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【榊翠雨視点】実地試験と騒動――クエレブレと異端審問のマシュー=ホプキンス

 異世界生活九日目 場所ウィランテ大山脈、ソノイラの村


 ――静かなものだ。

 馬車といえばガタゴトと乗り心地が良いとはお世辞にもいえないものだと思っていたが、どうやら勘違いだったのかもしれない。


 いつもなら、今頃ダニッシュ騎士団長の指導? を受けているところだが、今日に限ってはさっき語ったように馬車に乗り、移動中である。


 実地訓練初日。僕らはミント正教会の紋章が刻まれた見るからに高そうな馬車に乗り、ジュドヴァ=ノーヴェ魔族王国との国境を示すウィランテ大山脈にまで来ていた。

 窓から見える景色は中世風の都市から、草原、そして山へと少しずつ変わっていき、見飽きることはない。

 暫しボーッと外を眺めていた僕は、視線を戻し対面に座る少年に視線を向けた。


 パッと見では少女か少年か見分けがつかない中世的な少年――オーエン=ユリックノーマン。

 ミント正教会の聖法騎士修道会に配属されたばかりの新人らしく、魔法の腕はそこそこだという。


 聞く限りかなり頼りないだろう。そして、実際に頼りない。

 自己紹介で「は、はじめましゅて! ぼ、僕はオーエン=ユリックノーマンでしゅ!! よ、よろしくお願いしまっしゅ」と盛大に噛みまくりだったからである。……あがり症でもこんなに噛まないよな。というか、よくそれでコミュニケーション取れるな。

 魔法の腕も頼りない、あがり症で、その上ドジっ子……もう頼りない属性のオンパレードである。……まだまともそうなのは男の娘属性?


 この明らかにポンコツを僕に同行させた理由は「この子は人よりも不器用ですが、努力することにおいては誰にも負けません。翠雨様との旅の中で沢山経験を積ませてあげてください」というハインリヒ様の言葉からも察せる通り、オーエンに経験を積ませるためである。

 普通、新米勇者(ブレイヴ)の最終試験には実力者をつけて万が一の場合にフォローさせるものだと思うのだが……まあ、異世界なので価値観が違うのだろう。


 ちなみにご察しの通り、この馬車に照次郎と孝徳の姿はない。

 二人は別々の場所を割り当てられたようだ。

 もともと最終試験を終えた後でバラバラにパーティを組んでもらう予定だったらしく、その名残として今回の実地訓練が単独行動になっているらしい。

 「最初はそれぞれのパーティで行動していただきたいと考えておりましたが、なるほど、勇者(ブレイヴ)のみのパーティですか。考えたこともありませんでしたが、確かにそれは強そうですね」とマジェルダが仰ったらしく、最終的には三人でパーティを組めそうな雰囲気になっていた。

 僕が大賢者(アーク・パンディット)のJOBを会得したのが予想外の働きをしてくれているようだ。


 ……まあ、生きて帰れたら、だけど。

 僕はいつになく不安を抱えている。その理由はオーエンが誰の目から見てもポンコツだからという訳ではない。

 まずは一人ずつを孤立させたこと。これは明らかに何かすることが見え見えである。最終的に最後にパーティを組むのなら、最初から一グループに纏めて行った方が人数も費用も手間も大きく減らせる筈だ。

 それに、実地試験という状況。実地試験には大抵何か起こるのがテンプレだ。その何かは必ずと言って良いほど主人公を毒牙に掛ける。

 そして、オーエンの存在。こういうポンコツタイプには二パターン存在する。一つが本当にポンコツタイプ――この場、良かれと思ってが連続して結果的に追い詰められる。

 そして、もう一つが演技タイプ。この場合は厄介だ。気を許したところを突かれて簡単に殺されてしまう。……まあ、相手が暗殺に動いているのであればだが。


 とりあえず、オーエンの行動については目を光らせておくことにしよう。


 だが、これは僕の不安を煽る最大の要素ではない。問題はここからだ。

 ミンティス教国の神殿宮を出発する日に、僕はダニッシュ騎士団長とハインリヒ様に挨拶に向かった。

 その時、ダニッシュ騎士団長に「実地試験中は誰にも気を許すな。死にたくなければ血塗れになれ」と物騒なアドバイスをもらったのだ。

 あの言葉がどんな真意をもって出されたものなのかは分からない。だが、もしそれが本当なら僕はこの実地試験中に何者かに襲われ、殺される。死にたくなければ先にお前が殺せということになる。

 ダニッシュ騎士団長はミント正教会の騎士団長だ。完全に信用できるということはないが、わざわざそんな忠告を掛けてきたということは多少頭の隅に置いておいてもいいかもしれないと思っている。


 そもそもダニッシュ騎士団長はミント正教会の上層部の情報を得られる立場にある。今回、僕の暗殺計画が実行に移されようとしているとして、その情報を得たこと自体に不自然さはない。

 だが、問題は何故ダニッシュ騎士団長が僕にそのことを告げたのか。僕が殺されるのは可哀想だとか、そういう感情論的なものではないのだろう。ならば、もっと具体的に話す筈だ。

 つまり、なんらかの理由で詳しくは話せないが、伝えられる範囲で僕に情報を伝える――それによって何かしらのメリットがダニッシュ騎士団長にあるとしたら……。


「……あ、あの! 翠雨様、どうなされましたか?」


 いけないいけない。先のことを考えるとここで不審がらせるのは悪手だな。


「ちょっと考えごとをしていたんだよ」


「もしかして、今回の魔獣討伐の作戦を立てていたのですか! やはり、翠雨様は伺っていた通り思慮深いお方なのですね」


 ……あの、そんなにキラキラとした視線を向けないでください。僕は凡骨だけが取り柄の一般高校生ですから。


「ところで、この馬車はほとんど揺れませんね。何か仕掛けでもあるのでしょうか?」


「こっ、この馬車ではなく、馭者の方にし、仕掛けがあるのですぅ。実は、この馭者は【悪路走破の加護】と【風除けの加護】を持っているのです!! はぁはぁ――」


 噛まないように一気に言ったから息切れしたようだ。


「あの、加護とは?」


「か、加護と、はスキル、の一種で、生まれた瞬間に天より与えられるものです。後天的に得ることは、ふ、不可能です!!」


 なるほど、神仏が力を与えてまもり助けること……その言葉通りのものってことか。


 ……会話が続かない。こっちから話題を提供しない限り沈黙が続くのか。

 ……面倒だし、もういっそほっといて考えごとでもするか? いや、もう考えることは考えたしこれ以上考えると考えることの泥沼にはまりそうだからなぁ。


「一応、もう一度今回の実地訓練の内容を聞かせてくれないか


「はっ、はい! まず本日はソノイラの村に泊まり、翌朝、常夜の大樹林に突入します。ウィランテ大山脈では比較的標高が低いですが、魔獣が多く生息しています。……たっ、ただそれほど凶暴な魔獣は生息していないので、訓練にはもってこいの場所だと思います」


 よし、少しずつあがらなくなってきたな。ずっとあがりっぱなしのテンパりっぱなしだと会話に支障が出てくるからね。


 とりあえず、ソノイラの村で旅の疲れを癒してからが本番だな。

 その後も何度か話題を変えて話しているうちに、僕とオーエンを乗せた馬車はソノイラの村に到着した。



 鬱蒼と茂り、日の光も届かない森……なるほど、それで常夜の大樹林か。

 森を進むとすぐに魔獣が出現した。緑の小鬼……ゴブリンの群れか!


「……オーエン様、援護はしてくださるのですか?」


 そういえば、オーエンの立ち位置を聞き忘れてた。

 馬車の中であれだけ無駄話してたんだから、聞いときゃよかったよ。


「基本的に、僕は手出ししないよう言われています」


「(本当に新人なら寧ろ積極的に戦いに参加すべきだと思うけど)。分かりました。つまり、僕一人でどうにかすればいいんですね」


 聖濫煌剣アイリシュベルグを鞘から抜き払い、構える。

 正眼の構えとか、そういう風に整ったものではない。剣を握る中で一番ピンときた体勢で、パッと見だらし無いように見られるかもしれない。


 ゴブリンはその体勢を見て素人だと思ったからなのか、完全に油断しきった状態で棍棒を持ち、近づいてきた。

 そんなゴブリンを内心鼻で笑いながら、素早く一閃――一切の小細工なしのただの袈裟懸けを放った。


 ゴブリンはそのまま崩れ落ちる……よし、討伐完了。

 その後もいくつかのゴブリンの群れと遭遇したが、特になんの被害もなく制圧し切ることができた。

 とりあえず、今日の探索はここまでということにして僕達は来た道を戻って常夜の大樹林を出る。

 今日出会ったのはゴブリンばかりだった。この森にはゴブリンしかいないのか、はたまた奥には更なる強敵が待ち受けているのか……。


 これからしばらく僕達の拠点になるのはソノイラの村にある宿屋 柊葉の雫だ。

 食事も美味しく看板娘も可愛い……そういえば、僕ってあんまり女の子と接点持ったりしないんだよね。異世界に来たってことで新しい出会いとかあったらいいな。ケモ耳っ子とか、エルフのお姉さんとか。


 食事は黒パンとスープだった。オーエン曰く、庶民的にはこれがオーソドックスらしい。

 豪勢な料理はやはり中央の特権か……主権者が教会に置き換わっただけで、やはり根本的にはピラミッド構造なんだと改めて思った。

 多少不自由な気がしたけど、きっとそれは僕が神殿宮での生活に慣れすぎたからだと思う。それに、地球にいた頃は貧しいといってもかなり高い水準の生活を送っていた。

 ずっと恵まれた生活を送ることができていたんだと思う。……そこまでその恩恵をありがたいと思えなかったのは、それが当たり前になっていたからだ。

 失って初めて気づく、か……確かにそうかもしれないな。


 食事を終えたらベッドで横になる。やはり神殿宮で割り当てられた部屋のようにふかふかじゃない――石のようにとまでは言わないけど、なかなか硬いベッドだ。

 費用削減なのか二人で一つの部屋が割り当てられたので、部屋にはオーエンの姿もある。


 ……眠れない。

 別にベッドが硬いから眠れないとか、枕が変わると眠れないとか、そういうデリケートな話ではない。

 泥のように眠るには、それほど疲れがないというか……魔獣もゴブリンだけだったし、疲れる要素がほとんど無かったんだよ。

 馬車の中も快適という以外に形容できないし、そもそもレベルアップによる身体能力の向上によって体力も耐久力は上がっている。そのおかげなのか少し動いたくらいじゃ疲れない身体になっているのかもしれない。


「……翠雨様、眠れませんか?」


 眼を擦りながらオーエンが尋ねてきた。……眠いなら気にせず先に寝ればいいと思うよ。僕に合わせる必要なんてない訳だし。


「まあ、そんな感じかな。最近あんまり眠気を感じないんだよね」


 もしかしたら、レベルアップによって必要な睡眠時間も削減されているのかもしれない。……まあ、記憶の定着という意味で睡眠時間を完全にゼロにすることは無理だと思うけど。


「そういえば、オーエンはどうして聖法騎士修道会に入ったの?」


 思いつきで発言した訳ではない。馬車に乗っている頃から気になっていだというのもあるが、今後敵になるオーエンという人物について掴んでおきたいという意図も含まれている。


「やっぱり、敬虔な信徒だからかな?」


「……そんなんじゃありませんよ」


 オーエンから今までのポンコツな雰囲気が引っ込んだ気がした。

 自嘲するような表情を浮かべたオーエンは、ポツポツと語り始める。


「……僕の生家はお世辞にも裕福とはいえません。……それに、弟も妹も沢山いて……だから、家族を養っていけるだけのお金を稼がないといけないんです。僕は信心深くなんてありませんよ。信心など飯のタネにもならないって思っているくらいですから。そんな僕がミント正教会に所属しているのは単純に稼ぎがいいからです。…………例え、どんな手を使っても(・・・・・・・・・)家族を守る……僕は聖職者には最も向かない人種です」


 とても嘘を言っているようには思えない。もし、これがオーエンの演技だとしたらとんでもない演技派ということになる。

 しかし、「どんな手を使っても(・・・・・・・・・)」……か。


 この僕の問いはオーエンを敵か味方か見分ける手立てにはならなかった。

 ただ一つだけ分かったことがある。もし、家族が片方の皿に乗せた天秤に僕が掛けられたとしたら、オーエンは本当に僕の命を奪いにくるだろう。……それくらい、オーエンにとって家族は大切だってことだ。



 翌朝、宿で食事を取り終えた僕達は常夜の大樹林に向かった。

 そして、さっそくゴブリンの大群に遭遇した。数にして四十……今までのパーティは三体から多くても八体くらいなので、その差は歴然だ。


 その後方には神輿に担がれた巨体のゴブリンがいる。


「あっ、あれは! 翠雨様、ゴブリンジェネラルです!!」


 ゴブリンジェネラル……直訳すれば緑小鬼の将軍か?

 異世界系の作品にかなりの頻度で出現するソイツは、大体の場合ゴブリンとは比較できないほどの知性を有する。

 その采配により、ゴブリン達の動きは烏合の衆から統率された一軍のものへと変わる……厄介なことこの上ない相手だ。


 これは……速攻で潰した方がいいよな?


(〝雷よ、槍となって貫け〟――〝雷槍(サンダーランス)〟)


 【無詠唱魔法】のスキルを発動し、雷槍を放つ――目標は勿論、ゴブリンジェネラル。

 流石のゴブリンジェネラルも予備動作一つなく放たれた雷槍に対処するのは無理だったのだろう。身体を一突きされ、そのまま黒焦げの死体と化した。


 こうなれば後は烏合の衆だ。ゴブリン達はバラバラになって僕達へと襲い掛かる。


(〝不可視の地雷を〟――〝不可視地雷(インビジブル・マイン)〟)


 魔法陣が床に複数現れ、眩く輝くと一瞬にして消えた。

 そして、次の瞬間。ゴブリンが踏んだ魔法陣が爆発する。


 感知自体は可能だが、感知できなければ厄介なことこの上ない魔法だ。僕はこの魔法をゴブリンの進路に配置したのである。

 ゴブリン達は予想通り感知スキルを持っていなかった。ゴブリン達は直線的に足元も見ず突っ込んできたため、魔法陣に気づかなかっただろう。……ゴブリンジェネラルが生きていたら、こんなお粗末な結果では死ななかっただろうね。


「すっ、凄いです! 翠雨様!!」


「……こんなところで一々喜んでいたら、これ以上強い魔獣に遭遇した時、どうするんだよ?」


 実地訓練に出発する直前に配布された資料には、出現する魔獣に関する情報がごく詳細に記載されていた。

 その中の情報と照らし合わせれば、ゴブリンやゴブリンジェネラルは下位と中層……これ以上強い魔獣として挙げられる上層の魔獣とは今だに一度も遭遇していない。


 この森で最も強いのはアートラータ・フェーレースという黒猫の姿をした魔獣だそうだ。

 今回の最終目標はこのアートラータ・フェーレースを討伐することらしい……。


 僕達はその後も森を進む。コボルトやオークなどの異世界ではお馴染みの魔獣も難なく殺し、僕達は遂に目当ての魔物――アートラータ・フェーレースを見つけた。


『――ニ゛ャグァンゥォオ゛ーン』


 可愛げを感じる要素ゼロの耳をつんざくような遠吠えと共に、加速――そのまま間合いを一気に詰めてくる。

 動き的には【縮地】じゃないな……と思いつつ、攻撃を回避し横に飛ぶ。


 攻撃を回避されたアートラータ・フェーレースは僕に敵愾心(ヘイト)を向ける……訳ではなく、オーエンの方に視線を向けた。


(〝蔦よ、汝を捕縛し自由を奪え〟――〝蔓蔦操作(アイビーコントロール)〟)


 咄嗟に【木魔法】を発動し、発生させた草で草結びの罠を完成させる。

 アートラータ・フェーレースはその罠に引っかかった。転んだアートラータ・フェーレースに対して再び〝蔓蔦操作(アイビーコントロール)〟を発動し、アートラータ・フェーレースを縛り上げた。


 まあ、相手は上層の魔獣……この程度の蔦ならすぐに破壊してしまうだろうけど。


 僕はアートラータ・フェーレースの突進に驚いて、そのまま転んでしまったオーエンを起こす。

 ……おいおい、ドジっ子。あのまま放置していたら死んでたぞ。……まあ、心配無用だった(・・・・・・・)かもしれないけど(・・・・・・・・)


「大丈夫? 立てるか?」


「はっ、はい。……なんとか」


 オーエンを起こし、蔦をぶち切って襲い掛かるアートラータ・フェーレースに〝雷槍(サンダーランス)〟をぶち込み、その後〝不可視地雷(インビジブル・マイン)〟を発動する。

 〝不可視地雷(インビジブル・マイン)〟を発動したのは〝雷槍(サンダーランス)〟だけでアートラータ・フェーレースを倒せなかったからだ。


 しかし、身体の三分の一くらいすっ飛ばしたのに、よく動けるな。

 それに、電気を耐え切ったとしても麻痺が残る……形成が悪いのは明らかなのにそれでも逃げないのはまだ勝算があると思っているからなのか?


 【魔法剣】を発動し、剣に炎を宿す。【縮地】を発動してアートラータ・フェーレースに肉薄し、そのまま袈裟懸けで一閃――この一撃でアートラータ・フェーレースの命の灯火は完全に消え失せたようだ。


「……よし、これで目標達成か?」


「翠雨様、凄いです。まさか、たった二日で目標を達成されるなんて!!」


 まあ、運が良かったってのもあるだろうけどね。

 しかし、これで実地訓練も終わりか……本当に最後まで何も起こらなかったな。


 ――グゥォォ。


 ……ん? 何か聞こえた?


「オーエン様、何か聞こえませんでしたか?」


「……えっ?」


 ということは空耳か? なんか唸り声みたいなのが聞こえたんだが。


 ――グゥォォォォ。


 ……気のせい、じゃないよな? 明らかに何かいるよな?


「……どうやら、気のせいじゃないみたいだ」


 ――グゥォォォォォォ!!


「こっ、今度は僕にも聞こえました!! な、なんなんでしょう!? この森にはこんな声を上げる魔獣は存在しない筈です!!」


 嫌な予感しかしないが、ここで捜索しないという選択肢はない。

 万が一森の外に出てしまったら、その少し先にはソノイラの村がある。被害を免れることはできないだろう。


「……行きましょう」


「む、無理ですよ! 得体の知れない魔獣な上に、これほど恐ろしい咆哮を轟かせているんですよ!! 逃げないと」


「……逃げて、それからどうするんだ? もし化け物が森を出たらすぐ近くにはソノイラの村がある……気づいたのは僕達だけだ。だから僕達だけでどうにかするしかない」


 嫌な予感がする。……資料の中にこんな咆哮を轟かせる魔獣は存在しなかった。

 何か異変が起きている……人為的か、はたまた自然発生したものか?

 ライトノベルにありがちな陰謀テンプレが頭をよぎり、僕は慌てて頭を振った。……今はそんなことよりも魔獣をどうにかするのが先決だ。


「オーエン様、もし何かあったら真っ先に逃げてください」


「うっ、わ、分かりましたよ!! ……ついていきます。その代わり、危険になったら一目散に逃げ出すからね!!」


 僕とオーエンは声のする方へと走った。……何故か、さっきまでしていた魔獣の気配が消えている。

 もしかして、あの咆哮の主を恐れて逃げ出したのか?


 その途中、僕は妙な足跡を発見した。爬虫類が這ったような尻尾の痕と共に残っている。

 その足跡は巨大だった。……それこそ、アートラータ・フェーレースが丸々一匹入ってしまいそうなくらいに。


「…………これは、かなりマズイな」


「なんの足跡なんでしょう。こんな大きな足跡、見たことありません」


 資料にもない新種の魔獣か? ……或いはハグレで現れた巨大魔獣か?


「……後を追いましょう」


「正気ですか、翠雨様!!」


「僕は行きます。勇者(ブレイヴ)なら魔獣と戦い、人々を守るのが責務ですよね? その責務から目を逸らして逃げるのは本当に勇者(ブレイヴ)なのでしょうか? オーエン様、怖いなら逃げてください」


 別に勇者(ブレイヴ)であることに誇りはないし、本当は戦いなんてしたくない。

 だけど、照次郎と光沢と三人で地球に帰るためには戦う以外に現状、道はないのだから。

 もし、ここで逃げれば今は良くてもいずれ逃げ癖がついてしまう。

 地球に帰るためにはここで戦う以外の選択肢はないんだ。


「わっ、分かりましたよ! 行けばいいんでしょ、行けば!!」


 不貞腐れと自棄っぱちが混じり、結果的に覚悟を決めたオーエンと共に森の奥へと進む。

 そして、目にしたのは――。



 硬い鱗を持ち、背には蝙蝠のような翼。黄金に輝く瞳は獰猛な光を湛えている。

 その存在をたった一文字で形容するならば、「(ドラゴン)」――数々の伝説で語られる伝説の存在だ!


 東洋西洋拘わらず、これほどまでに語られる存在もほとんどないだろう。

 ……最も、龍とドラゴンは対訳の関係上同一視されるだけで、実際は異なっているという考えもあるが……。


 しかし、偏にドラゴンといっても千差万別だ。ドイツのリントヴルム、北欧からヨーロッパ各地に広がったワーム、『北欧神話』のファフニール、『ギリシア神話』のテューポーン、イギリスの紋章から派生したワイバーンなどが挙げられる。

 見た目から可能性が低いものを削除していくことはできるが、どんなドラゴンかを特定するのは難しそうだ。


「あっ……あれは!! く、く……クエレブレ!!」


 クエレブレ……確か、スペインアストゥリアス地方に伝わる伝説のドラゴンだったか?


 主に森や地下洞窟や源泉に住んでおり、その体は弾丸すらはじき飛ばすほど堅い鱗に覆われ、飛ぶことのできる羽を持ち、吐息で毒を放ち、叫び声ははるか遠くまで響き渡る。

 どんどん大きく成長し、鱗もより堅くなり、地上で生きることが難しくなると閉ざされた遥か海の彼方に移り住む。若い個体は家畜や人間を襲い血を吸うこともある。

 もしこの竜を倒そうというのならな唯一の弱点ともいえる喉を突き破るしかないというが実はそうでもない。


 中には金髪の姿の水の妖精シャナという妖精と一緒にいてくれるだけでいいという凶暴性皆無の個体もいるというが、こっちは期待薄だろう。


 ――グゥォォォォォォォォォォォォ!!!


 咆哮が轟き、クエレブレの口から猛烈な風が吹き荒れた。

 そのあまりの風圧にオーエンは後方に吹き飛ばされてしまう。


 僕の方はなんとか立っていられるレベルだ。

 聖濫煌剣アイリシュベルグを地面に突き立てやり過ごした僕は、改めてクエレブレと正対する。


(〝真紅の炎よ、槍となって貫け〟――〝火炎槍(フレイムランス)〟)


 【無詠唱魔法】のスキルを発動し、無数の炎槍をクエレブレに放つ。

 だが、炎槍はクエレブレの鱗を少し焦がす程度でそれ以上の成果を上げることはできなかった。


 ……コイツ、もしかして魔法や属性攻撃に対して高い耐性を持っているのか?


 このまま戦ってもジリ貧だ。〈剣技(シュウェルテクニック)〉もそこまで通用するとは思えない。

 なら、今の僕に使える最強の一撃に賭けてみるか?


「収束して迸れ、魔を滅する聖剣技――《夜明けを切り開く明星(ルシフェル)》」


 聖剣を一振りして放たれた青の光の奔流は森の木々や大地を削りながら進み、クエレブレの鱗や肉を溶かし、跡形もなく吹き飛ばした。



 薄暗い森の中をオーエンと二人で歩く。

 暗い森の中では時間感覚が無くなるが、まだ夕刻にはなっていないだろう。


「まさか、クエレブレまで倒してしまわれるなんて」


 オーエンは驚きと賞賛の篭った言葉を掛けてくるが、僕はそのことを素直に喜べずにいる。


 常夜の大樹林には居ない筈の強大な力を持つ魔獣――クエレブレ。

 そのクエレブレがソノイラの村を襲う前に討伐されたと聞けば確かに美談に思えるかもしれない。


 だが、そもそも何故クエレブレが居たのか?

 確かクエレブレはこの一帯には生息しない。クエレブレが縄張りにしているのは確かにミンティス教国の領内で丁度常夜の大樹林の反対に位置する山脈の洞窟だった筈だ。


 ……つまり、人為的に運んでくる以外にはこの常夜の大樹林にクエレブレが出現する理由が無いんだよね。


 僕はこの茶番劇が、これから起こる騒動の前兆だと予測している。

 「実地試験中は誰にも気を許すな。死にたくなければ血塗れになれ」……か。その血は果たしてオーエンのものなのか、それとも。


「翠雨様、どうかなされたのですか?」


「ん? ちょっと考えごとをしていただけだよ。どうかしたかい?」


「いっ、いえ。ただ、ローブを着た方々がこちらに来ているので」


 オーエンは困惑の表情を浮かべながら、森の前方を指差した。

 確かに、何人かのローブを纏った男達がこちらに向かって来ている。


 その男達が僕達の眼の前にやって来た瞬間、オーエンが青褪めた。


「翠雨様、一体何をしたんですか! 異端審問官がお越しになるなんて、そんなの並みの罪ではあり得ませんよ!!」


 異端審問官……ね。確か、教義に反する異端や他教を排除することを意図した異端審問に関わる司法職や捜査員だったっけ?

 つまり、僕が異端扱いされていると? なんの冗談? ……まあ、確かに心の中ではミント正教会、信用できない! って思ってるけど、口に出したことは一度としてないよ。


「オーエン様、とりあえず揺さぶるのやめてくれません? 少しうざいので」


「うっ、うざい!? うざいって! って、そんな場合じゃないですよ! 異端審問官に目をつけられるなんて、どんな大罪を犯したんですか?」


 オーエンはかなり動揺しているようだ。ここでオーエンに構っていたらいつまで経っても話が進まないので放置して、異端審問官の方に視線を向ける。


「異端審問官のマシュー=ホプキンスだ。勇者スイウ、貴様に魔の眷属である疑いが掛けられている。よって、ここで貴様を死刑に処す。異論は認めん」


 ……マジっすか。いや、普通は不平等でも一応裁判の形は取るけど。……色々スキップし過ぎてない?


「ちなみに根拠は?」


「神託によって下された紛うことなき事実だ」


 こりゃ、ダメだな。全く聞く耳を持たない奴だ。

 問題はこれが異端審問会の独断か、ミント正教会そのものが関わっているかだ。どれほど関わっているかによってこの問題の重要さが変わってくる。


「おい、そこの法術師。貴様には異端の疑いはかけられていない。抵抗しなければ危害を加えないことを約束しよう。両手を頭の後ろで組み、こちらに来い」


「……すみません、翠雨様」


 オーエンはマシューの背後にいた異端審問官二人に連れていかれた。


「さて、罪人スイウよ。最後に何か言い残すことはないか?」


 ……このまま行動を起こさなければ、無抵抗のまま殺されるだけか。

 なら、少しだけこちらも反撃してみよう。


「この森の奥深くにクエレブレの死体があります。つい先刻、僕が討伐したものです」


「……それがどうかしたか?」


 マシューが訝しむような視線を向ける。


「本来、クエレブレはこの森には出現しません。では、何故この森に出現したのでしょう? この森は僕が実地訓練をする場合として割り当てられたところです。その場所に偶然クエレブレが出現した、なんて偶然、ご都合主義なラノベじゃあるまいし起こる筈がありません。つまり、人為的に何者かが連れ込んだという可能性が考えられられます」


「それは理由にならん。お前が連れ込んだという可能性は否定できん」


「いえ、否定できます。この常夜の大樹林の近くにあるソノイラの村に到着したのは昨日。それ以前には常夜の大樹林が実地訓練の場所になることを知らされていませんでしたし、ここまでくる際の馬車ではオーエンと馭者、宿屋 柊葉の雫では大勢の人が僕のことを目撃していますし、証言してくださるでしょう。そんな状況下でどのようにクエレブレを持ち込むことができるでしょうか?」


「……だ、だが! 魔族に連れて来させたとしたら」


 苦し紛れによく返してくるな、マシュー。もしかして、魔女狩り将軍を自称しておよそ三百人もの無実の人々を魔女に仕立て上げて処刑、多額の収益を得た人みたいに頭が良く回るのかな?


「そもそも、前提から間違っています。僕がクエレブレを連れてくるメリットがそもそもないのですから。……僕はあのクエレブレが僕を殺すために連れて来られたものだと思います。でも、残念ながら殺せなかった……だから、次は異端者として殺そうとした――そうではないのですか! 異端審問会の皆様!!」


 まあ、そうとしか考えられないよね? いや、バッグにもっと巨大な組織があるパターンも考えられはするんだけど。それをここで指摘しても仕方ないし。


「まさか、異端審問会が魔族と通じているというのか?」


「まあ、そんなところですね。それで、召喚された勇者(ブレイヴ)の中で多種多様な技を使った僕を危険分子として排除しようとした。……もしかして、異端審問会とは魔族狂信者の集まりだったりするのですか?」


「ふざけるのも大概にしろ!! いいか、神託は絶対だ! 速やかに奴を、大罪人スイウを殺せ!!」


 異端審問官、その数八人……逃げるか、戦うか?

 まあ、ここで殺すと大ごとになりそうだし、ここは逃げてミント正教会に通達すればいいか。それで揉み消されるか、僕の命を狙ってこればミント正教会そのものが敵ということになる。……そうなってしまえば結局、血塗れは避けられないな。


「〝光よ、塗り潰せ〟――〝光域(ルーモス)〟」


 その瞬間、光が夜が明けない森の一角を白く塗りつぶした。

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