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対話術(+++)を持って生まれた俺が不殺のS級冒険者になるまで  作者: 絹田屋


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第一話 俺の最初の友達は、手のひらサイズだった


 俺の村には、柵がない。


 正確には、畑の周りに低い石垣はある。でもそれは魔物除けじゃなくて、風よけだ。村の北側は山からの吹き下ろしがきつくて、冬になると苗が全部倒れる。だから石垣。魔物のことは、あんまり関係ない。


 うちの村では、魔物は隣人みたいなものだった。


 縄張りを荒らさなければ向こうも来ない。たまに畑に迷い込むやつがいても、追い払うんじゃなくて、道を開けてやれば勝手に帰っていく。爺ちゃんが昔言っていた。「先に手を出したほうが馬鹿を見る。あいつらも同じことを知っとる」。


 そういう村で、俺は育った。


 名前はフリッツ。今は十三になったところで、来月には村を出る。村の外に出て、知らない場所を歩いて、知らない魔物に会いたい。父さんに「せめて冒険者ギルドに登録しろ」と言われたので、まず街で登録届を出す予定だ。村からだと街まで丸二日かかるから、母さんが干し肉を仕込み始めている。父さんは相変わらず言いたそうな顔をしているが、口には出さない。代わりに俺の荷物を何度も確認している。


 ——で、なんで今こんなことを思い出しているかというと。


 さっき、裏山で座っていたら、膝の上にムックが乗ってきたからだ。


 ムック。モスリン。手のひらに収まるくらいの、丸っこい小型の魔獣。茶色い毛がふわっと膨らんでいて、ずんぐりした胴体に似合わず足だけが細い。苔の匂いがする。いつも苔の匂いがする。ステータスで見れば「モスリン Fランク」と出るらしいが、俺はそういうのを確認したことがない。


 こいつとの付き合いは、長い。


 ——たぶん、俺が覚えている一番古い記憶が、こいつなんだと思う。


-----


 五つか六つの頃だった。


 春の終わり。村の裏手にある雑木林で、俺はひとりで座っていた。別に理由はない。家にいるより外が好きだった。木の根元に腰を下ろして、地面を眺めていると、虫が歩いていたり、草の隙間から何かが覗いていたりする。それを見ているのが好きだった。


 その日も、いつもの切り株に座って、足をぶらぶらさせていた。


 最初に気づいたのは、音だった。


 草の下で、何かがもぞもぞしている。虫とは違う。もう少し重みのある動き。かさ、かさ、と乾いた葉が擦れて、それから止まる。しばらくして、また、かさ。


 俺は動かなかった。


 動いたら逃げる。それは知っていた。誰に教わったわけでもないけれど、なんとなくわかっていた。だから足を止めて、息を浅くして、じっとしていた。


 草の隙間から、鼻先が出てきた。


 小さい。親指の先くらいの、ぴんと尖った鼻。湿っていて、ひくひく動いている。鼻先だけ出して、匂いを嗅いでいる。俺の匂いか、それとも周りの空気の匂いか。どっちかはわからないけれど、一生懸命なのは伝わった。


 ——怖いのかな。


 そう思った。


 理由はうまく言えない。匂いの嗅ぎ方が、探しているというより確かめている感じだった。ここは安全か。この大きいのは何か。噛むか。踏むか。そういうことを、あの小さな鼻先で必死に調べている。


 俺は息を止めないようにした。止めると、それはそれで不自然だから。代わりに、できるだけゆっくり呼吸した。吸って、吐いて、吸って、吐いて。


 鼻先が、少し伸びた。


 鼻の後ろから、顔が出てきた。丸い目が二つ。黒くて、濡れていて、こっちを見ている。茶色い毛がもこもこしていて、丸い耳が頭の上にちょこんと乗っている。体に比べて目が大きい。


 モスリンだ。


 村でも見かけることはある。畑の石垣の隙間とか、納屋の裏とか。苔が生えているところに寄り付く小さな魔獣。でもこんなに近くで見たのは初めてだった。


 目が合った。


 ——と言っていいのかはわからない。向こうが俺を「見ている」のか、それとも動くものを警戒しているだけなのか、五つの俺にはわからなかった。ただ、目が合ったと感じた。それだけは確かだ。


 何かが通った。


 目と目の間を、言葉じゃない何かが通った。温度、と言えばいいのか。こっちの体温と、向こうの体温が、空気を挟んで触れた——みたいな感覚。冬に焚き火の前に手をかざしたときの、あの、まだ熱くはないけれど温かい、という距離感。


 怖くない。


 俺がそう思ったのか。向こうがそう思ったのか。それもわからない。ただ「怖くない」という気配が、二人の間に漂った。


 モスリンが、草の中から出てきた。


 全身が見えた。思ったより小さい。手のひらに乗るくらい。尻尾が長くて、体と同じくらいある。毛は茶色で、腹の下あたりだけ薄い黄色をしている。足元に苔の欠片がくっついていた。


 こっちに来る。


 一歩、止まる。鼻をひくつかせる。もう一歩。止まる。


 俺の足元まで来て、靴の先を嗅いだ。ひくひく。ひくひくひく。それから、靴の横を通って、切り株のすぐ隣まで来た。


 座った。


 俺の右手の、指三本分くらい横に、ちょこんと座った。


 前足を揃えて、尻尾を巻いて、耳をぴんと立てて、正面を向いている。俺と同じ方向を見ている。二人で並んで、雑木林の木漏れ日を眺めている格好になっていた。


 ——何だこれ。


 とは思った。思ったけれど、嫌ではなかった。


 しばらくそのまま座っていた。どれくらいかは覚えていない。長かった気もするし、ほんの少しだった気もする。風が吹くと、モスリンの耳が揺れた。俺の髪も揺れた。同じ風だった。


 やがて、モスリンは立ち上がった。


 前足で顔を拭って——猫みたいだな、と思った——、俺の靴の先をもう一度嗅いで、そのまま草の中に帰っていった。かさ、かさ、と音が遠ざかって、消えた。


 俺はまだ切り株に座っていた。


 右手の横に、小さな温もりの跡が残っている気がした。気のせいかもしれない。でも、残っていた。


-----


 それが最初だった。


 翌日も同じ切り株に座った。また来た。今度はもう少し早く出てきた。同じように隣に座って、同じ方向を見て、しばらくして帰っていった。


 三日目。四日目。五日目。


 毎日来た。毎日同じ場所に座った。


 一週間くらい経った頃、変化があった。モスリンが、隣ではなく、俺の太ももの上に乗ってきた。前触れはなかった。いつもみたいに横に座って、しばらくして、ふいに方向を変えて、よじ登ってきた。


 軽かった。パンの耳より軽い。


 太ももの上で丸くなった。尻尾が俺の膝を巻いている。耳がぺたんと倒れている。目が細くなっている。


 ——寝てる。


 俺の上で、寝てる。


 動けなくなった。動きたくないのではなく、動いたら起きてしまうと思って、動けなかった。足が痺れても我慢した。日が傾いて、木漏れ日の角度が変わっても、そのままでいた。


 目が覚めたモスリンは、俺の太ももの上で伸びをして、膝から降りて、草の中に消えた。


 足の痺れが限界だった。立ち上がったらよろけて、切り株から転げ落ちた。


 尻を打った。痛かった。でも、なんだか笑えた。


-----


 母さんに話したら、「へえ」と言われた。


「それはモスリンだねえ。臆病な子だから、人の近くには来ないんだけど」


「来たよ。膝の上で寝た」


「……ふうん」


 母さんは鍋をかき混ぜながら、俺の顔をちらっと見た。何か言いたそうな顔だったけれど、「夕飯はシチューだよ」と言っただけだった。


 父さんに話したら、もう少しだけ反応があった。


「膝の上?」


「うん」


「近づいたのか?お前から」


「ううん。向こうから来た」


 父さんは腕を組んで、何か考えるような顔をした。それから、「まあ、お前は小さいからな。脅威に見えなかったんだろう」と言って、薪を割る作業に戻った。


 たぶん、そういうことなんだと思った。俺が小さいから怖くなかっただけだ。


 隣の家のおばさんには見られていたらしい。翌日、井戸端で母さんに「おたくのフリッツ、また変なとこに座ってたよ」と言っていた。母さんは「あの子は手がかからないんだか、かかるんだか」と返していた。


 別に変なことをしている自覚はなかった。座っていただけだ。


-----


 ムック、と名前をつけたのは、もう少し後のことだ。


 夏になる頃には、モスリンは俺を見つけると走ってくるようになっていた。草の中からではなく、木の上から降りてきたこともある。枝から俺の肩に飛び移って、首筋に鼻先をぐっと押し付けてくる。匂いを嗅いでいるのか、ただくっつきたいだけなのか。とにかく鼻先を押し付ける。いつもそうだ。


 あるとき、耳の後ろに小さな棘が刺さっているのに気づいた。


 草むらを走り回っていて刺さったんだろう。小さな棘だ。指先で触ると、モスリンは首を傾げた。痛いのか痛くないのか、よくわからないような顔をしている。


「痛いの?ちょっと見せて」


 声に出したのは、このときが初めてだったかもしれない。それまでは話しかけたことがなかった。話しかける必要がなかった。黙って隣にいるだけで十分だったから。


 でもこのときは、なぜか声が出た。


 モスリンは耳をぴんと立てた。俺の声を聞いて、体を傾けた。棘が刺さっている方の耳を、俺の指先に向けてきた。


 ——見せてくれてるのか。


 棘を抜いた。小さくて、爪の先でつまむのがやっとだった。抜いた瞬間、モスリンの耳がぴくっと動いた。それから、俺の指先に鼻を押し付けてきた。


 ひんやりして、湿っていた。


「……取れたよ」


 モスリンは耳を二回振った。ぱたぱた、と。それから俺の手のひらの上で一回転して、肩に飛び移って、首筋にまた鼻先を押し付けてきた。ぐっ、と。


 くすぐったかった。


 その日の帰り道、「ムック」と呼んでみた。鼻先を押し付けてくるあの感じ。ぐっ、むっ、くっ、という音。それを縮めてムック。


 振り向いた。


 振り向いたから、それが名前になった。


-----


 あれから七年。


 ムックは今でも裏山にいる。体は当時より少し大きくなった。手のひらからはみ出すくらい。でも膝の上に乗る癖は変わっていない。


 ただ、一つだけ変わったことがある。家族が増えた。


 三年前にどこからか連れてきた相方と、今は子供が四匹いる。まだ手のひらに収まるくらいの小さいやつらで、毛の色がそれぞれ微妙に違う。一匹だけ妙に耳が大きくて、そいつがいちばん俺に懐いている。ムックの上に乗ろうとして転げ落ちたり、俺の靴紐をかじったり、まあ忙しい。


 今日も、切り株に座った途端にこうなった。


 膝の上にムック。右の太ももに子供が二匹。左の靴の上にもう一匹。耳の大きいやつは俺の肩によじ登って、首筋に鼻先を押し付けている。親と同じ癖だ。


『フリッツ、あったかい。ここ、いい』


 ムックの声が頭の中に届く。言葉というよりもう少し手前のもの。意味のある音の断片が、直接入ってくる感じ。昔は気配しか読めなかったけれど、いつの間にか聞こえるようになっていた。いつ頃からだったか、正確には覚えていない。気がついたら聞こえていた。


「お前はいつも俺を座布団にしてるな」


『あったかい。やわらかい。いい』


 褒められているのか何なのかよくわからない。


 ムックに限らず、村の周りの魔物はだいたい聞こえる。虫系は短くて早い。モスリンは単語が途切れ途切れに来る。植物系は遅くて、一日がかりで一文ということもある。


 肩の上の子供が、俺の耳たぶをかじった。


「こら。食べものじゃないよ」


 引き離そうとしたら、ムックが尻尾で子供の額をペシペシと叩いた。


『かむ、だめ。フリッツ、おいしくない』


 おいしくないから駄目なのか。まあいい。理由はともかく、子供は耳たぶを離した。


-----


 切り株の周りは、いつの間にかにぎやかになっている。


 足元の草むらでは、甲虫系のリッケルが三匹、落ち葉の下でかさかさやっている。こいつらは俺が座ると寄ってくる。理由は知らない。聞いたことはあるが、虫系の返事は早すぎて半分聞き取れなかった。たぶん「あったかい」だったと思う。みんな同じことを言う。


 切り株の後ろの木には、蔦系のシュリンガが巻きついている。去年の秋に一度、絡まった蔦をほどいてやったら、それから俺が来るたびに頭上の枝を広げて日陰を作ってくれるようになった。今日も木漏れ日がちょうどいい具合に落ちている。


『……きょう、も、いる……』


 シュリンガの声。遅い。すごく遅い。俺が座ってからそろそろ一刻は経つのに、まだ挨拶の途中だ。


「いるよ。今日もありがとう」


『…………うん……』


 返事が来る頃には日が暮れている気がする。


 俺の周りには、だいたいいつもこんな感じで魔物が集まっている。別に呼んでいるわけじゃない。最初にここに座ったのは七年前の俺で、それからずっと同じ場所に通っていたら、いつの間にか常連が増えた。


 母さんは相変わらず「へえ」としか言わない。父さんは最近、もう何も言わなくなった。隣のおばさんはまだ「フリッツはまた変なとこに座ってる」と言っている。


 変なとこに座っている。まあ、そうだろう。でも俺にとっては、ここがいちばん落ち着く場所だ。


 膝の上でムックが丸くなっている。肩の上で子供が耳たぶをかじろうとしている。足元でリッケルがかさかさやっている。頭上でシュリンガがゆっくり枝を動かしている。


 七年間、毎日同じ切り株に通って、こうなった。


 風が吹き抜けていって、悪くないな、と俺は思った。


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