公爵令嬢の引き際
「 わたくしリティエラ・ラ・ウォリウォールは今ここで、アルベルト・フォン・ラ・シルフィード皇太子殿下との……婚約を破棄いたします! 」
「 !? 」
一瞬静まり返った議会場は騒然となった。
何だって!?
婚約を破棄?
聞き間違いか?
「 ウォリウォール公爵令嬢! 我々は貴女様は皇太子妃に相応しいと思っております 」
「 我々の話で気分を害されたのなら申し訳無い 」
「 聖女はあくまでも形だけの側室であって…… 」
レティの突然の婚約破棄宣言に大臣や議員達が慌てふためいた。
皆がルーカスの方を見るが……
そのルーカスもショックで固まっていた。
何時も冷静な宰相は、レティの事になると固まってしまう事が多い。
この娘のとんでも発言で。
大臣達は、先程までの有無を言わさない様な横柄な物言いとは打って変わって、低姿勢でレティを見やった。
「 先ずは婚約を破棄なさる理由をお聞かせ下さい 」
「 殿下がわたくしを好きでは無いからですわ。わたくしは、わたくしだけを好きな殿下で無いと嫌ですの 」
皆は一瞬アルベルトを見やって、直ぐにレティを見た。
椅子に座ったままのアルベルトはじっとレティを見ていた。
「 殿下はずっとリティエラ嬢を寵愛してましたでしょ? 今は記憶を失っておられますから仕方が無いのでは? 」
「 記憶を失う前はそうでしたね。でも今は違いますわ 」
「 だからと言って…… 」
皆は、レティが何を言いたいのかが分からなかった。
記憶を失っても殿下は殿下だろと口々に言う。
「 わたくしは……殿下の唯一無二になりたいだけです。側妃を迎え入れなければならないのなら……わたくしが身を引きますわ 」
レティの言い分は到底納得が行くものでは無い。
「 貴女様は殿下の決める事に従うと言われましたよね? あれは嘘だったのですか?」
「 仕方が無いと言っただけで、従うなんて事は一言も言ってはおりませんが? 」
レティは自分の胸の前で腕を組んだ。
「 しかし……確かに公爵令嬢はあの時に認めると言った! 」
あの時、その場にいた大臣達がそうだそうだと言っていて。
「 言った言わないの不毛な論議は止めましょう。幼稚な事ばかり仰られても話が前に進みませんもの 」
ピシャリと言ってレティはニヤリと悪い顔をした。
自分達のレベルが低いと言われた感満載で、大臣達は黙ってしまった。
「 では……貴女様の今言ったばかりの無責任な発言の話を続けましょう 」
「 無責任とは? これはどう言う意味で? 」
「 婚約破棄など安易に言うものではありません。そんな重要なキーワードは脅し文句にはなりませんから 」
要は、本気で無いのなら、婚約破棄などと言う言葉を安易に使うなと言っているのだ。
今、議員席から鋭い意見を発したのはベルーシス侯爵だ。
まだ30代の若い議員の彼は、病で臥せっている父親の代理でこの場にいた。
シルフィード帝国では、大臣職も議員職も世襲制。
実力で伸し上がる事が出来るのは騎士達だけであった。
大臣以外ではドゥルグ家の一族が騎士団の上役を努めてはいるが……
それはやはり、剣術に長けているドゥルグ家の実力がそこにあるからであった。
ベルーシス侯爵。
そう言えばお兄様が、彼は頭がキレて鋭い意見を言うと嬉しそうに言っていたわね。
成る程。
相手に取って不足は無い。
レティの目はキラリと輝いた
「 それは聞き捨てなりませんわ。わたくしがはったりや脅しを、この陛下のいらっしゃる重要な会議で言ったのだと? 」
「 いや……そんな意味では……決してありません。それには謝罪を致します 」
ベルーシスはレティに丁寧に頭を下げた。
「 では、質問を変えます。貴女様はこの婚約破棄の話を殿下となさいましたか? 見れば殿下も今初めて聞いたような顔をされておりますが? 」
頭の切れるベルーシスに、全てを任せた大臣達や議員達がうんうんと頷いている。
アルベルトもこくんと頷いた。
それを見て……
記憶を失くしたアルは、何だか可愛いと思ってしまってレティは胸がキュンとした。
好き。
レティは……
アルベルトから目を離して、いけないいけないと頭をブンブンと横に振った。
「 こんな重要な話を、当事者である殿下と1度も話をしないのは如何なものかと 」
有利になったとばかりに大臣が声を大きくした。
チッ!
そこを突いて来るとは敵も中々やるわね。
「 ええ……殿下とお話をしなかった事は否定はしません! でも……記憶を失くした殿下が懸命に思い出そうと模索している中で、婚約破棄の話なんて出来る筈もありませんわ 」
「 だったら、今ここでなさらなくても 」
呆れた様な顔をするベルーシスにレティはカチンと来た。
「 結論を急いだのは貴殿方ではありませんか!? 」
レティの言葉に今度はベルーシスが眉を吊り上げた。
「 ミレニアム公国側が、聖女を殿下の側妃にしなければ聖杯と聖剣に浄化の魔力を融合しないと主張して来る以上は、急ぐのは当然の事です。貴女はそれをしなくても良いと言うお考えですか!? 」
「 ええ……勿論、今我が国の優先すべきは聖女に浄化をさせる事ですわ。だからこそわたくしは身を引く結論を出しました 」
それの何処がいけないのかと、レティはベルーシスを見ながら溜め息を吐いた。
「 側妃を認めないと言う貴女様は、皇族に嫁ぐと言う覚悟が足りないのでは? 」
「 ええ……足りないからこそ。未熟なわたくしでは皇太子妃は務まらないと考えましたの 」
「 しかし……ここに来ての婚約破棄は無責任ではありませんか? 結婚式は2ヶ月後なのですぞ? 」
「 無責任? 」
レティは今度は大臣の方を見た。
三方に囲まれた議会場の中心に座る小さな少女を、大の大人の男達が寄って集って尋問していると言う光景がそこにあった。
「 我が国が聖女を必要とし、それには殿下の側室にすると言う考えは理解してます 」
「 だったら…… 」
「 何度も言いますが……わたくしは殿下の寵愛を、他の女性と共有分したくはありません! だけど……聖女に浄化をして頂くには、聖女を側室として認め無ければならないんですよね? 」
大臣が口を挟もうとしたのを、レティが片手を上げて止めた。
まだ話は終わって無いとして。
「 それが出来ないから……こうして殿下との婚約破棄を申し出たのです。これの何処に無責任と言う言葉が当てはまるのですか!? 」
レティと大臣や議員達の、緊張した激しい応酬が続いていた。
百戦錬磨の大臣達にも曲者の議員達にも……
一歩も引かず堂々と渡り合うレティは格好良かった。
周りにいる文官や女官達が手に汗を握りながら、レティを応援する。
ここには学園時代に、イニエスタ王女をやり込めたレティを見ていた者達が多くいた。
「 頑張ってリティエラ様 」
中には泣いている者もいて。
あんな小さな身体で……
自分達の上司である大臣達とやり合っているのだ。
たった独り……
被告人席に座って。
レティは更に攻撃を続ける。
「 女性なら嫌な事も全て受け入れるのが当たり前であり、殿方の決めた事に従わなければ、それを無責任と言われるのなら…… 」
そして……
息を大きく吸って胸を張った。
「 わたくしは……そんな女性蔑視に抗議の声を上げる為にも、この婚約破棄を主張致します! 」
議会場から拍手が沸き起こった。
女性文官や女官、いや女性だけでは無い。
若い男性の文官達が立ち上がって拍手をしていた。
大臣達は狼狽えた。
こんな事は初めての事だった。
「 しかし……御成婚の日まで後2ヶ月なのですぞ! ここで婚約破棄なんかしたら、結婚式はどうなるんです? 」
「 わたくしは今、破棄を申し出ましたから……あっ! 聖女様と結婚式を挙げられては? 」
「 そんな……殿下と平民女の結婚式だなんて…… 」
「 平民女は皇太子妃にはなり得ません! 」
「 リティエラ嬢! お願いですから考えて直して頂きたい 」
皆がレティに懇願する。
結婚式には世界中の王太子や王太子夫妻がやって来る。
平民のサリーナが公爵令嬢の代わりなど出来る筈もない。
そもそも平民が皇太子妃になる国など、恥ずかしくて他国の前に出られない。
きっとどの国にも相手にされなくなってしまうだろう。
そもそも公爵令嬢のレティが正妃であるからこそ、平民女を側室にする事が成り立つのだから。
「 だったら、新たに花嫁を募集すれば良いのでは? 殿下なら直ぐに見付かりますわ。何処かの国の王女であろうとも。
そう、殿下は記憶を失っているのですから、貴殿方のやりたい放題が出来るではありませんか? 」
「 そ……それは…… 」
皆は黙ってしまった。
レティの鋭い指摘に。
アルベルトが記憶を失った事をいいことに、無理やりサリーナを側室にしようとする事をレティに批判されたのだ。
これにはロナウド皇帝やルーカス達もぐうの音も出なかった。
完敗だった。
議会室は静まり返ってしまった。
ずっとレティを見つめているアルベルトは何を考えているのか。
レティは一歩前に進み出た。
皆がレティが何を言い出すのかとビクリとする。
「 陛下!慰謝料請求は半額でお願いしますわ! 殿下が記憶を失った事が原因ですから 」
一方的な婚約破棄には勿論慰謝料が発生する。
ここではレティが支払わなければならないのだ。
ここで慰謝料の話?
陛下に慰謝料を値切った!?
嘘だろ?
議会場が騒然となった。
「 いや違うわね。記憶喪失の原因を作ったのは私が雷獣に石を蹴っ飛ばして当てたからだわ 」
……と、ぶつぶつと言って、レティは自分の眉間を親指でグリグリとした。
「 では……2/3の慰謝料の請求で手打ちにしましよう 」
レティはパンと手を叩いた。
交渉成立の手打ちだ。
お金の交渉をするレティは商売人。
皆はレティのパンと叩いた手音にビクリとした。
やはりこの令嬢はただものでは無い。
我々を論破する頭脳。
こんな場で陛下と対等に話せる力。
その威風堂々とした姿に皆が惹き付けられた。
ロナウドもルーカス、デニスやイザークまでもが固まってしまっていた。
シルフィード帝国の三大貴族である彼等は……
他の大臣や議員達が意見を出しやすい様に、ある程度議論が成されるまでは、何時も自分達の意見を伸べるのを控えているが。
議会室はざわめき出した。
公爵令嬢をどう説得すれば良いのかが分からない。
皆がルーカスを見た。
その時……
「 それから……最後に1つだけ言わせて貰いますわ 」
レティがそう言って姿勢を正すと、議会場は静かになった。
また何を言い出すのかと固唾を飲んだ。
「 自国のみが特出した栄華は、やがては己の国を滅ぼす事になりかねませんわ。お気を付け遊ばせ 」
聖女の浄化の魔力を……
自国だけが一人占めをしようとする、シルフィード帝国のやり方をレティは批判したのだ。
そして……
レティは、先程からボーゼンとしているアルベルトの前に進み出た。
「 殿下……ご機嫌よう 」
にっこりと笑って。
レティは優雅なカーテシーを披露すると……
胸を張って議会室を後にした。
皆は閉められた扉を暫くずっと見ていた。
***
レティはその日の内に皇宮を後にした。
この令嬢はこうと決めたらやる事が早い早い。
既に荷物は昨夜に整理をしていて、公爵邸に持ち帰る物をトランクに詰めていた。
婚約破棄をしたのだから皇宮の馬車は使えないと思い、使いをやって公爵邸から馬車を呼んでいた。
「 短い間でしたが……お世話になりました 」
レティは見送りに来ていた侍女や女官達に挨拶をした。
「 リティエラ様……… 」
皆がすすり泣いていた。
「 ……有り難う…… 」
「 リティエラ様…… 」
レティは一人ずつに握手をした。
皆が言葉を失っていた。
今にも泣き出しそうな顔のレティを見ると、胸が痛くなった。
本意では無いのだ。
婚約破棄だなんて望んでした事では無いのだと。
議会場での……
大臣達とやり合った、堂々としたレティの姿はそこには無かった。
一生涯を掛けてお仕えするお方だった。
殿下が初めて彼女を皇太子宮にお連れした時には、皆が喜んだ。
殿下の横に並ぶには相応しいお方だと。
リティエラ様と出会われてからの殿下は変わられた。
学園に行く毎日が本当に楽しそうで。
リティエラ様が入内されてからは……
何よりも幸せそうなお2人だった。
いつの間にか雨が降って来ていて。
レティの乗った公爵家の馬車は……
カラカラと車輪の音をさせながら、ザーザーと雨の音がする夜の闇に消えて行った。
行ってしまわれた。
皆が泣いた。
肩を震わせて涙した。
殿下……
どうか早く記憶を取り戻して下さい。
貴方の愛する女性を思い出して下さい。
あれ程までに大切にした……
貴方の最愛の女性が……
この皇宮から行ってしまわれました。




