9話
(誰かがそばにいる?)
微かに魔力を感じて、私はゆっくりと意識を浮上させた。誰かがテントの中へ入ってきた気配がする。けれど、その人物は何をするでもなく、ただ静かに私の寝顔を見つめていた。
(私の結界を抜けた……?)
胸がざわつく。
私の結界は侵入者があればすぐ感知できるはずだった。それなのに、こうして至近距離まで近づかれるまで気づけなかったなんて。
それに、いつもなら小さな物音でも飛び起きるキャロルも眠ったまま。目を開けたい。でも、怖い。
「……可愛い」
低く甘い声が、耳に落ちた。
「ああ、ぼくの可愛いローリス」
(うそ……この声、カエサル様?)
思わず目を開ける。
灯りの魔法に照らされた銀色の髪。澄んだ青い瞳。そして、息を呑むほど整った美貌。そこにいたのは間違いなくカエサルだった。
(……すごい美形)
突然目を覚ました私を見ても、彼はまったく動じない。ただ穏やかに微笑んだ。
「ごめん、起こしてしまったみたいだね」
「……いいえ。それより、どうやって私の結界の中へ? 中に入れば感知できるはずです」
思った以上に強い口調になってしまった。
だって、悔しかった。自分の魔法を破られたことも。そして、彼の顔に見惚れてしまった自分にも。
けれどカエサルは気を悪くした様子もなく、楽しげに目を細めた。
「ローリスの魔法は、本当に素晴らしい魔法だったよ。でも、ごめんね。ぼくのほうが少しだけ魔力が高かった。だから、ローリスの魔法式を書き換えさせてもらった」
「えぇっ!? 魔法式を書き換えた!?」
そんなことができる人間なんて聞いたことがない。
「……なんて規格外なの、この辺境伯様」
「辺境伯様?」
彼はくすりと笑い、私を見つめた。
「違うよ。カエサルだ、ローリス」
優しく細められた青い瞳と甘く響く声。
そんな顔で、そんな声で名前を呼ばれたら、どんな女性だって胸が高鳴るに決まっている。
そして、それはきっと今の私も同じだった。
(……悔しい)
「……」
「ローリス? どうしたの?」
どうして、そんな顔をするの。
あなたは妹が好きだったはずでしょう?
結婚したいのだって私自身じゃなく、研究成果が目的のはずなのに。
混乱する私を見つめ、カエサルがふっと息を漏らす。
「その目も……いい」
「え?」
「はぁ……」
彼は片手で顔を覆い、深くため息をついた。
「このままここにいたら、ローリスを襲ってしまいそうだ。今夜は隣のタロのところで寝るよ。おやすみ、ローリス」
そう言って、彼は私の頬をひと撫でしてからテントを出て行った。え、ええ! そんなことをされて、言われて、眠れるわけがない。
(それに、カエサル様は妹が好きだった……)
頭の中で、何度も同じ言葉が繰り返される。
だって、誰が見てもお似合いだった二人。
だから私は、妹がミサロ殿下を選ぶなんて思ってもいなかった。
それに、さっきの言葉だって。
きっと、本心じゃない。
(わかってる……。彼は私の研究が欲しいだけ)
だって私は、ミサロ殿下を引き止めることすらできなかった女だ。
妹に奪われた。
選ばれなかった。
そんな私を、カエサル様が本当に好いてくれるはずがないのだから。




