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ひみつのとびら

 長い読経が終わり、翔太はじいちゃんの遺影に手をあわせた。

 澄んだりんの音がひびく。うす目を開けてこっそりとなりを見ると、お母さんもお父さんもまだ手をあわせたまま目を閉じていたので、あわててもう一度目をつぶった。

 慣れない正座でしびれた足がじんじん痛む。扇風機はぶうんとまぬけな羽音をたてながらぬるい空気をかきまぜていて、外ではミンミンゼミがかしましく鳴いていた。あまりの暑さにくらくらする。


 夏休み。今年はじいちゃんの初盆なので、翔太は両親と一緒に田舎にやってきた。仲の良いいとこの真紀や信一も来ている。真紀は祥太よりひとつ年下の四年生。信一は今年中学にあがったばかり。お正月に会ったときより背が伸びているようだ。

 お坊さんが帰り、大人たちはあわただしく宴会の準備をはじめた。祥太たち子どもは居間にひっこんでだらりと伸びていた。

「あちいー。なんでこの家はクーラーがないんだよ」

 信一が恨めしげにつぶやく。

「あー。あれ食いてえな。かき氷。じいちゃんの作ったやつ」

 すると、うつむいて携帯ゲームをいじっていた真紀が顔をあげた。

「あたしも食べたいー。ふわっふわなんだよね。じいちゃんのは、とくべつ」

 夏休み、田舎に来ると、じいちゃんは、きまって子どもたちにかき氷をつくってくれた。きめの細かい氷に、甘酸っぱいいちごシロップがたっぷりかかったかき氷。どこの店のものよりおいしかった。口に入れた瞬間、すっと溶けてなくなる、魔法みたいにさらさらの氷。じいちゃんはどうやって作っていたのだろう。三人は、この家にかき氷機があるのを見たことがない。

「あー、でも、もう食べられないんだよね」

 祥太はしんみりした気持ちになった。じいちゃんが亡くなったこと、夢の出来事のようで、まだ信じられない。信一と真紀も口をつぐんだ。じいちゃんのことを思い出しているのだ。

「な。じいちゃんの部屋、行ってみない?」

 だから、信一の提案に、ふたりは素直にのった。孫たちに甘いじいちゃんだったけど、屋根裏にあるその小さな部屋に入ることだけは、かたくなに禁じていたのだ。お盆だし、もしかしたら帰ってきたじいちゃんの魂がみているかも、と翔太は一瞬思ったけど、好奇心のほうが勝っていた。

 こっそりと、古い家のきしむ階段をのぼり、二階の物置のドアをあける。その奥に忍者屋敷の隠し階段みたいなちいさな階段がある。三人はどきどきしながらのぼった。

 じいちゃんの部屋は薄暗く、蒸し暑くてほこりっぽかった。天井からぶらさがった裸電球がゆれている。採光のための小さな窓から、スポットライトのようにひとすじの光が差し込んでいる。信一が窓を開けて新鮮な空気をいれた。

 翔太と真紀はぽかんと口を開けて部屋をながめていた。床には大量の本がうずたかく積み上げられ、棚にはめずらしいものがいっぱい。古い地球儀、外国の銀貨やむかしの切手、鉱物の標本。部屋のすみっこには、バレーボールほどの大きさの、ラムネ色をしたガラスの球体が五つ六つ、ごろごろ転がっている。

「浮きだぜ、これ。海に浮いてるやつ。じいちゃん、集めてたんだ」

 信一が言った。浜辺に打ち上げられためずらしいガラスの浮きをコレクションしているひとがいるという。そういえばじいちゃんはきらきら光るものが好きだった。

 窓のそばには飴色の小さな机が置かれていて、日に焼けて変色した、たくさんの原稿用紙がのっている。

 じいちゃんは農作業の合間に、趣味で子どものための冒険物語を書いていて、時々翔太たちに読み聞かせてくれた。この部屋はそのための場所だったのだろう。

 机に向かって小さな背中をまるめて、時おりいたずらっぽい笑みを浮かべながら物語を考えているじいちゃんの姿が、目の前に浮かんでくるようだった。

 と、その時。

 強い風が吹いて、原稿用紙がいちまい、ひらりと舞った。翔太はあわててひろいあげる。


 ひみつのとびら はんたいのくに

 あついときはさむい さむいときはあつい


 それだけ、書かれている。じいちゃんが書きかけていた物語の、はじまりの文なのかな、と思った。

 と、真紀が翔太のTシャツの裾をひっぱっている。

「小さなとびらがあるよ」

 真紀はささやくように告げた。窓のあるほうと反対側の壁を指差している。壁一面に失われた大陸の地図が貼られている。時おり吹きこむ風で地図の角っこがめくれて、裏にかくされたとびらに気づいたのだ。

 信一が開けようとしたけど、鍵でもかかっているのか、びくとも動かない。

「ひみつのとびらだ」

 翔太はつぶやいた。じいちゃんのことばを読み上げる。

「はんたいのくに あついときはさむい さむいときはあつい」

 すると、するすると扉がひらいた。とたんに、ひんやりした空気が吹きこんで三人をつつみ、真っ白いひかりが目を射した。

「わああっ。すげえ。雪だっ」

 信一がさけんだ。

 扉の向こうはいちめんの雪の平原だった。三人ははだしのまま、夢中で雪の世界に飛び込んだ。

 ふみしめる雪はやわらかく、つめたい、を通り越して痛い。むき出しの肌が粟立って歯がかちかち鳴った。冷凍庫の中みたいだ。

 空は青くよく晴れて、鳥の鳴き声ひとつしない。ぐるりを見渡すと、平原のむこうの丘を赤いそりがすべりおりてくるのが見えた。誰かいる。翔太の心臓がどくんとふるえる。そりはすごいスピードで走り、あっという間に三人のそばまで来た。なにか、白い、丸い生き物が乗っている。

「ゆ、雪だるま?」

 三人は、いっせいに叫んだ。雪だるまが、人間みたいに動いている。雪だるまはぺこんと頭をさげた。あいさつをしてくれているようだ。そりから降りると、三人に、おそろいの長靴とジャンパー、毛糸のミトンと大きなポンポンのついた帽子を差し出した。

「これ、俺たちに?」

 信一のことばに、雪だるまがうなずく。おそるおそる身に着けてみると、サイズはぴったりで、おまけに暖かい。あっという間に三人の頬には赤みが戻った。

 それからは、お決まりの雪合戦のはじまり。雪だるまは木の枝でできた華奢な手足を器用にあやつって雪玉をつくり、投げた。一番年長でからだの大きい信一がどんどん速球を投げる。運動神経のいい真紀はそれをひょいひょいかわして逃げた。どんくさいけど手先の器用な翔太は雪玉つくりに専念。顔を上げた拍子に大きな雪玉が顔面に直撃する。雪だるまが投げたものだった。ぎろっとにらむ。雪だるまの、木炭でできた素朴な目がいたずらっぽく笑ったように見えた。

 あれ、と翔太は思った。その笑顔が、よく知っているだれかに似ているような気がしたのだ。それがだれだか思い出せないのに、なぜだか、懐かしい、あたたかいものが胸の中に広がっていく。


 それから、雪だるまはかまくらをつくりはじめた。三人も手伝う。あたたかい地方で暮らしている三人は、かまくらなんてテレビの中にあるものしか知らない。雪だるまは超能力でもつかっているかのように、難なく雪をかき、固めた。さいごのしあげとばかりに、雪だるまが木の枝の腕を杖のように振ると、できたてのかまくらは、氷みたいにかちかちのドームになった。中にはいると、ほんわりあたたかい。

「あたし、のどかわいちゃった!」

 りんごみたいに真っ赤にほっぺをほてらせて、真紀が叫ぶ。信一も息を切らしている。雪だるまは、任せなとでも言うように、とん、と真ん丸な胸をたたいた。そして、そりに乗り、どこかへ行ったかと思うと、すぐに戻ってきた。その手にはガラスの器と銀のスプーン、それに、いちごシロップ!

 陽のひかりをあびてきらきら光る新雪をすくって器に盛り、シロップをとろり。翔太も、信一も真紀も、もう食べるまえからわかっていた。

 これは、じいちゃんのかき氷。

 その正体は、ひみつのとびらの向こうの、「はんたいのくに」に降った雪だった。

 甘酸っぱい雪は舌の上ですうっと溶けて消えた。なつかしい味に、じんと鼻の奥が熱くなる。泣きながら夢中で食べる三人を見て、雪だるまはやさしく微笑んだ。そして、ぽん、と木の枝の両手を打ち合わせた。

 とたんに、ふっと、かまくらも雪も平原も消えた。

 三人はもとのじいちゃんの部屋にいた。帽子もミトンも消え、半袖Tシャツ、はだしに戻っている。

 蝉の鳴き声がきこえる。翔太はそっと、壁に貼られた、ふるい地図をめくってみた。ひみつのとびらはあとかたもなく消えている。

 だけど、三人の舌のうえはまだ甘くて酸っぱくて、きいんと、つめたかった。





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