水の中での移動は水圧を使うよりも超空洞現象を利用した方が早いらしい。
異世界生活六十日目 場所エリシェラ学園
【ヴァングレイ視点】
エリシェラ学園では各学期に二度、一年で六度試験が行われる。
その結果は成績に大きな影響を及ぼすため、考査期間が近づいてくると学生達は挙って勉学に勤しむ。
そして、それは教養教育科目や単位制などの新しいシステムが導入された現在でも変わらない。
挙って勉学に勤しむといっても、一人で勉強する者、仲良しなグループで高め合う者、とその方法はまちまちだ。
だが、今年はその方法に新たなものが追加された。
「おっ、この受講者の量は予想外だな。こんなモブが主催する勉強会に大貴族の子女が来るなんて予想外だよ。貴族なんだから、いくらでも優秀な家庭教師を雇えるよね」
新設された講義室に皮の袋一つを携えて入って来たのは草子先生――非常勤講師でありながらエリシェラ学園随一と言われる期待の新星だ。
それと同時に俺達のライバルである……まあ、彼自身は俺達がライバル視していることなど知る由も無いだろうが。
この俺達と歳の変わらない教師は本当によく分からない人だ。
俺達を貴族だからと恐れている素振りを見せながら、一方では一応筆頭貴族であるエリファス家に対して圧力を掛けるようなことを涼しい顔でしてくる。
そんな男だが、二つだけ言えることがある。一つは、一度決めたことは例えどんなことがあったとしても諦めないこと。そしてもう一つは、何だかんだで困っていれば助けに入るということ。
だからこそ、慇懃無礼な態度を取り、皮肉の込められた言葉を吐きながらも、多くの学生に親しまれているのだろう。
「皆様のご存知の通り、もうすぐ中間考査がやってきます。成績に大きく関わってくるこの試験に懸ける思いは大きいと思います。もし、本当にいい成績を取りたいならこんなモブの講義を受講せず、超優秀な家庭教師を雇いましょう」
この場から立ち去る者は一人としていない。
この場に集まった者達は皆、知っているのだ。この試験で優秀な成績を収める近道は、この草子先生の講義を受けることだと。
「……受講者、減りませんわね」
隣に座る俺の婚約者――ノエリアは露骨に残念そうな表情を浮かべている。
まあ、そうだよな。少しでもライバルが減ってくれるのなら、それに越したことはない。
「はあ、貴族ってのは物好きの集まりなのかね? 庶民なモブの俺には良く分からんよ。……まあ、そこまで期待されているってことはそれに応えるのが最低限の礼儀だな。それでは、第一回中間考査対策を開始する」
草子先生の目つきが変わった。
◆
「……まあ、【魔法薬学入門】はそこまで深いところまでやってないだろうし、器具と薬草の名前、原産地などを覚えておけばいいと思うよ。【魔法薬学応用】からは実際の調合方法なども出題されると思われる。まあ、ルルードさんも鬼じゃないし、無茶な問題は出さないだろう。教科書をしっかり読み込んでおくのをオススメするが……そうだな。もし山を張りたいなら茸と筍の原産地辺りが狙い目だな」
草子先生は白板に淡々と書きながら講義を続けるが、誰一人として寝落ちする人はいない。
一人一人の教師の性格分析から、最近の研究、講義の範囲などの情報を総合し、出題予想を語っていく。
「……悔しいが、アイツの指摘は的確だ……認めたくないが」
一つ前の席でギンフィール=エントゥレウスが歯軋りをしていた。
このインテリは草子先生の初めての授業の時から何かと敵視している。だが、一方では逆立ちをしたところで草子先生に勝つことはできないと理解しているのだろう。
それが余計に苛立ちを募らせる。心のどこかで認めてしまっていることを彼自身、許せないのだろう。
……そんなに嫌なら、来なければいいのに。
「草子先生、草子先生の授業の考査の対策はして下さらないのですか?」
質問をしたのはマイアーレだ。
今や、ロゼッタ、ノエリア、プリムラに次ぐファンクラブ会員を持つと言われる人気令嬢となった彼女は、かつての自分を省みて、人の気持ちを慮った行動を心掛けているという。
「……あのですね、マイアーレ様。テストを作る人がそのテストの問題を教えたら攻略してくださいって言っているようなものじゃないですか。……まあ、いいでしょう。どうせ誰かが言うと思ってテストの問題を持ってきましたし……その代わり、当日は満点を取ってくださいよ。……しかし、マイアーレ様がそのようなことを仰るとは思いませんでした」
「断られると思ってダメで元々で質問しましたが、まさか本当に当日のテスト問題を教えて頂けるとは思いませんでしたわ」
「まあ、所詮は非常勤講師ですし、こんなモブキャラのテストになんて誰も関心を持っていませんよ。適当でいいんですよ、適当で」
草子先生は、セリスティア学園長を始め、多くの学園の教員に注目されている。
適当で許される立場ではないが、そもそも草子先生の適当は適当などでは断じてないので、気を緩めることはできない。
「それじゃあ、ホワイトボードに問題を書くので、分かった人は前に来て書いてね。もし、正解できたら……そうだな。何か一つ言うことを聞いてあげるよ」
その瞬間、令嬢達の目が光った気がした。……あれ? ノエリアの目も光ってないか?
「草子先生に一つだけ願いを叶えてもらえる!? どうしよう!! 何をお願いしよう!!」
「……ノエリア、落ち着け。まだ一問も解けてないんだからな」
何故かヒートアップしたノエリアを落ち着かせながら、ホワイトボードに視線を向ける。
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第一問
ファンタジー小説には定番の魔法の一つに、水蒸気爆発を用いたものがあります。
では水が沸騰した時、体積は何倍になるでしょうか? 正しい数字をお答えください。
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「「「「「「知る訳ありませんわ!!」」」」」」
「ん? ちゃんと講義中に言ったぞ? メモ取っとけって」
……そういえば、言っていたような。体積は約千倍に膨張? ……くそ、詳しい数字は分からない。
「う〜ん……これであっていたような。試してみます」
おっ、マイアーレの挑戦か?
「1025倍か……惜しいな。ちなみに、正解は1699.67倍だ。ここテストに出るからなー。んじゃ、次だ」
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第二問
俺のよく使う魔法に隕石を第二次宇宙速度まで加速させるものがあります。
では、第二次宇宙速度とはどれほどの速さでしょうか? 正しい数字をお答えください。
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またか。というかこれ、最早魔法の話じゃないだろ!
……多分、これも講義中に言ってたんだろうな。
「ん? 手が上がらないか。ちなみに正解は40,300 km/hだ」
「能因先生、その問題も前の問題も魔法と関係ないじゃないか!!」
「えっと……ギ……君?」
「ギンフィールです!」
「いや、君の名前ってなかなか覚えられないんだよね。ハーなんとか先輩みたいな……うん、性格までそっくりだ。だからきっと覚えられないんだろう。うんうん」
「馬鹿にしているのか!」
……この二人って本当に相性が悪いな。
草子先生も、もう少し大人になればいいものを。
「んで、こんなことを習って意味があるかって? そんなもんある訳ないだろ? なんなら、魔法座学なんて教科、そもそもいらねえわ。世間では勉強せずに魔法を使っている奴なんてごまんといる。効果を知らなくても適当なスキルを持っている状態で呪文さえきっちり唱えれば魔法なんて使えるからな。だが、説明できない技術を使っていて本当に安心できるか? 相手が使う魔法がどんなものか知らない状態で安心して戦えるか? それに、前者は水蒸気爆発を利用した大魔法を実行するのに役立つかもしれない。後者は、もし第二次宇宙速度で隕石を降らせる魔法を作るとしたら、その時にイメージを固めるのに効果を発揮するだろう。何がどこで繋がるか分からないからな。関係ないからって簡単に切り捨てるのはあんまりオススメしねえよ。まあ、俺が困る訳じゃないからどっちでもいいけど」
その後も何問か問題を出した後、「ノートにでも纏めておけよ」と言って、草子先生は講義室を出た。
「私達も行きましょうか?」
ノエリアに促されるまま荷物を纏め、二人で講義室を後にする。
すると、草子先生とリーファさんが一緒にいるのが見えた……何故、リーファさんがエリシェラ学園に?
「まさか、草子先生の本命はリーファさんだったのですか? てっきり、白崎さんか聖さんだと思っていましたけど……もしくは、ロゼッタさん?」
「リーファさんだって草子先生と付き合いが長いだろ? そんなに驚くこともないと思うが……そろそろ行こうか」
「待ってください。浮気の証拠を掴むまでは!」
「浮気って……そもそも草子先生は誰とも付き合っていないが。というか、プライベートな話に首を突っ込むのは良くない」
何度止めてもノエリアは動こうとしなかった。
ノエリアにゴシップ好きな面があることは知っていたが、まさかここまでだとは……というか、てっきり令嬢達の黒い噂を集めて後で脅すためだと思っていた。
『……準備できたか?』
『はい、バッチリです』
『それじゃあ、行くか』
草子先生は〝移動門〟を開き、リーファさんと一緒に入っていった。
「……今の〝移動門〟の背景……森でしたわね。デートではなさそうですわ」
「二人には二人の事情があるのだろう。あまり部外者が口を突っ込んでいいような話ではない」
「……そう、ですわね。ロゼッタさんの親友として彼女を悲しませたくはありませんが……最終的には当事者がどうしたいか、だけですから。……行きましょうか、ヴァングレイ。お茶会の会場で皆様が待っています」
◆
【リーファ視点】
草子さんの〝移動門〟はダイレクトに精霊の森に繋げられるらしい。
「で? 今日は誰と契約しに行くんだ?」
「今日“火の精霊王”と時間があれば“風の精霊王”にチャレンジしてみようと思います」
「確かに属性相性的には妥当な順番だな。確か、“精霊王”の試練には精霊を連れていってもいいんだっけ? 今回、俺は傍観しているから二人で頑張ってくれ」
今回から、草子さんは助けてくれない。
でも、そもそもこの試練への挑戦は私が始めたことで草子さんには関係のないことだ。
死んだら自業自得……見捨てることだってできたのに、草子さんはそれをしなかった。
だけど、いつまでも草子さんに甘えてばかりではいられない。草子さんの力になれるように強くなろうとしているのに、そのために力を借りていたら本末転倒だからだ。
だから、私はこの試練をファンテーヌと二人で勝ち抜いてみせる。
「ちなみに、今回の“火の精霊王”と“風の精霊王”ってどんな奴なんだ?」
『“火の精霊王”は……思い出すだけでも嫌になる熱血漢な脳筋だ。とにかく五月蠅い、うざい。“風の精霊王”は清楚で可憐な女の子だ。ただ、芯はしっかりしていて、覚悟を決めたら曲げたりしない。“精霊王”の中で一番真面目なのは“風の精霊王”だと言われているし、私もそうだと認めている』
「……あの、帰っていいっすか? 俺、脳筋な熱血漢は無理なんです。自分一人で盛り上がるだけでも体感気温が上がって暑いのに、挙げ句の果てに熱血を他人にまで強要してくるタチの悪い奴……しかも、非協力的だとこっちが悪いみたいで嫌なんですよ」
……確かに草子さんはあんまり熱血タイプじゃない。
寧ろその対局にあるような性格。
それに、肉体派の進藤君達と再会した時もかなりげんなりしていたから、きっと考えずに行動するタイプとはかなり相性が悪いんだと思う。
「……まあ、契約しないといけないなら行くしかないか」
精霊の森を草子さんとファンテーヌと共に三人で歩く。
すると地面が燃え、木々が炭になっている場所に出た……ここが、“火の精霊王”の棲家。
『ん? 精霊の森に精霊以外の客は久しぶりだな。“精霊王”の試練を受けに来たのか? だが、それにしては貧弱そうな女だな。……ん? 違うな。挑戦者は男の方か? 凄まじい適正――貴様との戦いは嘸や楽しいものになるであろう! では、いざ尋常に』
「……あっ、やっぱりダメな人だ。話を聞かないで勝手に解釈して勝手に突っ走ってやがる。よくそれで“精霊王”やれているよな? 少しはファンテーヌさんのような冷静さを持てよ、脳筋が」
『貴様! “精霊王”である我を侮辱するか! 十年とちょっと生きている若造が意気がりよって! この鍛え抜かれた熱した鋼のような筋肉で、貴様に我を侮辱したことを後悔させてやろう! 業火巨帝拳』
“火の大精霊”アオスブルフ=フィアンマの拳が草子さんに迫る……というか、試練を受けに来たのって私だよね! なんで置いてきぼりにされているの!!
「……俺は単なる付き添いなんだけど、脳筋に言葉が通じる訳がないし。……水の管弦楽団」
草子さんの周囲に無数の巨大な水の球が出現する。
それらが、草子さんが手を振りがさすのと同時に一斉にアオスブルフへと襲い掛かった。
『水如きで我が炎は消せん!! 赤熱地獄爆炎陣』
炎の円が草子さんの周囲を包み込む。……いくら草子さんでも流石にこれじゃあ。
「……何、この技。もしかして炎●爆獄陣みたいな奴? もしかして、お前ってイ●リートなの? 実は地●の火炎とかノックバック効果のあるヒー●ナックルとか使える? ……まあいいか。――水の大管弦楽団」
巨大な水の球が草子さんを包むようにして生まれ、周囲の炎を呑み込みながら膨張していく。
やがて、その水はアオスブルフに迫る水の球、そして遂にはアオスブルフそのものさえも呑み込み――。
「超空洞現象……講義で出しとけば良かったな。あっ、【超空洞現象】のスキル、手に入ったみたいだ」
不可視の速度で迫った草子さんによってアオスブルフは為す術なく吹き飛ばされた。……一体何が起こったの!?
「液体の流れの中で圧力差により短時間に泡の発生と消滅が起きる物理現象を利用した超高速移動手段を再現した。スキル水●推進とは違うが同じような高速移動手段だと思ってくれればそれで問題ない。……まあ、こっちの速度は亜音速だけど」
理屈は分からないけど、とんでもない速度で移動したことが分かった。
今回も理論を形にしたのかな? やっぱり凄いな、草子さんは。