第四十四話 仕置人と鬼嫁(その8)
第二十五話 アナタにしか見えない(その6)
https://ncode.syosetu.com/n6941fl/65/ の裏話です。
2026/2/23 修正
■その44
凪橋はまだ、絶頂の先にある断崖を知らない。
後はそこから転げ落ちるだけなのに――
力を合わせた刑務作業も楽しいものだった。それどころか凪橋を尊敬する囚人達が代わりにやってくれる程で、凪橋は服役囚や看守に武勇伝を語り周囲の相談に乗る毎日となった。所内の外出や差し入れも要望が通る。
そう言えば、マイ天使は普段はどこにいるのだろう? 毎日ひょっこり姿を現すのだが、彼女は刑務所のどこに『勤務』しているのか、全く知らない事を凪橋は思い出した。
たまには自分から会いに行こうと、凪橋は刑務官に彼女の配属先を聞きに行く。凪橋はこの時、彼女も服役している可能性を微塵も考えていなかった。
刑務所の廊下を看守と一緒に歩いていた凪橋は
『ボエボエボエボエ……』
「!?」
聞き覚えがある、というより一生忘れられない声に立ち止まる。
幻聴か。凪橋は再び歩き出すが
『ボエボエボエボエ……』
聞こえた萌え人面土器の声に、周囲をキョロキョロ見回す。同行する看守が不思議な顔で
「……? どうしたんだい?」
「いや、今変な声が聞こえなかったか?」
「変な声? 気のせいではないのか?」
看守が言う通り、静まり返る廊下には凪橋と同行する看守以外人はいない。気味の悪さにトイレに行きたくなった凪橋は、職員用のトイレに寄り道して用を足す。
洗面で手を洗おうとした、その時だった。
『ボエボエボエボエ……』
「!? うわぁぁっ!?」
「どうしたね?」
「い、今!! 鏡に変なものが映った!」
「変なもの? 私とあなたしか映ってないけど……まさか、私を変な者扱いしてるのか?」
不愉快そうに睨む看守に、凪橋が必死に訴える。
「違うって! トイレの隅っこに変なものがいて、それが鏡で見えたんだ!」
「具体的にはどんなものが?」
「萌え人面土器。笑顔の遮光式土偶をかたどって作られた、丸い土器だ! 丸いから転がるし、ボエボエボエって笑い声をあげる」
「何だそれ? 遮光式土偶の笑顔ってどんなの? そもそも、土器が笑いますか? おかしいと思いませんか、アナタ」
『ボエボエボエボエ……』
「ひぃっ! 今、トイレの入り口にいた!!」
凪橋が示した方向を看守が振り向く。
「……何もないじゃないか」
「え……」
人気のない廊下には転がってくる球状の物体1つ見当たらない。
もしかして、疲れているのか? とにかく早く手を洗おうと洗面に戻った凪橋は、蛇口にくっつけられた萌え人面土器に完全に固まった。
じょばーっ
大量の水が萌え人面土器の口から流れていく。蛇口だから当然だが、手を洗うわけでもなく水を止めようちもしない凪橋に、看守が蛇口を閉める。
「洗わないなら締めてくれよ」
咎める看守の顔が、萌え人面土器を思わせる丸くて不格好な造形にすり替わったのを見て、凪橋は悲鳴を上げて逃げ出した。
「おかえりー。どこに行ってたの?」
「お、おい! 大丈夫だったか!?」
何事もなかったように独房にいる零比都に、逃げ帰った凪橋が異変がなかったか問いただすと、
「大丈夫って何が?」
「……いや、何もないならいいんだ」
マイ天使はきょとんとした顔で首を傾げた。確かに、留守の間に異変が起きた様子は見られない。本当に気のせいだったようだ。
そう言えば、彼女はいつ自分の部屋に来たのか?
「いつこっちに来た?」
「ついさっきだよ。さっき食事が届いたから、一緒に食べよ?」
「あ、ああ」
凪橋がいる監獄と事務室を繋ぐ廊下ですれ違わなかったのは、トイレに行ってる間に入れ違いになったのか。
「さっき、シェフの人がハンバーガー持ってきてくれたよ」
ハンバーガーなんて食べるの何年ぶりか思い出そうとした凪橋だが、マイ天使が持つお皿を見て腰を抜かしそうになる。お皿にプリントされた柄に見覚えがある。丸い物体だ。今にも笑い声を上げそうな……
「お、おぉぉい!! その皿、その皿!!」
「え? このお皿がどうしたの? 汚れてる?」
「そうじゃなくって、皿のデザイン!!」
「変わったデザインだよね。さあ、一緒にハンバーガー食べよ?」
「皿の模様が喋ったりしないだろうな?」
「え? 絵に描いた餅は食べられないし、お皿に描かれた絵は喋らないよ?」
『ボエボエボエボエ……』
「い、今! お皿が喋らなかったか!? というか、お皿に描かれた萌え人面土器が奇声を出さなかったか!?」
「……どうしたのかい? お皿は喋らないよ? というか萌え人面土器って何?」
「世界を戯れに滅ぼそうとした邪神を信仰する宗教の遺物……ってそうじゃない! お皿に載せたその物体は何だ!」
「え? ハンバーガーだけど?」
『ボエボエボエボエ……』
ハンバーガーとしては芸術的に丸い物体が、凪橋の嫌な予感を掻き立てる。というか笑い声を上げてるし!
「いやー、このハンバーガー美味しいな!」
『ボエボエボエボエボエ』
周囲の独房でも囚人達が萌え人面土器そのままなハンバーガーをぱくついている。萌え人面土器のデザインが施されたお皿に載せられた、萌え人面土器そっくりなハンバーガーを、である。よく見るとお皿だけでなくお盆まで萌え人面土器のデザインが彫刻されていた。
「はっはっは、良く味わって食べて下さいね」
『ボエボエボエボエボエ』
廊下を行く配膳係はこれまた見覚えのある丸い物体を押している。萌え人面土器そっくりな配膳カートが例の奇声を上げながら通過していく……いや、というか。配膳係の顔も……
「「「うわぁぁい! こんな美味しいハンバーガー食べられるのも凪橋さんのおかげですね! 美味しゅうございます! 美味しすぎて舌が快楽の音色をボエボエボエボエ……」」」
監獄内でハンバーガーを頬張る囚人達はみんな萌え人面土器の顔だ。萌え人面土器そっくりな見た目のハンバーガーを食べ、お皿とお盆にも萌え人面土器のデザイン。水の入ったコップも萌え人面土器で、配膳係も配膳カートも萌え人面土器。
看守達も萌え人面土器で、監獄の錠前も当然萌え人面土器。
『ボエボエボエボエ……』
そもそも、おなじみの笑い声をあげる監獄が萌え人面土器で……
「ねえ、どうしてキミは食べないの?」
背後からかけられた声に振り向く。
凪橋のハンバーガーを持った、マイ天使の屈託のない笑顔があった。
……違う。
凪橋はいつから、目の前にいる萌え人面土器をマイ天使と錯覚していた!?
「「「ねえ、どうしてあなたは食べないの?」」」
周囲がざわざわと騒ぎ出す。びくりとする凪橋を、例の声が取り囲む。
「「「みんな美味しそうに食べているのに、どうしてあなたは食べないんだい?」」」
『『『まさか、また私達を見捨てるのかい? 他の女にうつつを抜かした時みたいに』』』
『ユルサナイ』
『『『ユルサナイ』』』
『『『『『『ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ……』』』』』』
「な、何を! おい、ちょっと待て。何の真似だ、おい! うわぁぁぁーっ!!」
殺到した無数の萌え人面土器にもみくちゃにされた凪橋はグレーチング構造の床を押し流され、建物内部の吹き抜け部分からはるか下の階へ転落する。血まみれになった身体を引きずって逃げる凪橋を、萌え人面土器の大群が執拗に追いかける。
停止している機械の内部に隠れ、凪橋は何とか追跡をやり過ごした。よくこれで生きていられると思えるほどズタボロ状態だった。5階以上の高さから転落したのだ。この程度で済んだのは本当に幸運と言うしかない。
今後の人生における女神の祝福を全て使い切ってしまうくらいの。
『間もなく、1号想力炉起動します。1号想力炉起動します。現場の職員は御注意下さい!』
『間もなく、萌えるゴミ搬送コンベア起動します。現場の職員は御注意下さい!』
凪橋が潜む装置外部で自動音声のガイダンスが響いた直後。
大きな音を立てて機械が動き出し、そして――
そして第三十九話『もしもし、私メリー。今、あなたの後ろにいるの。』の続きへ。
次回「仕置人と鬼嫁(その10)
いくら因果応報と言えども、正直書いているうちに凪橋氏が気の毒になってしまいました。もしも彼に人生やり直せる機会があるならば、どうか普通の人生を送ってほしいと願うばかりです。




