聖女と公爵令嬢
その日レティは皇子様ファンクラブの会合に参加していた。
この日は聖女様のパレードを見ようと言って、皇都広場の噴水の前に招集された。
皇子様が絶対に白馬に乗って行進する筈だと。
勿論、レティは知っていたが。
皇子ファンクラブは、レティが学園の4年生の時に入会したサークルだ。
文化祭で皇子様ファンクラブが特別賞を貰ってから、入部希望者が殺到した事で新入部員の募集を止めた。
よこしまな考えの奴とは、視線を合わせるのも嫌な喪女達なので。
当時の3年生2人も卒業した事から、学園での皇子様ファンクラブは廃部になってしまっているが、5人は今でも定期的に活動をしている。
因みに卒業した2人は文官養成所に入所している。
学園では奨学金を貰っていた程に優秀な彼女達は、レティの秘書候補だ。
クラウドが、もうすぐ文官養成所を修了する2人を狙っていて。
リティエラ様のお友達なら何よりだと。
何処に場所取りをするのかを皆が話し合っている。
皇子様が1番素敵に見える場所は何処だと、皇都の街の地図を見ながら。
「 あのね……私の店の窓からなら……よく見えるかも 」
「 !? 5番様……そこは2階ですか? 」
「 ええ……2階よ 」
「 皇子様の頭のてっぺんを見てみたい! 」
会員ナンバー1番の一言で、皆で皇子様の旋毛の話で盛り上がった。
成る程。
アルベルトの髪の毛を乾かす時は何時も旋毛を見てはいるが……
あの距離からの、頭のてっぺんも良いかも知れないと、会員ナンバー5番は思うのであった。
レティは皇子様の熱烈なファンなので。
楽しい。
彼女達は平民だ。
奨学金を貰う程の貧しい家なのに何時も前向きだ。
見た目は陰の喪女だけれども、彼女達はそれなりに輝いている。
良かった。
彼女達に会って。
こんなに皇子様の事が大好きなのに……
婚約者である自分が側にいるのにも関わらず、変な駆け引きなんかしないで、純粋に皇子様のファンであり続ける彼女達が好きだった。
それとも……
彼女達も変わってしまうのだろうか?
素敵な皇子様の側に行くと……
今日はパレードだから店はお休みだ。
だから遠慮なく店に入って貰う。
きらびやかなお店にはそぐわない地味な服装の5人。
皇子様ファンクラブでの集まりは地味な服装が多い。
特に決められてはいないが……
喪女達は目立つのを嫌う。
だから……
レティもこの日の服装は紺のワンピースに、髪は後ろに束ねているだけだ。
勿論、アルベルトから初めてプレゼントされたアイスブルーの宝石のバレッタは付けてはいるが。
やがて外が騒がしくなった。
「 皇子様が近付いて来たわ 」
皆で急いで窓際に集まった。
誰も聖女には興味も示さない。
喪女は推しだけを愛でるのである。
行進する騎士達が近付いて来る。
先頭は隊長だ。
あっ!?
サンデーさんとジャクソンさんが、帝国旗とミレニアム公国旗を持っているわ。
格好良い。
「 キラキラ輝く黄金の髪 」
「 ここから見る姿が味わい深い 」
「 赤いマントが……染みる 」
「 白馬も良き 」
皆が白馬に乗って行進をしている皇子様を見て、うっとりとしている。
「 やっぱり正装姿が一番ですわ 」
……と、呟いたレティは、軍服姿の皇子様が大好物。
すると……
皇子様とレティの視線が交わった。
皇子様は直ぐに破顔して。
「 レティが2階の窓にいる! 彼女に敬礼! 」
「 御意 」
大歓声の中でも……
主君の声は不思議と聞き取れる。
命令を出す時の迷いの無い澄んだ声。
それが……
どんな情勢であろうとも、彼の一声で家臣達を動かせる主君の資質なのである。
そして……
アルベルトはレティに投げキスをして。
周りからはキャーと黄色い悲鳴が上がる。
会員ナンバー1番から4番は……
クラクラしながらその場に崩れ落ちた。
皇子様の頭のてっぺんを見る前に。
2階を見上げながらの、皇子様の投げキスの破壊力は凄かった。
「 アルったら…… 」
騎士達が敬礼をしているのに。
太陽の光が白馬に乗った皇子様をキラキラと照らす。
レティも投げキスをした。
そして……
敬礼をする騎士達にレティは敬礼をした。
騎士の敬礼だ。
騎士養成所では敬礼の練習を1ヶ月間もさせられたのだ。
そうしてパレードは通り過ぎて行った。
フニャフニャになった皆を介抱してから、この場で解散した。
一行が皇宮に戻って来るのは、これから1時間は掛かるだろうから、レティは仕事を少ししてから店を出た。
仕事を終えて護衛騎士達と一緒に歩いて帰る。
道路が封鎖されていたので、行きも帰りも徒歩である。
たまにはこうやって歩くのも楽しい。
人混みを縫う様に歩きながら橋の手前の門番がいる場所にやって来た。
丁度、皇都の街を一回りして来たパレードの一行が、橋を渡り終えて皇宮に入城して行く所だった。
民衆はまだキャアキャアと興奮冷めやらぬ様子で、橋の前や皇都広場には人が溢れていた。
レティが門の前まで来た時に誰かが叫んだ。
「 あれは何だ!? 」
彼の指差す方向を見れば……
空には黒い物体が浮かんでいた。
それはどんどんとこちらに向かって飛んで来る。
「 ガーゴイル!? 」
レティは叫んだ。
ここでガーゴイルの姿を知っているのはレティだけであろう。
きっとアル達も気付いている筈。
そこには聖女がいるのだ。
今までは魔力は放出出来ないとしても……
魔獣を前にしたら絶対に出るわ。
いや、出して貰わなきゃ困るわよ。
聖女なんだから。
その時……
皇宮に向かって飛んでいたガーゴイルが、急に向きを変えた。
大聖堂にある鐘に向かって飛んで行く様だ。
鐘が陽の光でキラキラと光っているのが見てとれる。
ガーゴイルは光に反応するのか?
駄目!
街に飛んで行っては駄目よ!
「 そうだ!? 」
レティはガーゴイルを見て剣を抜いている騎士達に言った。
「 ガーゴイルをこっちに誘導するわ ! 」
「 えっ!? 」
レティはデカイ顔のリュックから鏡を出した。
サハルーン帝国から仕入れた手鏡で、鏡の回りは銀で装飾された上等品だ。
売れ残っていたから持って帰ろうと店から持ち出した。
かなり重かった事から馬車で来た時にしようかと思ったが、止めなくて正解だった。
橋の中央まで駆けて行き、背の低い彼女は欄干の上に飛び乗った。
紺の地味なワンピースを翻らせて。
「 さあ来い! 鳥ちゃん!! 」
レティは鏡を動かして、ガーゴイルに向かって光をチカチカと飛ばした。
背の高い騎士達は欄干には上らずに、自分の剣に陽の光を当てた。
レティの様にバランスよく、細い欄干の上に立つ自信が無いので。
最近、騎士達には魔獣の事を学ぶ時間が設けられていた。
しかし……
聞くのと見るのとは大違いで。
初めて見る巨大な魔獣に身体が震えていた。
欄干の立つこの美しい令嬢が、ガーゴイル討伐の時に殿下と弓矢を射続けた話は騎士達の間では有名だった。
第1部隊や騎乗弓兵部隊の面々がそれはそれは誇らしげに語るのを、第2部隊の騎士達は羨ましいと思っていたのだった。
「 リティエラ様、もし……ガーゴイルが近くに来たらどうするんですか? 」
「 殿下が雷の魔力で必ず助けてくれるわ 」
レティは鏡で、ガーゴイルに向かってチカチカと光を送りながら言った。
グレイ班長達は弓矢を持っていなかった事から、1番早く駆け付けて来るのはアルだ。
アルが雷の魔力でガーゴイルを落とすなら、この堀が丁度良い。
街中でそれをやれば、落ちたガーゴイルで大惨事になる。
「 殿下が間に合わなかったら、この堀に飛び込むのよ!! 」
騎士達は堀を見下ろした。
濁った汚い水だった。
「 こんな所に!? 」
「 よく利く腹痛の薬を処方するわ! 」
「 ………お願いしゃス……… 」
「 ………しゃス…… 」
騎士の2人は覚悟を決めた。
民衆は欄干の上に立つレティに気が付いた。
「 あれは公爵令嬢じゃないか!! 」
「 魔獣を自分の方に誘導してるんだ! 」
「 俺達のところに来ない様にしてるのか…… 」
「 危ないぞーっ!! 」
……と、皆が口々に叫び声を上げている。
すると……
大聖堂に向かって飛んでいたガーゴイルが急旋回した。
レティの持つ鏡の光を目掛けて飛んで来た。
「 よし!! 掛かった! 」
ギィィィィーーン!!!
その時……
初めてガーゴイルが鳴いた。
耳をつんざくような声が、皇都の人々を震え上がらせた。
***
「 ガーゴイルだ! 」
「 これがガーゴイル!? 」
「 聖女様! 浄化を!! 」
「 何故皇都に!? 」
両陛下がバルコニーにいる広場では、様々な声が飛び交う。
グレイ達弓騎兵達の5人は、弓矢を取りに騎士団の訓練所の兵舎まで馬に飛び乗り駆けて行った。
アルベルトの馬車での移動の時の何時もの護衛ならば弓矢を背負っているが、パレードだった事から持って来てはいなかったのだ。
バルコニーに出ていた両陛下は、団長に建物に入る様に促されている。
騎士達は一応剣を抜いているが……
空飛ぶ魔獣には剣は何の役にも立たない。
ガーゴイルは皇宮に向かって飛んで来ていた。
馬から降りたばかりだったアルベルトは、両陛下を守る為にバルコニーの下に行き、魔力を放出する為に構えた。
すると……
ガーゴイルは向きを変えて街の方へ飛んで行った。
「 あんなもの……街に行ったらどうやって倒すんだ? 」
アルベルトは白馬に飛び乗った。
「 殿下! グレイ達が戻るまでそのままでいてください 」
1人でガーゴイルの所へ行こうとするアルベルトを、団長達が止める。
しかし……
ガーゴイルは急旋回した。
ギィィィィーーン!!!
ガーゴイルが雄叫びを上げた。
皆が恐怖のあまりに凍り付いている。
ガーゴイルの向かう先を見れば……
チカチカとした光が橋の上からガーゴイルに向けられていて。
「 誰かが橋の上で魔獣を誘導してる…… 」
「 誰だ!? 」
騎士達の声に、皆が橋の方を見た。
欄干の上に立って……
空に向かって鏡を照らしている小さな少女がそこにいた。
レティ!?
青ざめたアルベルトは、直ぐにレティの元へ行こうとして馬の手綱を引いた。
「 公爵令嬢だ!! 」
「 公爵令嬢が欄干に立って、ガーゴイルを街に行かせない様に誘導してるんだ! 」
騎士達が次々に叫んだ。
「 何だって!? 」
貴族席にいたルーカスとラウルが青ざめた。
アルベルトが白馬を走らせ様とすると、サリーナがアルベルトの前に両手を広げて飛び出して来た。
「 アルベルト様! 私も馬に乗せて! 」
「 浄化の魔力を放出する事が出来るか!? 」
「 はい、やらなければなりません! 」
「 乗って! 」
アルベルトは腕を伸ばして、サリーナを自分の前に引き上げて、横座りに乗せた。
急がなければレティが危ない。
「 サリーナ!しっかり手綱を握って! 」
「 はい 」
アルベルトは片手をサリーナの腰に回して、片手で手綱を握りながら、トップスピードで橋まで駆けて行った。
欄干の上に立っているレティの元に、白馬に乗ったアルベルトとサリーナが駆け付けて来た。
サリーナはアルベルトの逞しい胸に顔を埋めていて。
アルベルトは直ぐに、レティに迫り来るガーゴイルに向かって雷の魔力を放出しようと腕を上げた。
「 私が…… 」
聖女がアルベルトの腕に手をやって止めた。
そして……
スゥゥっと深呼吸をした。
掌を空の方に向かって上げその手に魔力を込めた。
掌に強い銀色の光が輝く。
銀色に光り輝く髪を靡かせた聖女は……
銀色の光をガーゴイルに向かって放出した。
空にいるガーゴイルを銀色の光で包んだ瞬間に……
ガーゴイルは消えた。
跡形も無く。
少しの静寂の中、大歓声が沸き起こった。
この一瞬にして魔獣を消し去る魔力。
浄化の魔力使いが聖女と呼ばれている所以だ。
「 聖女様ばんざーい 」
「 皇子様素敵ーっ!! 」
「 皇太子殿下と聖女様ばんざーい!! 」
サリーナは……
シスターの着る様な流れる様な白の衣装を身に纏っていた。
金色の髪の皇子様と銀色の髪の聖女様。
陽の光を受けて2人はキラキラと輝いて。
白の軍服姿に真紅のマントの皇子様が、聖女を守る様にしながら白馬に乗った2人の姿は、まるで一枚の絵の様だった。
そんな2人に……
何時までも声援が送られていた。
地味な紺のワンピース姿のレティは……
1人、こそっと欄干から降りた。
***
その時……
弓矢を持ったグレイが凄い勢いで馬を走らせて駆けて来た。
「 殿下! ご無事でございますか!? 」
「 ああ、無事だ。 問題無い 」
アルベルトはそう言って、レティに視線を送った。
何かを言いたそうな顔をして。
「 グレイ!………レティを頼む 」
アルベルトはそう言い残して、聖女を前に乗せたまま馬の手綱を引いて、踵を返し皇帝陛下のいる広場に駆けて行った。
アルベルトを見送ったグレイはレティの顔を見た。
「 リティエラ様……貴女と言う女性は…… 」
遠くから一部始終見ていたグレイは、馬から降りてレティの前に跪いた。
「 武器も持たずに、あんな事をするなんて…… 」
「 この鏡が武器よ 」
そう言って鏡を前に突き出して微笑むレティに、グレイはフゥっと息を吐いた。
兎に角……無事で良かった。
「 オハルはどうしたのですか? 」
「 持ってこなかったわ 」
「 !? 」
あんなに大切にして、肌身離さず何時も背中にあったオハルを?
ロンやケチャップは、あれはもう彼女の身体の一部だと笑う程で。
「 リティエラ様ーっ!! 」
そこにサンデー、ジャクソン、ロンとケチャップも騎乗して駆けて来た。
「 グレイ隊長、早過ぎッスよ~ 」
グレイもアルベルト同様に、トップスピードで馬で駆けて来たのだった。
欄干の上に立っているレティを守る為に。
「 それにしても聖女様の魔力は凄かったですね 」
「 ガーゴイル討伐の時は、我々はあんなにも苦労をしたのにな 」
サンデーとジャクソンが、興奮冷めやらぬ顔をしながら口々に話をしている。
「 いや、あんなもん、ただ魔力を放出しただけじゃ無いですか~ 」
「 絶対にリティエラ様の方が凄くて、格好良いッスよ~ 」
……と、言って、ロンとケチャップは泣いていた。
「 確かに…… 」
5人の弓騎兵達は改めてレティを見た。
騎士でも無いのに……
何時も騎士以上の事を遣って退けるレティには脱帽するしかない。
人々を守る為に……
武器も持たずに欄干の上に乗り、空に向かって巨大なガーゴイルと対峙する彼女は、誰よりも美しかった。
グレイはレティを自分の馬に乗せた。
足のくるぶしが見える程の短めのワンピースだから、横座りに座って。
パカパカと足音を鳴らして歩く馬の横を、手綱を握り締めながらグレイは歩いて行く。
他の4人は、護衛騎士の2人と一緒に先に戻らせた。
レティと2人乗りをして、馬を走らせる訳にはいかない事から。
馬に乗った公爵令嬢と、手綱を持って歩く騎士の姿がそこにあった。
「 殿下が来るのがもう少し遅かったら危なかったのですよ 」
「 ……はい 」
レティは小さく頷いた。
グレイとレティが橋の上を歩いている間も、民衆達の聖女を称える歓声が止む事は無かった
その日は……
アルベルトが部屋に戻って来た時は、既に深夜を過ぎていた。