15 風が強い日は色んなものが飛んでいく
「えっ、何? もしかして天見くんのご家族?」
「は、はい……」
驚きのあまり頭が真っ白になっていると、九条さんが俺の背中を押した。
「じゃあ、行っておいでよ。こっちは僕に任せて、一緒に美味しい物でも食べておいで」
「えっ、いいですよ別に」
「いいから行きなさい、家族と過ごせる時間なんて限られてるんだから。僕なんて重度のファザコンかつマザコンなのに、二人とも僕の三百キロ圏内にいないんだぞ。目の前にいる家族とは仲良くしておきなさい」
こちらの目を真っすぐに見据えて、強い命令口調で言い聞かせてくる。とにかく親孝行しろということか。逆らえるような空気ではなかったので、俺は荷物を持って農園のテントを抜け出した。
「あれ、お仕事大丈夫なの?」
「ああ、うん。休憩してきていいってさ」
奈緒ちゃんにそう言うと、叔父さんが「とうまくん、せり鍋食べっぺし!」と腕をつかんできた。叔母さんと母さんは「とうまがちゃんと働いてる……」などと感極まって涙ぐんでいる。
そりゃたしかに俺も数日前に「閖上の朝市で野菜を売ることになったよ」とメールで近況報告したが、まさか新潟にいる母がはるばる宮城までやって来るとは思わなかった。
大賑わいの屋台に並んでせり鍋を買い求める最中、母に近寄って話しかけた。
「よおこんがのとこまで来たね。疲れたろ?」
「うん。でも一回こういうとこ来てみたかったすけ。とうまにも会えていかった」
母は新潟の「村」出身なので、コテコテの新潟弁で話す。それにつられて、俺も自然に故郷の訛りに戻っていた。
数か月ぶりに会った母は目の下にうっすらとクマを作っていたが、嬉しそうにそわそわとあたりを見回していた。「とうまがいなくなってから寝られない」とか、「一緒に買い物に行ってくれる人がいなくて寂しい」などと電話で話していたが、お天道様の光に当たったことですこしは気持ちが晴れたのかもしれない。
大変な混み具合の中どうにか腰かけられる場所を見つけ、奈緒ちゃんたち三世代親子を含めた六人でウッドデッキに座る。ひとまずわりばしを割って、太平洋を眺めながら熱々のせり鍋をすすった。くあーっ、冷えた身体に染み渡るぜ。
仙台の街中はビル風がすごいが、閖上は海風が強い。ときおり吹く突風のせいで器からせりの葉っぱが飛んでいき、「あはは、飛んでっちゃった」と周りの人もおかしそうに目で追っていた。
空は青いし、人々は思い思いにくつろいで語らっている。平和を絵に描いたような場所だなあ。
「すんげえ具がごろごろ入ってるね。母さん、こういうの好きらろ」
「好きらー」
改めて味わってみると、せりってすげー個性的な味と香りだな。
どっさりと盛られた葉っぱの下には、大きめに切られた大根、にんじん、ねぎ、こんにゃくやヒラタケなんかがたっぷり入っていて具沢山だ。煮込まれた鶏もも肉も柔らかくて、噛むほどに旨味が溢れ出てくる。俺はしばらく無言のまま、母の隣で箸を進めていた。
母さんは俺と同じくらい大人しい性格なので、人ごみとコミュニケーションが人一倍苦手だ。しかし滋味深いせり鍋を口にしたおかげで、だいぶリラックスできたようだ。
食事の合間にも、しばらく母と二人で最近あった出来事を話し合った。
俺が話題にできることと言ったら仕事の愚痴くらいなものだ。日々どれだけ頑張って働いているのかを夢中になって語ると、母さんはけらけらと陽気な笑い声を上げた。
「な、なーして笑うんだや? 俺がこんだけかわいそうな目にあってるてがんね!」
「あっはっは! だって、とうまがばか楽しげらっけ、面白くて」
なにが面白いのか分からないが、俺の不幸話がお気に召したらしい。母は現代に蘇った残酷奴隷物語にしばらく大笑いした後に、感想を口にした。
「いかったこて、それだけ色んな体験ができて。羨ましいくらいだて」
「そうかね? 俺は朝から晩まで畑で雪掘りさせられて、毎日ぐったりしてるけど」
「友だちも出来たんだろ?」
「友だち」かあ……どうなんだろう。那須くんや山吹くんのことを、友人扱いしていいものか。同じ釜の飯を食った仲だし、一緒の部屋で寝泊まりしたこともあるが、とてもじゃないが対等な関係とは思えない。
しかしながら母を失望させるのも気の毒なので、とりあえず頷いておいた。
「……うん。今なんて、スマホに母さん以外の電話番号がたくさん入ってるんだよ。産直イベントで知り合った人から名刺もらったり、お客さんから顔を憶えてもらえたりしてさ。引きこもってた頃より百倍きついけど、百倍楽しいかも」
これは嘘偽りのない本当の気持ちだ。体力的にも精神的に辛いが、たまに感じる楽しさや嬉しさのおかげでどうにかバランスが取れている。農作業の合間にも、雪の白さや小鳥の足跡なんかにいちいち心を動かされ、癒されている。
なんだかんだ、俺は楽しんで仕事をしているのかもしれない。人間的な成長ってやつをしてる最中なのかもしれませんなあ。
母さんも一人息子の進歩を我がことのように喜び、「いかったねえ」と繰り返してずっと笑みを零していた。「親孝行」って何をすればいいんだろうな。肩を揉むより現金だよな、やっぱり。母と過ごしている間、俺はどうすれば高卒が大金を稼げるのか考え込んでいた。
軽い食事を終えて皆で市場を散策していると、見知った顔に遭遇した。仙台のイベントでお世話になった海産物屋のおやじさんだ。人ごみの中で立ち止まり、ジェナを抱っこしたまま挨拶した。
「あの、おはようございます。赤根農園です。その節はお世話になりました」
「お? おー、あんときの兄ちゃんか! 儲かってるか? あっはっは!」
こちらの腕の中にいるジェナを見ると、店番中の師匠は色黒の顔をくしゃっとさせて「めごい子だなぁ」と撫でるふりをした。よく見てみると、なんと師匠もおんぶ紐をして乳児を背負っている。この騒がしい朝市でぐっすり眠るなんて、ずいぶんと肝っ玉のすわった赤ちゃんだ。
「おれの孫なんだよ、めんけぇだろ? 日曜日はいっつもこうしておれが面倒みてるんだ」
「へ、へあ~、それはまた大変ですね」
子連れ出勤ならぬ、孫連れ出勤とは……さすが師匠、想像を超えることを平然とやってのける! 魚の匂いがする中で育った赤子は魚好きになるのか、それとも嫌いになるのか気になるところだ。
その後も我々は冬に嬉しいあったかスイーツや牛タンの串焼きなどの誘惑に目移りしつつ、存分に朝市の空気を体感した。ちなみに俺が朝市で耳にした中で、最も心に残った言葉がある。それは、惣菜屋さんで働いているおじさんが放った
「お前、かぼちゃのポタージュすくったお玉を味噌汁の鍋に入れるんじゃねえ!」
という一言である。これはおじさんが共に働いている相方へ向けた注意なのだが、現代落語のようなほのぼのとした面白みがある。偶然耳にした俺は「これが人々の営みというものか」と感動すら覚え、名も知らぬおじさんの日常を垣間見たような気分になった。
赤根農園のテントに戻ると、我が家の親族御一行様はお土産として雪下野菜を買い、ようやく帰ることになった。
「じゃあ、わたしたちはこのへんで帰るね」
「うん。奈緒ちゃんも、叔父さんたちも、来てくれてありがとう」
「やーっ!」
抱っこしていたジェナを奈緒ちゃんに渡そうとしたが、俺の首に両腕を回して全然離れようとしない。仕方がないので、彼女の好きなネタを披露することにした。
「ほら、ジェナ! お別れの高速まばたきだよ!」
すぱぱぱぱ! と素早く目を開閉すると、ジェナは「うきゃーっ!」と可愛い声を上げて大笑いした。次に両手をこすり合わせて、手のひらの間から「ぷきゅっ、ぷきゅ~」と変な音を出した。
「ほら、手の間から変な音がするよ! ぷきゅきゅって!」
「きゃっきゃ!」
「じゃあねー、ばいばーい、ばいばーい!」
笑っている隙にどさくさにまぎれて奈緒ちゃんに引き渡し、どうにかジェナともお別れすることが出来た。ふいい~っ、疲れたぜ。離れていく皆の背中を見送りつつ、俺は心地のいい達成感に浸っていた。
「お帰り。ずいぶんとはしゃいでたね」
「え、いやあ、そんなことないですよ。ただ三歳児のテンションに合わせてただけで……」
へとへとになって帰って来た俺は九条さんに迎えられ、通常業務に戻った。十キロ以上ある子どもをずっと抱っこしてウロウロしていたので、一気に年をとったようなくたびれ具合だ。
「僕はこれから競りの手伝いに行ってくるから、店番よろしくね。金庫のお金も盗られないように、ちゃんと監視しておくんだよ」
「あ、はい。行ってらっしゃい!」
見ると、売り上げを保管している金庫にはふたが閉まらないほどお札と硬貨がパンパンに入っていた。俺がいない間に野菜が売れに売れたらしい。見計らったように強風が吹き、数枚の千円札がバサバサッと宙に飛んでいく。
「ウワーッ、お札が!」
慌ててがむしゃらに手を伸ばそうとしたが、俺が捕まえる前には九条さんが全てのお札を指先で捕獲し終えていた。は、早業っ……!
「ほら、気を付けてね。風が強いから、二度と飛ばされないように金庫は隠しておきなさい」
「は、はいっ」
どんくさい俺を置いて、彼は競りに出す分のキャベツを持って去って行った。なんてスマートなんでしょう。お金を愛し、お金に愛された男、それが九条氏である。俺みたいな貧乏ニートに大金はつかめないという暗示のようにも感じられる。
「九条さんってシュッとしててかっこいいよね」
「うん……って山吹くん、まだいたの? 大学の人たちのとこに戻ればいいのに……」
「いやあ、あっちの人たちとは毎日会ってるからいいんだよ」
山吹くんは赤根農園のスペースに居座り、コンテナに座って水餃子を食べていた。どんなことをしていても満足げで、思い切り人生を謳歌している感じがする。
彼は農園のメンバーを心からリスペクトしているのか、屈託のない瞳で称賛を続けた。
「赤根さんもかっこいいよね。特に腕筋の鍛え方がすごいよ、あれは剣道やってる人の腕だ」
「振ってるのは竹刀じゃなくて、鍬だけどね」
「芹沢さんと那須くんも、一本芯が通ってる感じがしてかっこいいよなあ。運転もめちゃくちゃ上手いし」
「うん、分かる……この前なんて、急勾配の狭い山道にバックで車入れててびっくりした」
状態が悪い路面でもなんのその、巧みにハンドルとギアを操作して車を操る技術は圧巻の一言に尽きる。日々間近で運転スキルの高さを拝んでいる俺は「すごくわかる、わかりみが深いってやつだよ」と、山吹くんに同調した。
俺もいつか、誰かに尊敬されるようなかっこいい男になりたいもんだ。今の時点ではなんの専門知識も持たない素人だが、ちょっとずつスキルと能力を伸ばして、いつか――。
「ぼくは、天見くんのことも尊敬してるんだけど」
「えっ」
予想だにしない発言に目を丸くすると、山吹くんは柔らかく微笑んだ。
「野菜を売ってるときも、ちゃんとお客さん一人一人に親身になって対応してたしさ。人と話すのが好きなんだなあって伝わってきて、見てて楽しかったよ」
「そんな、別に俺、人と話すのとかそんなに好きじゃないし」
「そうなの? あ、ほら天見くん、お客さん来たよ」
「こんにちはーっ! いかがですか、今が旬の雪下野菜ですよ! どれも自信を持っておすすめできますからね。こちらのキャベツや白菜なんて、さっと蒸して醤油かけるだけでも最高ですよ!」
褒められることに不慣れなので、接客している間も心臓が異様にドキドキしていた。真に受けるなよ、あんなのお世辞お世辞。褒められたからっていい気になるなよ、俺!
暴言を吐いてくる那須くんとは対照的に、山吹くんは過剰なほどにベタ褒めしてくるので別の意味で厄介だ。俺はやりにくさを感じながらも店先に立ち、お客さんのニーズに合った野菜を売り込み続けた。




