八〇〇歳
邪竜ファブニールとはまやかしの森に生息する古竜の一種である。古竜とは単独で街を壊滅させることができる凶暴なドラゴンの一種であるが、ファブニールは八〇〇年ほど前からこの森に巣くっていた。そして一〇〇年周期で暴れ回り、近くの村を蹂躙していたのだが、一〇〇年ほど前にとある賢者が村娘の魂を要石とし、この森に封印したのだ。以来、邪竜はまやかしの森の奥でひっそりと息をしているのだが、その邪悪さはわずかばかりも失われていなかった。この森から出ることはできないが、森の奥に侵入してきた狩人などを捕食し、糊口をしのいでいた。
「ふむふむ、つまり、邪竜ファブニールは貪欲なんですね」
「食いしん坊ってことですね」
「そうなんです。一〇〇年前は村ごと捕食されてしまった例があります」
「人の肉が大好きってことですか、ならば人間をおとりにして、こちらの戦いやすい場所におびき寄せる作戦がよさそうですね。エリザベートさん、巨木を引き抜いて木の槍を作りましょう」
「了解です」
と言うと、エリザベートはひとりで木を引き抜き、手刀で先端を鋭利にする。そして穴を掘り、そこに刺していく。
「この落とし穴にファブニールを誘い込めば串刺しです」
「す、すごい。半日でこんな罠を完成させるなんて」
ミレウスは驚愕する。
「こんなの朝飯前ですよ。あとは森の奥にいる邪竜さんを誘き出すだけです」
ちゃっちゃとやっちゃいましょう、とエリザベートは言うが、カレンは「待ってください」と言う。
「ファブニールは邪知暴虐で狡猾と聞きます。最強の令嬢であるエリザベートさんが囮になっても引っかかってくれないかも」
「でも、ミレウスさんは幽霊だから囮にできません」
「そこで聖女である私の出番です」
「ええー! カレンさんが囮になるんですか?」
「はい」
「あ、あの、身体を奪おうとしたあたしがいうのもなんですが、カレンさんは動きがとろそうです。死んでしまうかも」
「なにを言っているのです。私は聖女ですよ。それくらいのことでは死にません」
なにを根拠に言っているのか分からないが、それでも彼女はやるようである。
「わたしはミレウスさんの魂を浄化したいのです。そのためならば多少の危険」
「カレンさんは偉いです。分かりました。万が一のときはわたしが正面から邪竜を粉砕するので囮役になってください」
燃え上がるふたり、ミレウスは、この百年間、多くの人間を脅かしてきたが、このような人間は初めて見た。
(……こんなにいい人たちは初めて。この人たちを死なせたくない)
そう思ったミレウスは拳を握りしめる。もはや身体を奪う気持ちなど微塵もなかった。
「この森は自分の庭のように熟知しています。邪竜の寝ている場所から罠を仕掛けた場所まで迷うことなく案内して見せましょう」
「ありがとう」
ふたりはそのように言うと、戦いの幕は切って落とされた。
邪竜を誘き出すため、カレンはミレウスと共に森の奥深くに入る。エリザベートは罠を仕掛けた場所付近に陣取る。
作戦としてはカレンが囮になって邪竜を罠まで誘導するのだが、もしも誘導が失敗した場合はエリザベートが正面から邪竜と立ち向かう算段となっていた。
ミレウスとしてはすんなり罠にはめ込みたいところであるが、成功するかは半々であった。なぜならば邪竜は狡猾だからである。八〇〇年も生きた古竜は成人した人間並みに知恵が回った。途中、エリザベートが仕掛けた罠の存在に気がつく可能性があった。いや、それよりも先にその俊敏な動きでカレンがその牙の餌食となり捕食される可能性も多々あった。最悪の事態を想像したミレウスは、「本当にやるんですか?」と尋ねた。
「もちろんです。私はあなたの魂を浄化して天に昇らせたいのです」
「あたしはあなたの身体を奪おうとしたのよ」
「人間、誰しも一度くらい邪な気持ちを持ってしまうもの」
「あたしを許してくれるのね。あなたは本当に聖女みたい」
「まだなりたてですが、一応、聖女です」
カレンは少し恥ずかしげに舌を出す。そのようなやりとりをしているとカレンとミレウスは邪竜が眠る巣穴へと辿りついた。
「……禍々しい邪気に満ちています」
「あと一歩前に出ればあなたの匂いが届くわ」
ミレウスはそのように言う。今ならばまだ間に合うという意味だが、聖女は臆することはなかった。
「私の友達のエリザベートはね、ひとりで魔王の眷属である悪魔を倒してしまうの。私は手伝うこともできなかった。だからせめてこんなときくらい役に立ちたいの。聖女らしいことをしたいの」
そのように言うとカレンは一歩前に出る。その瞬間、
グオオオオオォォン!!
という咆哮が森中に響き渡る。
その瞬間、森に生息する鳥たちが一斉に羽ばたいた。敏感な鳥たちは同じ空間に邪悪な竜がいることを許容できなかったのだ。それは他の獣たちも一緒で、一瞬にして森は騒がしくなった。
鳥や獣たちが必死に避難をする中、カレンもまた全力で疾走した。後背に邪悪な生き物の気配を感じながら移動する。
「ファブニールが迫っているわ!」
幽霊であるミレウスは浮遊しながら後背を見つめるが、邪竜は木々をなぎ倒しながらカレンを捕食しようと疾走していた。
「グオオオオオォォン!! グオオオオオォォン!!」と咆哮を上げているが、人の言葉に翻訳すればおそらく、「久しぶりの人肉」あるいは、「女の肉だ」だろうか。
化け物は嬉々とした声を発しながらカレンに迫るが、その距離は徐々に狭まっていく。カレンが鈍足なわけではない。ファブニールが想定したよりも俊足なのだ。それは彼を封じ込めているミレウスにとっても想定外であった。
「やばいこのままじゃ追いつかれる」
そう思った瞬間、鬱蒼とした森の中から巨大な口が飛び出てくる。
邪竜の口だ。禍々しい口はそのまま聖女を捕食する――ことはなかった。その大口が閉じるよりも先に蹴りを加える存在がいたからだ。
「エリザベートさん!」
カレンは友人の名前を呼ぶ。
「なんとかギリギリ間に合いました」
悪い予感を覚えたエリザベートは持ち場を離れ、救援に向かったのだ。
「ごめんなさい、最後まで誘導できませんでした」
「いいえ、カレンさんはよくやってくれました。ここからはわたしに任せてください」
そのように言うとエリザベートは腰の入った一撃を見舞う。
ずどん!
強力な拳がファブニールの鱗を穿つ。
ファブニールは痛みのあまり咆哮を上げるが、エリザベートは冷や汗を流した。
「本気の本気の一撃でしたけど、ミンチになってくれません。……さすがは古竜さんです」
通常、エリザベートが本気で殴りつければ地球上の生物の大半は木っ端微塵になるが、さすがは古竜、耐えるどころか反撃してきた。痛みで我を忘れた古竜は尻尾を叩き付けてくる。
巨竜の一撃を食らえばエリザベートとて無傷ではすまないので、なんとか回避をする。先ほどまでエリザベートがいた場所にクレーターができる。そこにカレンがいたらと思うとぞっとしてしまう。エリザベートはカレンの手を引くと罠のほうへ誘導した。
「正面から渡り合っても何の利もありません。このまま罠まで誘導して罠で仕留めましょう」
「それがいいですが、巨竜の猛攻に耐えながら罠までたどり着けるでしょうか?」
「たどり着くしかありません」
そのように言うとエリザベートはダークフレイムを身体にまとわせる。
「闇の火玉、喰らいなさい!」
そのように叫ぶと暗黒の炎が手のひらから放たれる。暗闇よりも暗き炎は超高温のままファブニールにぶつかるが、巨竜は炎に耐性があった。ほとんどダメージは通っていないようだ。
「まったく、強敵です」
「聖なる魔法も使ってみましょう」
そのように言うとカレンはホーリー・フォースの魔法を唱えるが、聖なる力でも邪竜を傷つけることはできなかった。
「世界には強力な魔物がたくさんいます」
あるいは七大悪魔よりも強力な存在かもしれない。そのような感想を抱きながら森を疾走する。あと数分、持ちこたえれば罠に誘導できるだろう。そのような希望的観測を持ったが、それは浅はかであった。邪竜はとんでもない速度でエリザベートたちに迫ってくる。
このままでは捕食されてしまう。そう思ったエリザベートはカレンを先行させ、自身は足止めを行うことにした。
幽霊のミレウスは叫ぶ。
「エリザベートさん、危険です。邪竜ファブニールはあなたでも倒せません」
「それは分かっています。でも、カレンさんを巻き込むわけにはいかない」
「あなたはなんて仲間思いな令嬢なのでしょうか……」
ミレウスはエリザベートをそのように称揚すると、手助けをしてくれる。
「えい!」
とファブニールの前に立ちはだかるとその身を挺して目隠しをする。
「ミレウスさん!?」
「安心してください。あたしは幽霊です。霊体なので不死身も同然です」
「そうでした」
ミレウスの決死の助力によって隙が生じたのでエリザベートはファブニールの足下に回り込むと爪を見定める。
「身体にダメージが通らないのならばせめて足の一部でも」
そのような願いを込めて爪を観察するが、爪の一部にひびを発見する。先ほどのダークフレイムの爆発でひびが入ったようだ。そこに正拳突きを打ち込む。
「えいや!」
気合いの入った一撃によって爪は粉砕する。人間も同じであるが爪が壊れるというのは痛いもの、指先、足先は神経が集中しているのだ。エリザベートの一撃によって爪を破壊されたファブニールは。
ギャオオォン! と悲鳴を上げる。これによって機動力を奪った。あとは罠まで誘導するだけであるが、罠の目前まで来るとそこにはカレンがいた。
「エリザベートさん、さすがです。あとは罠に追い込むだけ」
「はい。わたしよりもカレンさんを捕食したいようなのでカレンさんは罠の先にいてください」
「分かりました!」
とカレンは罠の奥に回り込む。エリザベートはカレンに注意が行くように立ち回り標的が彼女に向くように仕向ける。すると邪竜はあっさりとカレンに向かった。
『ちなみに邪竜ファブニールの好物は美女という伝承があるよ』
とは黒猫のルナの言葉であるが、それはカレンのほうが美人さんという意味だろうか。まあ、事実なので腹は立てないが。
『まあ、弱そうなほうから捕食しようという捕食者の本能かもしれないけどね』
ルナのフォローを聞き流すとエリザベートはファブニールが罠に掛かる瞬間を見届けた。
草によって地面を偽装した落とし穴、そこにまっすぐ向かっていくファブニールは見事落とし穴に吸い込まれる。ずどんと落とし穴に落ちると重力によって穴の底に落ちていく。そこにはエリザベートの作った木の杭が並べられていた。巨大な質量を持つファブニールに突き刺さる木の杭。それは致命傷となった。




