第九十二話 『次回以降の成長対象を選定します。』
朝、日記帳を開いた瞬間、最初に書かれていたのは昨日の評価結果ではなかった。
『次回以降の成長対象を選定します。』
「……成長対象?」
嫌な言葉だった。昨日はサラ、カーナ、ティナが世界崩壊の芽として最高評価を受けていた。だったら次に危ないのも、その三人だと思っていた。
『選定基準。現時点の世界崩壊潜在値ではなく、今後の成長余地を重視します。』
俺は手を止めた。
『すでに自己拡張性、社会波及性、世界崩壊潜在値が高いキャラクターについては、追加展開を必要としません。既存設定のみで自律的な拡張が可能です。』
「……」
サラの幸せの花は、俺が何もしなくても世界中へ増えている。ティナから分かれた触手姫たちも、それぞれ勝手に仕事を見つけ、暮らし、土地に馴染み始めている。カーナはどこかで子供たちを連れて移動している。
日記が何もしなくても。
もう進む。
『高評価キャラクターへの追加刺激は、既存の成長経路を阻害する可能性があります。現状維持を推奨します。』
「現状維持で世界崩壊する奴らを現状維持って言うなよ……」
返事はない。
次の文字が出た。
『したがって、次に物語上の成長を与える対象は、主人公生活圏内に存在し、世界崩壊潜在値が比較的低く、成長余地が大きいキャラクターから選定します。』
昨日。
低かった。
それを見て。
少しだけ安心した。
女将。
リサ。
セリア。
クラリッサ。
特に女将は、世界崩壊潜在値六十一。
サラたちの百に比べれば。
ずっと低かった。
『候補一。セリア。』
『世界崩壊潜在値――65。成長余地――35。主人公関係維持度――89。生活圏近接度――93。既存ストーリー蓄積――高。』
『成長案。自己決定型の強化。人間社会の一般的価値観と異なる選択を本人自身の意思として積み重ねる。主人公は本人の選択を尊重するため阻止しにくい。』
文章はそれだけだった。
次。
『候補二。クラリッサ。』
『世界崩壊潜在値――68。成長余地――32。主人公関係維持度――87。生活圏近接度――100。社会制度接続性――高。』
『成長案。主人公およびパン屋を保護する目的で、現在は例外的に存在する異常人物、異常契約、異常な所有関係を合法的な制度へ変換する。本人には世界を壊している認識を持たせず、実務上必要な処理として進行可能。』
「制度化するな」
『候補三。リサ。』
『世界崩壊潜在値――70。成長余地――30。主人公関係維持度――91。生活圏近接度――91。魔術体系接続性――高。』
『成長案。遭遇した異常現象を研究対象として整理し、再現可能な魔術知識へ変換する。怪異を討伐対象ではなく利用可能な現象として扱う方向へ進行した場合、個人の変異を技術として複製可能。』
「それも駄目だろ……」
そして。
最後。
『候補四。女将。』
俺は読まなければよかったと思った。
『世界崩壊潜在値――61。成長余地――39。主人公関係維持度――100。生活圏近接度――100。日常生活維持度――100。主人公依存関係――極めて高。』
数字だけなら。
昨日。
一番安全に見えた。
『成長案。現在、本人の異常は主人公との私生活内部に限定されています。』
『私生活内の異常を家庭内慣習へ移行。』
『家庭内慣習を共同生活者へ共有。』
『共同生活者間の慣習を店舗内文化へ移行。』
『店舗内文化を常連客および近隣住民が受容。』
『地域的慣習として定着。』
俺は頁から目を離した。
厨房では女将がパンを焼いていた。
「ルーク、そっちの袋取っておくれ」
「……これ?」
「それそれ」
渡す。
「ありがとう」
普通だった。
いつもの女将。
パン屋を開ける準備をしているだけ。
昨日までと何も変わらない。
日記帳へ戻る。
『主人公との関係が最も強いため、変化の初期段階を主人公自身が許容する可能性が高い。』
「……」
『本人は主人公へ害を与える意図を持ちません。』
『主人公を大切にします。』
『主人公の健康、食事、仕事、生活、安全を優先します。』
『そのため、主人公から見た敵対者にはなりません。』
それは。
全部。
その通りだった。
『敵対しない人物による価値観侵食は、主人公が討伐、排除、逃亡を選択しにくいため長期展開に適します。』
昨日の日記にあった。
好意を失わない。
日常を失わない。
人格も失わない。
そのまま。
世界崩壊の芽になる。
『四候補を比較します。』
『セリア――本人の選択を中心とするため、変化速度を高めると主人公との距離が生じる可能性あり。』
『クラリッサ――制度への接続に準備期間が必要。』
『リサ――魔術研究による再現までに検証工程が必要。』
『女将――既存生活の延長のみで開始可能。』
「……」
もう。
答えが分かった。
『次回成長候補。』
文字が一度止まった。
それから。
『女将。』
俺は日記帳を閉じた。
*
「どうしたんだい?」
「何が?」
「朝からずっとこっち見てるじゃないか」
「いや……」
女将は焼き上がったパンを棚へ並べていた。形の悪いものを一つ取って、俺へ投げる。
「ほら」
「いいの?」
「売り物にはしづらいからね」
受け取る。
温かい。
いつもの味。
「うまい」
「そうかい」
女将はそれだけ言って、次の仕事へ戻った。
店を開ける。
客が来る。
女将が笑う。
パンを売る。
釣り銭を渡す。
近所の子供に声をかける。
常連の老人に、今日はいつものパンでいいのかと聞く。
普通。
全部。
普通。
だから。
昨日の六十一点を見た時。
俺は少し安心した。
サラより低い。
カーナより低い。
ティナより低い。
世界を壊す力なんて。
そんなにない。
そう思っていた。
*
昼。
もう一度だけ日記帳を開いた。
『成長対象選定後のストーリー方針を検討します。』
まだ。
何も起きていない。
検討。
それだけ。
『女将の強みは、異常性ではありません。』
『正常性です。』
「……」
『毎日店を開ける。』
『毎日食事を作る。』
『毎日主人公を世話する。』
『毎日近隣住民と交流する。』
『毎日同じ生活を反復する。』
『この反復へ新しい価値観を一項目追加した場合、異常な行動であっても日常習慣として定着させやすい。』
派手な変身も。
怪物も。
新種族も。
いらない。
『サラ(幸せの花)は世界へ植物を増やします。』
『カーナ(キメラの母)は世界へ新種を増やします。』
『ティナ・ローヴェル(触手姫)は世界へ分体を増やします。』
『エルナ・ヴェイス(ゴブリンの女王)は世界へ新しい共同体を増やします。』
『女将は――』
文字が続く。
『普通の人間のまま、新しい普通を増やすことが可能です。』
俺は。
そこを何度も読んだ。
普通の人間。
そのまま。
『世界崩壊形式――日常侵食型。』
『現評価――A。』
『成長目標――S。』
「目標を設定するなよ……」
『必要条件。』
『主人公への好意を低下させない。』
『パン屋経営能力を低下させない。』
『社会的信用を低下させない。』
『生活能力を低下させない。』
『本人の幸福度を低下させない。』
『主人公の日常生活を破壊しない。』
そこまで読んで。
少しだけ。
止まった。
全部。
良い条件だった。
普通なら。
『以上を維持したまま、本人が正常と認識する範囲のみを拡張します。』
「……」
良くなかった。
『破滅ではなく適応。』
『孤立ではなく共有。』
『秘密ではなく習慣。』
『異常ではなく日常。』
最後。
『女将成長編――構成検討を開始します。』
具体的な出来事は。
まだ。
書かれていなかった。
誰かが襲われるとも。
誰かが死ぬとも。
何かに変身するとも。
書いていない。
ただ。
女将を。
今より。
世界崩壊の芽として。
成長させる。
それだけが。
決まった。
昨日。
六十一点だったから。
安心した。
低いなら。
まだ大丈夫だと思った。
逆だった。
低いということは。
日記にとっては。
まだ。
伸ばせるという意味だった。




