14 こどもの相手なら任せろー!
日曜日の朝市は、幅広い世代の買い物客で溢れかえっていた。子ども連れの家族が目立つが、若者やご高齢のグループも食べ物片手に大いに盛り上がっている。
「ねー、お母さん。今日ってここで朝ごはん食べるの?」
「そうだよー、食べたい物あったら言ってね」
「やったあ!」
はしゃぐ子供の声を聞いて頬がゆるむ。俺も小学生のときにこんな場所に来たら、大喜びしただろうな。休みの日に外で朝ご飯を食べるなんて、なかなかスペシャルな体験だ。
朝市の楽しみは買い食いだけではない。午前十時になると、誰でも参加できる「競り」が開催されるのだ。
これはオークションのように値段を吊り上げていくものではなく、朝市の偉い人が商品を高々とかかげ「こちらの鉢花、千円のものが八百円!」と値引きしていく。買いたい人は番号札を上げ、早い物勝ちで格安商品をゲットできるイベントなのだ。
ほとんどの買い物客は「競り」を目当てに来ているので、朝市が最も混雑するピークは十時だ。そこを過ぎるとお客さんは帰ってしまうので、俺たちは十時までにあらかたの野菜を売ってしまわないといけない。
事前に得た情報を元に販売計画を練っていると、赤根農園のテントに続々とお客さんがやって来た。
「あ、お久しぶりです。朝市にもいらしてたんですね」
「あ、は、はい?」
突然眼鏡をかけたお姉さんに声をかけられ、曖昧に返事した。だ、誰だ。どうやら以前にも会ったことがあるようだが、他人の顔と名前が覚えられないので誰だか分からない。
美しい黒髪をした細身の女性は、両手にみたらし団子、おでん串、プリン、ほたて焼き、ずんだ餅などを持っている。もしかして一人で全部食べる気なのか? いやいや、食欲がすごいな……。
「もしかして、私のこと覚えてませんか?」
「え、いえ! そんなことないです、お久しぶりです!」
わかんねーよお、誰だこの人! 目を回して頭を下げていると、女性がくすっと笑った。
「ほら、以前仙台でお隣になりましたよね? あのときの文具屋です」
「あっ……ああ! もちろんそうですよね、お世話になりました。あのとき買わせていただいた手帳、今でも使ってるんです」
「えっ」
今度は俺の発言にお姉さんが驚いた。あ、そうそう……前に文具屋さんで、那須くんにあげるためのプレゼントを買ったんだ。でも「いらねーよ」って言われて、今では俺の愛用品に――経緯を話すと、お姉さんは申し訳なさそうに肩を落とした。
「ごめんなさい、気に入って頂けなかったみたいで……」
「い、いえいえ。こちらこそその節は本当にすみませんでした。でも、まさかここで会えるなんて……」
「私も驚きました……えへへ、食べ物持ちながらでごめんなさい。一人で来たのに買いすぎちゃいました」
お姉さんは恥ずかしそうに照れ笑いをして、手にした食べ歩きグルメを隠すようなそぶりを見せた。率直に言うとかわいい。俺が恋に落ちる前に逃げた方が良いぜ。
「いいなあ。俺も早く何か食べたいんですけど、店番が忙しくて」
「あ、じゃあこれどうぞ。さっき買って来たばかりなので」
お姉さんは焦げ目のついた柔らかそうなみたらし団子を差し出してきた。遠慮したものの強引に持たされてしまい、「がんばってくださいね」と笑いかけられる。ほ、惚れてまうやろ。
一週間分のラブコメ成分を摂取した気分だ。女性に対する免疫がない俺は、別れた後も「はわわ、お姉さんと指が触れ合ってしまった」と顔を熱くして恥じらっていた。
彼氏はいないよな、男友達と来たわけでもないよな、と深刻に考え込んでいると、今度は清涼感のある若者に声をかけられた。
「天見くん、天見くん! おはよう!」
「は!?」
名札もしていないのに、人懐こく名前を呼ばれた。誰だこいつは。目を細めて凝視しても、まったく覚えがない。いわゆる量産型大学生って感じの無個性ファッションだが、髪の毛が暴力的に輝く銀色だ。銀髪の知り合いなんていない。一体どこで会った誰なんだ。
「ぼく今大学の仲間と一緒にご飯食べてたんだけどさ、周りに赤根農園の野菜を買った人がいっぱいいたよ。ほら、オレンジの白菜とか下仁田ねぎとか。すごいね!」
「えー、ええー?」
「あれ? あ、ほら、ぼくだよ? この前会ったじゃん」
「えええー?」
俺はお前みたいなチャラいバンドマンっぽい奴知らない。誰だお前。ん、バンドマン……バンド……?
「や、や、山吹くん?」
「うん、そうだよ……分からなかったの?」
う、嘘だ。あの自動車メーカーの営業マンみたいに爽やかな山吹くんがグレてトンチキな髪色になってしまった。俺の友人代表になってくれるはずの男がこんなことに。
このままじゃ俺は金髪の那須くんと銀髪の山吹くんに挟まれて、ヤバい交友関係を持つ人間になってしまう。
「これ、似合ってるかな? 髪の色をガラッと変えたら、気分も変わるかなーと思って」
「う、うう。お、俺は、元にもどしたほうがいいと……思う……」
九条さんは他の買い物客の相手をしているため、俺がはっきり言うしかない。赤根農園のヤンキー枠は那須くんだけで十分なんだよ。ビビりの俺のためにもシルバーヘアは勘弁してくれ。
「そう? 結構気に入ってるんだけどなあ。……あ、何か手伝えることとかある? 一応ぼくも赤根農園の一員だから、何でもやるよ」
「あ、いいです。大丈夫です」
いつのまにか敬語をやめてグイグイ話しかけてくる山吹くんに怯え、即座に申し出を断った。俺の小さな声が聞こえなかったのか、彼は勝手にテントの中に入って道具箱を漁り出す。
「りんごの試食とか出した方がいいんじゃないかな。ナイフでむいておこうよ」
「い、いいです、俺がやります」
コミュ障全開モードのまま、使い捨て手袋をはめてシャリシャリとりんごをむいた。洗ったまな板の上で食べやすくカットしていると、ふとっちょの小学生が寄ってくる。
「ねえ、何やってんの?」
「え? ああ、りんごの試食を用意してるんですよー。今お出ししますからねー」
頭の中で「おい坊主、おめー年上相手に敬語使えねえのか?」と毒を吐きつつ、切り終わったりんごを出した。
「はい、どうぞ」
ふとっちょくんは試食をシャクシャクッと食べ、どこかへ去って行った。横で見物していた山吹くんは、「天見くん、皮むくのはやーい」とぽやぽやした声で言って拍手していた。
りんごの試食は子どもを中心に人気が出て、どんどん人が集まってきた。しょっぱい系の試食を食べた人が、口直しがしたくなったのか我先にと手を伸ばしてくる。
「わあ、美味しいりんご!」
「青森の農家さん直送ですよ。お食事のデザートにいかがですか? うちのにんじんと一緒にジュースにしても、さっぱりとして飲みやすいと思います」
「ジュース飲みたーい」
小さな子どもがねだると、親御さんもあっさりとりんごや野菜を買って行った。
「あのう、もう一つもらってもいいですか」
しばらくして先ほどのふとっちょボーイが戻ってきた。そんなにりんごが気に入ったのか、かわいい奴め。好きなだけ食べていきなさい。無礼な言葉遣いも直っていたので、俺は快く試食をあげた。
来客が途絶えたので金庫の中身を整理していると、農園のテントの前に座り込んでいる人影が見えた。
「ん?」
どうも、二歳くらいの男の子が地べたに座って遊んでいるようだ。少し離れた場所から、買い物袋を持った母親が呼んでいる。
「コータ、そんなところで座らないの! ほら帰るよ、立って」
「やあだ」
「お母さん荷物もってるから、抱っこは出来ないの。ほら、ちゃんと立ってこっち来て」
「やあや」
む、これはいかん。うちの店の前に居座られたら威力業務妨害の容疑で逮捕だぞ。俺はすぐさま行動を開始した。シュバッとテントの前に出て、坊やの前にしゃがみこむ。
「ほら、これあげる。かわいいでしょー」
両手に持った、ゴルフボール大の赤かぶと黄金かぶ。坊やは綺麗な色の球体に見入っていた。まあるいフォルムが魅力的だろう。小さすぎて売れないけど、飾りになるかと思って農園から持ってきたのだ。
「お母さんのところに行って、見せてあげようね。はい、どーぞ」
「ありあとー」
坊やは二色のかぶを受け取ると笑顔で立ち上がり、お母さんのところへ走って行った。
「すみません。お金払いますよ」
「いえいえ、差し上げます! 売り物じゃないので。おままごととかに使ってください」
ありがとうございます、と丁寧にお礼を口にして親子は帰って行った。よし、上手くいって良かったね。天見とうまは子どもにすこぶる優しいお兄さんだぞ。
「天見くん、子どもの相手するの慣れてるね……そういう系の学校とか通ってた?」
「い、いやあ。親戚に小さい子がいるってだけだよ。あ、おはようございまーす。雪下大根いかがですか? 煮物にするとトロトロになってほっぺたが落ちますよ」
すぐさま別のお客様に気付いて、弾ける笑顔と明るい声で野菜を売り込む。隣で山吹くんが感心したようにこちらを見てくるのでやりにくい。
「天見くん、挨拶の仕方が変だよ。平淡な『おはようございます』じゃなくて、頭のてっぺんから弧を描くように『おはようございます』、ね」
「お、おはよーございまあす、ですか?」
「違う! おはようございます、だよ」
接客の合間に、九条さんによる日本語発音チェックが入ってさらに面倒くさい。挨拶のイントネーションまで気にするとか細かすぎる。
イライラを溜めこんだまま販売を続けていると、またもや小さな子どもが俺の元に駆け寄ってきた。まったく、ひっきりなしに人が来るから対応が追い付かないよ。
「トーマ!」
「うぇっ、じぇ、ジェナ……? ぷ、プリンセス・ジェナだーっ!」
なんたることか。茶色がかった金髪をポニーテールにしたお姫様が、俺の膝下に抱きついていた。無垢なブラウンの瞳でこちらを見上げ、親愛の気持ちをこめてほっぺたを擦りつけてくる。
「あ、とうまが働いてる! とうまー!」
「うぇえ、奈緒ちゃん! ……と、うわあ」
真っ先に飛びついてきたジェナから視線を上げると、いとこの奈緒ちゃんと、岩手の叔父さん叔母さん。そしてマイマザーの総勢四人がこちらに向かってきていた。
仕事場に親族大集合とか、勘弁してくれ。予想外のサプライズに絶句している間にも、ジェナは俺の身体をがっちりとつかんでよじ登ろうとしていた。




