ミレウス
馬車を頭領の村に滞在させ、徒歩で川上に向かうエリザベートとカレン、その歩みは早くはないが、着実に目的地まで向かっていた。この調子ならば本日中に森まで迎えるだろう。そのように目測を立てていると森が広がってきた。
「あれがまやかしの森ですね」
「意外と普通ですね」
「たしかにまやかしという物騒な名前にそぐいません」
ふたりでそのように言う。
「幽霊さんが出そうには見えません」
「たしか頭領が言うにはここに近寄るものに取り付いて呪い殺すとか物騒なことを言っていましたね」
「ええ、一〇〇年ほど前に亡くなった幽霊さんがいるそうです」
そのようなやりとりをするが、森におぞましさは一切感じなかった。なんならハイキングコースのような陽気さすらある。棟梁の話はでたらめなのかもしれない。そのように思ったが、ふたりは気がついていなかった。森の裾野からエリザベートたちを見つめる影に。その影は嬉々とした表情を浮かべる。
「きゃあ、久しぶりに人間が来たわ。しかも、あたしと魂の波長が一緒の人間が……」
彼女の名はミレウス。一〇〇年ほど前に近くの村で起こった災害を食い止めるために〝人柱〟になった少女である。以来、彼女はまやかしの森に住まうゴーストとなった。時折やってくる木こりや冒険者を驚かせては退屈をしのいでいたが、一〇〇年目にして理想の人間がやってきた。
「あたしってば人柱にされてそのままこの地に封印されてしまったけど、その生活ももううんざりなのよね。悪いけどこの生活を代わって貰わないと」
魂がぴったりと合う娘に視線を移す。その娘は亜麻色の髪を持った聖女であった。
「優しそうな娘だし、あたしに身体をくれそう」
そのような感想を口にするが、ミレウスは彼女が聖女だとは知らない。ましてやその横にいるのがレベル九九の侯爵令嬢であることも。
こうして一〇〇年間人柱にされた幽霊ミレウスと聖女様と侯爵令嬢の戦いが始まるのだが、その戦いはミレウスの演技によって始まった。
エリザベートとカレンが森に入ると森の小道にうずくまる少女を見つける。彼女はお腹を押さえながら「うーん、うーん」と唸っていた。お人好しにしてお節介であるふたりが困っている人を見過ごすわけがない。うずくまる少女に声をかける。
「大丈夫ですか? どこか痛いのですか?」
うずくまる少女ことミレウスは「やった!」と心の中でほくそえむが、それを言語化することはなく、カレンの身体をどう奪うかばかり考えていた。一番、スマートなのはカレンから魂を抜き出して入れ替わることであるが、そのためには手荒なことが必要であった。
(……ふふふ、とりあえずあの崖の下に突き落として気絶させてやる。それでゆっくり身体を奪ってやるわ)
そのためにミレウスは病気の少女を演じる。
「うーん、うーん、お腹が痛い。ああ、持病の癪が……」
「まあ、胃痛ですね。それは大変です」
「どうしましょう。なんとかしてあげたいけど、わたしたちは医者じゃないし」
「あ、あそこに手持ちの薬があるんです。でも、落としてしまって……」
ミレウスは茂みを指さす。
ちなみにあの茂みの先は断崖絶壁となっている。茂みに一歩入れば真っ逆さまだ。ただの人間ならばそのまま気絶をするという寸法であるが、このふたりはただの人間ではなかった。少なくとも片方は人間の領域を超えていた。
「えー、本当ですか。分かりました。薬を取ってきます」
そのように言うとエリザベートは茂みの中に入っていった。もちろん、そのまま崖を転げ落ちるが、彼女は無傷で戻ってくる。
「あの、薬ってこれですか?」
と巾着に入った薬を渡すが、平然としているエリザベートを見てミレウスは心の中で突っ込み入れた。
(いや、つうか、おまえじゃないし。てゆうか、あの崖の下にあった薬をあっさり持ってくるなんてこの子化け物?)
化け物なのだが本人は認めない。
(ふん、まあいいわ。身体を奪う機会は無数にあるんだから)
「あ、ありがとうございます。その薬です。ああ、でもそれは粉薬で水がなければ飲めないわ」
「まあ、困りましたわ。お茶ならあるのですが」
カレンがそのように言うと、ミレウスは「その先に泉がありますの、よければ汲んできてくれませんか?」と言った。
「分かりました!」
と元気よく答えるのは健康優良児のエリザベート、軽い足取りで泉に向かう。
(……だからおめーじゃねーって。……まあ、いいか。この娘から始末してあとはじっくり身体を奪ってやる)
と悪巧みするミレウス。ちなみに泉にはジャバウォックという大口の怪物が潜んでいた。泉にやってくる草食動物を丸呑みにする化け物であるが、エリザベートはその化け物に丸呑み――されることはなかった。水筒に水を入れようとするエリザベートを丸呑みしようとするジャバウォックであったが、エリザベートは大口を片手で受け止めると、そのまま悠然と水筒に水を入れた。そしてなにごともなかったかのように水を持ってくる。
「どうぞ、これを飲んでください」
にこやかに言う。
「あ、ありがとう」
水筒を受け取るが、ただただ目をぱちくりとさせるしかない。
(……なに、この子、本当に人間なの?)
疑わざるを得ないが、確認するすべはなかった。
(てゆうか、この子がいる限りカレンって娘から身体を奪うことはできないわ)
そのように思ったミレウスはなんとかふたりを引き離そうとする。
「あ、あの、おふたりはこのまやかしの森になにをしにやってきたんですか?」
「私たちは材木を収集しに来ました」
「そうなんですね。それにしては手ぶらのようですが」
「エリザベートさんに斧は必要ありません」
そのように言うとエリザベートはにこりと微笑み、近くにあった樹木を引き抜く。
ぼこっ
と根っこごと大きな木が抜ける。
「す、すごいというか、人間業じゃない」
「初めて見るとびっくりしますよね。でも、もうなれました」
カレンはにこやかに言う。
「ちなみにあなたのお名前は?」
「……ミレウスです」
「ミレウスさん、この森で巨木が群生する場所はありますか? 川下にあるギルドに木材を納入したいんです。立派な橋の材料になるような樹木が必要なんです」
「それならば心当たりがあります。命を助けてくれたご恩に報いるため、案内しましょう」
ミレウスはそのように調子を合わせるが、虎視眈々とカレンの身体を狙っていた。
(……一〇〇年まってやっと波長がある人間が現れたんだもの。絶対、その身体を奪ってやる)
ミレウスは諦め悪くカレンの身体を狙うが、その企みはことごとくエリザベートによって跳ね返される。
「そこの道を右に曲がるとあるかも」
とゴブリンの巣穴にエリザベートを突っ込ませたり、
「そこの樹木の陰にあるかも」
と石が落ちてくる罠の下に誘い込んだり、
「そこをまっすぐ行ってください」
と底なし沼に誘い込んだりしてもエリザベートは平然と帰還した。
どんな罠にもへこたれないエリザベートは控えめに言って悪魔そのものであった。
「うう、しくしく、百年ぶりに生身の身体を手に入れられると思ったのに……」
思わず小声で泣いてしまうが、悲しみに暮れているとふたりの少女は気遣ってくれた。
「ミレウスさん、どうしたんですか? なぜ、泣いているんですか?」
おまえのせいじゃ! と苦情を言いたくなるが、純粋無垢な表情で心配を
してくれる少女を邪険にはできなかった。カレンの身体を奪い去ることを諦めたミレウスは、正直に言った。
「実はあたしはこの森に巣くう幽霊なのです。カレンさんの身体を乗っ取ってこの森の呪縛から逃げだそうとしていたんです」
そのような悪巧みを聞いても怒るどころか呆れることもないカレンはまさしく聖女であった。哀れみの表情さえ浮かべてくれる少女はただただ神々しかった。
「ミレウスさん、正直に話してくれてありがとう。私は聖女としての務めがあるからこの身体は渡せないけど、あなたが成仏できるように頑張るわ」
これでも星教会で〝浄化〟の魔法を習ったのですから、と腕をまくし上げるが、ミレウスは言った。
「いいえ、無駄です。いくら聖女様でもあたしの魂は浄化できません。あたしはこの森にくくりつけられているんです」
「どういうことですか?」
エリザベートは尋ねる。
「一〇〇年ほど前のこの森で暴れたファブニールと呼ばれる邪竜を封印するため、あたしは人身御供となったのです。その魂がファブニールを封じる要石なんです」
「よく分からないけど、そのファブニールっていう邪竜を倒せばミレウスさんの魂は解放されるってこと?」
「理屈上はそうですが、ファブニールを倒すなんて不可能です」
「そんなに強いの?」
「はい。ファブニールが怒れば村を一飲みにし、国を崩すと言われています」
「それは厄介ですね」
「はい。あたしは村を守るために人身御供になりましたが、その役目を放棄することはできません。――カレンさんに押しつけようとはしましたが」
「たしかにそれは酷いことだけど、一〇〇年前にあなたを人身御供にした村人も酷いと思うの。分かったわ。わたしがあなたを助けてあげる」
エリザベートはそのように断言する。
「いくらあなたが強くてもファブニールに適うわけがないわ。一〇〇年前の勇者ですら退治は諦めた化け物なのよ」
「勇者がどれくらい強いか分からないけど、わたしはレベル九九だもの。たぶん、なんとかなると思う」
エリザベートは任せて、と胸を叩くが、ミレウスは心配であった。しかし、ここまで来て断ることもできない。それにミレウスはこれ以上、この森に縛り付けられるのは厭であった。
「……分かった。でも、無為無策に邪竜と対峙することはできない。作戦を立ててから挑みましょう」
「そうね。エリザベートさんは最強だけど、無策に挑むのは危険ね。作戦を練ってから挑みましょう」
三人はそのように結論を纏めると、邪竜ファブニールを討伐することを誓った。




