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19歳、元ニート。冬の山形で農業やってます!  作者: 羽火
第一章 俺は冬でも元気です!
12/25

11. 命がけの初詣

 思えば、今年は俺にとって激動の一年だった。

 四月に入学した大学を、五月で自主退学。実家でドブのような引きこもり生活を送り、九月の誕生日で十九歳になった。十月にネットで求人を見つけ、十一月に隣県の赤根農園で住み込み従業員として働き始め、今に至る。


「引きこもり期間が長いわ! 半年以上何もしてないくせに『激動』とか、どーいうことだ!」


 というツッコミがありそうだが、ようするに俺の内面、心がすんごい勢いで揺さぶられたという意味の「激動」なのだ。初めての出来事に遭遇して傷ついたり、初対面の人間との関わり方に困って泣いたりもしたが、何だかんだで刺激的で楽しい毎日だった。


 職場の皆さんと

「初詣はどこに行こうか。それとも元日登山に挑戦してみるか」

 なんていう話が出るくらい打ち解けた。杵つきもちと、食べるのが怖いくらい豪勢なおせちもある。これは今まで生きてきた中で一番充実した新年になるかもしれないな。

 大晦日の夜、俺は大変満ち足りた気持ちで眠っていた。


「ぶぴー、ぐぴー……」


 小中学生の頃はテレビにかじりつき、年越しの瞬間までがんばって起きていたが、今はもう睡眠の方が大事だ。

 なるべく穏やかに安眠したいのだが、近頃はストレスが溜まっているのか変な夢を見ることが増えた。

 泣き止まない赤ちゃんの人形を抱っこして狼狽したり、殺人鬼に追われて夜の街を裸足で逃げ回ったりして、心臓がバクバクしたまま起きたこともある。


 今夜も悪夢の気配がして、だんだんと胸のあたりが苦しくなってくる。

 気付けば俺は、高校時代の制服を着て薄暗い教室の中に立っていた。ひんやりと冷たい空気が足元にまとわりついてくる。


『おれ、こいつのことマジ嫌いなんだけど』

『何言ってんのか聞こえなーい』

『友だちいないくせに毎日学校来て、恥ずかしくないのかな』

『あいつさ、いっつも自分の足元見ながら歩いてんだよ。キモッ』


 聞きたくもない悪口が鼓膜を震わせる。

 俺は学生時代、耳が聞こえなくなればいいと思っていつもイヤホンをつけて大音量の音楽を聴いていた。スマホが使えない場所では読書に没頭していた。ここには頼れる道具がないので、両耳を手で塞ぐ。


 どうせ俺は嫌われ者だよ。声も小さいし、動きがのろいし、気もきかないし、胸を張れるような長所なんて一つもない。嫌な過去を思い出して自己嫌悪に浸っている内に、涙が出てきた。


「那須くん……」


 助けて。那須くん助けて。うずくまって、何度も何度も繰り返し念じた。

 助けてくれよ。一緒にカラオケに行ってくれたじゃん。あんぱんも奢ってくれたし、海も見に行ったじゃんか。

 俺のこと、そこまで嫌いじゃないんだろ。もう教室にいたくないんだよ、どこでもいいから連れ出してくれよ。涙腺がぶっ壊れている俺は、そのまま教室の床に額をつけて狂ったようにすすり泣いていた。


「うっ、ひーっ、なすくん……ひぐっ」

「もしもーし」


 ふいに、誰かに肩をつかまれて強く揺さぶられた。はっとして目を開けると、潤んだ視界の先に赤根さんがいた。二段ベッドの下に寝ている俺の様子を、心配そうに窺っている。


「どした? なんか、泣いてるみたいだったから気になって……」

 那須くんにいじめられてる夢見たの? と言いながら、タオルでこちらの顔面を吹き始める。

 俺の声が部屋の外にまで筒抜けになっていたのだろうか。気まずくなって、とりあえずタオルを受け取って自分の顔を覆い隠した。


 カーテンの隙間から白い光が差し込んでいる。もう朝なのか。枕元のティッシュで鼻をかんで、ひりひりする目元をこすった。

 赤根さんは何を勘違いしたのか、ベッドの隅に腰かけて慰めの言葉をかけてきた。


「かわいそうになあ……まあでも、ほら。あいつも久しぶりにオモチャをもらえた犬みたいな状態だから、今は天見くんにちょっかいをかけたくてしょうがないんだよ。そのうち落ち着くから大丈夫だって」

「は、はい……」


 本当は嫌な記憶を夢に見て泣いていただけなのだが、神妙に肩をすぼめて頷いた。赤根さんは傷ついた動物を労わるように、優しく俺の背中を撫でる。


「よーしよし。朝ご飯食べたら初詣に行くよ。外に出て身体を動かせば、ちょっとは気分が晴れるだろ」

「ありがとうございます……あっ、あけまして、おめでとうございます」

「はーい、おめでとう。今年もよろしくね」


 とってつけたように新年の挨拶をすると、笑顔で返された。やっぱり俺、ここに来て良かった。まだ年が変わった実感が湧かないが、寝起きの頭でそんなことを考えていた。

 


 朝食を済ませた俺たちは、赤根さんの一声により正月の朝から車でお出かけすることになった。

 目的地は、観光地としても有名な山形の古刹、宝珠山・立石寺だ。芹沢さんが運転し、赤根さんは助手席、俺が後部座席に乗って出発する。


 車道の両脇には厚い雪の壁ができ、田んぼの真ん中に建てられたお墓は雪に埋もれてほとんど見えなくなっている。どこもかしこも真っ白で寒々しい。ぼーっと車窓の外を眺めている内に、俺のメンタルも徐々に整ってきた。


「天見、実家に帰らなくてよかったのか?」

「あ、はい。なんか大雪で、交通機関も麻痺してるみたいなんで……大変な目にあうくらいなら、山形でのんびり過ごそうかなーと思いまして」


 雪は怖い。毎日のように遅延や事故が起きるし、冬の間はずっと家に閉じこもっていた方がいいんじゃないかな。芹沢さんと話していると、コートのポケットに入れていたスマホが突然振動し始めた。


「うおっ、え?」

 取り出して確認してみると、母からの着信だった。どうしたもんか、よその人がいる前で電話に出るのは恥ずかしい。でも放置するのも良心が痛む。だって新年だし。とりあえず、一瞬だけ話すつもりで電話に出てみた。


「あ、もしもし?」

『あー、もしもし? あけましておめでとー』

「え!?」


 母の声ではない。だ、誰だ、こんな可愛い声の知り合いはいないぞ。俺は泡を食ってスマホを耳から遠ざけた。なんか、ふわふわしたお姉さんって感じの甘いヴォイスだった。マジで誰なんだ? 

 謎の人物は、こちらの反応を受けておかしそうに笑っている。


『あははっ! とうまくん、久しぶり。奈緒だよ』

「えあ、え、奈緒姉ちゃん!? えっ、えっ、なんで? なんで?」


 電話越しに聞こえてきた名前に、俺はシートから跳び上がって驚愕した。なんで母さんのスマホから電話をかけてきたんだ。まさか、日本に帰ってきたのか? 大騒ぎしている俺が気になったのか、前の席にいる赤根さんが怪訝そうに振り返った。


「どうしたの?」

「あ、いえ! なんか今、奈緒ちゃんから電話が来たんで……あ、奈緒ちゃんっていうのは俺のいとこです。十歳年上で、アメリカ人の旦那さんがいるんですけどっ」

「なにそれ初耳! じゃあ、アメリカに住んでるの?」

「は、はい。でもなんか、電話がきたので……あの、奈緒ちゃん? 日本……っていうか、今新潟にいるの?」


 電話越しに確認してみると、奈緒ちゃんはころころと笑い転げていた。


『うん。ジェナと一緒に里帰りしてね、今とうまの家にお邪魔してるんだ。ほら、ジェナもご挨拶する?』

『アーン、トーマ!』

「わあ、ジェナー! スーパーウルトラ・プリティキューティ・リトルプリンセスー!」


 小さなお姫様の声が聞こえたので、俺も全力で呼び返した。奈緒ちゃんの娘、三歳になるジェナは地球上で一番かわいい生き物です。異論は認めない。

 俺も新潟にすっ飛んで行きたい、今すぐジェナに会いたい。抱っこしてハグして、遊び相手になってあげたい。テンションが上がって足をバタバタさせる俺に、前席の赤根さんたちは若干引いていた。


 言っておくが、俺は断じてロリコンではない。ただ猛烈に子どもが好きなだけで、親のような慈しみの心を持って、小さなベイビーちゃんを宝物のように思っているのだ。

 あの子がすくすくと成長していくことこそが、俺の希望。全身全霊をかけて小さな生命を守っていきたい。最高の笑顔を浮かべてジェナの声に聞き入っていると、再び奈緒ちゃんの声がした。


『とうま、今誰かと一緒にいるの?』

「うぇ、あ、うん。職場の先輩と一緒に、初詣に行く途中なんだ」

『そっかー。よかったあ、元気そうで。とうまのお母さんも心配してるから、電話代わるね』

「ん、うん」


 赤根さんたちの前で長々と話していることが恥ずかしくなった俺は、電話の相手が母親に代わるとすぐに

「あ、あとでまた電話するから」

 と言い残して切った。あんまり他人に聞かれたくないんだよ、家族との会話を。

 しかしまあ、奈緒ちゃんが日本に帰って来てたなんて。寝耳に水とはこのことか。黙ってあれこれ考えていると、赤根さんが待ちかねたように質問してきた。


「何、いとこの奈緒ちゃんって、どんな人なの?」

「あ、駄目ですよ興味持っちゃ。奈緒ちゃんはめちゃくちゃ美人ですけど、人妻なんで」

「別にそういう意味できいたわけじゃないよ! ただ純粋に知りたかっただけですー」


 どうかな、怪しいなあ。奈緒ちゃんは子どもの頃からかわいかったから、俺だって物心ついたときから好きだったんだぞ。三歳で「ぼく、なおちゃんみたいなことけっこんするー」なんて告白しちまったくらいだ。

 当時中学生だった彼女は、くすくす笑って「女の子に頼りにされるような、かっこいい男の子になってね」と俺の頬を指でつんつんしていた。


 月日は流れ、丸々とした赤ちゃんだった俺はみっともない社会不適合者に育ち。奈緒ちゃんは美しく優しい女性になって、アメリカ人の旦那さんとかわいい娘に囲まれて幸せの絶頂だ。どうしてこうなった、せめて俺もまともな人間になりたかった。


 人生設計が甘かったな、と後悔している間に、俺たちの乗った車は山寺の駐車場に到着していた。車から降りてテクテク歩き、朱塗りの宝珠橋を渡っていく。

 山寺の周辺には、看板を掲げた土産物屋が軒を連ねていた。漬物や玉こんにゃく、焼きだんごにせんべい、手打ちそばにソフトクリーム。こりゃ一大観光地だ、わくわくするね。


 他の参拝客に交じって、山のふもとに建立された本堂へ向かう。

 景色がね、すごくいいんですよ……黒く濡れた石段に白雪が積もり、歴史の重みが感じられる寺院にも雪化粧が施されている。水墨画の世界に入ったような静謐さが感じられる。俺たちは石段を上った先にある、根本本堂でお参りした。


「天見くん、この山寺は悪縁切りのご利益があってね。薬師如来にしっかりお願いすれば、悪い運気を断ち切ってもらえるかもしれないよ」

「へえー、悪縁切り……」


 縁切り寺なんて今の俺にぴったりの場所じゃないか。赤根さんのガイドを聞いた俺は、両手を合わせ切実に祈った。もう誰かに嫌われたり、陰口を叩かれたりするのはうんざりなんだ。

 俺もこの陰気な性格をどうにかしますから、二度と嫌な人と関わらずにすみますように……。


「よし、行くか」

 赤根さんと芹沢さんは連れだって、次の目的地へと歩き出した。


「この先は千十五段の階段を上ることになるから、足元に気を付けろよ」

「えーっ、大丈夫ですか? 地面とか凍って滑りますよ!?」

「まあ、ゆっくり行こうよ。一段上るごとに煩悩が落ちるっていうしさ」


 ひえー、まじで行くのか。こうして俺たちは、拝観料を払って山の上にあるありがたーい奥の院を目指すことになってしまった。

 天高く伸びる杉の木に囲まれた、雪深い登山道をひたすら歩く。高層ビルにして、六十~七十階分の高さを上ることになるそうだ。往復で三時間はかかるらしいが、俺は最初の数十分でへばってしまった。


「へっほ、はっほ、ふぃい~っ」

 だめだ、脇腹が痛い。急な石段の中腹でしゃがみこむ俺を、健脚の老夫婦がさっさと抜き去っていく。邪魔になってすみませんねえ、体力がなくてお恥ずかしい限りです。


「おーい、生きてるかー? もうやめとくー?」

「……い、いえ、行きます。頑張ります!」


 一歩一歩、やるぞ、行くぞ、できるぞ俺。自分の足を叩いて喝を入れつつ、無我夢中で上を目指す。

 行け行け、これも修行じゃい。真冬の山登りなんて、出羽三山の山伏みたいでストイックじゃないか。先を行く先輩二人に励まされつつ、俺は着実に石段を上っていった。


 道中、撫でるとご利益がある『おびんずる様』や、赤い前掛けをつけたお地蔵さんに遭遇したので、運気を上げるためにお参りしてきた。

 スピリチュアルなことは信じていないが、それでもやはり仏様を足蹴にするようなことはできない。なるべく怒りを買うことなく仲良くしておきたいものだ。


 延々と石段を上り、仁王門という巨大な山門のあたりで休憩することになった。バッグから水筒を取り出してお茶を飲んでいると、一休みしている他の参拝客が目に入る。

 お年寄りのグループや子供連れの家族、学生の集団に、外国人観光客。足場が悪いのにすごい人出だ。人気の観光地はやっぱり違うね。


「そういえば昔、俺の地元にある弥彦神社っていうところで怖い事故があったんですよ」


 再び氷漬けのツルツル石段を上っていく途中、俺は地元であった群衆事故のことを話した。

 母親が生まれたくらいの年に、弥彦神社の初詣に集まった三万人以上の参拝客が、石段で折り重なって転倒したのだ。

 百人以上の死者が出た最悪の事故で、神社のそばに住んでいる祖母から何度も話を聞かされてきた。「初詣」と「石段」という二つのキーワードが合わさると、どうしても思い出してしまうのだ。


「本当に気を付けてくださいね、俺、楽しいことをしてる途中に命を落とすっていうのが一番怖いんですから」

「お、おう……」

「安全第一だな。お前の気持ちは分かるぞ」


 俺の後ろ向きなネガティブ発言のせいで、爽快な雰囲気はなくなってしまったが。それでも我々は手すり代わりに張られたロープを強く握り、命がけの元日登山を続けた。

 世の中の皆さんも、行楽に行くときはくれぐれも注意するんだぞ。命大事に!


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