異世界カオスで死者蘇生が発達していないのは死者の魂の転生が三十分で終わってしまうかららしい。
異世界生活六十八日目 場所コンラッセン大平原、能因草子の隠れ家(旧古びた洋館)
山を登れば登るほど魔獣が強くなるなら、山を降りれば降りるほど魔獣は弱くなっていくのは自明の理だ。
上の魔獣に勝てるなら下の魔獣に負ける筈がない。
ということで、俺達は危なげもなくアルドヴァンデ共和国側の一合目にあるパラテの町に到着した。
アルドヴァンデ共和国の旅は明日からということにし、俺達は屋敷に戻った。
本当は宿に泊まって欲しいんだけど、白崎達が俺の屋敷をいたく気に入ったみたいだからね。……うん、こんなモブと一つ屋根の下に暮らすなんて、白崎達はつくづく物好きだと思う。
さて、俺は屋敷の一角にある薬品工房に来ていた。
ここには専門の店で購入した窯や鍋やビーカーなど、魔法薬を作る上で必要なものが揃っている。
「さてと、始めますか」
皮の袋から取り出したのは紫キャベツだ。通常のキャベツよりも豊富な経験値が含まれているとされている。
それをエルダーワンドで千切りにして鍋に放り込んだ。
研究の初期段階で通常の水を用いた場合、紫キャベツ成分抽出液を作成できることが分かっている。
複雑な方法を取らなくてもただ煮るだけでEXPを簡単に得られるというのはなにか試行錯誤が必要かと思っていた俺にとっては拍子抜けの結果だった。
だが、紫キャベツ成分抽出液を開発したと言っても普通に紫キャベツを食べるよりも獲得量が少ないという結果になってしまった。
【智慧ヲ窮メシ者】を使用して調べてみたところ抽出量は五〇パーセント。これでは意味がない。
そこで、次に試したのがとある異世界モノで完●回復薬の作成条件だった真空にする方法を試してみた。
【風操作】を利用するから気軽に試せるんだよね。
結果は抽出量九十五パーセント……まあ、ここで諦めることもできるんだけど、もっとまだ試せそうなんだよね。
その後、試行錯誤を繰り返した末に、水に大量の二酸化炭素を溶かした炭酸水を用いると抽出量が九十九パーセントになることが分かった。どうやら、EXP成分は二酸化炭素と化合しないらしい。
ちなみに炭酸水が何故、抽出量を上昇させるのかについてだが、炭酸水の持つ酸性の性質が関係していることが分かった。
そんな訳で完成したのが、今作成している紫キャベツ成分九十九パーセント抽出液だ。
この時点でもうEXPポーションとしても売り出せるだろう。紫キャベツそのものを食べるのとほとんど変わらない量のEXPを酒瓶一本程度の量を飲むだけで得られるのだから。
だが、EXPポーションの作成はここからが本番だ。
真空にした容器に紫キャベツ成分九十九パーセント抽出液を入れ、【水操作】を利用して水分のみを抽出していく。
これにより、酒瓶一本分ほどあった紫キャベツ成分九十九パーセント抽出液が二十ミリリットルほどになった。これを二百ミリリットル入る瓶の中に入れる。
これで、単純計算で紫キャベツを一つ丸々食べるよりも遥かに多くのEXPを得られるポーションが完成した。
「これで、経験値凝縮薬の完成か。ルルードさんの研究を奪ってしまったような形だが、これを作る構想はルルードさんに会う以前からあったし、別にルルードさんのアイディアを奪った訳ではないよ」
自分に言い聞かせるように言い訳を口にした俺は、エリシェラ学園へ〝移動門〟を開いた。
◆
「なるほど、大体の話は分かった。……しかし、私の知らないところでこんなにも興味深い共同研究が行われていたとは……誘ってくれたら良かったのに」
セリスティアは露骨に不貞腐れた顔をした……全く大の大人が、それも一国で最高ランクの教育機関の学園長ともあろう方が、するような態度だと思うよ。
場所はルルードの研究室。二つの研究が完成したということで、その成果披露の場にセリスティアを呼んだのだが、その時話を聞いたセリスティアが浮かべたのが、この一人だけ玩具を貰えなかった時の子供のような顔だ。
「流石にセリスティア学園長ほどの方に研究を手伝わせる訳には参りませんよ」
「……そういう気持ちは嬉しいのだが、一人の研究者としては私も参加したかった」
セリスティアは忙しい人だし巻き込んで迷惑を掛けたらいけないって思った故の行動だったんだけど今回は裏目に出てしまったようだ。
えっ、それならルルードはいいのかって? いや、勿論ルルードも忙しいことは分かっているよ。ただ、頼りやすい人だからついつい頼っちゃうんだよね……本当にごめんなさい。
「セリスティア様、私もほとんど何もしてませんよ。ただ、定期的に草子さんから魔法薬の材料を受け取ったり、現状報告を聞いたりしていただけです」
まあ、ほとんど俺一人でやったからね。でも、ルルードの情報が無かったら聖薬を作れなかったから、ルルードのおかげであるところが大きいんだよ! と声を大にして言いたい。
「では、まず私から報告させて頂きます。つい先日総合能力向上薬が完成しました」
ルルードさんが研究している魔法薬の一つが、この総合能力向上薬だ。
つまり、ルルードは俺が集めた素材を元に総合能力向上薬を完成させてしまったのだろう。
流石は世界でも有数の薬師だ。
「なるほど……確かに力増強薬、敏捷増強薬、耐久増強薬、精神増強薬、幸運増強薬の効果はあるようだが……やはり成分量がそれぞれの薬よりも落ちているな」
「そこが問題なのですよね……これは力増強薬、敏捷増強薬、耐久増強薬、精神増強薬、幸運増強薬を実際に混ぜ合わせてみたものなのですが、それぞれの薬を少量ずつ混ぜ合わせて作っているので一つ一つの効果が薄くなってしまうのです」
ルルードも俺と同じ壁にぶち当たっていたようだ。
まあ、俺の場合は純粋に量が多過ぎて飲みきれないだろう! って問題なんだけど。
ちなみに、ただ混ぜ合わせたと言っているが、ルルードが言うほど簡単なことでは無かった筈だ。
火にかける際の温度、混ぜ合わせる順番、配合――そのような微調整に失敗すれば魔法薬は望み通りの効能にならないからね。というか、できていたら今頃巷に溢れているよ。
「草子殿はどう思う?」
「そうですね。この総合能力向上薬の問題を解決する方法はあります」
「「本当ですか?」」
食い入るように尋ねてくるセリスティアとルルード……お二方、美し過ぎる顔が眩し過ぎます。
「実際に俺もその問題にぶち当たりましたので。まあ、その話は追い追い。まずは俺の作った新薬と復元した魔法薬について説明させて頂きます」
そう前置きをしながら、皮の袋からまず二本の試験管を取り出した。
「これは?」
「超古代文明マルドゥークが開発した聖薬です。後程作り方については纏めたレシピをお渡ししますので、割愛します。主な効能はHPとMPを完全回復させ、更にあらゆる状態異常を解除するというものです。そして、この薬には霊薬と同様の効果があります」
「……部位欠損修復か?」
通常の魔法薬ではHPを回復することや小さな傷を治す効果はある。
だが、大規模な傷や欠損した部位を修復する効果は無かった。
しかし、霊薬には失った部位を修復する効果がある。
今回、聖薬について調べたところ聖薬にもこの部位欠損修復の効果があったのだ。
「それだけではありません。この聖薬には、死者蘇生と若返り以外のあらゆる状態を正常に戻す効果があります。例えば、細胞のコピーエラーが原因で起こる癌、ウィルスによって引き起こされる病、先天性の身体障がいに分類されるもの、後天性免疫不全症候群……まあ、挙げ始めたらキリがありませんが、まあとりあえず何にでも効きます。……オセルタミビルとかザナミビルとか、もういらねえって感じだな」
若返りの直接的効能がある薬草の話は聞いたことがない。俺自身無理だと思っている。
「〝死者蘇生〟か。確か、教皇と大聖女のみが使える魔法だと聞いたことがあるが……」
異世界モノ、ファンタジーゲームなどなど、死者蘇生が可能な作品は多い。
だが、この異世界カオスにおいて〝死者蘇生〟は半ば伝説の技術だ。
理由の一つは、使い手が教皇と大聖女のみに限られること。
そして、もう一つは死後、〝死者蘇生〟を使用可能な時間がごく僅かしかないこと。
宗教などで死者蘇生が倫理に抵触するからと禁止されている訳ではないのだ。
倫理に抵触すると考えられているのは、死体をゾンビ化させるようなものであり、魂を伴った完璧な死者蘇生に関してはミント正教会も認めている。
「〝死者蘇生〟……まあ、確かに有用な魔法ではありますね。ところで、セリスティア学園長は何故〝死者蘇生〟がそれほど重要視されていないかご存知ですか?」
「〝死者蘇生〟は死後時間が経った死体を蘇生することができないからだな」
「流石はセリスティア学園長ですね。蛇足ではありますが、少し詳しく説明させて頂きますと、まず死亡から十五分……この時間についてはまだ肉体から魂が剥離していませんので、聖薬を使っても蘇生することができます。その後、魂は剥離し自動的に神界に転送されます。そこから実際に転生するまでが十五分――その間に〝死者蘇生〟を使用した場合、転生をキャンセルし、生き返らせることが可能ということらしいです」
セリスティアとルルードが驚いた表情のまま固まった……時間停止魔法は使っていないよ。
「なんで草子殿は、そこまで分かるんだ? というか、神界って言葉通りなら神の世界のことだよな? ミント正教会の神話にも登場するが……あれは恐らく人間の創作だ」
「理由と言いましても、転生を管轄する女神様に聞いたとしか。実はレーゲン君の蘇生に関わったのがその女神なんですよ。で、その女神様と縁があってお近づきになりまして、せっかくなんで聞いてみたって感じです。まあ、愚痴を聞かされた分の収穫はあったって感じですけど」
「草子さんってとんでもない人だとは思っていましたが……神様とも知り合いだなんて。本当に何者なんですか?」
「何者って、ただのモブキャラですよ。勇者パーティの名も無き取り巻きってところです」
「…………草子殿は、そろそろ自分が規格外であることをいい加減認めた方がいいぞ。しかし、そうなると〝死者蘇生〟の価値は十五分間蘇生可能時間を伸ばせるということか。これを大きいと捉えればいいのか小さいと捉えるべきか」
個人的には十五分って大きいと思うよ。雪崩に埋没すると十五分で急激に生存率が変わったりするから。
「この聖薬ですが、消費期限が五年になっています。霊薬のような石製型固定魔法薬とは異なり、草製型流動魔法薬は消費期限に逆らえませんから。ただ、これについては対策を考えております。【時間魔法】で魔法薬の時間を固定してしまえば問題ないのではありませんか?」
「確かに……だが、それは草子殿のような一部の人にしかできない芸当だ」
確かに【時間魔法】は使える人が少ない。白崎みたいな選ばれし者ならすぐに習得できると思ったんだけど、未だに習得できていないからね。えっ、いくらなんでも無茶だって? こんな凡人なモブキャラに習得できるんだから、誰にだって習得できるだろう?
「一応【時間魔法】をプログラミングした装置を利用して魔法薬の時間を停止させるということはできますが……あんまりいい方法ではありませんね。技術とは汎用であることに意味があります。一見誰かにしか使えない技術というのは魅力的に思えますが、もしその人が死んでしまえばそこで技術が途絶えてしまいますから」
装置自体は誰にでも使えるだろうが、その装置を作れる者が俺だけという訳では意味がない。
俺はこの世界から地球に帰還するつもりでいる。そのために、俺が生み出したものを全て還元するつもりでいる。
欲度らしく地球で使えもしない技術を秘匿したまま持ち帰っても仕方ないからね。
「話が少し逸れましたので、本題に戻りましょう。こちらが新薬――経験値凝縮薬になります」
「遂に完成したのですね! 流石は草子さんです! ……私が研究を始めて二年……未だ完成しなかった薬を完成させてしまわれるなんて!!」
ルルードが尊敬の眼差しを向けてくるが……いや、俺ってルルードさんのやりたかった研究を先に終わらせちゃったんだし、普通恨むところだよね?
「ルルードさん、そこは『私よりも先に完成させてしまうなんて、許せません!!』って言うべきところだと思うんですが?」
「なんで私がそんなことを言わないといけないんですか? 素晴らしい研究成果ですし、難癖をつけるところは無いと思いますが……確かに悔しいですよ、それは。でも、魔法薬を完成させられなかった責任は私の力不足にあります。それを草子さんのせいにするのは単なる責任転嫁です。……そうじゃ無いですか?」
やっぱりルルードは強い人だ。ムシャクシャしたって仕方ない状況なのに、それでも俺の研究成果を祝福している。
ルルードとセリスティアはほぼ同時に俺の渡した経験値凝縮薬を飲み干した。
「これは凄いな、一気にレベルアップできた」
「この経験値量は紫キャベツそのものよりも高い気がします」
「流石はルルードさんです。こちらが、その製法になります。聖薬の製法は裏に書いてありますので」
皮の袋に入っていた製法を纏めた紙をルルードとセリスティアに渡した。
「これは……」
「草子さん、やっぱり私には無理でした。こんな方法、何十年かかっても思いつきませんよ! まさか、真空と濃縮を用いるなんて……まあ、技術としては知っているので聞けば納得できますが」
ルルードが絶望の表情を浮かべている……なんだろう? やっぱり作らなかった方が良かった。
「一応作成にこそ成功しましたが、あまり市場に流すのはオススメしません。聖薬と経験値凝縮薬は性能が良すぎますから」
「……確かに、魔獣を倒す目的でレベルアップは必要だが、強過ぎる力は暴力を生む。その暴力に晒されるのはいつだって身近な弱者だ。……秘匿しておくべきだな」
俺の真意をセリスティアとルルードが見抜くことはなかった。
俺が真に恐れているのはヴァパリア黎明結社にこの二つが渡ること……正直上位クラスは既にステータスがカンストしているだろうけど、末端はそこまで強くないだろうからね。それを強化されてしまったら大変だ。
「二人とも素晴らしい研究成果だった。賞賛の言葉を送らせて欲しい。……さて、そんな二人に私から話がある」
セリスティアの笑みを前に、俺はまた面倒ごとに巻き込まれる予感を察知した。