公爵令嬢の居ない皇宮
皇族の3人が暮らす皇宮。
そこで働く沢山の使用人達や警備の者達は、この巨大な皇宮でただ1人の女性をずっと待っていた。
皇子様の伴侶となる女性を。
何時かはこの皇宮にやって来る新しい家族を。
皇子様に想い人がいる事を知り、その想い人が公爵令嬢だと知った時の歓喜。
ウォリウォール宰相のご令嬢ならば、何の問題も無いお相手だと言って。
公爵令嬢のデビュタントでは……
皇宮に勤めるスタッフの皆が、皇子様の想い人を一目見ようと、舞踏会の会場に押し掛けた事は今では懐かしい思い出だ。
そして……
その美しくも可愛らしい様相に心を踊らせた。
将来のお世話する主が、美しい令嬢に越した事は無いのだから。
何よりも……
あの甘くも蕩けそうな初めて見る皇子様の顔に、皆が驚いたのだった。
虎の穴や皇宮病院に通う様な才色兼備な公爵令嬢が、自分達が仕える主になる事は、使用人達にとってはこの上なく誇らしい事だった。
その美しくも愛らしい公爵令嬢は……
使用人達にも気さくで優しくて、よく食べよく笑い、皆とも楽しく話をする令嬢だった。
皇帝陛下のチェスのお相手をしたり、皇后陛下とお茶をしている姿を見るのも、使用人達にとっては嬉しい事であった。
後は……
幸せな御成婚の日を待つだけだった。
皇太子妃が誕生するその日はもう直ぐだった。
そんな美しくも愛らしい公爵令嬢が、皇宮から居なくなった。
そして……
皇宮に居るのは聖女である平民女性だった。
公爵令嬢が居なくなると聖女の所為が気になった。
何だか公爵令嬢に似せているのが気持ち悪い。
立ち姿や歩き方1つにしても全く公爵令嬢とは異なるのに。
話す声量は妙に大きいのが兎に角耳障りで。
食事のマナーがなって無いなのは平民だから仕方が無いとは思うのだが。
貧しい農家の平民女性が、聖女になったと言う事を売りにしている割には、出された料理を平気で残し、その上に好き嫌いが激しい。
いくら聖女は尊い存在であったとしても……
ここにいるのはただの平民女性なのだと思い知った。
こんな異物が皇宮に居るのが耐えられない。
側妃として彼女に仕え無ければならないのが嫌過ぎる。
サリーナが皇宮に来てからは、皇宮の使用人達はそんな風に思っていたのだった。
出された料理を嬉しそうに、一粒も残さず綺麗に平らげる公爵令嬢を、たまらなく愛しく思うのであった。
そして……
皇宮の異物はサリーナだけでは無かった。
サリーナの家族が皇宮に呼ばれていたのだ。
家族と離され、他国に連れて来られているサリーナに同情して、ロナウド皇帝がサリーナの家族を呼んだのだ。
農家の両親と弟2人と妹1人が、いきなり帝国の皇宮に連れて来られたのである。
彼等も、初めは借りて来た猫の様に大人しくしていたが。
貴族である皇宮の侍女やメイド達が、平民の自分達に傅く事に、やがて喜びを覚える様になった。
そして……
聖女の親である自分達は、傅かれる事が当然だと勘違いをし出した平民家族達は、次第に態度が横柄になっていったのだった。
皇宮の馬車で行く買い物は、店の皆が頭を下げて手揉みをしながら近付いて来る。
聖女の家族だと言えば……
皆から特別扱いをされ、豪華な部屋に通されて高級なお菓子とお茶が出され、好きなだけ買い物をする事が出来た。
皇宮の庭園を家族で散歩をすれは……
そこには、皇太子殿下と散歩を楽しむ娘の姿があった。
あの麗しき皇太子殿下の側妃になると言う、信じられない事が現実になったのだと思った。
ならば……
側妃の親には豪邸があてがわれて、生涯お金に困らず、使用人に囲まれた贅沢な暮らしが出来る。
働いても働いても貯金一つ出来ない生活を捨てられるのだと思った。
あんな寒いだけのミレニアム公国を出られるのだと、彼等は有頂天になっていた。
しかし……
好き勝手し出した皇宮の異分子に皇宮の主は、命令を下した。
「 あの一家をこの宮殿から追い出しなさい! それから……聖女も一緒に追い出して! 彼女は皇宮に住むには分不相応です 」
アルベルトの側妃にならないなら、ここに居る必要も無いでしょう……と言って。
それでも……
聖女がアルベルトの目を見える様にしてくれた事には感謝していて。
当面の間は自分の経営する豪華なホテルに家族と住む様に取り計らった。
そのホテルは外国の要人達も泊まるホテル。
セキュリティーはバッチリである。
本来ならば……
皇宮には滞在する事の出来なかったミレニアム公国の公子達6人も、サリーナ達と同様にホテルに移す事を命じた。
皇宮に滞在出来るのは王族に限られていて、大臣クラスは近くのホテルに滞在するのが常なのだが。
聖女と言う名を元に……
彼等もまた特別扱いをされていたのだった。
こうして……
皇宮の異分子達は、皇后の命令によって皇宮から居なくなったのである。
***
「 何!? 皇后が聖女達を追い出したとな? 」
その知らせを受けたロナウド皇帝は驚いた。
いくら皇太子の側妃にするのを断念したと言えども、聖女がどれだけ大切な存在であるのかは変わらない。
ロナウド皇帝は頭を抱えた。
今まで口を閉ざしていた宰相ルーカスが動き出せば、その全てが前に進み出した。
ルーカスは先ずはあのミレニアム公国の公子達を、ホテルに移す事を指示して、一から交渉事をスタートさせる事を提案した。
早く言えば……
エドガーやレオナルドの言う様に脅せば良いのだと。
聖女を特別扱いするのは分かるが……
この公子達を特別扱いする意味は無いのだから。
一度は持ち上げて、皆がちやほやしたのだ。
それは完全にこちらの落ち度である。
だから……
どうやって彼等に皇宮から退去して貰うのかを考えている所だったのである。
今回の聖女の側室騒ぎは……
聖女誕生に舞い上がってしまったロナウド皇帝や大臣達の失策だった。
レティやラウル、エドガー、レオナルドの決死の進言で目が覚めたのである。
ロナウド皇帝もルーカスも己の所為を反省した。
何よりも大切にしないとならないのはアルベルト自身だと言う言葉に。
「 皇后陛下が全ての後始末をやって下さいましたな 」
流石は皇后陛下ですねと言って、ルーカスは笑った。
「 ああ……流石は我が国の帝王だ 」
ロナウド皇帝は苦笑いをした。
シルビア皇后は生まれながらの王女である。
平民とは絶対に関わる事の無い身分だ。
彼女が下品な平民達を容認出来る筈は無い。
この皇宮は自分のテリトリーなのだから。
それに……
サリーナを何故側妃にしなければならないのが理解できなかった。
二百年振りの事を慣例だと言うのは、アルベルト同様におかしな事だと思っていて。
それでも……
彼女は政治に口を出す事は一切しないので、その疑問はスルーしていたのである。
政治には口を出さないが、この皇宮の管理は彼女に任されていた。
皇帝の主催である晩餐会や舞踏会は、出される料理や飾り付け等のその全てを彼女が仕切っていて、皇宮の内装や調度品から庭園に至るその全てが、シルビア皇后の管理下にあるのである。
その自慢の庭園を……
あの平民の小汚いガキ共が荒らし、大切にしていた薔薇を踏みつけられたのだから、彼女は我慢の限界を超えたのである。
追い出されただけで済んだのはせめてもの温情だ。
***
サリーナは、レティが皇宮から居なくなった3日後にホテルに移された。
側妃にはしないと決まった事から、もう皇太子宮には自由には入れ無くなっていた。
それでも……
何度もアルベルトに会いたいと言って来ていると言う。
魔力の相談があると言って。
しかし……
アルベルトは会わなかった。
側室になる女性だからと親しくしていただけで、サリーナ自身に対しては何の感情も無かった。
そもそも……
今の自分には、魔力の事なんて何にも分からないのだから、会った所でどうしようも無いのだと思っていて。
そして……
サリーナに会わない事で、気持ちに少し余裕が出来て来ていた。
彼女の話す言葉に、かなり混乱させられていた事は間違い無かった。
カチャリ。
アルベルトはレティの部屋だった客間のドアを開け、中に入って暗い部屋に灯りを灯した。
ここに彼女はいたのだ。
侍女長のモニカに聞けば……
1年前から入内して、彼女はここで暮らしていたのだと言う。
アルベルトは……
あの時に思い出しかけていた事を思い出そうと、クローゼットに吊るされている学園の制服を見つめた。
濃紺のブレザーと膝下まであるフレアースカートの制服。
ブレザーの襟とスカートの裾には白いラインが入っていた。
彼女はこれを着て俺に笑い掛けてくれたのだろうか?
制服を見ても……
もう、何も思い出せなかった。
自分とは何の話もせずに……
あの場所でにいきなり婚約破棄を告げるなんて。
彼女は俺の事を好きでは無かったのか?
彼女に会った時……
一度も会いに来なかった理由を聞いた。
「 わたくしの事を殿下が覚えてらっしゃらないからですわ 」
その時彼女はこう答えた。
そして……
「 私はそなたを寵愛していたと聞いたが? 好きだったのは私だけなのか? 」
この問いには彼女は答えなかった。
何故だ?
本当は……
俺達は記憶を失う以前から上手くいって無かったのか?
2人の間に……
彼女が婚約破棄をしたいと言う何かがあったのか?
彼女の事を想えば想う程に、そんな不安がどんどんと増していく。
俺が側妃を持つのが嫌だと言うのなら……
もっと真剣に話し合うべきだったのに。
アルベルトは白い靄の掛かった様な頭で必死に思い出そうとしていて。
あの時……
彼女はこうも言った。
「 聖女様をどうなさるおつもりですか? 殿下のお気持ちをお聞かせ下さい 」
「 我が国としては聖女を欲しいと思うのは当然の事だ。大臣達からは、そなたもサリーナを側妃にする事を理解していると聞いたが? 」
この答えの後……
彼女は泣きそうな顔をしたのだ。
とても悲しそうな瞳をして。
アルベルトは……
ソファーにドカッと座り、背凭れに持たれて先程からズキズキとする額を押さえた。
何かを深く考え様とすると決まって頭がズキズキと痛むのだ。
その時……
コンコンとドアが叩かれた。
「 何だ? 」
「 殿下……リティエラ様の忘れ物をお持ち致しました 」
侍女長モニカは……
ベッドの脇に挟んでありましたと言って、アルベルトに持って来た冊子を渡すと直ぐに部屋から下がった。
「 ベッドの脇に? 」
何だろうと冊子を開いてみると……
そこには自分の姿絵があった。
「 ………… 」
1枚1枚と順にページを捲って行く。
正装の軍服を着用した全身の立姿。
沢山の勲章を着けた胸から上の姿。
白馬に乗った姿絵は何枚もあった。
魔力を込めている姿。
マントを翻して魔力を放出している姿。
横顔の姿絵があったり、10歳の頃の少し幼い自分の姿絵までが綺麗に綴じてあった。
そこには沢山のアルベルトがいた。
軍服の姿絵がやたらと多いのはレティの好みの問題で。
アルベルトは泣きそうになった。
彼女も好きでいてくれたのだと。
あの婚約破棄は……
彼女の本意では無いのかも知れない。
明日は軍船に乗り、サハルーン帝国に向けて出港する事になっている。
「 私は……彼女を追い掛ける 」
レティがサハルーン帝国に行ったと聞かされたアルベルトは、その時直ぐにそう言った。
レティに会いたい気持ちがどんどんと強くなっていて、居ても立ってもいられなくなっていた。
どうしても会って話をしたい。
彼女とは……
まだ何の話もしていないのだから。