表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
226/237

一年の歳月が流れ・・・(2)

 翠の両親も、手をしっかり合わせながら昔を振り返る。

彼女は若干内気なところがあったが、好きになったものに対する熱は強かった。


 何年経っても家族と一緒にゲームで楽しんだり、時にはゲームが発端で喧嘩をする事があっても、

 ゲームが嫌いになる事はなかった。

そして、例えゲームの登場人物だったとしても、キャラに感情移入する事も多かった。


 ゲームキャラが悲しい思いをすれば、翠も悲しむ。

ゲームからが苦しい思いをすれば、翠も歯を食いしばる。

 ゲームキャラが感動した時には、翠も涙を流す。


 そんな純粋で、素直な子だった。

だからこそ彼女の両親も、いつまでも泣いてはいられなかった。

 何故なら2人は娘の性格をよく知っている。

自分が死んだことを、いつまでも悲しんでいたら、死んだ翠も浮かばれない。


 それは、翠に限った話ではないのだが、未だに亡くなった子の死を受け入れられず、心を病んでし

 まった遺族も少なからずいる。

だがこれは、決して『心の強さ・弱さ』の問題ではない。


 誰だって、大切な人を突然失えば、明日が見えなくなるくらい絶望する。

それを茶化したり、無理やり励まそうとするのは、もってのほかだ。


 傷ついた心を直せる『特効薬』があるわけでもない、心の傷を治すには、ひたすら時間をかけるし

 かない。 

それに、心の傷は完全には治らない。様々なことがきっかけで、また傷口が開いてしまう事もある。


 大切な人を失った遺族のショックも大きいが、彼らが通っていた高校に通い続けている、在校生の

 ショックも大きい。

恒例行事だった林間学校は中止となり、『修学旅行』すら危ぶまれた。


 事件をきっかけに、『バス』に乗れなくなってしまった生徒も多数。

学校では『専門家カウンセラー』を呼び、在校生の心の傷に寄り添った。


 そして、心に傷を負ったのは、毎年林間学校へ向かう生徒を見送る校長先生や教頭先生も同じ。

毎年、林間学校や修学旅行に行く生徒たちを見送るのが当たり前だった。

 だが、見送った生徒が、もう帰ってこない悲しみは、人生において一生残る。

大人も辛ければ、子供だって辛いのだ。


 だが大人は、ただ悲しんでばかりではいけない。

事故(事件?)をきっかけに、毎年使われていた山岳の道路は、拡張工事が始まっている。


 そして、今回の事故を後世にも伝え、無事に学校や家に帰ってこられる喜びを実感してもらおう

 と、慰霊碑が建てることに。

これには賛否両論あったのだが、やはり本来の目的である、『後世に残しておく』という事は、生きている人々の務め。


 この事件は、学校の歴史においても、『黒歴史』として残るかもしれない。

それでも、亡くなった生徒を教訓にして、無事に生活できる喜びを、これからこの学校に通う生徒にも知ってもらいたい。


 そんな遺族と在校生の気持ちを、慰霊碑として残すのだ。

その為に、教職員だけではなく、在校生も大いに貢献した。


 事故に遭った全員の名前が彫られた石碑を建設する為、在校生が草むしり等の環境整備を施し、在

 校生も費用も一部寄付した。

その結果、当初の計画より立派な石碑が校内に建てられる事に。


 また、関係者のみならず、県外の学校からも寄付が寄せられた。

大きな事件だった事もあり、国内だけではなく、海外でもニュースに取り上げられた。

 外国と比べると、比較的安全で安心なこの日本でも、事故は起こってしまう。

その事故が、自分たちに落ち度なら、ここまで大事にならなかった。


 この大惨事で影響を受けたのは、学校界隈だけではない。

バス業界やバイク業界の重鎮も、慰霊碑建設に関わり、一周忌にも参加している。


 この件に、バスやバイクは何の関係もない。

ただ関係者が使っていただけの、いわば『背景の一部』

 一番の原因は、バイクを運転していた若者たちの筈。

だが、一時期どこからともなく現れたクレームに悩まされた人は数知れず。


 その内容も、一見すると『ごもっとも』なのだが、よく考えれば、それは遺族や関係者を煽るよう

 な言葉の数々。

怒りを通り越して、呆れてしまう。


 無関係である事をいいことに、有る事無い事ギャアギャア騒ぎ立てられ、『別の無関係者』の精神

 を追い詰める。

そこに、『正義』なんかがあるわけない。


「子供の命を大勢預かっている自覚があるんですか?!」

「間接的に子供たちを大勢死なせたんですよ!!」

「これ以上人を殺すような商品の製造や販売はしないでください!!」


 会社にあれこれと苦情を言っていた人々も、亡くなった生徒たちの墓に、手を合わせない。

ただ『観客席』から、マウンドに立っている選手にブーイングをしているだけに過ぎない。

 選手の苦しみもプレッシャーも理解しない人は、サポーターとは言わない。

それは単なる『野次馬』か『傍観者』である。


 しかし、そんな被害者家族が知らないうちに、話がどんどん大袈裟になり、話がどんどん脱線。

だからこそ、被害者家族は頻繁に、墓に向かって手を合わせているのだ。

 本当に大切なのは、犠牲者を弔う『気持ち』 忘れない『気持ち』

『気持ち』を『形』として残し、後世に繋いでいく。


 メディアも気持ちを形にできる力を持っているが、やはり遺族の思いに勝るものはない。

これから先、自分たちと同じような悲劇を起こさない為、巻き込ませない為。

 そんな切なくも、優しい気持ちが束ねられるのが、今日。

そして、何年先も、何十年先も、手を合わせてくれる人がいるのを、墓たちは願っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ