番外編 死の商人
暗黒世界の最果て、禍々しき魔宮を抜けた先にある火山の祭壇。
世界の命運を懸けて辿り着いた勇者一行の前に立ちはだかるのは、禁忌たる進化の秘法によって異形の肉体へと変貌を遂げた、魔族の首魁であった。
かつて地底に封じられていた太古の帝王を思わせる、茶褐色の巨大な体躯と頭上に伸びる二本の角。手には身の丈を超える巨大な剣を握りしめている。
全身から立ち昇る絶望的な瘴気に大気が悲鳴を上げる中、魔族の首魁は混濁した意識を振り絞るように、天地を震わせる咆哮を上げた。
「ぐはあぁぁぁっ……!
何者だ お前たちは……?
わたしは……魔族の頂点に君臨する者として、目覚めたばかりだ。
うぐおぉぉぉ……!
わたしには 何もわからぬ……。
何も思い出せぬ……。
しかし 何をやるべきか それだけはわかっている……。
ぐはあぁぁぁっ!!
お前たち人間どもを 根絶やしにしてくれるわっ!!」
絵に描いたような世界の破滅の宣告。
勇者が剣を構え、導かれし仲間たちが息を呑む中――列の最後尾から、武器も構えず、呑気にお腹をさすりながら小太りの商人が一人、ひょこひょこと前に進み出た。
そして、困ったように眉を下げ、実におだやかな笑顔で言った。
「……いやあ、その理屈はおかしいですよ」
「……ぐはっ? な、何者だ、その腹の出た男は……?」
魔族の首魁にとっては記憶がないので当たり前だが、記憶があっても覚えていたかは分からない。なぜならその男は、早々に戦力外通告をされ、導かれし者たちの旅路において、常に馬車の端を定位置とし、あるときは人質として地下牢に入れられるなど、ほぼ目立たない空気のような存在だったからだ。
「おい、武器商人! 何をノコノコ出てきているんだ、お前じゃ何の役にも立たないぞ!」
勇者の焦った声に振り向きもせず、武器商人は魔族の首魁へ親しげに話しかける。
「いやいや大した者ではございません。ただの通りすがりの武器商人でございますよ。
いや、申し訳ございませんが、お話が聞こえましたもので、余計なお世話と知りつつもつい口を挟んでしまいました。
目覚めたばかりで記憶が混濁しておられるのは、まことにお気の毒でございます。
ですので、わたしの愛読する極東の島国の豪商が記した商売人の心得『きみはなぜ働くか。豪商が贈る八十八の言葉』から、ぜひとも助言をさせていただければと。きっとお役に立てると思いますよ。
まずはですね、あなたは魔族の頂点と名乗られていますが、つまりは組織の最高経営責任者なのですよね。
同書『第一章 当事者意識の確立』を紐解くまでもなく、『理由は分からないが言われたことだけはやるなど、丁稚の小僧にすら劣る。すべての構成員は経営者の目線で自立せよ』――と、商業の根本道徳が説かれております。なかんずく自ら理念を掲げて組織を率いるべき経営者が、思考を停止して暴走するなど言語道断。もっと経営者の目線を持って仕事をしてくれないと、現場の魔族の皆さんが困ると思いますよ」
「な……っ!? け、経営者目線……? 当事者意識……?」
「そうですよ。現場の目線しか持たない者は『言われた業務をこなす』だけで満足しますが、真の経営者たる者は『なぜその事業が必要なのか』を常に大局から見極めねばなりません。
あなたも組織の長であるならば、なぜ人間どもを根絶やしにするという目標が掲げられているのか分からないなどと言って責任を放棄するのではなく、部下の魔族の皆さんに目標の意図と達成後の展望を示さなければいけないんですよ。
たしかに、記憶が混濁していて思い出すことができないというのも、多少は理解できなくもありません。
でもね、かの豪商は『第二章 プロの責任感』において、こうも述べておられます!
『できないと言ったら、そこで終わり。どうすればできるかを死ぬ気で考えるのが経営者の責任感である』と!
記憶がないなら、思い出せない理由を百個書き出して壁に貼ればよろしいではありませんか。昨日より今日、今日より明日、前年比百二十分の勢いで記憶を取り戻す努力をなさいましたか? その血の滲むような努力も放棄して、『とりあえず人間を皆殺しにする』という安易な目先の業務に逃げ込むのは、経営者として少々無責任というものですよ」
「う、うぐっ……! お、思い出そうとすると、頭が割れるように痛いのだ……! これでは……無理だ……!」
「おやおや」
魔族の首魁の苦悶の叫びに対し、商人は実の息子を諭すかのような、慈愛に満ちた柔和な笑みを浮かべた。
その目は、自分の言っていることが本当に正しく、人を気遣うものであることを寸毫ほども疑っていないものだった。
「先程から聞いているとですね、思い出せない状況なのだから仕方がないとおっしゃっているように聞こえるのですが、それは、あなたの要領が悪いからではないですか。
『第四章 限界突破の言魂』の傍線部をご覧ください!
『無理というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。途中で止めてしまうから無理になるんですよ。やり遂げれば無理ではなくなる』!こう書かれています。
つまり、己の怠慢を棚に上げて『無理』とすぐに音を上げる者を、豪商は怠け者の嘘つきであると言っているんです! 鼻血も出ないほど限界まで頭を回し尽くせば、失った記憶の一万や二万、誰だって簡単に呼び戻せるものなんです。ここは一つ、あなたも死ぬ気でやってみましょうよ。実際には死なないですから」
「し、死なない……? し、死ぬ気でやっても……死なない……?」
魔族の首魁は、己の巨躯を抱きしめるように激しく痙攣し始めた。
「あとですね、人間を根絶やしにするだなんて簡単におっしゃいますけど、人間の勢力範囲がどのくらいなのか、どのくらいの兵力を投入する必要があるのか、ちゃんと確認されてからの事業計画なんですか? わたしからしたら、どう考えても軍の維持と兵站だけで莫大な原価と維持費がかかる大赤字事業に手をつけるとしか思えないんですけど。
それでもやるとおっしゃるからには、続く『第六章 経営者の覚悟』に記された鉄の掟を実行していただく他ありません!
『三百六十五日二十四時間、死ぬまで働け。営業十二時間のうちに飯を食える店長は二流である。覚悟なき者は今すぐここから飛び降りろ』!
営業時間中は常に経営とお客様に全力集中せねばなりません。食事なんて取っている時間はありませんよ。それぐらいの覚悟がないならね、わたしもあえて心を鬼にして言いますけど、『今すぐここから飛び降りろ!』ってね。覚悟はちゃんとできていますか?」
「わ、わたしは……二流……? 三百六十五日……飯も食えぬ……!? 飛び降りろ……!?
う、うぐおおおぉぉっ! 頭が……! 割れる……!
理念が……! 鬼気迫る責任論が……! 脳に直接流れ込んでくるぅぅぅっ!!」
商人は苦悶する魔族の首魁を、まるで道に迷う後輩経営者を見守るように、穏やかな笑みを浮かべて見つめる。
そのとき、魔族の首魁は、地獄に垂らされた一筋の蜘蛛の糸を見つけたがごとく、救いを思いついたと言わんばかりの表情を浮かべた。
「そ、そのような働き方を部下に強いれば……人件費が膨れ上がってしまう……!?それでは経営者失格なのでは……!」
「おや、ついに経営者目線での言葉が出てきましたね。大変良い進歩だと思いますよ。手当の類ですか、いい所に目をつけられましたね。ですがね、巻末の『奥義 真の報酬』にその点も述べられております!
『仕事とはお金のために非ず。相手を幸せにして得られる「ありがとう」の感動こそが最高の報酬である』!
自分が成長し相手を幸せにすることができれば、その分だけ感謝が返ってくる。それこそが真の報酬ではありませんか。人も魔族も、食べ物がなくても『感動』を食べるだけで生きていけるんです。偉大な経営者のもとで働くということは、従業員自身の夢を叶えることと同義なんですよ。その大義の前では時間外の手当なんてはした金、何の意味もありません」
「(……ねえ、勇者)」
勇者一行の背後で、お転婆姫が真っ青な顔をして震える手で勇者のマントの裾を引いた。
「(あの武器商人、魔族より怖いわよ……! あたし、あの武器商人の店で働くのだけは絶対にまっぴら!)」
「(しっ、目を合わせるな……! こっちまでブラック経営理論で詰められたらどうするんだ……!)」
勇者が震える声で囁き返す。
祭壇の前では、商人が満面の笑みのまま、懐から取り出した黄ばんだ書物をパラパラと捲っていた。
「さあ、現状の課題が明確になったところで、まずは明日の朝五時に起きて声出しの訓練から始めましょう。朝礼で社訓を百回唱和し、この豪商の著書を読み込んで感想文を二十枚提出していただければ、立派な経営者になれるまでわたしが親身に指導して差し上げますからね。さあ、一緒に頑張りましょう!」
「ぐああぁぁぁぁぁっ……! や、やめてくれぇぇぇっ……! 悪魔の自己啓発書など見たくないぃぃぃっ……!!」
魔族の首魁は自らの頭を抱え、まるで恐ろしい悪夢から逃げ出す子供のように、地割れの底へと転がり落ちて姿を消していった。
火山の祭壇には、奇妙な静寂が満ちていく。
魔族の首魁が消え去った穴を見下ろしながら、小太りの商人はやれやれと首を横に振り、心底残念そうに呟いた。
「あー……、『飛び降りろ』というのはあくまで心構えの問題であって、本当に飛び降りればいいというわけではなかったんですが……。うーん……最近の若い方は、主体性がないですねぇ……」
「「「お前が追い詰めたんだろうがッッ!!!!」」」
勇者たちの魂の底からのツッコミが木霊する中、武器商人は穏やかな笑みを浮かべたまま、大切そうに愛読書を懐へとしまい、再び馬車の中の定位置に戻っていくのであった。




