第7話(最終話) 地球を離れる日
僕は
画面へ手を伸ばした。
二つの選択肢。
『地球へ帰還』
『我々と同行』
迷っているつもりだった。
でも
指は止まらなかった。
僕が触れたのは
『我々と同行』
だった。
画面が青く光る。
『選択を確認しました』
その文字を見た瞬間
胸の奥が痛んだ。
もう戻れない。
そう思ったからだ。
「変更できる?」
僕は聞いた。
高等生命体は
すぐに答えた。
『可能です』
少し拍子抜けした。
「いつまで?」
『地球を離れるまで』
強制ではない。
最後まで
僕自身に選ばせる。
それが
彼らのやり方らしい。
隣を見る。
美咲も
画面を見つめていた。
「決めた?」
僕が聞くと
彼女は小さく頷いた。
「行く」
「怖くない?」
「怖いよ」
美咲は笑った。
「でも見たい」
その言葉に
僕も笑った。
同じだった。
怖い。
それでも
見てみたい。
きっと彼らが
僕たちに見つけたのは
こういう部分なのだろう。
船内には
世界中から集められた
保存対象がいた。
家族で選ばれた人。
一人だけ選ばれた人。
泣いている人。
興奮している人。
最後まで
地球へ帰るか悩む人。
そして
実際に帰還を選ぶ人もいた。
彼らは止めなかった。
帰る人間を
小型船へ案内していく。
「保存対象なのに
帰していいのか?」
僕は聞いた。
『はい』
「貴重な観察対象だろ?」
『観察は終了しています』
その言葉を聞いて
ようやく分かった。
僕たちはもう
実験動物ではない。
少なくとも
地球での実験は
本当に終わったのだ。
巨大な球体に
地球が映る。
二〇二六年十二月三十一日。
午後十一時二十七分。
あと三十三分で
二〇二七年になる。
地球再生計画は
最終段階に入っていた。
東京。
ニューヨーク。
ロンドン。
世界中の巨大都市が
姿を変えている。
すべてを
消しているわけではなかった。
病院。
小規模な居住施設。
水を供給する設備。
生存者に必要なものは
一部残されている。
一方で
軍事施設は
ほとんど消えていた。
核兵器。
化学兵器。
生物兵器。
大量の兵器。
使用不能にするだけではない。
存在そのものが
分解されていく。
「人類から
武器を取り上げるのか?」
『一時的に』
「一時的?」
『再び作ることは
可能です』
僕は驚いた。
「止めないのか?」
『止めません』
「また同じことに
なるかもしれない」
『その可能性はあります』
彼らは
人類を支配するつもりではない。
正しい生き方を
教えるつもりもない。
地球を
再び生命が暮らせる状態へ戻す。
その先は
残った人間に委ねる。
「また核兵器を作ったら?」
僕は聞いた。
『観察します』
「また?」
『はい』
少し怖くなった。
「第八期になるのか?」
高等生命体は
首を横に振った。
初めて見た仕草だった。
『第七期は
まだ完全には終了していません』
「どういうこと?」
『文明環境は終了しました』
『しかし
第七期生命は存続しています』
地球に残った人々。
彼らが
これから何を作るのか。
それもまだ
第七期の続きなのだ。
「じゃあ
第八期は?」
『開始未定です』
第4話で見た
『次期生命実験準備開始』
という表示を思い出した。
準備はする。
だが
必ず始めるわけではない。
人類が
もう一度文明を作り
今度は違う道を選べば
第八期そのものが
必要なくなる可能性もある。
「人間に
期待してる?」
僕が聞くと
彼は少し沈黙した。
『期待という感情を
我々は完全には
再現できません』
そして続けた。
『しかし
観察する価値はあると
判断しています』
それで十分だった。
午後十一時四十分。
僕は
あることを思い出した。
第4話で
父親と娘が別々に
判定された。
「聞きたいことがある」
僕は高等生命体に
あの親子のことを尋ねた。
数秒後。
球体に
映像が現れた。
父親がいた。
地球に残った男。
その前へ
小型船が降りてくる。
扉が開く。
中から
少女が走ってきた。
「え?」
娘は
保存対象だったはずだ。
『本人が
地球帰還を選択しました』
少女は
父親へ飛びついた。
父親が
娘を抱きしめる。
二人とも泣いていた。
僕は
しばらくその映像を見ていた。
彼らは
家族という理由だけでは
判定を変えなかった。
でも
本人の意思は尊重した。
「あの子は
宇宙へ行けたのに」
僕が言うと
高等生命体は答えた。
『彼女は
父親を選択しました』
合理的ではない。
地球外へ行けば
安全に生きられる。
未知の技術も
見ることができる。
それでも
少女は父親を選んだ。
高等生命体が
僕を見る。
『これも
我々が失ったものです』
僕は
何も言わなかった。
午後十一時五十五分。
地球再生処理が
ほぼ完了した。
放射線量は
生命が生存可能な範囲まで
低下している。
海洋汚染も
急速に改善した。
大気中の有害物質も
除去されていく。
人類の技術なら
何十年。
何百年かかるのか。
それすら分からないことを
彼らは数時間で行った。
でも
死んだ人は戻らない。
そこだけは
変わらなかった。
「生き返らせる技術は?」
僕は聞いた。
『ありません』
「あなたたちでも?」
『はい』
意外だった。
何でもできると
思い始めていた。
『失われた生命を
完全に同一の存在として
復元することはできません』
だからこそ
生命には価値がある。
彼らにも
できないことがある。
午後十一時五十八分。
巨大な円盤が
地球から離れ始めた。
一機。
また一機。
地球再生のために来た船が
宇宙へ上がっていく。
僕たちがいる船も
ゆっくり動き始めた。
窓の向こうで
地球が小さくなる。
青い星。
三日前。
この星では
人間同士が殺し合っていた。
そして
核兵器が使われた。
人口は
半分以下になった。
その直後
彼らが来た。
最初は
侵略だと思った。
違った。
彼らは
ずっと前からいた。
人類が生まれる前から。
地球で生命が始まる前から。
僕たちを観察していた。
僕たちは
地球の支配者ではなかった。
七番目に文明を作った
観察対象だった。
でも
それだけでもなかった。
彼らが
長い時間をかけて探していたものを
僕たちは持っていた。
矛盾。
失敗。
好奇心。
愛情。
誰かのために
損をするという選択。
完璧ではないこと。
それが
僕たちの価値だった。
午後十一時五十九分。
あと一分。
「地球では
今ごろ何してるかな」
美咲が言った。
「年越し?」
「こんな世界で?」
「こんな世界だから」
僕は笑った。
確かに
誰かはやっている気がした。
時計を見る。
十秒。
九。
八。
僕たちは
声に出して数えた。
七。
六。
五。
四。
三。
二。
一。
二〇二七年一月一日。
地球は
新しい年を迎えた。
花火はない。
歓声も聞こえない。
それでも
人類は生きている。
僕も生きている。
ただ
僕がいる場所は
もう地球ではなかった。
巨大な円盤が
加速する。
月を越える。
見慣れた星が
次々と遠ざかる。
「これから
どこへ行く?」
僕は聞いた。
『選択できます』
「僕が?」
『はい』
目の前に
巨大な星図が現れた。
何千。
何万。
数え切れない光。
訪れることのできる
世界らしい。
その横には
別の項目もあった。
『時間観測』
『文明訪問』
『異星生命圏』
『宇宙境界観測』
見ているだけで
胸が高鳴った。
三日前まで
僕は東京の会社員だった。
朝起きて
仕事へ行き
家へ帰る。
その繰り返しだった。
今
僕の目の前には
宇宙そのものがある。
高等生命体が
僕の隣に立った。
『質問があります』
「何?」
『あなたたちは
未知のものを見ると
恐怖と好奇心を
同時に示します』
「そうかもな」
『我々には
理解が困難です』
少しだけ笑った。
「そのうち
分かるんじゃない?」
彼は
僕を見た。
表情はない。
でも
ほんの少しだけ
考えているように見えた。
そして
新しい映像を表示した。
巨大な輪の向こうに
地球が見える。
だが
今の地球ではない。
空を
巨大な翼竜が飛んでいる。
地上を
恐竜が歩いていた。
僕は思わず
画面へ近づいた。
「これ
本物?」
『はい』
「行けるの?」
『可能です』
心臓が速くなる。
怖い。
でも
見たい。
その瞬間
彼は言った。
『やはり
あなたは同じ反応をします』
僕は笑った。
「悪い?」
『いいえ』
そして彼は
僕に尋ねた。
『では
最初にどの時代を
見たいですか』
僕は
窓の向こうを見た。
地球はもう
小さな青い光になっていた。
二〇二六年。
世界は一度
終わった。
でも
僕の人生は
そこで終わらなかった。
彼らは
地球を奪いに来たのではない。
僕たちを
滅ぼしに来たのでもない。
長い実験を終え
その中で生まれた
不完全な僕たちを
迎えに来たのだ。
そして僕は
初めて知った。
世界の終わりは
宇宙から見れば
終わりではない。
僕にとっては
想像もしなかった世界への
始まりだった。




