第6話 江戸川朱里
同時刻。
練馬区第三ダンジョン、地下三十階。
最深部に設置された中継用の安全区域では、地上波テレビ局による特別番組が生放送されていた。
『さあ、いよいよ練馬区第三ダンジョン、最終ボスへの挑戦です!』
実況を担当する男性アナウンサーの声が、地上のテレビへ向けて響く。
複数の撮影用ドローンが宙を飛び、ボス部屋へと続く巨大な扉を様々な角度から映し出していた。
番組名は、
『現役女子高生探索者・江戸川朱里! 高校三年生最初のダンジョン完全攻略チャレンジ』。
新学期初日、高校三年生となった江戸川朱里の、新たな門出を飾るために企画された特別番組だった。
江戸川朱里。
私立練城学園の生徒会長。
成績優秀、容姿端麗。
さらに十七歳でスキルに目覚めてから、わずか一年でB級探索者へと昇格した、国内屈指の若手探索者でもある。
艶やかな長髪を高い位置で一つに束ね、赤を基調とした軽装鎧を身にまとっている。
その右手には、細身の長剣。
左腕には、小型の盾。
学校の壇上で見せていた穏やかな雰囲気とは違い、その表情は真剣そのものだった。
『江戸川探索者は、すでに二十九階までの攻略を終えています! 残すは最深部のボスモンスターのみ!』
『練馬区第三ダンジョンの最終ボスは、B級指定モンスター、アイアンミノタウロスです』
『過去にも討伐経験のある江戸川探索者なら、十分勝算はあるということでしょうか?』
『もちろん油断は禁物ですが、現在の江戸川探索者ならば問題ないでしょう』
解説者の言葉を聞きながら、朱里は静かに呼吸を整えた。
今回の挑戦は、朱里一人でダンジョンを踏破する企画ではない。
二十九階までは、テレビ局が雇ったA級探索者を含む護衛チームと進んできた。
しかし、最終ボスだけは朱里が一人で戦う。
それが番組最大の見せ場だった。
もちろん、危険が生じれば護衛チームが即座に介入する。
ボス部屋の外には、高位の回復スキルを持つ救護班も待機している。
入念に準備された、安全性の高い企画。
少なくとも、誰もがそう考えていた。
「江戸川さん、準備はよろしいですか?」
スタッフの一人が尋ねる。
「はい。いつでも大丈夫です」
朱里は頷いた。
緊張はしている。
生放送である以上、失敗すれば全国へ流れる。
学校の生徒たちも見ているだろう。父も、江戸川グループの本社で中継を見守っているはずだ。
だが、不思議と恐怖はなかった。
アイアンミノタウロスとは、過去にパーティーで二度戦った経験がある。
攻撃方法も、弱点も、行動パターンも把握している。
今の自分なら、一人でも倒せるはずだ。
「ボス部屋……開門します!」
スタッフの合図と同時に、巨大な石扉がゆっくりと左右へ開いていく。
重い石が床を擦る音が、地下三十階に響き渡った。
扉の向こうに広がっていたのは、巨大な円形の空間だった。
壁際には無数の松明が並び、中央には石造りの祭壇がある。
朱里は長剣を構えながら、慎重に部屋の中へ足を踏み入れた。
撮影用ドローンも、彼女の後を追っていく。
『江戸川探索者、ボス部屋へ入りました!』
『間もなくアイアンミノタウロスが出現します!』
実況の声がわずかに高くなる。
朱里は祭壇から距離を取り、正面へ剣先を向けた。
やがて。
ズンッ──!
部屋全体が揺れた。
祭壇の奥。
暗闇の中から、巨大な足が一歩踏み出す。
続いて、筋肉に覆われた腕。
人間の数倍はある巨体。
牛に似た頭部。巨大な角。
『出ました! 練馬区第三ダンジョン、最終ボスです!』
実況が叫ぶ。
だが、朱里は動かなかった。
いや──
動けなかった。
「……違う」
小さく呟く。
『え?』
『どうしました? 江戸川探索者?』
現れた魔物は、確かにミノタウロスだった。
しかし、朱里が知るアイアンミノタウロスではない。
本来なら灰色のはずの皮膚は、血を吸ったように赤黒く変色している。
二本の角は異常なほど長く伸び、表面から黒い靄が立ち上っていた。
体格も、通常個体の二倍近い。
そして何より──
全身から放たれる威圧感が、これまで戦ったどの魔物とも違った。
「撮影を中止してください……!」
朱里は魔物から目を離さないまま告げた。
「護衛チームを呼んで。これは……アイアンミノタウロスではありません!」
直後。
撮影ドローンの識別装置が、けたたましい警告音を鳴らした。
《警告》
《未登録の特殊個体を確認》
《対象を変異種と推定》
《危険度、測定不能》
『変異種……?』
実況者の震えた声が、全国へ生放送される。
赤黒いミノタウロスは、ゆっくりと顔を上げた。
濁った金色の瞳が、朱里を捉える。
「ブオオオオオオオオオオオッ!!」
咆哮。
それだけで衝撃波が発生し、撮影用ドローンの数機が壁へ叩きつけられた。
朱里の黒髪が激しくなびく。
ボス部屋へ続く巨大な石扉が、背後で勢いよく閉じていく。
「待って……!」
朱里が振り返った時には、もう遅かった。
轟音とともに扉が完全に閉ざされる。
護衛チームとの道が、断たれた。
静まり返ったボス部屋の中。
朱里と変異種だけが、向かい合う。
赤黒いミノタウロスは、口元から白い息を吐きながら、ゆっくりと巨大な戦斧を持ち上げた。




