公爵令嬢を奪還せよ
出立の朝。
アルベルトが準備を終えて階下に降りると、クラウドがやって来た。
今回はクラウドは同行をしない。
多望な彼は、結婚式の準備をしなければならない為に同行出来ないのである。
「 殿下、出陣の間で陛下が待っております 」
「 ………父上が? 」
アルベルトが部屋に入ると……
そこには大臣や議員達が土下座をしている姿があった。
「 !? 」
「 我々の愚かな行いのせいで、リティエラ嬢がサハルーン帝国に行ってしまわれました事を心からお詫び申し上げます 」
入室して来たアルベルトを見たとたんに、皆はそう言って一斉に頭を下げた。
「 サハルーン帝国にはジャファル皇太子がおられて、彼はずっとリティエラ嬢に求婚して来ていると聞いてます 」
「 !? それは本当なのか!? 」
アルベルトは知らなかった。
誰も教えてくれないのだから知らないのは当然で。
……と、言うか……
レティがジャファルに会うとは限らなくて。
レティの置き手紙には、絹の生産方法を学びに行くと書いてあっただけなのだから。
「 殿下! どうかリティエラ様を取り戻して下され! 」
「 リティエラ様は我が国に必要なお方です 」
「 このままではサハルーン帝国に取られてしまいます! 」
ラウルの説教が余程こたえたのか……
居なくなって初めてその大切さに気付いたのか……
兎に角、大臣達は真摯に反省をしていた。
そして……
大臣達のその声は帝国民の声となっていた。
港まで行く道中には沢山の人々が沿道に集まり、公爵令嬢を奪還しに行くアルベルトを応援していた。
そう……
皇帝陛下から下された命がある。
「 シルフィード帝国アルベルト皇太子はサハルーン帝国へ赴き、結婚式の日までに公爵令嬢を連れて戻る様に 」
御成婚の日までは後1ヶ月半。
ロナウド皇帝は軍船の出動を命じた。
臨時に船を出したとしても、普通の船では結婚式の日までに帰還する事は出来ない。
風の魔石の魔道具を取り付けた、ハイスピードの出る軍船ならばギリギリ間に合うと言って。
この軍船は、以前にサハルーン帝国やグランデル王国やマケドリア王国への外遊の時に使った軍船だ。
しかし……
それは自前に訪国する事を伝えてあった事から問題にはならなかったのだが。
他国にいきなり軍船を差し向けるのは開戦を意味する事になる。
隣国であるタシアン王国との戦争を準備していた時、タシアン王国に程近い距離に、この巨大な軍船を待機させていたのは最近の話だ。
いきなり軍船が現れて、サハルーン帝国はパニックになるだろうが……
ロナウド皇帝は事情を書いた書簡をアルベルトに託した。
サハルーン帝国の皇帝に渡す様にと言って。
「 アルや……余の愚かな所為でこの様な事態となった事をそなたにも、レティちゃんにも詫びたい。これからそなた達の結婚式の準備をしながら2人の無事の帰還を待っているぞ 」
シルフィード帝国最高司令官のロナウド皇帝は、シルフィード帝国最高指揮官のアルベルト皇太子に命令を下した。
いつの間にか……
サハルーン帝国のジャファル皇太子から、公爵令嬢を奪還せよと言う話になっていて。
お祭り好きの帝国民達は大いに盛り上がっている。
つい先日まで盛り上がっていた聖女誕生の話題は、完全に消えてしまっていた。
今から2年前の建国祭の時に、サハルーン帝国のジャファル皇太子が、我が国の皇太子殿下の婚約者に求婚をした事は国民達も知る事で。
当時も……
公爵令嬢は、帝国の2人の皇太子を手玉に取る魔性の女だと話題になったのものだった。
「 殿下ーっ!! 頑張って下さーい! 」
「 シルフィード帝国に勝利を!! 」
「 サハルーン帝国から必ずや公爵令嬢を奪還して来て下さい!! 」
まるで3年前の軍事式典の時の……
グランデル王国のアンソニー王太子とレティの決闘の時を彷彿させる様な盛り上がりを見せていた。
今度は……
シルフィード帝国の皇太子VSサハルーン帝国の皇太子の戦いだと言って。
タシアン王国との本当の戦争が回避されて……
あの時、密かに燃えたぎっていた炎はここにぶつけられた。
馬車に乗るアルベルトに向かって……
沿道からはアルベルトを応援する声援が、何時までも木霊していた。
***
凄いスピードで進んだ軍船は、まだ陽が昇らない薄暗い早朝に、ロイヤルブルーの帝国旗をはためかせてサハルーン帝国の港に到着した。
港に突如現れた巨大なシルエットに、朝餉の支度をしようと外に出て来た港の人々はパニックになった。
ドラゴンに襲撃された時の恐怖が思い出されていたのだった。
日が昇り、シルフィード帝国の軍船だと判明したが。
当然ながら着岸する事は許されなかった。
港を守る兵士達は……
交渉しようとするレオナルドの話には、全く聞く耳を持たなかった。
今回の公爵令嬢奪還の旅は、サハルーン語の話せるレオナルドとラウル、エドガー、皇宮騎士団第1部隊が同行しただけである。
結婚式に間に合う様に帰還するには、直ちにレティを連れて帰らなければならないのだからと。
5時間後のジャファル皇太子の到着によって……
やっと街の人々のパニックが収まった。
当然追い掛けて来るとは思っていたけど……
本当に記憶が無いんだ。
アルベルトと握手をするジャファルは驚いた顔をしている。
今、目の前にいるアルベルトは、ジャファルを初めて見ると言う様な顔をしているのだから。
アルベルトの記憶を失った事の詳細は、ジャック・ハルビンからは聞いてはいたが。
「 突然の訪問をお許し下さい 」
ここに来た事の詳細を、サハルーン語の達者なレオナルドが説明をした。
ジャファルはシルフィード語も堪能なので、ここは2ヶ国語での話になっていて。
「 ああ、大体分かっている。ジャックとリティエラ嬢から話を聞いている 」
「 !? 妹と会ったのか? 」
ラウルが身を乗り出した。
「 彼女は私の宮にいる 」
偶然にも彼女の乗った船でジャック・ハルビンと出会い、彼によって自分の元に連れて来られた事を、ジャファルはアルベルト達に説明した。
「 妹が世話になって……感謝します 」
皆はレティの無事を聞いて心底安堵するのだった。
貴族令嬢の一人旅だ。
いくらレティが剣の腕が立つと行っても、危険極まりないのは確かな事で。
誰かに拉致されれば、永遠に戻って来ない可能性もあったのだから。
「 あのジャック・ハルビンに偶然に船で出会った…… 」
レティの強運さに改めて感嘆するのだった。
アルベルトは……
サハルーン語で話すジャファルの話は理解できる様だが、サハルーン語を自分の言葉にするのが難しそうであった。
あんなにペラペラだったのに。
「 それで? アルベルト殿はこれからどうする? 彼女の所へ行くの? 」
アルベルトはコクンと頷いた。
これがあの皇太子なのか!?
あれだけの弁が立って、煮ても焼いても食えない皇太子とは、まるで人が違うみたいに可愛らしい。
デカイ図体が小さく見えて。
レオナルドが笑う。
「 可愛らしいだろう? うちの皇子様は 」
何の記憶も無いのに、こんな遠くまで彼女を迎えに来たんだぜと言って。
ジャファルは……
レティを皇太子宮に滞在させているのは、ハイエナの様な自分の兄弟から守る為だと言う。
「 兄弟って……皇子達からか? 」
エドガーが驚いた顔をして、ラウルとレオナルドの顔を見た。
「 知らなかった?リティエラ嬢を狙ってる輩は多いんだぜ? 」
我が皇族の男共はより良い血を子孫に残そうとする。
だから我が国は一夫多妻制なのだと言う。
「 私の兄弟達が狙わない訳が無いだろう? 」
あれだけの美貌と才能の持ち主の女だ。
その上に公爵令嬢と言う高い身分なのだからなと言って。
「 妹が皇子達に狙われていただと? 」
「 うちの皇女達もハイエナみたいだったろ? あのラビアも私の従兄妹だからな 」
男も女も同じだとジャファルは笑った。
ラビアとは……
アルベルトに相談があるとアルベルトの部屋に突撃して、待ち構えたレティに撃退された外交官の令嬢だ。
弱肉強食を絵に描いた様な国がサハルーン帝国。
より強い血を残そうとする輩達は……
妻がいようと、夫がいようと、婚約者がいようとお構い無しなのだ。
「 では……ジャファル殿下は何故レティを……その…… 」
ラウルは言いにくそうにした。
未だにウォリウォール家には求婚する書簡を送ってくるのにと。
「 私が何故リティエラ嬢をものにしなかったかって聞きたいの? 」
それはね。
「 私が皇太子だからだよ 」
皇太子は国益を第1に考えなければならない。
今、シルフィード帝国と仲違いをするわけにはいかないからねと笑った。
皆はアルベルトを見た。
やはり……
聖女を側妃にすると答えたアルベルトは、何ら間違いは無かったのだと。
それが次の御代を担う皇太子の覚悟で。
「 まあ、求婚の書簡は、まだ諦めてはいない事を彼女に知って欲しいからさ 」
彼女が皇太子妃になったとしても私は諦め無いよと、ジャファルとラウル達の話を、ボーッと聞いているアルベルトを見てニヤリと笑った。
一夫多妻制の国……恐るべし。
危険だ。
レティをここに置いてはおけない。
そして……
アルも。
いや、このボーッとした美貌の皇子はもっと危険かも知れない。
ロナウド皇帝からの書簡を皇帝陛下に渡して貰う様にと、ジャファルの部下に書簡を託した事から、皇女達にアルベルトが来てる事が知れるのは時間の問題だ。
いや、皇太子宮にいる侍女やメイド達もかなり危険では無いのか?
兄達は早く帰国しようと強く思ったのだった。
***
その日……
レティは戻って来るのが少し遅れた。
お世話になっている養蚕農家の人達に、夕飯をご馳走になったのだった。
農家の人達とはもうすっかり仲良しになっていた。
「 明日はわたくしが料理を作りますわ 」
そう言って皆と別れた。
外に出ると皇太子宮の馬車が迎えに来ていた。
馬車だけでは無い。
護衛の騎士達もずっとレティの側にいて。
このままジャファル殿下のお世話になる訳にもいかないわよね。
皇太子宮にいるからか、護衛騎士までつけてくれていて。
シルフィード帝国に戻るのは半年後位になるだろうから、農家の人に頼んで何処か空いている家を探して貰おう。
馬車に揺られながらレティはそんな風に考えていた。
ジャック・ハルビンなら適当な家を探し出してくれそうだが、レティをここに連れて来てからは、彼は1度も姿を見せなかった。
次の旅先に行ったらしい。
馬車は皇太子宮の正面玄関口に到着した。
荷物を持って降りる準備をしていたら……
馬車の窓には人影のシルエットがあった。
誰かがドアの前で待っている。
そのシルエットが悲しい程に美しい。
確かめなくてもそれが誰だか分かる。
ドキドキと早鐘の様に波打つ心臓が……痛い。
カチャリ……
御者により扉が開けられた。
そこには……
20年以上も前の……
入学式のあの日に初めて恋をした日から……
少しも変わらずに、ずっと恋慕う皇太子殿下の姿があった。