広大さに、改めて畏敬の念を抱いていた。そして、それは未知なるものへの探求心と、常に隣り合わせの感情なのかもしれないと、そんなことを考えていた。私も、いつか残響を遺せるのだろうか。
本日八時に、最後の一話を更新いたします。