第五話「端緒の刻」
『皆さん、落ち着いて聞いてください。今、日本では人々が突然変化する現象が起きています。そういう人を見かけたら絶対に近づかないでください。もう一度繰り返します――』
テレビをつけると、そこには女性のアナウンサーが焦った表情をして要点だけを説明していた。そして画面が切り替わるとどこか分からない街か何かで血だらけの人が正常の人を襲っている映像が流れている。映像の外からはカメラマンなどの焦った声音が聞こえてくる。
完全にアウトな絵ずらだが、今はそれを気にしている場合ではないらしい。人が人を襲っている姿はどこのテレビ局も場所が違えど同じように流しており、おそらく全国の人がテレビから情報を収集し始めているはずだ。
だから、外から聞こえる慌てる人の声でテレビで情報を流しているのだと分かった。思ったよりも周知されるのが遅かったと思いながら、この状況でやれることは一つだ。
「よし、バリケードだ」
「え?」
「え? じゃない。出入り可能な場所に重い物を置いて行くぞ」
理子が俺の言葉に間抜けな声を出しているが、俺はそんな理子の言葉を無視して作業に取り掛かり始める。人がどこかに移動するということは、この辺にはゾンビがあまりいなくなるということを意味しているがゾンビの動きが今の段階では不規則な以上、バリケードは欠かせない。
「待って!」
「あ?」
手始めにソファーの前にある台を窓の近くに置こうとすると、鳥羽が俺の肩を掴んで俺の行動を止めてきた。ここで止めるということは、最悪の言葉が想定される。
「まだ、小学校や保育園に妹とか弟がいるんだ」
「……そうか」
俺の想定通り、自分自身で身を守れない年齢である妹と弟のことを言いだした。想像通りであるが、こんな想像通りは必要ない。
「それで?」
「え?」
「それで、俺にどうしろと言うんだ?」
「……あたしは弟や妹たちを助けたい。だから才蔵にも手伝ってもらいたい」
「断る」
こんなことだろうと思いながら、俺は鳥羽の願いをハッキリと断った。俺が断ったことで鳥羽が驚いた表情をしているが、さっきもこれをやったんだから当然だと分かるところだ。
「助けに行きたいのなら自分一人で行け。それかそこにいる理子と真田を連れてな。だが俺は絶対に行くつもりはない。俺がお前たちをこの家に入れたのは、お人好しだからではない。ただ使えそうだったからだ。そこら辺をはき違えるな。ここから先は生きるか死ぬかで、決して助かる助けてもらうの話ではない」
俺が冷たく鳥羽に言い放つと、鳥羽が何かを言う前に違うところから平手打ちが俺の頬に飛んできた。俺はそれを受けて冷たい目でそちらを見ると、理子が鋭い目つきでこちらを見ていた。
「何で、そんなことを言うの?」
「今は俺と同じことを言う奴はいないだろうが、時間が経てば言う奴は山ほど出てくる。それこそ、極限状態で無秩序の元にある人間が倫理に反することだってするだろう。助けるから見返りに抱かせろとか。だから助けてもらうことは悪いことだと今から思っていればいいだろ」
できる人に任せることは悪いことではない、秩序の元なら。だが極限の人間がゾンビではなく人を殺すことを厭わなくなってくるかもしれない。可能性の話かもしれないが、そこを捨てきることはできない。
ここではまた頼まれると思って、俺は自分の部屋に戻ろうとした。
「な、何しているの紗帆⁉」
「……本気?」
だが布がこすれる音と理子と真田の声で俺は振り返った。そこには服を脱ぎ始めてピンク色の下着になって、その下着も脱いで俺が脱衣所で見た通りの全裸になった。
「何、しているんだ?」
「あたしの全部をあげる。だから妹と弟たちを連れて来るのを手伝って」
「話を聞いてたか? そう言えば体のいい女に成り下がるんだぞ?」
「あたしだって人を選んで頼むよ。あんたは別にそういうことをする男じゃないし、性欲処理だろうと何だろうとやれるくらいにはあんたを好印象で見ているから」
俺と会ってからどこら辺で好印象に見えているのかさっぱりと分からないが、こいつは本気で妹たちを助けるのならすべてを俺に差し出す気でいる。
だが、こいつの命をすべて得るためにこちらの命が無くなるかもしれない。それを考えれば助けようとするのはナンセンスだ。リスクがリターンを上回っている。
「それでも無理だ」
「才蔵、あんたは……」
「理子、才蔵くんの話を聞いてあげましょう?」
友達のご家族を見捨てようとしている俺に鋭い目つきで問い詰めようとしていた理子だが、真田がそれを制して俺に根拠を話すように促してきた。俺はため息を吐いて話し始める。
「第一に、今移動すれば人の流れが多すぎて目的の人を見つけることができないかもしれない。第二に、小学校なら学校に向かえば良いが保育園の避難場所が分からない。第三に、避難所に人が向かえばゾンビもついてくる恐れがあってバリケードなどしていなかったら、最悪の場合避難所の人がすべてゾンビになっている可能性がある。他にもいろいろとあるが、人を助けるどうこう以前に、助けに行くのが無理だということを言っている」
俺の言葉を聞いた鳥羽は悔しそうな顔をして俯いた。俺としてはここから出てゾンビの姿を見に行くのはやぶさかではないが、そこから人をこの拠点に連れて来ることは賛成できない。
「ッ、学校に連絡を……」
「やめとけ。どうせ電話が混雑して繋がらないのがオチだ」
鳥羽がスマホを取り出して連絡をかけようとしたが、鳥羽のようなことを思っている保護者はたくさんいるのだから連絡しても繋がらないか、出ないか、もしくはもうゾンビに襲われているかのどれかで、電話をすることは無意味だ。
「今の状況で鳥羽の妹たちを助けることはほぼ不可能だ。だから諦めろとしか言いようがないな」
俺の言葉で三人は一言も発さなくなった。俺が冷たいということで三人が出て行ってくれれば、しばらくは俺一人でここに暮らしていられるのだが、そうはいかないようで理子が口を開いた。
「ほぼってことは、まだ可能性があるんでしょ?」
「ないようなものだ。それにまずは小学校とかがどうなっているのか分からない限り助けに行くこともできないだろ」
「それができれば、助けに行くことができるってこと?」
「さぁな。結局は危険を冒して助けに行く価値があるのかという話だ。鳥羽にとっては大切な家族でも、俺からすれば労力のない子供なんだから行く価値がない」
「で、でも、人がたくさんいればできることがいっぱい出てくるよね?」
「子供というのは体と精神が不安定な存在だ。それなら大人の方ができることは多くある」
「それじゃあ子供は見捨てろって言うの⁉」
「そうは言っていない。俺から見れば子供に価値がないと言っているんだ。子供を助けたい奴が助ければいい。少なくとも、俺は他人のせいで死にたくないからな」
理子に何を言われても、俺が鳥羽の妹たちを助けることはないと思っている。助けに行く可能性があるとすれば、その子供たちに利用価値があるかどうか。あと一つに脅迫という手があるが、それを俺に使えば確実に俺の協力は今度望めない。
とにかく、集団行動をするのなら、今ここで鳥羽に恩を売っておくことはメリットになるが、俺はそのメリットに興味はないからここでの選択は助けない。
「才蔵くん、あなたは紗帆の妹ちゃんたちを助けに行くわ」
突然真田が未来を予知しているかのような言葉を俺に放ってきた。頭のいい真田だから、俺が動かざるを得ないようにしてくるのだろう。
「何を言っているんだ?」
「才蔵くんは一人でいることが好きなのよね? だから私たちが家に入ることも最初は拒否した。それは集団のデメリットを分かっている。集団のデメリットは物資の消費量の他に、集団を統一できなければ内部から崩壊していく可能性があるところ。集団の人間が不満を持てば、そこから集団を維持できなくなるかもしれない。そして、それはこの状況でも言えることでしょ?」
「何を言っているのかサッパリだな」
「嘘ばっかり。この状況で紗帆の妹ちゃんたちを助けなければ、紗帆は人の価値ばかりを言っている才蔵くんを恨むようになるかもしれないわ。だからこそ、そのわだかまりをなくすためには助けに行くことしか道はないわけね」
「そんなに助けに行きたいのなら、そこにいるお仲間たちで行けば良いじゃないか。人でなしの俺に頼ることが間違っているんだよ」
「今、この状況でいち早く行動したあなただからこそ、私たちは助けを求めているのよ。もちろんそこに行って成功としても成功しなくても、あなたが望むものは何でも渡すわ」
「すでに俺に従うんじゃなかったのか?」
「才蔵くんはそれで家に入れてくれたわけじゃないじゃない。だからまだ私たちの自由は私たちのものよ」
こんなことになるくらいだったら本当にこいつらを家に入れなければ良かったと後悔しながら、俺は不本意だが真田の脅迫に従うことにした。
「……分かった。これが終われば俺の言うことは絶対に従ってもらう。さらに言えば、またお前たちの誰かが助けたいと言っても絶対に助けに行かない。そんな奴がお前らの中で出たらちゃんとおさえることを約束できるのなら、今回は協力しよう」
「えぇ、それで良いわ。理子も紗帆も、それで良いわね?」
「あたしもそれでいいよ」
「……ありがとう、才蔵」
真田の交渉の末、俺は鳥羽の妹たちを助けに行くもしくは状況を見ることになった。この出来事でこいつらの信頼度は一気に底に落ちたことをこいつらは理解しておかないといけない。でなければいつ後ろから突き落とされるか分からないからな?




