8話 カエサル
ぼくが来られないと分かれば、君はひとりで森を歩き、魔物を倒して、その肉を焼いて食べてしまう。そんな自由奔放なところも、テントの中で無防備に眠る寝顔も、実に君らしい。
ローリス、君はぼくたちが初めて出会った日のことを覚えているだろうか。
あの日は、ぼくが十歳の誕生日を迎えた日だった。
近くに魔物が現れたという報告を受け、辺境騎士である両親は討伐へ向かう準備をしていた。その討伐に、ぼくも連れて行ってほしいと頼んだが、
「まだ子供だから駄目だ」
そう言われ、屋敷に残されてしまった。
「なんでだよ。ぼくだって戦えるのに!」
拗ねたぼくは使用人たちの目を盗み、屋敷近くにある、スワーロンの森の入口へ向かった。
今頃、屋敷ではメイドたちや使用人たちが慌ててぼくを探しているだろう。けれど、そのときのぼくは、そんなことを気にもしていなかった。
そして、森の入口近くに身を潜めているうちに眠ってしまったのか、ふと目を覚ますと辺りはすっかり闇に包まれていた。
慌てて灯りの魔法を灯して「そろそろ帰るか」と立ち上がったそのとき、ガサリと茂みが揺れ、二匹のツノウサギが姿を現した。
(なんだ、ツノウサギか)
この程度の魔物なら簡単に倒せる。そう思い、持ってきた剣を構える。だが、暗闇の中を素早く駆け回るツノウサギに、なかなか剣が届かない。
「くそっ、速い……!」
なんとか一匹を倒したものの、息を整える間もなく、もう一匹が鋭い牙を剥いて飛びかかってきた。
まずい、噛まれる!
そう身構えた瞬間。
ドンッ! と爆発音が響き、目の前のツノウサギが吹き飛んだ。
「なっ……!?」
驚いて顔を上げたぼくの前に、同じように丸い灯りをふわりと浮かべた、ひとりの少女が立っていた。
「あなた、大丈夫? 怪我はしていない?」
心配そうに、こちらを覗き込むその姿にぼくは一瞬、言葉を失った。
(……可愛い)
胸が、どくんと大きく鳴った。
すると少女は、少し眉を寄せながら言った。
「あなた、こんな夜更けに魔物が出る森の近くにいたの? 危ないわ。早くお家へ帰りなさい」
「う、うん……助けてくれて、ありがとう」
「いいえ。この森は危険だから、もう近づいちゃ駄目よ?」
「わかった」
本当はもっと話したい、せめて名前だけでも聞きたかった。
「あ、あの――」
ぼくが勇気を出して声をかけようとした、そのときだった。
「お嬢様! そろそろ屋敷へ戻らないと、じきに夜が明けます!」
森の奥から、焦った声が響く。
「それはまずいわ。お父様に外へ出ていたことを知られたら、こっぴどく怒られてしまう」
「なら、早く行きましょう!」
「ええ、今行くわ」
少女はぼくへ小さくお辞儀をして、
「気をつけて帰ってね」
そう言い残して、森の奥へ駆けていった。
闇の中へと消えていく後ろ姿をぼくはいつまでも見つめ「もう一度、会いたい」そんな気持ちが、幼いぼくの胸いっぱいに広がっていた。
「見つけた!」
「坊ちゃま! こんなところにいたんですか!」
その後、必死にぼくを探していた騎士、メイドたちに見つかり、こっぴどく叱られたのだった。
⭐︎
次の日から、ぼくは彼女のことを調べた。
そして知る。
あの日、ぼくを助けてくれたあの子は、公爵家の令嬢ローリス・シャロレート、第一王子の婚約者だった。
(あの子が、あのバカ王子の婚約者……)
いくら愚かでも相手は王子だ。
王族の婚約者を奪えるはずがない。
ぼくは彼女を諦めようと、剣と魔法の鍛錬に打ち込んだ。
それから五年後。
学園の入学式で、再び彼女を見つけた。
ローリスはあの日よりもさらに美しく、気高い淑女へと成長していた。
(なんて綺麗なんだ……)
諦めたはずなのに、視線が勝手に彼女を追ってしまう。
遠くから見守るだけでよかった。
彼女の後をこっそり追い、陰からその姿を眺めていた。
さらに一年後。
学園へ彼女の妹が入学してきた。
誰もが「美人姉妹だ」と騒いでいたが、ぼくは妹の方には興味がなかった。
だが。
「あなた、ローリスお姉様のことが好きなんでしょう?」
突然、気持ちを見抜かれた。
彼女の妹は楽しそうに笑いながら囁く。
「私ね、ローリスお姉様の婚約者……ミサロ殿下を狙っているの。あなたも、お姉様が欲しいのでしょう? なら、私に協力しなさい」
普段のぼくなら、絶対に乗らない話だった。
なのに。ぼくは彼女の甘い言葉に乗ってしまった。ミサロ殿下と妹の仲を取り持ち、その結果、ローリスを泣かせた。
やがて、二人は婚約を破棄したと聞く。
(ぼくは、自分の欲に負けた……なんて愚かな人間なんだ)
彼女を傷つけた罪悪感に耐えきれず、ぼくは領地へ戻った。
もう二度と、彼女には会わないつもりだった。
だがその後、ローリスの両親が彼女を女癖の悪い公爵へ嫁がせようとしていると耳にした瞬間、ぼくは居ても立ってもいられなくなった。
気づけば王城へ赴き、国王陛下へ願い出ていた。
「公爵令嬢ローリス・シャロレートを、私の妻にむかえたいです」
何十年にも渡り、王家は辺境伯家の武力に頼ってきた。だからこそ、陛下は断れなかった。
王命はすぐに公爵家へ届けられる。
『長女ローリス・シャロレートを、辺境伯カエサル・バルキッサへ輿入れせよ』
こうして、彼女はぼくの婚約者になった。
婚約破棄の件を謝りたい気持ちは、今でもある。けれど同時に、胸の奥で歓喜している自分もいた。
憧れ続けた彼女が、あのバカ王子のものにも、誰か別の男のものにもならずぼくの妻になる。
嬉しくないはずが、ないじゃないか。




