【幕間】同郷の友を失った勇者達は――それぞれの思惑とティンダロスの幼犬
異世界生活十五日目 場所ミンティス教国神殿宮
「……おい、どういうことだ! 説明してくれ、ダニッシュ騎士団長!!」
照次郎はダニッシュの胸倉を掴み揺さ振る。対するダニッシュの方はなされるがままだ。
本来、ダニッシュ自身に咎められる理由は(表向きは)無いのだが、かと言って言い返せる立場でも無い。
ダニッシュは、照次郎の行動を咎めぬまま淡々と言葉を紡いでいく。
「……そのままの意味だ。翠雨はつい先日、実地試験の場所に指定されていた常夜の大樹林で死亡しているのが発見された。宿泊していた宿の人間からの事情聴取により死亡したのは実地試験二日目だと思われる。現場には護衛として同行したオーエン=ユリックノーマンの死体も発見されている」
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だッ!! 翠雨が死ぬ訳がない。アイツは俺達より強いってあの模擬戦が証明した!! そんな翠雨が、俺達よりも先に死んじまう訳がない」
「……ダニッシュ騎士団長、悪い冗談はやめてくださいよ。翠雨が死ぬ訳がないじゃないですか。これって、ドッキリなんでしょ? 後で翠雨が『ドッキリ大成功★』って書かれた看板を持って出てくるんでしょ?」
照次郎も孝徳もダニッシュが嘘をついていないことぐらい分かっている筈だ。
それにも拘わらず、頑なに信じようとしないのは、親友を失ったショックが大き過ぎるが故か。
(……ミント正教会の上層部の連中は「友が死ぬことなんてざらにあることだ。その悲しみを乗り越えて前に進め」とか抜かすんだろうな。まあ、一見平和に見える世界から無理矢理この世界に連れて来られ、戦うことを無理強いされた挙句、邪魔になるとなれば即刻消すようなゴミに慈悲を求めるなんて無理な話か。他の連中も揃って狂信者だし「翠雨は尊い犠牲になったのです」とか抜かしそうだな。特にあの狂信ヴァルキューレなんかは。……まあ、そんなゴミどもの一大将をやっている俺もどうこう言えた立場じゃないか)
ダニッシュは心の中でミント正教会の上層部と自らを嘲笑しながら、目の前にいる罪なき少年達をどう説得するか考えを巡らせる。
とはいえ、ミント正教会からダニッシュに与えられた役割に明確な答えなど存在しない。大切な人の死を受け入れることなど不可能な話だ。
死を受け入れることも乗り越えることもできはしないし、してはならない。乗り越えるということはその死を完全に忘れてしまうことだ。そうなれば、死者は浮かばれない。
喪った仲間も殺した相手も、一人足りとも忘れずにその死を背負って生きていく――それが、生きる人間の使命である。
そんな風に考えているダニッシュにとって、ミント正教会の意向は反吐が出る類いのものだが、ダニッシュには従う以外の選択肢はない。
(全く、中間管理職は辛いぜ)
「死を乗り越えろとは言わん。今、現実を見れないのも致し方ないことだ。だが、現実を見なければならない。その事実に折り合いをつけなければならない。……そうじゃなければお前らの時間が止まったままになる。翠雨の死のせいでお前らの時間が止まったなんて知ったら翠雨はどんな気持ちになるか? そういうことも考えて欲しい……今はゆっくり休め。現実を直視する余裕が出てきたら、また一歩ずつ進んでもらいたい。……だが、一つだけお前達に言っておかなければならないことがある。――決して翠雨の死を忘れるな。――死はやがて風化する。全ての者から忘れられた時、その人は本当に死ぬ。だから、お前らは絶対に翠雨のことを忘れるな」
そう言い残すとダニッシュは去っていった。
「……照次郎、今日は一旦部屋に戻って休もう」
整理がつかない中、それでもこのままここに居ても仕方ないと思った孝徳は照次郎を連れて部屋に戻る。
照次郎と孝徳はそれぞれ独りになった事実で人知れず泣き続けた。翠雨との思い出が次から次へと溢れ出し、二人を更なる悲しみの中へと連れていく。
その日、二人の部屋に面会者が訪れることは無かった。上辺だけの感情の伴わない言葉しか話せない狂信者達は照次郎と孝徳を傷つけることしかできないからと、ダニッシュが止めに入っていたのである。
◆
暗闇に包まれた部屋を怪しい蝋燭の炎だけが照らし出す。
中央には簡素な祭壇が設置され、その上には一人の女性の姿があった。
ここは、神殿宮の地下に存在する地下迷宮の一角――そこを今代枢機卿のマジェルダが改造し、簡素な儀式空間にしている。
ミント正教会の中にこの祭壇と地下迷宮の存在を知るものは存在しない。そもそも、この地下迷宮自体マジェルダが偶然発見したものだ。探索もほとんど進んでおらず、構造を把握しているのはこの部屋を含め三部屋だけである。
本来はこの奇妙な迷宮を探索すべきところなのだが、マジェルダ自身がこの迷宮を探索する意味を見出していないため、隠し部屋として役立つ部分さえ分かっていればそれ以外はどうでもいいと思っているため全く探索が進展していない。
「どっかでやればいいか」程度の気持ちでずっと放置されていた。
「ほう……かなり進んできましたな」
黒き異形の触手によって凌辱され、下半身に関しては完全にその異形に飲まれてしまっている絶世の女神――ミントの姿に、マジェルダは信仰心も嗜虐心も、まして性的関心も存在しない、被験体のモルモットを見るような科学者の視線を向けた。
女神ミント――マジェルダがミント正教会の主神と出会ったのは二年前のことだ。
とある伝で神的存在を召喚する古代魔法書――『神格召喚の手段』を手に入れたマジェルダは、かつてから抱いていた世界征服の野望のために暗躍を開始した。
【闇魔法】と【召喚魔法】に圧倒的適正を有していたマジェルダはミントを召喚し、得意の【闇魔法】で神格の神聖さを奪い、洗脳することで理想の神を作り出す。
その神をある時は教徒を扇動する為の道具として、またある時は多くの敵を殲滅可能な神格兵器として運用する。
信仰心が欠如しながら枢機卿という地位まで上り詰めたマジェルダにとって、神を道具として使うことになんの躊躇いも感じなかった。
「しかし、危なかった。あの翠雨という存在は神を認知することができる。いくつもの仕掛けを用いて殺すのには骨が折れましたが、なんとか殺し切ることができたのはかなりの収穫でした。……ただ、隠法騎士修道会に少なくない被害が出たのは誤算でした。彼らは私が世界征服をするための大切な手駒なのですからこんなところで大きく戦力を減退してもらっては困ります。ジューリアにも後続の強化に勤しんで頂かなくてはなりませんね」
マジェルダは、異世界召喚初日に【看破】のスキルで翠雨の持つ固有スキル――【神格認識】の存在を見抜いていた。
神の存在を認識されてしまえば、マジェルダの計画が覆されてしまう。そう考えたマジェルダは必要のない〝鑑定ノ儀〟を行い、仕掛けを施したステータスプレートを使わせることでステータスを表示することができるという事実に気づかせないようにしていた。
そして、実地訓練という格好の舞台で翠雨を孤立させ、クエレブレによって殺された風を装い暗殺する――それこそがマジェルダの計画の全貌だったのである。
「……しかし、もう少しこの女神の調教には時間がかかりそうですね。調教が終わり次第調整を行い、実用化するまでには時間が掛かる……もう邪魔者も現れないでしょうし、じっくりと計画を実行していきましょうか。……そういえば、残った二人の勇者にも戦意を取り戻して頂かなくてはなりませんね。魔王軍はミント正教会の敵であると同時に、私の世界征服を阻む存在でもありますから。まずは勇者達に魔王を倒してもらい、ジュドヴァ=ノーヴェ魔族王国を制圧――そのままの勢いでアルドヴァンデ共和国、自由諸侯同盟ヴルヴォタット、超帝国マハーシュバラを制圧しミント正教会に改宗させる――それこそが私が世界の王になるための計画。その実行のためにあの小娘の力をお借りしましょうか?」
マジェルダはローブを翻すと地下迷宮を後にした。
◆
それから五日が経過した。照次郎と孝徳が翠雨の死体を確認し、号泣するといった一幕も見られたが、日にち薬が二人の心の傷を少しずつ癒し、再び勇者としての日常に戻ろうとしていた。
しかし、その一方で二人の心の中には少なからず不安が存在している。
翠雨を喪った二人にとって同郷の友はもう、互いしかいない。
もし、互いを喪えばどちらかは独りぼっちになってしまう。
戦うことに意欲的になれない照次郎と孝徳。しかし、一方でミント正教会は照次郎と孝徳が勇者としての旅に出られるように着実に準備を進めていた。
当初は二人を分けて別々のパーティを組ませる予定だったが、現在は二人を分けずに勇者二人のパーティを組ませる予定で動いている。その切っ掛けとなったのはマジェルダが最も厄介だと考えていた異世界から来た勇者――榊翠雨だった。
マジェルダにとっての仇敵候補が結果的に新しい可能性を切り拓いたのは皮肉にしか聞こえないが、マジェルダ自身は過程はどうでもいいと考えるタイプなので、この現状に不服を感じているのは神聖騎士修道会騎士団長のネメシス=ダルク、獣法騎士修道会騎士団長のピエール=ドランクル、聖法騎士修道会騎士団長のハインリヒ=インスティトーリスのような信心深い者達くらいである。
今回の名目は、いよいよ勇者として旅に出発することになった照次郎と孝徳に対する鼓舞の意味を込めた教皇への謁見ということになっているが、その影にはマジェルダの黒い思惑があることをダニッシュは見抜いている。――見抜いた上で放置している。
教皇には出会った者全てに一生の忠誠を誓わせるほどの魅力があると言われている。
確かに教皇の容姿は可愛らしいが、傾城傾国と言えるほどの美貌があるとはいえない……とはダニッシュの主観であり、感情が制限されているダニッシュに行き過ぎた美貌というものは認知できなくなっているため実際のところはよく分からないと言った方がいいだろう。
そもそも、美とは時代ごとに移ろうもの。時代を経る中でほとんど反対の性質を持つ者が美人として挙げられることも少ないことではない。
「ショウジロウ=カノ、タカノリ=アイカワ。入室を許可する」
マジェルダの声が響き渡り、謁見の間の扉が開く。
神聖騎士修道会騎士団長のネメシス=ダルク、獣法騎士修道会騎士団長のピエール=ドランクル、聖法騎士修道会騎士団長のハインリヒ=インスティトーリス、そして護法騎士修道会騎士団長のダニッシュ=ギャンビットが二人ずつ左右に立つ、その間を二人は進んでいく。
照次郎と孝徳の心の中は今もぐちゃぐちゃのままだろう。大切な友を奪われたことに対する行き場のない怒りを心の中に秘めたままなのだから。
――だが、それももうすぐ終わる。この謁見が終わった時、二人の心は塗り潰される。
そして、残るのは教皇に対する愛しさと絶対の忠誠。
「はじめまして、私はメル=ジルフィーナ。ミント正教会の教皇だよ♪」
稚拙で幼稚な声が謁見の間に響く。
ゆるくウェイブの掛かった豪奢なプラチナブロンドの髪と白磁のような滑らかな肌、くるりとカールの掛かった睫毛は長く、潤んだ大きな瞳は愛らしさを感じさせる。
その容貌は精緻な彫刻と見紛うほど見目麗しく整っており、纏う小動物のような気配は見る者の庇護欲を掻き立てる。
身に纏うのは純白のドレスローブ。その上からパリウムを身につけ、教皇冠を被っている。
ダニッシュは、照次郎と孝徳がメルに見惚れているのを見逃さなかった。
「二人にはこれから勇者として悪しき魔王とその子供である魔族達を根絶やしにして欲しいの。魔族は悪いの。私達人間に迷惑を掛けるの。民も私達も困っているの。だから、助けて」
メルの容姿に見惚れていた照次郎と孝徳も、メルの言葉を聞き、ハッとしたのか満面の笑みを見せた。
「「はっ! 必ずやメル様の願いを叶え、その憂いを取り除いてみせます!!」」
最早そこに戦うことに疑問を抱いていた勇者達は存在しない。
そこには、ただメルに忠誠を捧げる二人の奴隷がいた。
今の二人なら、例え親友の翠雨であったとしても、メルが「殺せ」といえば殺しに行くだろう。
メルのスキル【友情強制】には「誰とでも友達になれるよ!」というふざけているもしか言えない効果説明がある。
だが、このスキルの効果は友情などという生温いものではない。実際は洗脳や屈服と言った類いのものだ。
自身を目視した人間を友好的にし、相手の庇護欲を掻き立てる。
勿論、その効果は時間が経つごとに薄れていくものの、定期的に姿を見せることで【友情強制】を持続させることができる。
対抗するには【状態異常耐性】や【状態異常無効】が必須だが、これらスキルは希少でこの場ではマジェルダとダニッシュ以外に保有している者はいない。
もっとも、マジェルダはダニッシュが【状態異常無効】のスキルを持っていることに気づいていないだろうが。
二人の勇者はマジェルダに連れられ、部屋を後にする。
この後二人はこれからパーティを組むことになる者達と顔合わせをするのだろう。
(……さて、と。俺もそろそろお暇しますか)
ダニッシュは人知れず謁見の間を後にした。
◆
護法騎士修道会騎士団長の執務室に戻ったダニッシュは、資料と書類に埋もれた机を見て思わず溜息を吐いた。
ダニッシュは昔から極端に整理整頓が苦手だ。直そうと思ってもなかなか直らない。
「黄金の国ジパングから来た」と冗談めかして話していた自称ゲームクリエイターの元同僚が「もしかしたら、adult attention deficit hyperactivity disorder――注意欠陥・多動性障害かもしれないな」と疑っていたことをふと思い出し、ダニッシュは懐かしい思いに駆られる。
机の書類と格闘すること三十分。ようやく目当ての書類を発見したダニッシュは、その書類に視線を落とした。
榊翠雨の死体が発見された情報が詳細に書かれた書類。だが、それがミント正教会が作った捏造の記録であることをダニッシュは理解している。
「……しかし、惜しい人を亡くした者だ」
ダニッシュは翠雨の死を悲しんでいた。ただ、その理由は照次郎や孝徳のような純粋なものではない――翠雨個人の力量のみを見た単純な損得勘定の結果だった。
「照次郎や孝徳……アイツらは確かに強い。流石は勇者様だ。だが、結局はそれだけだ。そんな奴はこの世界にゴロゴロいる。力しか持ち得ない奴はいつか壁にぶち当たる。表側の壁という奴にな。だが、翠雨……お前だけは特別だった。俺達裏側の世界で出世できること間違いなしの素質を秘めていた……本当はアイツを秘密裏に勧誘したかったんだけどな」
ダニッシュは懐からもう一枚の紙を取り出した。
ミント正教会ではない――彼自身の情報網で得た本当の翠雨の死因が書かれている。
ダニッシュには、翠雨を助けることができた。だが、実際にはダニッシュは翠雨を間接的ながら見殺しにしている。
その理由はいくつかある。一つは表向きミント正教会の所属になっている護法騎士修道会騎士団を使うことが難しかったこと。二つ目はダニッシュ自身の任務遂行のためにこの神殿宮を離れられなかったこと。そして、最後が翠雨が絶望的な状況に陥りながらも生存する可能性に賭けてみたいと思ったからだった。
実際、翠雨はダニッシュの期待に応え、絶望的な戦いを幾度となく乗り越えた。だが、最後の最後でジューリアに敗北した。
次々と取れる手札が減らされていく状況でも一矢報いたのは賞賛に値するが、それでも死んでしまっては意味がない。
「……まあ、結果的に良かったかもしれないな。下手をすれば俺の立場が脅かされちまう……って保身的に考えればそうなるんだが、やっぱり翠雨という人材は惜しかった」
ダニッシュは初めて翠雨を見た時、その目に自分と同じ支配する側に回る者特有の光を見た。
自分と同じ――相手を欺き、翻弄することでコントロールする影の支配者になり得る素質を。
ダニッシュ=ギャンビット。ミント正教会護法騎士修道会騎士団長という表の顔を持つ、その男の正体はヴァパリア黎明結社召喚部門部門長だ。
そんなダニッシュは、今潜入ミッションの真っ最中である。
その目的はミント正教会の監視だ。より、正確にはミント正教会の動向を監視しつつ、その戦力が規定値を超えた場合に削る役割をことで世界全体の均衡を保つことである。
ミント正教会の現状はグレーゾーンだ。女神ミントの洗脳が完全となり神格兵器が完全してしまえば、世界の均衡が崩れる。
ヴァパリア黎明結社にとって自らの隠れ蓑である世界のカオスを失うことはでき得る限り避けなければならないことだ。
そのためにヴァパリア黎明結社は世界をカオスにする組織に部門長クラスを送り込み、その力のコントロールを行っているのである。
突如、部屋の角から青黒い煙のようなものが噴出し、一体の異形を形作った。
現れたのは俗にティンダロスの幼犬と呼ばれている成獣ティンダロスの猟犬の子供。だが、その戦闘力は高く舐めて掛かれば容易に命を奪われかねない。
対するダニッシュは、全く警戒することなくティンダロスの幼犬に近づき、その頭を撫でた。
「クゥン」と可愛らしく鳴いたティンダロスの幼犬は、ダニッシュの近くで身体を丸めた。
「よしよし。ゲレゲレ、いつも偉いぞ!」
「クゥン♪」
とある世界線の地球においては一度知覚することがそのまま死亡フラグになるとされる強大な存在として語られるが、そんな恐ろしさをこの幼犬は全く感じさせない。
流石はかのナイアーラトテップのメッセンジャーというべきか。よく調教されている。
もっとも、メッセンジャーでありながらメッセージを伝える相手を攻撃してしまうのではメッセンジャー失格ではあるが。
ダニッシュはゲレゲレの掛けていたポシェットの中に手を突っ込み、中から手紙を取り出した。
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ダニッシュ=ギャンビット様、いつもお世話になっております。
さて、本日はダニッシュ様にお伝えしたいことがあり、ご連絡をさせていただきました。
私は急用ができたので、近々ミンティス教国を離れます。少々長くなりそうなので、しばらくはミンティス教国に戻れないと思います。
ダニッシュ様の実力を疑う訳ではございませんが、私の居ない間ティンダロスの王、ティンダロスの住人 、ティンダロスの猟犬を何体か置いておきますのでご活用ください。
まあ、フルゴル・エクエスに比べたらゴミのような強さですが。
最後になりますが、既にご承知のことだと思いますが混沌を払い得る存在が自由諸侯同盟ヴルヴォタットに出現しました。
あのフルゴル・エクエスすらも斥けた猛者ですのでお気をつけください。
ヴァパリア黎明結社 ナイアーラトテップ
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「……マジか。この面倒くさい時にナイアーラトテップ様が、ねえ。まあ、あの人にはあの人のやることがあるし、自分のやりたいことを放り出してまでここに留まってもらいってのも自分勝手な思いだからな。……まあ、これは中間管理職の宿命だと思って頑張りますか」
了解したことを記した手紙を認め、ゲレゲレのポシェットに入れる。
ゲレゲレは再び青黒い煙となって部屋から消えた。
「……能因草子、ねえ。厄介極まりない奴だな。ミンティス教国に来ないことを祈りたいね」
ユェンの報告書の複製を眺めながら、ダニッシュは溜息を吐いた。
◆
どこまでも真っ白な無菌室のような部屋だ。
部屋には机と椅子があるのみで他に物は存在しない。
その奇妙な部屋で目を覚ました翠雨は、そこが異世界転生もののラノベでお馴染みの神の部屋であることを見抜いていた。
(転生者が存在しているからあるとは思っていたが……本当にあったんだな。これから転生者であり転移者でもある存在になるのか。……異世界転生モノか異世界召喚モノのどっちに分類されるんだろう? ……まあ、ライトノベルじゃなくて紛うことなき現実なんだけど)
そんな感想を抱きながら、翠雨は少し前の記憶を手繰り寄せる。
翠雨は実地訓練のために訪れた常夜の大樹林で隠法騎士修道会騎士団長のジューリア=コルゥシカと戦い、一撃も与えられずに死亡した。
照次郎と孝徳の二人を置いて死んでしまったことを後悔していた翠雨だが、もしこの場で転生が叶えば、そしてもう一度カオスに転生させてもらえれば、二人と再会することができるだろう。
二人をミント正教会から救い出したい――その気持ちを理解してもらえることを願いながら、目の前の絶世の美女――否、女神に視線を向けた。
≪はじめまして、私はオレガノと申します。翠雨様のことは名もなき狐神より伺っておりますので自己紹介などは不要です。この度は突然の異世界召喚、召喚主であるミント正教会による暗殺などなど不幸続きの異世界生活……お気の毒でございました≫
女神オレガノと名乗った存在に、翠雨は疑いの視線を向けた。
異世界ラノベにおいて、神や女神、天使といった存在は大体面倒ごとを持ってくるか、後々敵だと判明する面倒極まりない存在だ。
≪通常、神が直接生物の転生に力を貸すことはありません。前世の記憶を保有した存在というのは極めて稀有であり、通常は次の生へと転生する際に記憶を失ってしまうものなのです。しかし、神の力をお貸しすれば転生者と同様に前世の記憶を保持したまま転生することが可能です。……ですが、そのためには条件があります≫
(なるほど。ライトノベルで語られるような転生は特例なのか。確かに特例じゃなかったら前世の記憶を持った転生者が溢れかえった世界になる……そうなれば世界の均衡が崩れて大変なことになる。……しかし、条件か。どんなことを頼まれるのかによっては転生を諦めた方が良さそうだな。……神の玩具とかにはされたくないし)
「……その条件とは」
≪私の大切な人を、女神ミントを助けてもらいたいのです!!≫
予想外の返答(しかし、その一方でそう考えれば辻褄が合う)に、翠雨は一息吐くと口を開いた。
「――とりあえず、まずは事情を説明していただけないでしょうか? 話はそれからです」