雨宿り①
春は必ず降ってくる
いつもその言葉だけが頭に残り目覚める。
僕にとって、九十分はとても大切な時間らしい。
そう説明を受けても理解できず、「そうですか」と流したままに、日々当たり前のように眠る。
睡眠九十分のルーティン。
意識なんてしたことも、することも出来ない時間を、大切と表現されても、自分自身どう扱っていいかも分からない。
僕に限らず、きっと誰もがそうだろう。
そして、大切な時間は、皆それぞれの形で持ち合わせている。眠ることもちろん、食べること運動すること。慣れ親しんだ趣味に時間を費やしたり、新しい体験に時間を費やしたり。
日々の柵から解放される瞬間。もはや無意識下で、もう一人の自分が励ますようにその時間を扱う。そうやって、この世の中を渡り歩くのだろう。渡り歩いていかなければいけないのだろう。
説明を受ける度、僕にとっての『大切な時間』とはなんだろう。と頭の中を巡らせる。
かけがえのない。失いたくない時間とは。
これ以上失うこともないと。失いたくないと。
ふと、思い浮かぶ。
そういえば、その時間も確か九十分くらいだった気がする。
誰にも伝わらない。
僕だけの。
彼女だけの時間。
♤♤
「元気?」
そう、いつものように彼女は明るく僕の肩を叩く。
バイト先から一番近い公園の中にある東屋。池の真ん中まで続く橋を渡り屋根の下に守られた木製のベンチに腰をかける。葉が擦れる音を聞き池を眺めていると決まった時間に彼女が現れる。
「また浮かない顔してる」
と、僕の心を勝手に決めつけるものだから
「そんなことはない」と、今日は、新作コンビニスイーツを買えた事から話し始める。
「また甘いものの話?」
「甘いものこそ正義でしょ。三度の飯よりスイーツだよ」
「ただ食生活が乱れてるだけだよそれ」
そういうことを言っているんじゃないよ。と冷静な彼女を諭す。彼女は甘いものが好きではないためか、いつも眉をひそめながら、そんなのお構いなしに続ける僕の話を最後まで聞いてくれる。
「で、最近このコンビニのカスタードの比率が変わった気がするから是非食べてみてよ」
「比率って・・・そんなの食べてわかるの?」
「分かるよ。甘さも控えめになった気がする」
「いつも話の最後は共有してくれるのはありがたいけど、私は食べられないよ」
「世界変わると思うけどな」
僕の発言に、大げさだな。と呆れる彼女をよそに、僕は買ってきたシュークリームを一口頬張る。
「それで、今日はなにしていたの?仕事午前休だったんでしょ?」
「そうそう、わざわざ休んで歯医者行ってきた」
「やっとじゃん。前回から何回見送ったの」
ばつの悪い顔を浮かべながら、僕から目を反らす。
「忙しかったんだよ・・・」
「わざわざ休みの日に予約しているのに。歯が無くなっても知らないよ」
「はい・・・ちゃんと通います」
分かりやすくシュンと落ち込みながら、サンドウィッチを一口頬張る。
「いつもの怖い先生だった?」
「今日は違う、すごく優しい先生だった」
嬉しさが溢れんばかりに笑顔になる、忙しない彼女の表情。
「今日はね、メンテナンスをさぼったこと怒られなかったんだけど」
「けど?」
「歯科助士さんが新しい人だったのか、私の処置をしながら少し叱られてたんだよね。それがなんだか申し訳なくなって」
「申し訳ないって、なんで?」
「私の処置さえなければと。あと自分が叱られてる気分になって」
それは、いつも叱られながら処置を受けているからではと思ってもみたが、彼女特有の優しさが他人の感傷まで吸い込んでしまうがために共感してしまうのだろう。僕にはないその感覚であるも、不思議と心が落ち着く。
「彼女も反省していたし。私も反省」
「その助手さんからしたら一緒にするなって気分だと思うけどね」
むすっと不機嫌そうな表情を僕に向ける彼女。
こんな会話が続く、お互いの昼休み。
ふと時計を見るとあと三十分はある。といつも思うのだが、その時間はすぐに、終了五分前を知らせるアラームでベンチに置いてあるスマホが震え出す。
喜怒哀楽を向け合いながら、今日も休憩の九十分を過ごし、「またね」とその場を後にする。
きっとこの会話からは何も生まない。
この広い世界には、取るに足らない。無くたって、石油の量も気温も人口にも何の影響もない。
けれど、この地球の、この国の、この町の、この公園にいる僕に取ったら、明日を生きる意味になっている。
その九十分はいつもすぐに終わってしまう。
ただの休憩時間。お昼からもまた働き出すための、大切な九十分間。
そんな時間をお互いに費やす。
これが僕にとって大切な時間なのかはわからない。
でも、今、目の前にいる彼女が無邪気に笑っているだけで。それを見ることができる時間というだけで、確かにかけがえのない時間なのかもしれない。
いつか、こんな時間も失ってしまうのだろうか。
彼女と話している時間は、心が軽く開放されている感覚が五臓六腑を動かすけれど、いつか来るであろう終わりの時間に着々と進んでいる感覚もまた、全身に染み渡ってしょうがない。
それでも、ふと香った春の匂いを感じた時、それでもいいか。と笑い合えたから、今この時間を大切にできる気がした。




