4度目の死
両陛下が皇太子宮のアルベルトの部屋にお見舞いに訪れた。
ここに来るのは久し振りだと言って。
アルベルトは5歳の時にこの皇子部屋に移ってから、ずっとこの部屋で独りで暮らしている。
レティと結婚してからは、隣の皇太子夫婦の部屋を使う事になっていて。
もう部屋の内装も完成していて、後は主達がここで新婚生活をするのを待っている。
結婚する前の一番楽しい時……な筈だった。
特に……
レティの数奇な運命のループを乗り越えた2人にとっては、後はレティの21歳の誕生日の日に結婚式を挙げるだけだった。
聖女が誕生するまでは。
「 ごめんなさい。私が石を蹴飛ばさなかったら、こんな事にはならなかったのに…… 」
レティはずっとそう言って悄気ていた。
そして……
悄気ていたのは騎士達も同じで。
いくら皇帝陛下が、魔獣を討伐出来たのだから良いのだと言っても……
主君を負傷させたのが許せなかったのだ。
「 いや、あれは俺のミス! 斬れば血渋きが飛ぶのは分かりきっていた事だ。俺の剣術がまだまだ未熟だと言う事だ 」
アルベルトは……
見舞いに来たロバート騎士団団長と第1部隊の隊長に、騎士達に気にするなと伝えろと言って笑った。
そう……
魔力が開花してからは魔力に頼って来たきらいがある。
決して剣の訓練を怠った訳では無いが。
***
「 勿論、確かな事ではありません。あくまでもそうなるかも知れないと言う可能性があると言う事です 」
魔獣の血が目に入ったと言う事例は、今までに報告されてはいない。
魔力研究の第一人者であるルーピンであろうとも、どうなるかは分からない事だった。
ましてや聖女は二百年振りの誕生で、今は浄化の魔力に付いて調べている最中なのだから。
ただ……
魔獣の血が目に入ったままの状態では、何れは何らかの異常を来す事になる恐れがあるから、浄化は早急にした方が賢明だと、ルーピンだけでなく医師達もそう判断した。
目はそれ程に繊細なものだと。
アルベルトは迷っていた。
勿論、目は見える様になりたいが……
自分の記憶を失ってしまう事が怖くない筈が無い。
かと言ってこのまま見えないままではいたくない。
記憶を失うって何処まで?
何もかもを綺麗さっぱりに忘れるのか?
ラウル、エド、レオ達との幼い頃からの記憶も?
愛しくてたまらないレティの事も忘れると言うのか?
アルベルトがレティと出会ってからのこの5年間は、皇太子として大きく成長した時でもあった。
シルフィード帝国の、唯一無二の皇子であるアルベルトの成長を、陰日向から見守る父である皇帝陛下や大臣達が目を細める位に。
そして……
レティと過ごす日々が、アルベルトの今まで無かった感情を引き出す事になっていた。
レティと出会う前の自分は、まるで人形の様だったと自分でも自覚する程に。
レティのループを知ってからは、2人で色んな困難を乗り越えて来た。
アルベルトの成長はこの困難と向き合い、乗り越えようと模索した結果だと言える。
そんな自分の全ての記憶が失うと言うのだ。
その結果、どんな自分になるのかと思うと怖くて仕方が無い。
しかしだ。
レティに手を引いて貰わなければ1人で歩けない自分が、この帝国の皇帝になる訳にはいかない。
やがてはこの国を担う立場の者としての答えは決まっていた。
「 レティ……君はどう思う? 」
「 ………分からないわ…… 」
2人は朝食後に庭園を散歩していた。
目に白い包帯を巻いているアルベルトが痛々しい。
何時も2人で座る東屋のベンチに、アルベルトを座らせてレティも隣に座った。
学園時代に……
レティの料理クラブが終わるのを、アルベルトが待っている時に座っていた、皇子様のベンチと呼ばれているベンチが学園の並木道にあった。
その皇子様のベンチは今でも大切に温存されてるらしいが。
皇宮の庭園にも……
2人がデートで散歩をする時に何時も座るベンチがあった。
皇宮のスタッフ達は『皇子様のベンチ』をなぞらえて、この東屋のベンチを『 両殿下のベンチ 』と呼んでいた。
まだそう呼ぶのは少し早いのだが。
「 君の意見を聞きたいんだ 」
「 ……… 」
レティは知っている。
今まで親しくしていた人達が、自分の事を全く知らない人として見られる事の辛さを。
その辛さを3度も経験したのだ。
救いだったのは家族がいた事で。
家族だけは……
20歳の自分を忘れても、14歳までの自分の事を知ってくれていたのだから。
「 私は……やっぱり目が見える様になって欲しいわ 」
これからの人生の方が長い。
ましてやアルは我が国を統べる皇帝陛下となる皇太子殿下。
迷いなどあろう筈も無い。
たとえ……
私の事を忘れても。
「 うん……君がそう言ってくれて安心した。たとえ僕が記憶を失っても……きっと君を再び好きになるに決まってる。君を見た瞬間に……僕は一目惚れをするのだから 」
白い包帯をしたアルベルトの顔がレティの方を向いた。
陽に当たりキラキラとした黄金の髪に、すっと高い形の良い鼻と、厚くもなく薄くもない形の良い唇。
綺麗な顎のライン。
それだけでも美しいと思うのに。
この綺麗なアイスブルーの瞳が、何も移さないなんて事はあり得ない。
レティはアルベルトの頬を両手で触った。
この人の瞳は……
自国だけで無く世界を見据えていく瞳なのだから。
「 もしかしたら、君への愛が強過ぎて君を忘れないかも知れないよ 」
多分そうなるよと言って、アルベルトはレティを掻き抱いた。
もしかしたら……
これが2人の最後の抱擁になるかも知れないと思って、レティもアルベルトをギュッと抱き締めた。
そして……
この後、聖女に浄化をして貰う事になった。
***
浄化は皇太子宮のアルベルトの部屋で行うと言う。
アルベルトは難色を示したが……
倒れる様な事になったら大変だと、病院長とルーピンが主張した事から、アルベルトは自分のベッドの上に座らされた。
何時もレティと寝ているベッドだ。
皇太子宮にはレティ以外の女性は入室した事は無かった。
勿論、侍女やメイドを除いての事だが。
ここにいるのは……
アルベルトとレティの他には、両陛下とクラウドとルーピン、病院長だけだった。
聖女が入室して来た。
聖女の衣装を着て。
「 アルベルト様の部屋 」
サリーナは小さく呟いて、部屋をキョロキョロと見まわしながら、侍女長のモニカに連れられて広い部屋の中を進んで来た。
天井から吊るされた豪華なカーテンの中のベッドの上には、目に白い包帯が巻かれたアルベルトが座っていた。
襟のボタンが少し開いた緩やかな白いシャツを着ていて。
公務の時には着ないラフな装いだ。
それがまた格好良くて。
そんなアルベルトに見慣れていないサリーナは、胸をときめかせた。
この部屋の奥のソファーには両陛下が座っていると言うのに、サリーナは挨拶もしないでベッドの横に用意された椅子に座ろうとして。
平民だからの問題では無い。
これは礼儀だ。
「 聖女様。先ずは両陛下に礼を尽くしなさい 」
クラウドが呆れた顔をしながら言うと、サリーナは慌てて両陛下の前に行き、小さくお辞儀をした。
皇族への挨拶の礼儀であるカーテシーはまだ出来ない。
「 サリーナ! 皇太子を頼んだぞ 」
ロナウド皇帝は柔らかに微笑んでいたが、シルビア皇后は無表情のままにサリーナを見据えていた。
「 サリーナ。宜しく頼む 」
サリーナが近付いて来た気配を感じてアルベルトが言う。
やはりかなり緊張をしていて。
「 はい…… 」
サリーナは小さな声で返事をすると……
慣れない手付きでアルベルトに巻かれた包帯を外した。
パラリと包帯が解けて美しい顔が現れた。
瞑っている目の、その長いまつ毛が少し揺れて。
本当に綺麗な顔。
魔力の出し方はルーピンと練習をして来た。
指先でなぞる様にしながら、殿下の瞼に浄化の魔力を掛けるのだと。
しかし……
サリーナは指先をアルベルトの頬にやった。
そして、右の瞼に口付けをして……
その次に、左の瞼にそっと口付けをした。
「 !? 」
サリーナのとんでも所作に皆が驚く中……
銀の光がアルベルトの目の回りを包んだ。
そして……
一瞬目をキュッと目を瞑り、ゆっくりと目を開けた。
開けられたアイスブルーの瞳が、ぼんやりと目の前にいるサリーナを見つめている。
「 アルベルト様……私が見えますか? 」
アルベルトは何も答えずにずっとサリーナを見つめている。
「 私の浄化の魔力で、アルベルト様の見えなかった目を見える様にしました……今、私が見えていますか? 」
サリーナは顔を近付けてアルベルトの目を見つめる。
「 アル! 見えているのか!? 」
ロナウド皇帝とシルビア皇后が、座っているソファーから立ち上がった。
「 アルベルト! わたくしが見えますか? 」
アルベルトは……
皇帝陛下とシルビア皇后を順に見ながら頷いた。
「 ………はい…… 」
わっと歓声が上がった。
「 良かった! 」
シルビア皇后は、ハンカチで目頭を押さえながら後ろに倒れる様にして椅子に座ると、その横にロナウド皇帝が腰を下ろして、嬉しそうにシルビアの肩を抱いていた。
ルーピンはサリーナの肩を叩いてよくやったと言って、クラウドは嬉しそうにしながら、レティをアルベルトの前に行く様に促した。
ルーピンはサリーナの腕を引いて後ろに下がらせて、その場を空けさせた。
アルベルトが……
真っ先に見たいであろうレティを側に行かせる為に。
「 アル……私が見える? 」
自分の前に来たレティをアルベルトは見据えた。
医師レティはアルベルトの目の前で、人差し指を立てて左右に動かした。
しっかり焦点が合うわ。
レティは嬉しくてアルベルトの手を取ろうとした。
その時……
サッと手を避けられた。
「 君は……誰? 」
「 !? 」
ああ……
やっぱり。
アルは私を忘れてしまった。
私の事を知らないアルがそこにいた。
私を見る瞳は……
何時もの甘い瞳では無い。
この瞬間に……
私は4度目の死を迎えたのだ。
この日は奇しくも……
ジラルド学園の入学式の日だった。




