1.プロローグ
「おい見ろよ、今日も囁き令嬢が囁いていらっしゃるぞ」
何故、意地の悪そうな声ばかり鮮明に聞こえてしまうのだろう。
声の主にちらりと視線を遣ると、相手は怯んだように一歩後ずさり仲間たちとその場を去っていった。
思わずため息をつくと、高圧的な声が頭上から降って来る。
「王族の目の前でため息とはいい度胸だな、アニス」
「…申し訳ございません、ジュリアン殿下」
「私の貴重な時間を使ってやっているのだ。さっさと続きを話せ。…いや」
不意にニヤリ、と底意地の悪い笑みを浮かべたジュリアンは、アニスを嘲笑うように顔を覗き込んだ。
「さっさと囁け、囁き令嬢?」
※※※※※※
幼少期のアニスは明るく活発な娘だった。
よく通り響く声で歌を歌ったり侍女相手にお喋りをしたり、一日中屋敷にアニスの声が響き渡ることから『ランバート家の囀り(さえずり)令嬢』という愛称さえついた。
お転婆が過ぎる言動があると両親や五つ年上の兄から窘められることはあったものの、持って生まれた愛らしさで最後はいつも許されていた。
だがそれも、アニスが十歳…第二王子との婚約が決まるまでの平穏だった。
誰よりも立派な淑女となる為、お転婆娘を矯正しなければと家族はアニスに厳しく接した。
アニスの為ではない、未来の王子妃の実家たる体面を保つ為。
そんな家族に命令され、笑顔でアニスを受け入れていた使用人たちも情を見せないようになる。
ランバート家の囀り令嬢。いつしかそれは、愛称ではなく蔑称として呼ばれるようになった。
一際、その囀り令嬢に嫌悪を示したのは、婚約者である第二王子ジュリアン・バルツァー。
「まさか囀り令嬢が婚約者になるなんてな。私はうるさい女は嫌いなんだ」
婚約が決まり初めて顔を合わせた席で放たれたジュリアンの第一声。
アニスの両親はジュリアンの態度に怯え、必ずや王子に相応しい娘に矯正しますと必死に媚びていた。
両親からの厳しい態度と容赦なく降り掛かる重圧。
淑女教育の忙しさを理由に仲良くしていた令嬢たちとの交流まで制限され、楽しくお喋りに付き合ってくれていた使用人たちは一切の気さくさを見せてくれなくなり、ジュリアンは婚約者である自分に冷たい、加えて妃教育まで始まり、アニスは段々と笑わなくなっていった。
そうして月日は流れ、王立学園に入学した十三歳のアニスには『囁き令嬢』のあだ名がつくようになる。
王子の婚約者として申し分ない淑女になっていたアニスだが、何故だかジュリアンには嫌われ続けていた。
とはいえ交流がない訳ではない。生徒たちが二人を見かける時…それはアニスが、ジュリアンに何かを『囁いて』いる時。
扇で口元を隠しながらヒソヒソと話すアニスにジュリアンはつまらなそうな顔をしながら相槌を打っている。
元々囀り令嬢と呼ばれていただけに、その姿を面白可笑しく『囁き令嬢』というあだ名にされてしまったのは、全てジュリアンのせいだ。
アニスがジュリアンに囁いているのは、例えば次の夜会に招待している賓客たちの国の文化や宗教観、情勢や世論といった『情報』だ。アニスが必死に勉強し調べ上げたそれらを、ただジュリアンに伝えているだけ。
内容が少々大っぴらに出来ないだけにそうして囁くことになっているのだが、それならばどこか二人きりでこっそり話をすればいいだけのこと。
だがジュリアンは、アニスと二人きりになることすら拒んでいた。
淑女らしい貞淑さを身につけたアニスに、ジュリアンは言ったのだ。
「こんな陰気な女と二人きりになるなんて御免だ」
その頃にはアニスも、歩み寄りなど諦めていたので特に傷付きはしなかったものの「面倒だな」という思いだけはあった。
仕方なく、二人きりにはならない場でコソコソと話をする、というのが定番となった。
その姿を揶揄する声は、それほど時を待たずして生まれたのだった。
婚約者に対し冷たいジュリアンだが、彼は学園の生徒のみならず、貴族と関係ない平民たちからも人気がある。
それは王妃に似た端正な顔立ちと、国王に似たピンクブロンドという容姿にあった。
特にピンクブロンドの髪は、バルツァー王家以外に現れないとても珍しい色。ジュリアンよりひとつ年上の第一王子は平民にもよく見られる平凡な茶髪だったので尚更、バルツァー王家を象徴する髪色を持つジュリアンに、誰もが現国王のような賢さや優しい人柄を当て嵌めて見ていた。
そんなジュリアンが何故だか冷たく接する令嬢、アニス。
生徒たちがアニスを侮るのに十分な理由だった。
それにアニス自身、特に周りからの評価を気にするような暇もなかった。
学園の勉強もさることながら、妃教育、ジュリアンから例の国について調べろだの礼状を送れだのと、アニスが代わりにやっても気付かれないようなジュリアンに与えられた公務を押し付けられ、その上で周りの令嬢たちから浮かぬよう最低限淑女としての交流も必須。
「(やるべき事をやらなければ。家の為にも)」
奔走するだけの日々。だがそれも、ある日突然終わりを迎えることになる。
予期してはいなかったもののやっと腑に落ちる、そんな出来事によって。
続




