灰の賢者の足跡
襲い来ると言っても動きは緩慢で武器を持ち入らずとも倒せないことはない。だが、傷をつけず戦うというのは存外難しいのだ。
「兄様、ベル、退路を確保して。ド派手な煙幕を起こしてあげるわ!」
くず鉄の山で見つけ出した小型の蒸気エンジンに鉄板を取り付けただけの振動ピストンを灰をかぶった路面に押し当てる。すると、たちまち辺り一面深い霧のような煙幕が立ちのぼった。
「ロイス様、こちらです」
追っ手を振り切り、ロイスたちは街の管理区へと潜入した。そこで彼らは、街の住人たちが恐れおののく「賢者クロノスベイン」という名の支配者の噂を耳にする。
曰く、彼は街の至る所に銀色の仮面を配り、それを被った者の魂を機械の回路へと強制的に接続し、永遠に灰の街を駆動させるための「電池」として利用しているのだという。
「賢者ですって、随分と気取った呼び名じゃない」
ロイスは路地裏のバーで情報を買い取りながら、軽蔑を込めて吐き捨てる。マダム・ヴェイルから聞いていた情報の通り、この街は一人の男によって管理されている。
ただ、ロイスが気になっているのは、その男の正体だ。なぜなら、噂に聞くクロノスベインの手口が、父が幼い頃に語ってくれた「完璧な修理の定義」に酷似しているからだ。
ジェミニは、聞き込みによって得た情報を冷静に分析する。賢者の研究所は、街の中央にある巨大な時計塔の真下に存在するという。
街を徘徊する機械化した亡霊たちは、時計塔からの信号を絶対的な命令として受け取っている。彼らの自由意志は、賢者によって完全に解体され、都合の良いように再構築されているのだ。
「ベル、仮にクロノスベインが父と同一人物、あるいは父の技術を盗んだ者だとしたら、我々の存在自体が彼にとっての最大の脅威になる可能性がある」
ジェミニの指摘に、ベルは瞳を細めた。
「演算の結果、その可能性は九十八パーセントです。賢者は我々を、この街を再起動するためのスペアパーツとして認識しているかもしれません」
ロイスは、銀色の仮面の噂を思い出し、背筋に冷たいものが走るのを覚えた。仮面を被らされるということは、思考の自由を奪われ、ただの機械として組み込まれることだ。
彼女は、父がかつて研究室で「人間を部品として再構築する」という仮説を立てていた時の、あのうっとりとした表情を思い出していた。父は本当に家族を愛していたのか、それとも、家族さえもこの巨大な実験の被験者として見ていたのか。
その疑問を打ち消すように、ロイスはさらに強く工具を握りしめた。真実を暴くこと。それが自分たちにとっての唯一の正義であり、逃げ場のない物語の結末である。
彼らは賢者の足跡を辿り、街の歪みの中心、時計塔を目指して歩を進める。灰は先ほどよりも激しく降り注ぎ、彼らの行く手を阻むように視界を塗りつぶしていた。
「どうしてこの街だけ青空にならなかったのかしら……ふん、答えは賢者様のみぞ知るってことだったら、なんだか腹が立つわね」
ロイスは空を睨みつけ、不機嫌を前面に出す。
時計塔の根元にたどり着いたロイスたちは、その巨大な建造物が、単なる街のシンボルではないことを即座に見抜いた。無数の歯車が噛み合う内部構造は、街全体の回路を制御する巨大なメインフレームそのものだったのだ。
ロイスは、その複雑怪奇な配線を一目見て、父の設計思想を感じ取る。
「これは、父様がかつて私に教えてくれた時計塔と同じ。いや、それ以上の規模だわ……それと、時計塔の奥に建つ建物が掃除屋の基地ってことかしら」
時計塔の奥に建つ黒塗りの建物を一同は見やるが、まずは時計塔に侵入することを試みる。
ロイスは記憶を頼りに内部の扉をハッキングし、核心部分へと踏み込む。そこには、街の全ての動きを司る中央制御ユニットがあった。
父がかつて修復を依頼されたこの時計塔こそが、街の全システムを制御する「鍵」であることに気づいたとき、ロイスの胸の中で何かが崩れ去った。
ベルは、制御盤に接続されている無数のコードを分析し、驚愕する。
「ロイス様、これは……灰の街の住民たちが定期的に発しているノイズは、彼らの生命維持に必要なデータ信号です。この時計塔が停止すれば、この街の住民は全員、心臓を止めた機械のように動かなくなります」
「仮面をつけていない会話ができる人たちもってこと!?」
ロイスはその内容に驚きを隠せずに再度聞き返す。
「はい……間違いありません」
つまり、クロノスベインは、この時計塔という心臓を握ることで、何千人もの命を人質に取っているのだ。
ジェミニは、時計の針を止めることが何を意味するのかを理解し、深い苦悩に表情を曇らせる。街を解放するために塔を壊せば、罪のない住民たちをも殺すことになる。
「解体屋として、私はどちらの正義を選択すべきか」
ジェミニは剣を握り直す。ロイスは制御パネルに指を滑らせ、父の残した設計図の裏側にあった秘密のコマンドを探し出す。そこには、父の直筆でこう書かれていた。
『もし、私の創ったこの街が歪んでしまったら、時計の針を逆回転させよ。真実の時間が、過去へと遡る』
ロイスは、その言葉の意味を理解し、震える指先でコードを入力する。時計の針が逆回転を始める。街全体に地響きのような音が鳴り響き、住人たちの動きが一時的に凍りつく。
それは、街の時間の流れを変え、賢者の支配を解くための唯一の方法。だが、それによって何が呼び覚まされるのか、ロイスにも分からなかった。




