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僕たちは、校庭を斜めに走り抜け、旧体育倉庫へと駆け込んだ。
中は薄暗い。そういえば、電気が止められたままなんだっけ……。
「どうだった……? やっぱり中止の申請ミスだったの……? うらめしい……」
「るなへのお土産はないのかっ!?」
「……そんなに慌てて、雨にまで濡れて……なにがあったんですか?」
幽霊ズが、それぞれに言葉を投げかけながら迎えてくれる。
僕たちの様子が普通じゃないことに気づいているのは、どうやら優美さんだけのようだ。
「アンナ先生が悪霊に取り憑かれたみたいなんだ。それで襲いかかってきて、変な白い球体にも追いかけられて、全速力で逃げてきたんだよ」
この説明でわかってもらえるのかどうか、はなはだ疑問ではあるけど。
僕自身がまだ状況を理解できていないわけだから、正確な説明なんて、できるわけもなかった。
とりあえず口に出してみたことで、僕の頭の中では状況をなんとなく整理できた気がする。
「外はどうなってるかな?」
ドアをわずかに開け、すき間からのぞいてみる。
それに合わせて、薄暗い部室内にも若干の明かりが差し込んだ。
梅雨空とはいえ昼間だから、電気のない部室内よりは、外のほうがまだ少しは明るいようだ。
「……どうやら、追いかけて、きたりは、してない、みたいね」
響姫も僕に顔を寄せるようにして、息を切らしながらも外に視線を向けていた。
あ……。ふと気づく僕。
しとしと降る程度ではあるけど、雨の中を一心不乱に走ってきた僕たち。当然ながら雨に濡れ、髪の毛も制服も水浸しだった。
ということはつまり、響姫の制服のブラウスからは、またしても下着が透けて見えていたわけで……。
だけど、今はそんなことを気にしているような場合でもない。
まだ荒い息を吐き出している響姫本人も、まったく気にしていないようだ。
あの友雪ですら、今の響姫の姿を見て興奮するような余裕はないみたいだし。……若干、ちらちらと視線を向けてはいるけど。
ともかく、再びドアを閉める。
カギもかからないオンボロのドアではあるけど、閉めておいたほうが安全なのは確かだろう。
「大変だったみたいね……。うらめしい……。あ……ごめんなさい、つい口癖で……」
「るなは、雨の中のお散歩もしたいぞ!」
「私は明るいお日様のもとで散歩したいですけど……。って、そんなことを言ってる場合じゃなさそうですね」
「うん。なにか対策を練ったほうがいいかもしれない……」
いまいち緊張感のない幽霊ズのせいで、こっちまで気が緩んでしまいそうになるのをどうにか堪え、僕がそう提案したところで、状況は突如として一変した。
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「な……なんだ、こりは!?」
「……凄まじい……パワー……」
「ぐっ……室内なのに、突風ですか!? でも、今の私たちは風も感じないはず……!」
幽霊ズたちが苦悶の表情を浮かべて騒ぎ出す。
「ひゃぅ……っ! これは……霊気……ですの……!」
桜さんが解説を加える。幽霊ズの誰も、言葉を返せない状態のようだった。
ただ、僕たち人間組には、なにも感じられない――と、一旦は思ったのだけど、どうやらそんなことはなさそうだ。
「寒い……」
響姫が両手で二の腕を激しくさすり始め、つぶやきを漏らす。
「なんだよ、この寒さは!? 梅雨とはいえ、六月だぞ!?」
いつもなら、俺が温めてやろうか? とでも言いそうな友雪も、困惑の叫び声を上げながらガチガチと歯を鳴らしている。
真冬かとも思えるような急激な寒気が、僕たちに襲いかかってきていたのだ。
とはいえ、吐く息は白くなっていない。
幽霊ズとは感じ方が違うみたいだけど、これはおそらく、桜さんの言った霊気の影響なのだろう。
ドアを薄く開ける。
他の人にも外の様子が確認できるように、僕はしゃがんで外に目を向けてみた。
校庭の向こうに校舎が見える。それは普段どおりの景色だ。
だけど……。
どんよりと曇った空から、しとしとじめじめと降りしきる雨、その風景の中に、明らかな異変が見て取れた。
それは、校庭の中央付近。
空気が歪んでいる? いや、なにかがある一点を中心にして湧き上がり、湯気のように周囲に放出されている……?
あの湯気のように見えるのが、霊気なのだろう。
「……あるいは悪気、もしくは瘴気と、呼んでもいいかも、しれませんの……」
僕の肩に片手を添え、身を乗り出すようにドアの外に目を向けながら、桜さんが震える声を絞り出す。
霊気、あるいは悪気、もしくは瘴気の影響で、いまだに苦しみの渦中にいる状態なのだと考えられる。
そしてその霊気の中心に見えるのは……。
「アンナ先生、だな……」
友雪のつぶやいた言葉のとおり、そこにいるのはアンナ先生だった。
さっき職員室で見た、あたかも獣にでも乗り移られたかのような、むしろ獣そのものに変貌しかけているような、そんな状態のアンナ先生が、ゆっくり、ゆっくりと、でも真っ直ぐ、確実に、この旧体育倉庫のほうへと向かってきていた。
「白い球体も、いっぱい……」
響姫のか細い声。
よく見れば、霊気の湯気のような歪みにまじって、僕たちを追いかけてきていた白い球体も、アンナ先生を中心にして渦を巻きながら宙を舞っている。
その数――計り知れず。
ごくり。
ツバを飲み込む音が聞こえる。
それは自分自身だったのか、他の誰かだったのか。それすらも、判断できなかった。
寒さで思考回路までもが凍結し始めているのだろうか。
と、そのとき。
凛とした声が薄暗い部室内に響き渡った。
「みなさん、覚悟してください。決戦になりますの!」
まだ震えてはいる。
霊気だか悪気だか瘴気だかによって苦しみの中にいるのは、今も変わっていないのだろう。
それでも力強く、はっきりと響いた桜さんの声。心なしか、僕たちが感じていた寒気すら弱まったように思えた。
僕たちは、旧体育倉庫であり幽霊部の部室であるこの場所に逃げ込んできた。
隠れてやり過ごせればいい、そういう考えも無意識のうちにあっただろう。
ただ、逃げるのなら学園の外に出たほうが安全なはずだ。にもかかわらず、この場所まで来た。
それを誘導したのは桜さんだった。
最初から、戦うつもりだったのだ。
「わたくしが力をお貸しします。華子さん、るなちゃん、優美さんも、一緒に戦ってくださいですの!」
「……わかった……。うらめしいこの気持ちは、あの悪霊にぶつけるわ……」
「るなももちろん、一緒に戦うぞ! 少年漫画みたいで、燃えるのだ~!」
「私はそんなはしたないこと、したくはありませんけど……。この際仕方がありませんわよね。元生徒会長としての使命ですから!」
桜さんの言葉で、幽霊ズも襲い来る霊気に負けない勢いを取り戻す。
「わたくしの力があれば、幽霊のみなさんを外でも動けるようにできますの! あまり長くはもちませんけど……。それに、玲くんたちにも応援してほしいですの。強い想いが、悪霊に対抗する力になりますの!」
桜さんの勢い込んだ声に、僕たち幽霊部の面々――人間三人幽霊三人の総勢六名は、黙って大きく頷いた。
☆☆☆☆☆
視線を再び外に向けると、状況はさらに変化していた。
「な……なんだ、ありゃ!?」
友雪が叫ぶ。僕だって叫びたい気分だった。
「わはははっ! でっかいのだ!」
るなちゃんが場違いな笑い声を響かせる。
そう、でかかったのだ。――アンナ先生が。
先生がこちらに近づくにつれ、大きく視界に映り込んでくる。
その姿は、明らかに人間サイズを超え、さらに大きく、どんどんでっかく、ずんずん巨大化していった。
獣のように姿を変貌させているアンナ先生が巨大化していく光景を目の当たりにして、僕の口からは思わず血迷った言葉が飛び出していた。
「えええ~? 先生って、怪獣だったの!?」
「違うと思いますの」
桜さんが冷静にツッコミを入れてくる。
でも、まさに怪獣といった様相で、一歩一歩着実に迫り来るアンナ先生。
校庭を横切っているから障害物はないけど、途中に電線とか建物とか東京タワーとかがあったら、引きちぎったり張り倒したりぶっ壊したりしながら、ドシーンドシーンと地響きを立てて歩いてくるイメージだった。
……東京タワーはさすがに無理か……。
それはともかく。
怪獣と化しているような先生だけど、胸の辺りでなにかが光を放っているのを発見する。
「なにか、光ってるわよね?」
「……カラータイマーかな? だとしたら、怪獣じゃなくて巨大ヒーローのほうなのかな?」
「それも違うと思いますの」
再び冷めたツッコミを入れた桜さんは、困惑する僕たちに向けて状況説明を加えてくれた。
「巨大化しているのは、幻覚の一種だと思いますの。ですが、踏み潰されたら、きっと死んでしまいますの」
「幻覚なのに!?」
「霊の力っていうのは、そういうものですの」
「やっぱ怪獣みたいなもんじゃん!」
叫び声を上げる僕の言葉に、今度はツッコミを入れられることはなかった。
桜さんも、う~ん、確かにそうかもしれませんの、とでも言いたそうな複雑な表情をしていた。
「と……とにかく! みなさん、決戦ですの! 行きますよ!」
『おーーーーーっ!』
僕たちは覚悟を決め、旧体育倉庫から飛び出した。




