熱の中にある記憶
早朝からレティは、今から出掛け様としているジャファルに食って掛かっていた。
侍女の躾がなってないと言って。
昨夜はアルベルトの部屋から自分の部屋に戻ろうとすれば、何度も侍女が冷水を持ってやって来るから、部屋に戻れず眠れなかったのだと。
「 呼んでもいないのに、勝手に殿下の部屋に入って来るのはどーゆー事!? 」
「 私なら大歓迎だが? 妃達もいちいちそんな事で煩く言わないよ? 」
「 言わないだけだわ! 」
レティはジャファルを睨み付けた。
呪いの人形に釘を打ってるけどね!
言わないけど。
彼女達が我慢をしてるから上手くいってるんじゃないの。
「 なーにが一夫多妻制よ!私はぜーったいに受け入れられ無いわ! 」
レティはプンスカ怒りながら去って行った。
ジャファルはそんなレティを楽しそうに見つめていて。
彼は……
こんな風にポンポンと言い合えるレティが欲しかったのだ。
ジャファルはクックと笑いながら馬車に乗り込んだ。
何処の国も皇太子や王太子は忙しい。
レティは朝食を取る為にサロンにやって来た。
そこには……
侍女やメイド達に囲まれているアルベルトがいた。
キャアキャアと女性特有の甘ったるい声が、アルベルトに向けられている。
何時もの事だ。
レティはツーンとして、その甘ったるい声の横を素通りしてテーブルに着席した。
「 おい! 暴れて来なくても良いのか? 」
先に席についていたエドガーが何時もの様に面白がっていて。
こいつは本当に煩わしい奴だ。
「 もう、わたくしは婚約破棄をしましたから、関係ありませんわ 」
「 あれ? 」
「 アルが腕を振りほどいたぜ 」
たった今やって来たラウルとレオナルドが、レティとエドガーの前に座った。
アルベルトを見れば……
腕を絡めて来た侍女を睨みながら、その腕を振りほどいている。
「 記憶を失ったアルは、女に厳しいんだ 」
3人はレティを見ながらニヤニヤとして。
「 ねっ?レティちゃん。記憶を失っても良い事あるでしょ? 」
あのアルが、女にあんな態度を取ってるんだから喜べとレオナルドが言う。
アルベルトは子供の頃のあの事件のせいで、心にトラウマを抱えている。
本人も……
他の誰も気付いていない、アルベルトの心の奥深い所に仕舞い込まれた傷。
その傷が……
女性から言い寄られても、何の感情も湧かない男にしていた。
記憶を失くした事で、そのトラウマまで失くした事から、本来の感情が出てしまっていると言う。
勿論、これは誰も知らない事だ。
自分の事をあれ程好きだと言いながら、他の女性とも必要以上に距離の近い彼が嫌だった。
だけどそれは……
彼は皆の皇子様だからで。
我が国の皇子様が、あれ程の美丈夫だから仕方が無いと自分に言い聞かせて来た。
他国の王女を抱き締める場面に遭遇してもだ。
しかし……
絡まれた腕を振りほどき、あからさまに嫌な顔を女性に向けている姿を見るのはもっと嫌だ。
あんなのは我が国の皇子様では無い。
アルは……
何時も女性には優しかったのよ。
それはレティの見て来た、3度の人生でのアルベルトもそうだったからで。
「 あんなアルはアルじゃないわ! 」
レティの呟きにラウル達は驚いた。
てっきり喜ぶものだと思っていたのにと言って。
「 何時も嫉妬丸出しで、私の男に手を出すなと言っていたのに? 」
エドガーが両手を広げながら肩を竦めた。
そこは複雑な乙女の心理があるのだ。
レティは……
オレンジジュースの入ったグラスを手に取って、ゴクゴクと飲み干した。
「 それで昨日はちゃんと話しをしたのか? 」
「 ええ……したわ 」
話はしなかったけれども……
自分の気持ちの整理はした。
レティは……
膝の上に置いた婚約指輪を嵌めてない薬指を見ていた。
その時……
メイド達がワゴンに料理を乗せて運んで来たので、話は中断した。
「 もう1つ頼むよ 」
レオナルドからウィンクをされたメイドが、赤くなって頭を下げて厨房に消えて行った。
全く……
アルの事を言えないわよね。
レオナルドが隣の席に移ると、うんざりとした顔をしながらやって来たアルベルトが、レティの前の席に座った。
どうやら女性達を振り切って来た様で。
ジャファルが居ない事から、彼女達は大胆になっているのだった。
女性達の中には昨夜の肉食侍女もいて……
凄い怖い顔でレティを睨んで来ていた。
朝までアルベルトの部屋にいたレティは、朝にエドガーをアルベルトの部屋に呼んで貰ってから自分の部屋に戻ったのだった。
昨夜なら……
アルが眠たそうにボーッとしていたから、いけると思ったのだろうけどね。
レティはその肉食侍女に向かって中指を立て、カカカと笑った。
ラウルにそれを見られていて……
またまたどやされてしまったが。
昨夜の事を何も知らない眠れる皇子様は……
そんなレティを楽しそうに見つめていた。
「 何だか……学園の時に戻ったみたいだな? 」
「 レティが入学して来た当時だよな? 」
「 こうして、1からやり直すのもありだよ? レティちゃん 」
「 !? 」
1から?
勝手な事を……
3人が……
私とアルを元サヤに戻そうと躍起になっているのがムカツク。
アルベルトはそこにレティがいれば、何時もレティから視線を外さない。
それは出会ってからずっとだ。
好きな人を自然と目が追うのは誰もが経験のある事で。
その視線にはすっかり慣れていたレティだが。
何だかこのアルベルトからの視線は気恥ずかしい気がするのだった。
「 沢山食べてる…… 」
「 !? な……何? 」
レティを見ていたアルベルトが、突然に呟いた。
その食べっぷりに感嘆していて。
「 言い方!」
それを聞いた3人が腹を抱えて笑い出した。
沢山食べてるって何なんだよ?牛じゃあるまいしとヒーヒーと笑って。
アルベルトは……
最近よく食事を共にしていたサリーナと比べていたのだ。
彼女は何時も大量に残していたのだから。
「 養蚕農家に行ってきます 」
食事が終わってレティが席を立つと、アルベルトも席を立ちレティを追い掛けた。
2人の後ろ姿を3人が見つめる。
「 なあ、レティは婚約指輪を外してたぞ 」
昨日はしてあったのにと言うのはレオナルドだ。
「 お前、よく気がついたな? 」
「 もしかしたら……俺達が思う以上に深刻なのかも 」
「 側妃問題をクリアしたのに、何の障害があるんだ? 」
2人の間でしか分からない何かがあるのだろう。
レティがまだアルベルトを好きなのは確かで……
アルベルトは記憶を失っても、レティをちゃんと愛しているのだが。
2人の6年を見て来た兄達は思う。
2人は離れてはいけないのだと。
後は……
アルに頑張れと願うしかない。
タイムリミットは明日だ。
明日にはレティを連れて帰国しなければ、結婚式に間に合わないかも知れない。
シルフィード帝国の未来が掛かっているのだ。
そう……
彼等の恋愛はそんじょそこらの恋愛では無い。
一国の未来が掛かった恋愛なのである。
アル……
頑張ってくれ。
頑張ってレティを口説き落として来いと、祈る兄達だった。
***
「 もう、婚約破棄をしたのですから、2人だけで同じ馬車には乗れませんわ 」
レティが乗った馬車に、アルベルトも乗り込もうとするのをレティは戒めた。
「 ………そうか……… 」
まるで叱られた仔犬の様にシュンとして……
アルベルトは馬車から離れた。
駄目だ。
可愛過ぎる。
走り出した馬車の窓から見たアルベルトは……
1人ポツンと立ち尽くしていた。
あの偉そうな皇子様がだ。
やっぱり……
あれは私のアルでは無いのよ。
でも……
可愛過ぎる。
レティはキュンキュンしながら何時もの養蚕農家に行った。
養蚕農家と言ってもここは砂漠だ。
なので養蚕農家は巨大な建物の中にある。
ジャファルが担う事業なので、特別にお金を掛けているのがよく分かる。
レティが作業をしていると……
女性達のキャアキャアと言う黄色い声が上がった。
皇子様の周りには何時も黄色い女性達の声がある。
アルベルトがやって来たのである。
そして……
この後はずっとレティの側をうろうろしていて。
時々交じわる視線は優しくて……
その瞳はレティの事を好きだと告げて来る。
そしてその視線は……
レティが昨夜の夕食のお礼にと、自慢の料理を作っている間もずっとあった。
椅子に後ろ向きに座り背凭れに腕を乗せ、そこに顎を乗せて、ずっとレティが料理を作る様子を眺めている。
レティは……
アルベルトが、レティの料理を作っている姿が好きだと言っていた事を思い出していた。
あれは……
兄達とのポンコツ旅の時だったか。
民家の台所で料理を作っている時も、こうやってアルベルトはずっとレティを眺めていたのだった。
「 時々、料理クラブの教室の窓から覗いて、料理を作る君を見ていてたんだ 」
……と言って、後ろから抱き締められて口付けをした。
ここにアルが居ても……
2人のそんな思い出は彼の記憶には無いのだと、レティは下唇を噛んだ。
***
養蚕農家からの帰り道。
この日初めてアルベルトがレティに話し掛けて来た。
「 帰国して私と結婚式を挙げよう 」
「 !? ………私の事を知らないのに? 」
「 これから知っていけば良い 」
「 私の事を好きでは無いでしょ?」
「 そなたが好きだ。そなたに会ってからは、そなたの事ばかり考えている 」
私の何を知って……
何を好きだと言うのか?
貴方は……
私の事は何も知らないじゃ無いか!
私にはループと言う……
アルと私だけしか知らない秘密があるのに。
掌をギュッと握り締めてアルベルトを睨むレティの、そのピンクバイオレットの大きな瞳から……
大粒の涙が溢れ落ちた。
「 !? 」
突然涙を流したレティに……
アルベルトが目を見開いて驚いている。
アルベルトが、記憶を失くして自分の事を忘れてしまったのは、自分のせいでもあるからと、ずっと自分を責め続けていた。
泣くまいとずっと我慢していた涙が次から次へと溢れて……
ゴシゴシと、涙を拭いても拭いても止まらない。
「 お兄様達はアルと話せと言うけれども、私の事を知らないアルと何の話をしろと言うの!? 」
レティの口は、もう止まらない。
「 1からやり直しなんて、もう無理なのよ! 20年もやり直しばっかりして来たのよ? また? また私にやり直しをしろと? 」
こんな事を言っても困るだけだ。
訳の分からない事を言っているのだから。
そう分かっているけれども……
ループの事をアルベルトに告げたあの夜から、彼は自分の全てを受け入れてくれたのだ。
自分だけで抱えて来た数奇な運命を……
共に生きてくれた。
自分の生きて来た15年を無かった事になるのが嫌。
2人で一緒に生きて来たこの6年が……
無かった事になるのはもっと嫌。
レティは声をあげて泣いた。
子供の様に泣きじゃくっていて。
そんなレティに……
訳が分からずに、ただただオロオロするだけのアルベルトだったが。
目の前にいる小さなレティが泣いているのが可哀想で。
その悲しい涙を拭ってあげたくて。
アルベルトはおそるおそるレティの頬に手を伸ばした。
レティと呼んだ時の様に……
また、怒らせてしまったらどうしようかと思いながら。
アルベルトの大きな手が頬に添えられると……
レティはビクとしてアルベルトを見上げた。
その真っ白でプクっとした頬に初めて触れた。
その頬は涙で濡れていて。
親指で優しく涙を拭った。
いや……
初めてじゃない。
アルベルトの手は覚えていた。
何度もこの頬に触れ、涙を拭ってあげた事を。
すると……
レティから熱い何かが流れて来た。
それはとても心地良くて。
自分の身体が求めていた、熱い魔力だと直ぐに分かった。
それと同時に彼女の記憶が入って来た。
大きな目を見開いて唐揚げを押し付けて来た彼女。
初めて手を繋いだのは夏祭り。
初めての口付けは……
逃げる彼女を追い掛けた時。
無理矢理口付けをした事は今でも反省をしている。
ループの話を聞いて、2人で泣いた朝。
悪役令嬢をしてる時の偉そうな顔。
魚を釣り上げた時のドヤ顔。
人を糾弾する時の悪そうな顔。
レティの笑った顔。
レティの泣いた顔。
レティの怒った顔。
緩やかに……
その記憶の全てがアルベルトの中に注がれた。
「 レティ……僕は……僕は君が好きだよ 」
「 !?……ア……ル? 」
涙をいっぱい目に溜めたレティを……
ずっと見つめていたアルベルトの瞳が変わって行く。
そこには……
眉尻を下げた……
レティの事を好きで好きで堪らないアルベルトの顔があった。