第十二話 異世界人
薪のはぜる音だけが、暖炉から絶え間なく響いていた。
あたたかなスープの香りも薄れ、空になった器がテーブルの端に置かれている。
私は手を膝に置いたまま、正面の男――ノクスの顔をじっと見つめた。
「ねえ、さっきの話なんだけど――」
視線がこちらに戻る。
「“私を助けにきた”って、どういうこと?」
少し間を置いて、ノクスは穏やかに口を開いた。
「はい。まずはこの世界について、お話させてください」
なんか長くなりそうだな……と思いつつも私は黙って頷いた。
「この世界には、稀に異世界人が現れます」
異世界人。
つまり私のような人間のことだろう。
「――異世界人は、特別な存在なのです」
ノクスの目がまっすぐにこちらを見据える。
日本では見慣れない、緑の瞳が美しい。
「異世界人は、国に繁栄や祝福をもたらすと信じられているのです。そのため、各国があなたのような存在を探し求めています」
「……祝福?」
私は思わず首を傾げた。
「はい。異世界人は、術士ですら解き明かせない不可思議な力を持っているのです。
そして、彼らが現れた国は、どこも例外なく栄えてきた。だからこそ、祝福の存在と信じられているのです」
(それはまあ、ずいぶんプレッシャーのかかる……)
「これまでユアロスには、異世界人が現れた例はありません。
一方で先日、隣国には異世界人が現れ――いまや、急速に勢力を広げつつあります」
そう語るノクスの声音は、ほんの少しだけ低くなっていた。
稀にしか現れないという話だったのに、短期間で二人も現れてるじゃないか――そんなツッコミは、いったん心の中にしまっておき黙って続きを待つ。
「……貴女は異世界人ですよね?」
「え、はい。そうだと思いますけど……」
ノクスはわずかに頷いた。その表情には、確信のようなものが滲んでいる。
ノクスはわずかに微笑んだ。
「そうですよね。私には、わかりました。街で貴女を見かけたときに」
「……見れば誰でもわかるものなの?」
「いいえ。異世界人の存在を見抜けるのは、限られた高位の術士か――」
そう言ってノクスはマントの内側から小さなペンダントを取り出す。
中心に埋め込まれた石が、微かにきらめいていた。
「――この魔法石を持つ者だけです。異世界人が近くにいるとき、この石は光ります。
これがあったので私は、貴女が異世界人だと気づいたんです」
「へえ……」
私は目を細め、石を覗き込んだ。
そしてふと考える。
(ってことは、普通なら私が異世界人ってこと、誰にもバレないんだ……)
「――どうして、そんなものを持ってるの?」
私がペンダントを指さすと、ノクスは丁寧に答えた。
「これは、王国の中でも限られた術士にだけ与えられる識別の魔具なのです」
「……へえ、便利なんだね」
「はい。私も今日この石が光ったとき、心から嬉しかった。奇跡だと思いました。
ようやく、この国にも祝福が訪れるのだと――そうして、喜びを噛みしめていたのですが……」
ノクスは目を伏せて、ほんの少しだけ息を吐く。
「……その直後、貴女は捕まってしまいました」
「捕まったね……」
嫌な記憶が蘇る。けれど、ノクスの口から出た言葉は予想外だった。
「……実は、あれ、通報したのは私です」
「…………え?」
一瞬、理解が追いつかず、目を瞬かせる。
そんな私をよそに、ノクスは、悪びれる様子もなく、ただ美しく微笑んでいた。
「ご令嬢が不審者と共にいる――と衛兵に知らせれば、貴女をこの国に引き留められると思ったのです」
「にしても、やり方ってもんがあるでしょう……」
呆れ顔の私に、ノクスは真顔で深く頭を下げた。
「申し訳ありません。ですが、貴女があのまま立ち去ってしまえば、二度と会えないかもしれないと……」
その完璧な謝罪フォームに、逆に怒るタイミングを見失ってしまう。
「そうなんだ、もういいよ。過ぎたことだし」
私は深いため息ついた。
ノクスは申し訳なさそうな顔をしつつ、コホンと咳払いをして口を開く。
「それでですね、お願いがあります。
――貴女の力を、どうかお貸しいただけないでしょうか」
「!!」
(こ、これは! 異世界テンプレだ。おそらく私のことを伝説の勇者だとか救世主って思ってるんだろうな……)
だけど残念ながら――
「えーっと……私、すごい能力とか持ってないからね? 貴方と違って机からパンもスープも出せない」
私は空になった皿を指さして言った。
ノクスは微笑んで首を振る。
「そうですか……。それでも、私は信じています。
――きっと貴女こそが、この国を導くお方だと」
(うっ、キラキラした目が、眩しい……! まるで新入社員時代の部下の目のようだ……)
私の戸惑いに気づいたのか、ノクスはあっさり話を切り替えた。
「少々熱くなってしまいました、すみません。
――そういえば、貴女のお名前をまだお伺いしていませんでしたね?」
「……青山琴子です。琴子が名前で、青山が苗字」
「コトコ様、ですね。それではさっそく明日の朝、一緒に城へ行きましょう」
「えっ、いきなり城?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「はい。私は――王城に仕える術士なので」
(うーん、よくわからないけど、偉いのかな……?)
にしてもまさかいきなり城に行く羽目になるなんて。
城といえば、ペルと街を歩いているときに遠くに見えていたような気がする。
横柄で横暴な王がいたらどうしよう。無給で働かされたらどうしよう。非人道的な計画に加担させられたらどうしよう――などと想像して頭を抱える。
(なんか、めんどくさそうだし、早く元の世界に帰りたいし、この人が寝たら逃げようかな……)
心の中でこっそり脱出計画を立てていたそのとき。
「……そして私は、私は、あなたを元の世界に帰す方法も探したい。それが、助けたいの意味です」
「……本当?」
「……そのためにも、どうかこの国にお力を貸していただけないでしょうか」
一気に心臓が跳ねた。
私が、いま何より望んでいるのは――元の世界に帰ること。
けれど、それを言い出すタイミングや口ぶりがどうにも引っかかる。
「――それは、狡いね。それを助けるとは言わないよ」
私が少し睨むと、ノクスはふたたび静かに頭を下げた。
「申し訳ありません。それでも私は、どうしても、あなたに頼らざるを得ないのです。この国のためにも」
その言葉に呼応するように、薪が暖炉の中で小さくはぜた。