第百七話 『世界崩壊後の長期ストーリー構造について。』
第百七話 新たな人類は人間を殺さずに侵食します
あの一ヶ月が終わってから、しばらく日記帳を開きたくなかった。俺が書いた「救い」は確かに成立した。女将には俺との時間が増えた。リサには怒りをぶつける相手ができた。ミレアは悪人が一人減ったことを喜んだ。マルタは新鮮な皮を手に入れ、エリナは人間へ近づくための部品を得た。サラの花は育ち、ティナたちの地下では新しい人間まで生まれ始めた。セリナも、自分ではなかったものを抱えながら自分でいる方法を覚え始めている。全員、何かを得た。それなのに、前より世界が酷くなった気がする。夜。とうとう日記帳を開くと、俺が何も書いていないページへ文字が浮かび始めた。
『世界崩壊後の長期ストーリー構造について。旧来人類を直接絶滅させる展開は、人口減少、キャラクター利用範囲縮小、社会描写減少を招きます。代替案として、既存人類を生存させたまま複数の新たな人類へ段階的に分岐させる構成を検討します。』
「……新たな人類?」
文字は止まらない。
『侵食は外部から行う必要がありません。出生、複製、寄生、共生、身体交換、情報交換、死体利用等により、現在の人間そのものから次世代を発生させます。旧来人類と新たな人類の間に家族、恋愛、友人、職業、地域共同体を形成することで、単純な敵対構造を回避可能。侵食対象自身が新系統の存続を希望する状態が望ましい。』
侵略者が攻めてくるわけじゃない。
人間から。
人間じゃないものが。
増えていく。
『第一系統。セリナ系統。』
その名前を見た瞬間、嫌な予感がした。
『他者から記憶、技能、経験、自己定義を取得する性質は、個体単独での情報蓄積に適しています。次段階として複製能力および個体間情報交換を追加した場合、一個体の経験を系統全体で利用可能。』
『複製直後は同一情報を保持。その後、別地域、別職業、別人間関係を経験することで個体差が発生。再接触時に情報を交換すれば、個体差を維持しながら知識のみを共有できます。』
「セリナが……増える?」
『名称についても分岐可能。セリナ。セリア。ヤリア。その他。名称は固定された本体名ではなく、各個体が獲得した自己定義および周囲からの呼称によって変化します。』
「……」
セリア。
前に。
そう呼んでいた気がする。
今はセリナ。
それすら。
ただの間違いじゃなくなる。
『一個体死亡時も、直近まで交換済みの情報は他個体へ残存。結果、個体死亡と系統死亡を分離可能。』
『人間社会が一人の専門家を育成する間に、複数個体が異なる専門分野を同時取得し、交換可能。医療、農業、魔術、商業、戦闘、行政等への急速適応が見込まれます。』
セリナが十人いれば。
十人が。
別々のことを覚える。
そして。
全部のセリナが。
それを知る。
『分類――情報共有型新人類。』
*
『第二系統。サラおよび幸せの花系統。』
『寄生植物としての性質を維持。ただし宿主へ強い苦痛ではなく幸福感、安心感、充足感を与えることで、宿主自身による排除動機を低下させます。』
『寄生者本人が継続を希望する場合、第三者による除去は救済ではなく本人意思への侵害として認識されます。』
治したくても。
本人が。
治したくない。
『寄生者が移動することで植物側も移動可能。森林のみを生息域とする必要がなくなります。家庭、職場、農村、都市へ宿主自身が植物系統を運搬。』
『次世代が寄生状態を通常の身体として認識した場合、人間と寄生植物を分離する社会的理由も減少します。』
『分類――植物共生型新人類。』
森が。
人間を飲み込むんじゃない。
人間が。
森を。
町の中へ。
連れてくる。
*
『第三系統。エリナおよび機械人形系統。』
『機械人形は人間に近づくことを研究目的とします。人間由来部品、人体構造、感覚、体温、表情、運動等の研究によって、外見および機能は継続的に人間へ接近可能。』
『同時に、人間側では身体狩りその他の欠損に対し、機械部品による補完技術が普及。』
『機械人形――人間へ接近。』
『人間――機械へ接近。』
『双方の差異は減少します。』
エリナたちは。
人間になりたがる。
身体を奪われた人間たちは。
機械を使う。
反対側から。
同じ場所へ。
近づいている。
『身体狩りを行う個体も、エリナ一体へ限定されません。製造された機械人形が人間へ近づく研究を継承する場合、研究資源の収集行動も複数個体へ拡張可能。』
『研究が進行するほど機械人形の外見から識別することは困難になります。』
『分類――機械融合型新人類。』
*
『第四系統。ティナ・ローヴェルおよび触手生命体共生系統。』
『人間と触手生命体を別個の生物として共存させる段階から、単一の生活環および次世代を共有する段階へ移行可能。』
『共存が進むほど、独立した旧来型触手生命体を維持する必要性は低下します。』
『旧触手生命体――減少。』
『触手生命体由来性質を保持する人間系統――増加。』
『結果として、触手生命体の廃絶と触手生命体由来新人類の増加を同時成立可能。』
「……絶滅してるのに、増えてるのかよ」
『従来人類でも従来触手生命体でもない個体が社会生活、家族形成、仕事、繁殖を継続すれば、旧二種の区別は世代交代によって重要性を失います。』
『分類――共生継承型新人類。』
触手生命体を。
全部なくせた。
そう見える頃には。
人間の方が。
もう。
触手生命体を持っている。
*
『第五系統。カーナおよびキメラ系統。』
俺とは。
ほとんど関係がない。
でも。
日記にとっては。
世界の中にいる以上。
関係ないらしい。
『複数種族由来形質を持つ個体が次世代を残す場合、単一個体の変異では終了しません。世代交代、繁殖、地域適応によって複数の新系統へ分岐可能。』
『母個体を必要としない世代へ到達した時点で、変異原因が消失しても新種族は存続します。』
『大型個体、飛行個体、水棲個体、地下適応個体等への分岐が発生した場合、人間が従来利用していた都市、街道、森林、河川等と生息域が競合します。』
『分類――生物分岐型新人類。』
町を。
狙う必要さえない。
ただ。
そこに。
新しい生き物の道ができれば。
人間の町の方が。
邪魔になる。
*
『第六系統。マルタおよび死体漁り系統。』
「……マルタまで人類扱いなのか?」
当然。
答えはない。
『生物学的繁殖を必要としません。』
嫌な文字だった。
『死者から肉、皮、骨を取得し、肉鎧を補修。複数の死体または生体を取り込むことで、新規肉鎧個体を形成可能。』
『一個体が一個体を出産する必要がなく、死者の多い環境ほど資源量が増加します。』
『戦争。疫病。魔物災害。都市壊滅。』
『人間社会にとって人口減少となる事象が、死体漁り系統にとっては個体形成資源となります。』
人間が。
千人死ぬ。
人間は。
千人減る。
でも。
別のものは。
増える。
『生存者を取り込んだ場合も肉鎧化可能。元個体の人格を維持する必要はありません。』
『分類――死体増殖型新人類候補。』
「候補って……」
マルタ自身は。
帰ってくる。
パン屋で。
飯を食う。
俺と話す。
でも。
外では。
後ろに。
何体も。
ついて歩いている。
*
日記は、そこで一度区切った。
でも。
終わらなかった。
『各新人類系統は互いに排他的である必要がありません。』
「……」
『植物共生型人間が機械部品を使用することは可能。』
『機械融合型個体が情報共有型の記憶構造を取得することも可能。』
『共生継承型新人類へ寄生植物が定着することも可能。』
『生物分岐型新人類が機械部品、寄生植物、情報共有能力等を取得することも論理的矛盾を生じません。』
「待てよ」
『複数系統の重複によって、新たな人類分類を追加可能。』
「待てって!」
日記帳を閉じた。
少しして。
また。
開いた。
書かれている。
『重要なのは、旧来人類を敵として設定しないことです。』
俺は。
黙った。
『新たな人類は、旧人類の子供、恋人、家族、友人、同僚として増加可能。』
『侵略者は外部から来ません。』
『現在の人間自身が、新たな人類になります。』
殺せない。
追い出せない。
敵じゃない。
昨日まで。
普通の人間だった。
子供かもしれない。
恋人かもしれない。
母親かもしれない。
『旧来人類の人口を直接減少させなくても、新規出生、複製、変異、寄生、機械化、共生、死体利用によって人口構成比を変更できます。』
『第一世代――例外。』
『第二世代――少数派。』
『第三世代――地域共同体。』
『第四世代――社会構成員。』
『第五世代――多数派。』
そこまで。
行ったら。
昔の人間が。
何なのか。
分からなくなる。
『旧来人類についても絶滅させる必要はありません。』
「……」
『少数集団として存続可能。』
ぞっとした。
絶滅より。
その方が。
嫌だった。
世界には。
人間がいる。
でも。
俺が。
人間と呼んでいたものだけが。
少数になる。
『人類全体の人口――維持可能。』
『文明――維持可能。』
『都市――維持可能。』
『家族――維持可能。』
『恋愛――維持可能。』
『社会――維持可能。』
全部。
残る。
『旧来の人類のみを、世界の標準から外すことが可能です。』
「それを……世界崩壊って言うのか」
返事はない。
次の文章が。
ただ。
続いた。
『世界を滅亡させずに、従来世界を終了させる構成――長期連載との適合性が高い。』
世界は。
残る。
人も。
生きる。
子供も。
生まれる。
笑う。
働く。
恋をする。
パン屋だって。
残るかもしれない。
ただ。
その店へ来る客が。
花と一緒に生きていたり。
身体の半分が機械だったり。
触手生命体の性質を持っていたり。
何人もの記憶を共有していたり。
死者から作られた肉鎧だったり。
俺の知っている。
人間じゃなくなる。
最後に。
もう一行だけ。
文字が増えた。
『次工程。新たな人類同士が互いの性質を取得した場合の複合侵食について検討します。』
俺は。
今度こそ。
日記帳を閉じた。
人類が。
滅ぶんじゃない。
俺が知っている人類だけが。
人類ではなくなっていく。




